晩秋 7
薄い光の差し込む蔵の中で、鴆は腕組みをし仏頂面で黙り込んだまま、考え事をしていた。時々、柳行李の山を見ては低く唸る。
「‥三代目のリクオは兎も角として・・。」
男は蔵の出入り口から少し離れて立っている三羽鴉たちを振り返る。そして傍らの少年を眺めた。
「・・鴆さま、私たちも入ってよろしいでしょうか。」
三羽烏の声に
「ちっと待ってくれ。」
鴆は困った表情で答えた。其の声に手の中の実を眺めていた少年が顔を上げる。その表情は今までと打って変わって、不思議なほど昂然とした色を伴っている。それは三代目としての眼差しだった。
「‥鴆くん。この件を、これ以上鴉たちに内緒で片付けることは無理だと思うよ・・。だって、鴆くんが、この薬草畑に、もっと気をつけていたら、こんな問題は起きなかった。・・そうだよね。」
「‥‥‥‥‥‥‥。」
ここまで、はっきりと言われてしまうと、鴆にも立つ瀬がなかった。
「‥お陰でボクは、奴良組と薬師一派に歯向かう妖たちを全て斬り捨てるという、惨い対応しなければならなかった。・・その通りだよね。」
今は人間である少年の黒い瞳には、やるせない哀しみが浮かんでいた。人間のときは、花も踏まぬ心優しい少年の心の痛みは想像に難くない。
「‥リクオ、実は、ここは以前、蛇太夫に任せていたんだ・・。」
薬師は呟く。
「‥やっぱりね。少し見えてきたよ。此処の荷出しの件には恐らく、以前に蛇太夫が関わっていたんだと思う。それで荷出しに好からぬ問題が生じていた。・・既に死んでしまったとはいえ蛇太夫の息が掛かっていたのだとしたら、僕としては対策を立てざる得ないよ。はっきり言わせて貰うけど、今後、この『麗春花』の栽培は、鴆一派だけに独占させるつもりない。是非とも本家から直々に目を行き届かせたいと思っているから。」
「‥リクオ、結論は待ってくれ。この薬草は先祖が大陸から、命がけで持ってきたものだ。それに、この薬草に精しい者が厳しい掟内で使う必要がある。」
長い年月、この薬草を代々受け継ぎ、責を負って担ってきた鴆にとって、リクオの提案は青天の霹靂だった。男は、ただ狼狽する。
どういう理由で鴆一族が渡来したのか、リクオは詳しい理由は聞かせて貰っていなかった。半分は途上半ばにして命を落としたとは聞いている。恐らく追われる身であったことは想像に難くない。無事辿り着いた者たちにも手足を失った者たちや、のち精神に異常をきたした者もあったということは伝え聞いていた。
だが有無を言わせず、リクオが遮った。
「・・鴆くん。先祖が命がけで守ってきた薬草なら直のこと、真剣に考えるべきだと思うよ。」
手の中の罌粟坊主を少年が柳行李の中へ戻す。
「それに誤解しないで欲しいんだけど、ボクは、この薬草を鴆一派から取り上げようとか思っていないよ。所詮、ボクには薬草のことは分からないもの。」
「・・・・・・・・・・。」
男は沈黙する。
「それに鴆くんたちは遠出できない病弱の一族だよ。根本的に鄙に縄張りは持つべきではないよね。この薬草の件だけでも鴆くんの命だって危なかったこと考えて欲しい。起きてしまった事は仕方ない。あとは後始末と今後の対応だと思う。」
蔵の戸の場所に立つ鴉達にリクオが声を掛けた。
「黒羽丸、トサカ丸、ささ美。此処へ来て。頼みごとが在るんだ。」
毅然とした物言いに、三羽が畏まった。
「―御意。」
「本家に応援を頼みたいんだ。取りあえず、目立たない朧車を一台。この件は、君たちと僕たちだけで対応する。口外は無用。わかったね、守れるよね。」
「‥あの・・父には何と報告を・・。」
黒羽丸が不安げな表情をする。
「ああ、鴉天狗にはボクが帰ってから話す。だから、何も言わないで。取り急ぎ薬草を薬鴆堂の土蔵へ運びたいんだ。必ず鴆一族の目の届くところで保管する。今後は栽培場所も検討するつもりだよ。ね、鴆くん。異存ないよね。」
「‥リクオ、この薬草は標高が高いところが栽培に向いているんだ‥。それに、気温も低いところがいい。それに・・」
「収量が落ちても、栽培場所は鴆くんとボクの目の行き届く所へ移す。どんなに栽培条件が良くても、目が行き届かなければ意味がない。ここは、代々受け継いできたかもれないけど、この畑は放棄する。三代目としての決定事項だよ。」
