晩秋 4
「‥リクオ、この件はオレの責任だ。おめぇが気にする必要なねぇんだよ。こんなに畑を広げていたことに気が付いていなかったこと事態がオレの手落ちだ。」
鴆は抱き寄せた少年の耳元で呟いた。
「‥でも。」
男が少年から腕を緩めると、解放された少年は、その男を見上げた。
「‥体調が優れないことに甘んじて、オレが鄙の縄張りの監視を怠ったんだよ。後始末ぐれぇ自分で付けないといけねぇからな。」
鴆の表情は、相変わらず険しい。
「兎も角、屋敷の中の様子を見るしかねぇか。今年は肝心の薬草も届けてもらってねぇし・・。おめぇは、まだ人間だ。取りあえずは、ここで待っていろ。そのうち鴉たちも来るだろうしな。」
そういって男は、視界の端の鄙びた長屋門の方を見やった。
「‥ううん、ボクも付いていく。だって、これは奴良組に関係するんでしょ。それならボクも関係あると思うから。」
リクオはそう言うと、弥々切丸を、そっと懐から取り出し両手で抱えるように持った。男は、それを見て、溜息を付く。
「‥てめぇの事だから、ダメだと強く言っても勝手に付いてくるつもりなんだろ。お人よしのおめぇらしいぜ。もうじき日が暮れる。けど変化が始まるまでは人間だ。オレから離れるな。」
少年が素直に頷いた。男は、小脇差を馬手差にするとリクオを振り返る。
「オレの利き手は右だ。お前は、左後ろを歩け。役に立てねぇ鳥妖怪でも、いざとなりゃ三代目の盾代わりにはなるだろうよ。」
それを聞いた少年は、面白くなさそうに眉を顰めた。
「‥鴆くん、ボクは、義兄弟を盾にするほど、小さい器ではないつもりだから。自己犠牲も大概にして欲しいよね。」
小柄な少年は不思議なほど、昂然とした口ぶりで言ったのだった。
「‥やっぱ、お前は総大将だな。」
男が独り言のように呟くと、少年が横で、にこりと微笑んだ。
「じゃあ、早速、行こうよ。もうとっくに逃亡されちゃって、何にもないような気もするから、鴉たちが着いたら、ちょっと休憩しようね。お気に入りのお菓子持ってきたから。」
「‥‥‥‥‥‥‥。」
****
日が沈み始め、辺りは薄紫の夕闇に包まれていく。うらぶれた表門を潜り見回してみれば、さして広くはない庭も、屋形の板縁の下の磨り減った沓脱ぎ石まで、白い花々が続く花園だった。庭には梅木も柿木もなく、其の上、敷地の片隅の竹林手前ところにも、白い薬草畑が溢れかえっていた。次第に濃紺に移る薄闇の中で白い花色が、ぼんやりと亡霊のように浮かび上がる。
「・・・確かに、ここまで、この白い花に魅入られているなんて、尋常でないかもね。」
急速に暗くなっていく庭を見渡しながら、リクオは男に話しかける。
「一年前に手下に見回ってもらった時には、特に何も聞いていねぇから、こうなったのは其の後だろうな。」
少年は男を見た。
「‥ねぇ鴆くん。ここの薬草は、薬師一派にとって特別な薬草なんだよね。」
問いかけながら、さり気なくリクオが男の前に出た。男は、すかさず少年の行く手を塞ぐように手を伸ばす。
「ああ‥極めて上等の薬になる。ただし使い方を間違えば、猛毒のな。」
「‥ねぇ、鴆くん、きちんと聞いておきたいんだけど、その薬草、一体、何の役に立つの?」
少年の口調は、既に詰問に近い。
「‥昔は止痢薬に使われていた。」
男が答えた。
「‥止痢って、下痢止めってことだよね?お腹を壊したときに使う薬なの?それなら、もしかしてボクにも使ったことあるのかな、鴆くん。」
物知りたいリクオは、気に男の方を見ながら、首を傾げた。
「‥ねぇよ。」
迷いない即答が、少年に返ってくる。
「‥だいたい今は、そんな目的には使わねぇ。今のオレ等、薬師の目的は『止痛』だ。」
男の答えに少年は意外そうな表情をした。
「‥『止痛』?つまり痛み止めってこと?・・うわ、それなら出入りのときの怪我に使ってよ。夜のボクは無謀だから、酷い刀傷作って帰って来るんだよ。朝になって痛い思いしてるのは、人間の僕なんだからね。」
少年が、そう言うと、途端に男は眉根を寄せ不機嫌になった。
「お前の怪我は、オレが夜の間に、きちんと手当てしているし、薬も飲ませている。朝には、我慢できねぇような酷い状態じゃないはずだぜ。」
苛立ちの篭もった言葉には、鴆の薬師としての怒りが少々含まれていた。
「‥うん、まあ、そう言われれば、そうだけどさ。」
少年は、出入りの翌朝の目覚めを思い出した。
丁寧に傷を薬湯で洗い流され、狂いなく丁寧に包帯を巻かれた身体。そして与えられた煎じ薬の匂いが残る部屋。酷い怪我の後は、痛みを伴う手当ても在る。急ぐ手当てのため、痛仙薬が効くのを待てず、鴆に動けぬよう押さえつけられて、縫われたこともある。鴆は病弱鳥の癖に仕事では平気で人の身体の上に乗り上がり、莫迦力で身動き取れぬようにして、強引に何針も縫うのだ。けれど腕は確かで、いつも朝には、かなり平癒しているとは思う。
「‥それ以前に、てめぇは人間の血が濃いし、他の妖怪共と違って、いろいろ配慮が必要なんだぜ。」
「‥つまりボクの手当てや薬には、特別の誂えをしてくれているってこと?」
「当たりめぇだろうが。何だ、今更。」
