晩秋 5
--今宵は新月だった。
「・・さてと。」
リクオは、漆黒の闇に包まれている屋敷を睨んだ。右手に抜き身の弥々切丸を持ち、肩に担ぐと、静かに屋敷の方へ歩み寄る。
そのリクオを薬師の男が呼び止めた。
「・・待て、リクオ。屋敷ん中には入るんじゃねぇ。外へ出てくる気がねぇのは、外だと勝ち目がないからに違げぇねぇと思うぜ。家ん中へ誘い込んで、何とか勝機を得ようとしてやがる。・・絶対、誘いに乗るな。」
鴆がそう言って引き止めると、リクオは首を振り、機嫌が悪くなった。
「・・それは出来ねぇ相談だな。鴆、おめぇは連中が出てくるまで大人しくここで待ってろ、って言いてぇんだろうけどよ。・・オレにしてみりゃ冗談じゃねぇ。粘られて、夜明けまで持ち込まれたら、オレは人間になっちまう。そうなりゃ明らかに不利になる。だから夜明けまでに片付けねぇとな。それに篭ってんのは、一人とか二人とかじゃなさそうだぜ。きっと屋敷ん中で群れてやがる。」
「・・かといって闇雲に闘えばいいってモンじゃねぇぞ。」
リクオの返事を聞いた鴆が、冷静に遮った。
「・・ああ?鴆、何言ってやがるんだ。雑魚妖怪の癖に奴良組総大将にひと言の挨拶もなく、いきなり切り掛かってきたんだぜ。上等な連中だ。総大将自ら礼儀というものを教えてやんねぇとな。」
「・・いや、そういう問題じゃねぇだろうが。」
鴆が、再び静かに諭すように、そう言えば、リクオは、何故か急に眉を吊り上げた。
「いい加減にしろ、鴆!こんな連中に舐められる筋合いはねぇ!だいたい、テメーは一突きされて、死んでいたかも知れねぇんだぞ!わかってんのかよ!オレがオメーに変わって落とし前つけてやろうってのに、いちいち文句言うんじゃねぇ!」
いつもと違う声が上がる。
「・・待て、リクオ。そう、かっかするな。お前を怒らせるのも計算に入っているのかも知れねぇぞ。」
鴆が宥め透かそうとすれば、それを聞き咎めたリクオが言い返す。
「・・オレの言うことを聞かずに勝手なことしたテメーに何も言われたくねぇな!独りで此処まで来やがって、オレが追いついてなかったら、どうなっていたか、考えてみろ!偉そうに、年長者面してオレに指図するんじゃねぇ!」
「・・・・・・・・・・。」
唯一の義兄弟でもあり、それに留まらない仲の鴆が狙われたことに、若い三代目は、珍しく気が立っている。・・よくない傾向だ、と鴆は思った。だが、自分が窘めようとして、却って火に油を注く結果になってしまっていることは歪めない。
攻めることに拘りすぎることは、却って負けを招くことがあるのではないか。しかも、屋敷に篭っている連中は、薬師一派頭領の持っているであろう『蔵の鍵』がどうしても手に入れたいのだ。白い花に取り付かれた妖たちは、秋に狂い咲く花のごとく、妖怪任侠の仁義も礼儀も既に失っているだろう。本来は、総大将のリクオが対処することではない。一派頭領たる己が責を負うべき事柄だった筈だ。
「リクオ・・連中は本気かもしれん。・・勝つ気でいるのかもしんねぇ。」
若い総大将とはいえ、大妖のリクオを相手にするつもりの妖怪たちは、ただの物狂いにしか思えないが、白い花には、それだけの魅力があるのだろう。
「・・そんなこたぁ、わかっているぜ。」
「・・それに、リクオ。狭い部屋んなかで、長脇差の弥々切丸なんか振り回すな。小脇差のオレと同士討ちになる可能性もある。冗談じゃねぇぞ。」
と鴆が腰の小脇差を抜く。驚いたリクオが鴆を見た。
「・・鴆、てめぇ、一体何するつもりだ。・・同士討ちだと?・・病弱鳥が、とんでもねぇこと言うんじゃねぇ。絶対オレに付いてくるな!てめぇは外で大人しく、羽繕いでもして待ってろ!ここはオレ一人で充分だからな!」
リクオは勇ましく啖呵を切った。
だが、鴆はリクオを独りで行かせることは好ましくないだろうと思った。今のリクオは敵の挑発に乗りやすく、侮れない。
にも拘らず、リクオは、それ以上鴆の話を聞く耳は持っていないようだった。引きとめようとする鴆を無視して板縁へ上がり、炉の傍を通り過ぎると、弥々切丸を脇に構えた。
--そして前へ進む。
リクオの摺って歩く足の運びに、みしりと古い床板が軋む音がする。その刹那、ざわりと湿った空気が冷たい板間を遠ざかって行く気配がした。
「・・鴆、待ってろ。すぐ戻る。」
リクオは振り返りざま、そう言った。
リクオの大きな『畏』の妖気に圧され、暗闇の中、申し合わせたように気配が後ろへ後ろへと引いていくのが感じられる。三代目が踏み入った部屋からは、何故か敵の妖怪の影が退き下がってしまう。妖気と影だけの追いかけっこが、何時までも続くとも思えない。それは不必要にも時間を稼いでいるようにも思われた。