怯むことなく少年は話を進めていく。
気が付けば薬師の男は、この状況を突破して解決を急ごうとする様子の三代目の言葉を黙して聞く羽目になっていた。
****
「‥鴆くん、いろいろ勝手に決めちゃってごめんね。」
「‥いや。」
「蛇太夫が関わっていたってこと知ったから、すぐにでも手を打たなきゃと思ったんだ。蛇太夫は僕たちの知らない裏の姿があっただろうしね。何よりも、また鴆くんに何か起きたら嫌だから。」
「‥予め、おめぇに言って置けばよかったな。この薬草畑とは全く関係ないと思っていたんでよ。」
薬師の男が口篭った。
「‥鴆くんてさ、身の安全について鈍感なところあるよね。・・だから前も蛇太夫に狙われたんだよ。」
呆れたような溜息が少年から漏れた。
「‥まあ、オレは薬師の仕事に心血注いじまっているからな。正直そっちの方はあんま気にしてねぇ。気にしてたら、いつ誰が患者で来るかわかんねぇ仕事してらんねぇし、急な往診にも行けねぇ。」
「‥そうかもしれないけど。」
男と少年は、淡い金色の朝日が冴え冴えと差し、明るくなった薬草畑を再び歩いていた。三羽烏の黒羽丸たちも物珍しげに露の降りた白い花の咲き誇る薬草畑を見回っている。
「リクオ、蔵は本家から応援が来たらもう一度開く。それまで、また封印だ。」
「そうだね、それしかないと思う。」
「後は、ここを・・。」
男の言葉が詰まった。そして二人の足が止まる。
「‥花が実を付ける前に、ここを全て焼き払う。実はなくとも、おめぇには麗春花の炙煙は良くねぇだろうから、其の間は結界の外で待機していろ。そして、その後は、この薬草畑は放棄する。」
少年の眼下には、自分たちの運命を知らない朝露で濡れた純白の花々が見渡す限り揺れていた。
「何れ屋敷も取り壊すつもりだ。」
藁葺屋敷の方を男が振り返る。
「・・・俺たち一族は、初代のぬらりひょん様に会うまでは、随分、辛酸を舐めてきたんだ。毒はあっても、いかんせん根本的に弱い妖怪一族だったからな。只管、薬を極め、療を治すことに専念し、薬草畑として、ここを見つけた。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・オレのせいだな。オレに手抜かりがなければ、ここもずっと昔のままに薬草畑にしてやれたのによ。」
「・・関係ないよ。鴆一派が奴良組に加わってくれて、江戸を拠点している僕たちのところに来たときから、ここは遠すぎたんだよ。もっと早くに移すべきだったんだけど、慣れた場所のほうが栽培しやすいから、置いておいただけだよ。おじいちゃんが提案していれば、既に薬草畑は移されていたと思う。おじいちゃんのことだから、何も考えていなかったんだろうね。・・ああいう人だから。」
気が付けば、辺りは、眩しい朝日に照らし出されていた。だが前を歩く男の足取りに少年の歩みが、次第に遅れ始めていた。
「・・鴆くん、ちょっと待って・・。うまく歩けなくなってきた・・。」
人の身のリクオの足が縺れる。
「‥どうした、眠いのか。仕方ねぇな。小せぇ頃みてぇに手を引いてやろうか。」
だが、がさりという音に、男が足を止め振り返ると、何故か、さっきまで背後を歩いていた筈の少年の姿がない。慌てた男が音のした辺りまで駆け寄った。そこには白い花々を薙ぎ倒して、少年が、うつ伏せに倒れて込んでいる。
「‥おい、リクオ!こんなところで寝るんじゃねぇよ!小屋へ帰ってから寝ろ!」
男の怒鳴り声に倒れたままの少年が、うんうん、と力なく頷いた。だが起きる気はないらしい。‥全く‥とぼやきながら、男が傍に屈み込み横たわったままの少年の肩に触れた。・・触れてみると、その肌が熱を持っている。
「‥凄げえ熱じゃねぇか。こんな状態で、どうして黙っていたんだ。」
呼びかけに薄っすらと目を開けたリクオが小さな声で囁いた。
「‥鴆くん、ごめん。ちょっと限界来たみたい。多分、もうこれ以上動けない・・。身体熱くて、凄く寒くて。夜から朝になったら、身体が重くてさ‥。少し休んだら、小屋へ帰るから。だから、ここで少し休ませて。」
言い終わると、少年は、まるで気を失うように目を閉じ眠りに落ちた。
