晩秋 2
「リクオ様は、昼は人間ですから、日中は動けませんね。」
そうい言うと黒羽丸は、囲炉裏の鍋から、煮込んだ料理を玉杓子で掬うと碗に移し、リクオに渡した。
「うん。どうせ、一応、皆に付いてきただけだし。」
そういいながら、少年はふうふうと碗を吹き、汁を啜る。
「・・ねぇ、黒羽丸。これ、僕の嫌いな里芋が入っているんだけど。」
いきなりリクオは不満を訴える。
「里芋は野菜の一種になると思います。食べてください。」
リクオの不平に、黒羽丸は有無を言わさず、ぴしゃりと言い返した。
「だいたい、リクオさまといい、鴆さまといい、今回どうして付いていらしたのですか。私たちに任せてくだされば、よろしかったものを。本来、総大将は本家を留守にすべきではありませんし、鴆さまは他にも重要な仕事があって、お体にも負担が掛かります。」
黒羽丸は、しゃべりつつもリクオの給仕に余念がない。
「・・わっ!黒羽丸!里芋足さないでよ!せっかく嫌いな里芋だけ食べ終わったのに!」
少年の碗には、再び苦手な里芋が浮かんでいた。
「本家の者たちは、リクオ様を甘やかし過ぎています。父が、そう言っていました。ここにいるときぐらい、里芋を沢山食べてください。」
「・・・・・・・・・・。」
リクオは、おずおずと碗の中の煮野菜を口にしながら、奥の部屋を見る。奥では、既に体調を崩した鴆が夜具に包まって横になっていた。リクオが奥を気にしている様子を見て、黒羽丸も鴆の方に視線を移す。
「鴆さまは急に気温が低いところにいらしたので、咳が止まらないようなのです。先ほど、お薬を服されてお休みです。大事無いとの事ですが。」
鴆の調子が悪いと知れば、リクオの気持ちは落ち着かなかった。鴆の体調は、いつも気温や湿度の変化に敏感に反応することは少年も承知している。
「・・ちょっと、様子を見てくるね。」
リクオは自分の碗を置くと立ち上がり、奥の間へ行く。鴆は夜具の中に横になって眠っていた。少年は傍らに膝を付く。
「・・鴆くん、黒羽丸がご飯用意してくれたけど、食べる?」
リクオは声を掛けたが、鴆は遠出で唯でさえ病弱の体力を消耗してしまったのか、深く眠り込んだままだった。
****
・・・見渡せば、辺り一面、純白の花畑だった。
明るい晩春の陽光が降り注ぎ、可憐な白い花々が風で揺れている。蝶がひらひらと、その花の間を飛んでいた。
なんて綺麗なんだろうと、鴆はうっとりと見とれる。そして、ゆっくりと花畑の中を歩いていた。
元服を控えた少年の鴆には花畑は広すぎて、どこまで続いているのか分からない。
果てしない花園・・・
耳を澄ませば、どこかで自分の名を呼ぶ声がする。父の声だった。
鴆は嬉しくなって返事をした。
----ここです、父上。
すると、さわさわと花畑を掻き分けて近づいてくる気配があった。
そして、咲き乱れる白い花々の間に父親が現れる。
----父上、ここは綺麗ですね。こんな美しい場所、生まれて初めてみました。まるで幻のようです。
鴆は久しぶりの病の父との外出と美しい花畑が嬉しくて、懸命に父親に話して聞かせた。だが、父親は、鴆と同じ色の萌黄色の冷たい目で鴆を見下ろしている。その眼差しは怒りに満ちていた。
----父上、どうしたのですか?どうして怒っていらっしゃるのですか?僕は何か、失礼なことをことを申しましたか?
すると険しい表情の父親が手にしていた得物の刀を抜いた。
****
「鴆くん。」
少年の声に男は目を覚ました。
「鴆くん、大丈夫?ご飯出来ているけど、食べる?」
見れば、少年が心配そうに見下ろしていた。
「‥リクオか。」
「‥何だか顔色が悪いね。」
少年が言う。男は右手で顔を覆った。
「‥いや、夢を見ていたからな、そのせいだろうよ。」
男は褥に肘を付き、のっそりと身を起こす。
「‥夢?」
「ああ‥昔、親父とここへ来たときのことを夢に見ていた。それで色々と思い出した。」
「昔、此処へ来たときの夢?」
少年は不思議そうに繰り返した。
「ああ‥そうだ。」
そう言って寝床の上に起き上がった鴆は、夜具の上に掛けていた羽織を引っ張り上げ、肩に纏った。リクオが、それを整えてやる。
「‥鴆くん、何か食べる?」
「‥そうだな。やっぱり、食っといたほうがいいかもな。」
男の返事を聞いた少年が囲炉裏端に戻り、黒羽丸から料理を受け取ると、男のところに戻ってくる。そして、碗に入った料理に箸を添えて差し出した。
「‥わりぃな。ありがとよ。」
囲炉裏のところでは黒羽丸が心配そうに鴆を見ている。鴆は渡された碗に口をつけた。
三人が食事を終えた頃、外でバサリという羽ばたきが聞こえ、しゃんという杓杖の高い音が響き渡った。偵察に出ていたトサカ丸とささ美が戻ってきたのだ。黒羽丸は、大急ぎで立ち上がり、土間へ降りると引き戸を開け、戻った二人を出迎える。戸口には、濡れ羽色の翼を持つトサカ丸とささ美が立っていた。