飛び掛ってくる様子のない妖怪の影を追いかけて、更にリクオが奥へ奥へと進み行くと、足元は、いつの間にか板敷ではなく畳へと変わりつつあった。・・巧みに奥の座敷へと誘われているのかもしれない。屋敷の中は、妖のリクオは夜目が利くため問題はないが、中は、当然のごとく灯りらしきものは、全くなく、ただ真っ暗で虚ろだった。・・けれど妖の見えぬ影に満ちて錯雑としている。其の上、妖達の所在を得るための兆しが巧妙に隠されており、まるで屋敷の中全てに黒い霞が掛かったようだった。
これでは、振り上げた弥々切丸の切っ先を向ける先が分からない。忌々しいことに、屋敷の中での位置どころか、すぐ前後すらも把握できなくなりつつあった。このまま囲い込まれてしまうと、背を向けた側に大きな死角が出来てしまう可能性が高い。
・・やはり事を急いて考えが浅かったか。リクオの胸に、ふいに一抹の不安が過ぎった。・・所詮、多勢に無勢。『畏』に頼るには向いていないかもしれないと思う。鴆が指摘したとおり、明らかに押されると思って違いなかった。・・では、外へ出てくる気のない相手に対して、どうすれば賢明だったと言えるのか。思い巡らせてみても埒が明かなかった。かといって妙案があったとも思えない。・・リクオは、独り、闇の中で逡巡する。
だが、そんな焦りに駆られた次の瞬間、リクオは、後ろ肩に馴染んだ気配を感じた。それは、陰の気を持っているというのに、フワリとして軽く、床板の上を滑るように、こちらへ移動して来ているのがわかる。
--足音はない。
自分の背に対して、背を向けるように、そろりと左手前に回ってくる。
・・この気配は・・。
離れていても、聞きなれた規則正しい鼓動が耳元に響いてくるようだった。
鉄紺色の刺青紋様が包む背中に、耳を当てたときの温もりすらも、じんわりと伝わってくる。
・・・これで後ろは大丈夫だと、リクオの中の本能がそう告げていた。背後が、がら空きになることは絶対にないはずだ。真後を逆手で突くことも身を返して闘う必要性もない。・・信じていい。
リクオは剣尖を足元に向けて下ろすと脇に引き、馴染んだ気配に背を向けたままで、左足を横へ移動させ、さらに右足を引き付けて移しながら、ゆっくりと緩やかな弧を描く。真後ろの気配も同じ向きに、共有の弧を描いていた。共に描く弧は徐々に小さくなり、二人の背中の間隔が狭まってくるのがわかる。もうじき、弧は完全に詰まり、背中が合わさるだろう。
三代目は、五感を研ぎ澄ませる。今の自分になら可能なはず。リクオは敵方に自分の存在を知らせてしまっているであろう、陽の気を放つ弥々切丸を徐々に中段へ運ぶ。
不思議なことに、二人の緩慢な気息が一致していく。一息・・二息・・最後に三息目を吸い込む・・。
----そして、二人の背中が、静かに合わさった。
「鴆。」
「リクオ。」
それが合図となった。
機会を窺い息を潜めていた妖怪達が、二人の共闘を察して、一気に二人の間合いへ雪崩れ込んできた。始まってみれば、闇の中で縦横無尽の斬り合いとなる。
リクオは、右片手切で横一文字に振り払い、さらに振りかぶって天から斬り下す。そして見えぬ背中側では、鴆が敢えて斬り込むことなく、自分の間合いへ入り込んだ斬撃だけを受け流し、内懐へ持ち込み反撃に転じ仕留めている気配がした。刀の振り数は短く少なく、動きはあまりないが身体を巧みに捌いてかわす。さらに空いている左手で相手の体勢を崩して、確実に急所のみを狙っているらしい。
・・鴆一派らしい護身術だとリクオは思った。今まで見たことは無かったが、一派の頭領として身を守るだけの武術は、一応仕込まれていたと云う事か。
リクオは、どこか三羽鴉の女隠密のささ美と似ているものを感じていた。体格と体力とで男より劣る、ささ美は無駄な動きを取らない。だが、守りに入りきらず、打つべきときは、ほぼ確実に急所のみを狙って仕留める。
畏れの気迫に頼って、攻めにばかり入りやすい自分の闘い方とは明らかに違っていた。守りに重点が置かれている。
--そして、背中合わせの陣形のままで、四半刻ほどの争いが続く。
共闘で多勢を凌ぐ二人に、敵の数が急激に減り、取り囲む輪が後退し始めた。リクオがそれに釣られて、前へ出る。
「・・リクオ離れるな。」
闇の中で鴆の声が響いた。あまり離れてしまうと、いざという時に鬼纏が使えない。
「・・わかってる。」