男は静かに辺りを見回した。竹林に近い場所の白い花畑が一部、大きくなぎ倒され、その真ん中に汚れた薦筵が重ね合わさって、大きく盛り上がっている。その様にリクオの前を歩く鴆の視線が釘付けになった。
「リクオ、ちょっとそこで待っていろ。」
「‥何?鴆くん。」
男は、塚のようになっている筵重ねに歩み寄ると、その横に片膝を付いて屈み込んだ。筵の下から破れた布のようなものが見えている。そして、鴆は筵の端を持つと、そっと捲った。そして男は暫く凝視していたが、何事もなかったかのように、再び静かに伏せる。
「鴆くん、どうしたの?」
離れた場所にいる少年の問いに、男は背を向けたまま、平坦な声で答えた。
「‥リクオ、それ以上こっちへ来んな。子どもの見るもんじゃねぇ。」
男の傍に近寄ろうと足を踏み出しかけた少年は立ち止まった。
「‥見たところ、組員全員だろうな。連中め、掟を破って結界を解きやがって。・・莫迦な事を。」
男は右手で額を覆うと、汚れた塚の前で項垂れる。
少年は、筵の塚の横で屈んだままの男に、それ以上近づくことも出来ず、鬱蒼と茂る暗い竹林の傍から音もなく離れた。
周囲に深い闇が落ちる。ぽっかりと穴の開いたような静けさが満ちていく。
リクオは何かに誘われるように、人気のない屋敷へ視線を廻らせた。不思議なことに足がそちらへと向く。気が付けば、一歩、また一歩と近づいていった。古い藁葺の屋敷には灯りはない。土間への大戸は開け放たれており、土間の向こうにある開いた背戸口から覗く裏庭にも、やはり白い花々がぼんやりと見えていた。庭に面した外縁も雨戸が立てられていない。リクオは、目を凝らして人気のない屋形を眺め続ける。
誰もいないはずの屋敷。漆黒の闇に包まれ、その中は、ほとんど何も見えない。
リクオの妖の血を脈打つ心臓が、どくんと何かを告げた。
‥いや、違う‥。気配を消しているが、屋敷には何かがいる。‥一体、何のために?
心の臓の音が、さらに、また一つ、どくんと脈打った。その脈動に応じるかのごとく、俄かに身体が、ざわりと総毛立つ。喉が痛いほど渇き、身体の芯が熱く疼く。じわじわと全身が全て神経のように感覚が研ぎ澄まされてくる。リクオは自分の身体が妖へ変化していくのを感じ取ったのだった。
リクオは、その見えぬ何かに悟られぬよう、弓手にした弥々切丸の柄を馬手で握り、静かに鯉口を切った。リクオの変化の兆しを敏感に察したのか、今までリクオに背を向けていたはずの薬師の男が、ゆっくりと立ち上がる。
「‥鴆、来るな。何かいる。」
妖のリクオの低い声が、そう告げた途端、黒い影が、突然、沈黙を破って闇の中から躍り出てきた。迷うことなく、竹林の前に立っている鴆一派の頭領を目指して、どっと駆けて行く。
リクオは手にかけていた白鞘の弥々切丸を抜きさると鞘を投げ、地面を走る。即座に黒い影の前へ勢いよく飛び込むと、弥々切丸を振り下ろし、ざくりと袈裟に懸けた。純白の花の上に紅い血飛沫が飛ぶ。
一瞬の出来事に、反撃の機会すら与えられなかった黒い影が、其のまま、どたりと白い花々の上へ倒れ込んだ。紅い血が真っ白の花畑の上へ広がっていく。予想外の展開に驚いた鴆が、竹林のところから駆け寄って来た。リクオは顎をしゃくって黒い塊を指す。見れば、三つ目族の痩せぎすの男だった。三つ目の顔と細い喉そして胸が、既に割り切られて絶命している。
「‥気迫だけは凄かったが、腕の立つものじゃねぇな。‥鴆、ここの組のものか。」
そうリクオが問えば、鴆は首を振った。
「違う‥。同じ三つ目族には違いねぇが、うちの組の配下の妖じゃねぇ。」
目を剥いたまま、血まみれで事切れている妖は、骨と皮ばかりに痩せ細っていた。空気に触れた所為か塵のように風化していく。
「‥まだ、なんか居そうだな。屋敷の中から妙な気配が消えねぇ。」
リクオは、二、三間下がると、鴆の前に立ちはだかるように、半身を引き弥々切丸を脇に構えた。
「‥なぁ、鴆。もしかして、おめぇ、待ち伏せされてたんじゃねぇのか。」
後ろの薬師の男を振り返り、リクオが訝しげに尋ねた。
「‥だとしたら、狙いは土蔵の中身かもしんねぇ。蔵の鍵はオレも持っているからな。」
リクオが鴆を見る。
「‥蔵?この古臭い貧相な屋敷に土蔵なんかがあるのかよ。とてもじゃねぇが、命張ってまで奪いたい宝が詰まってるとは思えねけどよ。」
「‥いや、例の花畑の薬草が収められているはずだ。オレは、まだ受け取ってねぇ。」
それを聞いたリクオは信じられないという表情をした。
「‥まさか、その薬草がお宝だとでも?」
「ああ‥そうだ。こいつらにとってはな。」
どうにか4まで来ましたが、既に予定以上にだらだらと長くなりつつあります。
閲覧者の方々は、恋愛表現が読みたい方が多いような気がするので
この連載は、それほど必要とはされていないかな、とは思ってます。
(いや、それ以前に挫折しそうだ・・。)
無事、最終話まで辿り着いたら、ちょっとした解説的後書きをしてみようかな・・。(←いらないってか!)
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