****
「鴆さまがおっしゃっていた、この先の奥まった谷に、確かに強力な結界に守られ広い畑に囲まれている古い民家がありました。結界が張ってありましたので、敢えて近くにはいきませんでしたが、恐らく、そこが鴆さまの傘下の三つ目族の組事務所に間違いありません。しかし、随分小さな組のようですね。家の規模を見ても10名ぐらいいればいいのではないでしょうか。屋形は静まり返っていました。」
と、トサカ丸が報告する。
「ああ・・直系の眷属だけで細々と引き継いでもらっている小さい組だ。畑は薬草栽培用。基本的に薬師一派で支払う薬草代だけで回っている。」
「いわゆる零細の組ですね。あの規模では組み抜けなど例外でしょう。何かの理由で皆が引っ越したしたとか、は、ありえないのですか?」
今度は、ささ美が問う。
「・・ねぇな。結界の外では、あの薬草栽培はできねぇ。」
鴆は、トサカ丸とささ美の話を聞きながら、ちらりとリクオを見ると目配せした。気が付いたリクオは平静を装いながら、鴆の傍に近寄る。
「・・何?鴆くん。」
「念のため、オレ自身で、なるべく早く調べたい。」
と、男は言った。
「・・どういうこと?」
「・・本来なら、少ない組員で頼んだ薬草の加工と出荷で大忙しのはずだ。静まり返っているなんて、オレには信じられねぇ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「それに特定の妖にしか、あの結界は通れないようにしてある。鴉たちを放っても、どうせ入れない。あいつらが結界を解いている相手というのは、薬師一派頭領のオレか、ご隠居の初代か、奴良組三代目のお前以外ありえねぇ。厳しい独特の掟を守って生き残ってきた眷属のみの弱小組だ。」
「・・そうなんだ。初めて聞いたよ。」
少年は相槌を打った。
「お前にも、何れ言うつもりだった。けど、おめぇは総大将になったばかりで、他にもいろいろ大変なことがあるだろうと思って、言うのは控えていた。オレがきちんと仕切っていれば、問題はねぇからな。」
リクオが頷いた。そして、鴆は、じっと考え込む。
「・・こうなったら、オレが直接訪ねるしかねぇな。仕方ねぇ、今から出るか。」
あまりに唐突な鴆の提案に、リクオは驚くしかなかった。
「・・それは絶対ダメ、鴆くん。ついさっきまで、具合が悪くて寝込んでいたんだよ。今、無理したら、次は倒れてしまう。それに鴆くんには、ボクがついて行くつもりだけど、昼は人間で、何かあったとき鴆くんのこと守りきる自信がない。せめて夜まで待ってほしいんだ。夜になったら、必ず行くから。ね、それまでは、身体を休めて。」
「・・・・・・・・・・。」
人間のリクオは意外と手強い。提案を一蹴された男は、じれったそうに歯軋りした。だが、それを見越したかのように少年は鴆に横になるよう促すと、奥の間へ男を連れて行くため席を立った。
****
榛色の鴫が、透き通った湖面を優雅に泳いで行く。鴫が通った後には、申し訳程度の細波が立ち、暫くすると、再び鏡のような水面に戻った。湖面には、逆さに色鮮やかな朱や黄色の林が写っており、時折、紅い落ち葉が、くるくると回りながら水面へと落ちて行き、水面に小さな波紋を作る。
静かな場所だ、とリクオは思った。本家では、一人になることは、極めて難しい。外出時には、供が必ず付く。総大将として奴良組を背負って立つ限り、一人になりたいという、年相応のささやかな願望は、単なる我侭でしかなかった。
リクオは、暮れ行く秋を肌で感じながら、大きく深呼吸した。そして、頬に、そっと左手を当てる。頬には、まだ、あの時、自分を抱きしめてくれた男の広い胸の硬さが残っているようだった。肩には男の腕の力強い感触が。耳には、男の心の臓の規則正しい拍動が。髪には、そっと触れてきた男の手の温もりが。その記憶を掻き集めて、鴆という男を心の中で反芻してみる。
「リクオさま。」
突然、背後で声がした。美しい秋の錦彩なす池の畔で、鴫を眺めていたリクオに、落ち葉を踏み分けながら黒羽丸が近づいてくる。少年は振り返った。
「何?大嫌いな里芋なら、もうこれ以上食べないからね。」
一人で男の余韻を心の中で味わっていたところを邪魔され、少年の機嫌が悪くなる。
「い、いえ、食事の話ではなく・・。あの、鴆さまはご一緒ではないのですか。」
「・・鴆くんが、どうかしたの。」
黒羽丸の話に、リクオは怪訝そうな表情を見せた。
「・・実は、半刻ほども前から、お見かけしません。てっきり、ご一緒かと思いましたので。」
「鴆くんなら、まだ小屋の奥で横になっているはずだよ。夜になったら出かける予定になっているから。」
黒羽丸は、首を振った。
「いいえ、ささ美の話だと池にいるリクオ様の所へ行ってくるといって、半刻ほど前に小屋を出たそうです。なので、こちらに居られるとばかり・・。」
「・・・・・・・・・・。」
それを聞いた少年の顔が翳った。
コメント
と、取りあえず、続いています・・。突っ込みどころ満載ですが(汗)
果たして、この先も続くのか・・!(滝汗)
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