答えは返ってくるが、リクオが『畏』と共に刀を振るため体を開くうち、背中合わせだった二人の間が少しずつ空き始めていた。
「リクオ、それ以上奥へ行くな。出口になる板縁から離れるんじゃねぇ。」
鴆がリクオを制するが聞こえなていらしい。
奥へと引く僅かにまで減った敵を追い、リクオが部屋を出る寸前、上半円で正面へ大きく切り下ろそうとした、その時だった。いきなり、リクオの動きが何かに封じられ、止まった。そして、次の瞬間、突然、暗闇の中で鋭く鳩尾を突かれ、リクオは均衡を失って背中から床へ激しく倒れこんだ。体を板敷へ強く打ち付ける大きな音が辺りに響き渡った。
「・・リクオ!」
リクオは倒れこんだ冷たい床の上で、表情を歪めて身を捩る。・・兎に角、苦しくて息が出来なかった。もちろん声も出ない。今更、考えても遅いが、逃げようとした敵に油断して、いちいち『畏れ』を使わなかった自分が浅はかだったと思う。
「リクオ!」
鴆が再び自分を呼んだ声に、リクオは顔を上げて、霞む目で視線を廻らせた。薬師の男は、まだ、一人の残党を凌いでいた。武術の心得があったとしても、鴆は病身だ。しかも小太刀では受け流し続けるのも限界がある。リクオは、床に肘を付いて身を起こしたが、急に嘔気に襲われて、胃液と共に床へ吐く。今度は、それが刺激となって激しく咳き込んだ。全てが一瞬で何が起きたのか、わからないが、リクオは、突かれた自分の鳩尾に手をやった。幸い斬られてはいないらしい。・・杖か何かで、急所を突かれたか。もしかしたら、肋骨は折れたかもしれないと、そう思った。
何とか上体を起こして、部屋を見ると、鴨居に愛刀の弥々切丸が斜めに深々と刺さり、引っかかったままになっている。長い脇差は、狭い屋敷の中での競り合いでは、致命的な側面も持っていると云うことなのだろう。
・・が部屋の奥の戸口らしきところから、一気に二、三人躍り出てくるのが見えた。
連中はリクオを崩して、劣勢を転じる機を窺っていたに違いなかった。息も出来ず膝も立てられぬ状況では『畏』も使えない。背中に居たはずの鴆も離れており『鬼纏』も使えなかった。・・反撃の初太刀は生身の身体で凌ぐしかない。そう思った瞬間だった。
膝を付いたままのリクオの目の前に、黒石目の小脇差が抜き身のまま、床板の上を滑って手元に転がり込んできた。
すかさず手にすると、切り込んでくる敵を素早く指すに受け、その隙に片膝を立てて踏み込むと地から懐へ入り込み、地摺りから逆袈裟に切り上げた。
リクオは、至近距離で喉を切られた妖怪たちが、コマ送りの画像のように仰向けに倒れていくのを、ただ妖の眼で、じっと見つめていたのだった。
****
ようやく、暗闇にいる二人に静けさが訪れようとしていた。
「リクオ、油断したな・・。」
後ろで掠れた声がする。その声にリクオが、漸く安堵の息を付いた。
「ああ・・つい、油断しちまった。大したことないと思い込んで切り込んじまったら、予想外に人数がいたからな。文字通り、襤褸い屋敷ん中に、敵がぎゅうぎゅう詰めだ。気違い沙汰だったな。」
「・・これで最後か。」
外縁の前の柱のところで、鴆が膝を付いた状態で屈んでいた。
「・・たぶんな。」
リクオが、そう答えると、薬師の男は決着が付いたことに気が緩んだのか、突然、激しく咳き込み始めた。それを見たリクオは鳩尾を押さえながら立ち上がろうとする。だが鴆はそれを手を翳して制した。
「・・リクオ、大丈夫だ。気にすんな。」
武闘派とは言えない、鳥妖の男には、かなりの体力の消耗を招いたらしい。
「・・しかしよ。」
鴆がリクオを見た。
「・・おめぇ、あんな長い弥々切丸で飛び込んで、ああなることは考えなかったのか。」
鴆が上を指差す。リクオがそれに釣られて天井を見た。弥々切丸が、見事なほど鴨居に食い込み、斜めに刺さっている。
「・・・ああ、全然、考えなかったな。弥々切丸はよ、外でしか、使ったことねぇから。」
悪びれず、リクオがそう答えると、鴆の咳き込みが一層酷くなった。
「・・莫迦やろう!」
薬師の男は、そう一言を言うのが精一杯だった。
ようやく後半に・・でも終わらない。しかも突込みどころ満載・・ほんとヘボ文だと反省しています・・(T_T)さらに萌えがないかも・・。
書いているうちに、長くなりました・・。
・・しかし、ほんと、君達当分お出かけしなくていいからね。書くの大変だから(涙)
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