三代目の急変を感じ取ったらしい鴉たちが、走り寄ってくる。気の短いトサカ丸は空を羽ばたいて来ていた。
****
外では雨が降っていた。昨日までの秋晴れが嘘のような、打って変わった陰鬱な雨天だった。冷たい雨に、山鳥の囀りすら聞こえない。
しとしと、と降る雨音に、少年は目を覚ました。
目を開けると格子窓の外には薄墨を引いたような紗の掛かった背景に朱に色づいた木々と白い雨が見えた。そして視線を移せば、土間の近くの囲炉裏の前に薬師の男が座っているのが目に入る。鴆以外に誰も部屋の中に居ないのは、自分が本家へ三羽鴉達を使いを出したからだということを、少年は漸く思い出していた。湿った上掛けを押し、肘で身体を支えながら、ゆっくりと褥に身を起こす。すると、火箸と十能で熾き火の強さを調節していた男が手を止め、少年を見た。
「‥おう、目ぇ覚めたか。」
火箸と十能を灰を均した炉の隅へ立て、ゆっくり立ち上がるとこちらへ近づいてくる。そして、少年の傍の円座に腰を下ろして、静かに胡坐を組んだ。
暫く少年の顔をじっと凝視しているようだったが、手を伸ばすと少年の額に手を当て、更に両手で首に触れる。
「‥熱は下がったみてぇだな。」
少年が微笑んだ。
「‥うん。すっかり楽になった。鴆くんの薬のお陰だよ。」
掠れた声で、リクオが答えた。喉の痛みも殆ど引いている。
「だから、さっさと小屋に帰れって言っただろうが。夜と違って昼間は人間なんだぞ。自分で気をつけねぇと無理が来ちまう。」
「‥うん。でも、最後まで立ち会うのが、三代目としてのボクの勤めだから。夜の間に立ち会えればいいんだけど、お互い時間制限があって、そうもいかないし。」
男は再び立ち上がり囲炉裏端まで戻ると、今度は手に着物らしき白い物を手にして、戻ってきた。
「汗かいただろ。すぐに着替えた方がいい。こんなに冷え込んでいると、また身体を冷やしちまうぞ。」
鴆の言葉に、少年が褥の上の上掛けを退けた。
「わりぃが、雨でおめぇの着替えが追いつかねぇ。もう持ってきた着替えは使っちまった。取りあえず、オレの長襦袢で我慢してくれ。」
「‥鴆くんは大丈夫?。」
「別に大丈夫だ。おめぇと違って、そう度々着替えていねぇし。」
枕元に長襦袢を置くと、男が少年の着替えに手を貸そうとする。
「いい‥いいから。大丈夫、自分でする。ここは本家じゃないし、遠野でもそういう風に教わったから。」
男は手を離した。
「しかし、汗びっしょりだな。湯が沸いているから、少し身体を拭くか。」
「・・うん、ちょっとさっぱりしたいかな。」
自分の手で触れば、肌が汗でべったりとしている。
「用意してやるから待っていろ。」
そう言うと、鴆は土間へ降り、湯桶に水瓶から溜め水を入れ、それを抱えて板間に戻る。そして、濡れ手拭いで薬缶の持ち手を掴むと囲炉裏の自在鉤から降ろし、桶に湯を注いだ。そして、手で温度を確かめつつ湯を足して行く。
「ん・・こんぐれぇかな。ちょっと熱めだ。リクオ、ここへ来い。ここなら寒くねぇ。」
言われた少年は着替えを抱えて、いざりながら湯桶のあるところまで辿り着く。そして、膝で立とうとした時のことだった。
「・・わっ。」
ふら付いたリクオが湯桶の端に手を付いた拍子に、桶が傾き湯が零れ、板間へ広がった。手を滑らせたリクオは、其のまま濡れた冷たい板床へ倒れ込む。
「リクオ!何やっているんだ!」
倒れたリクオの腕を掴み、身体を起こす。少年は零れた湯で更にびしょ濡れになっていた。
「‥ご、ごめん。立ち上がろうとしたら、目が回ってしまって‥。用意してくれた折角のお湯を零しちゃった。大丈夫、今度はボクが入れ直すから・・。」
「‥そうじゃねぇよ!倒れた場所が此処だったから良かったものの、そのまま囲炉裏ん中へ落ちていたら・・と思ってよ。・・今、ホントぞっとしたぜ。」
目の前の男の顔が蒼褪めていた。
あとがき
終わりませんでした・・。あと1話くらいで何とか終わりそうかな?
わざわざ読んでくださった方、ありがとう!
晩秋8最終章(15歳以上対象へ)
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