晩秋1
鴉天狗が率いる三羽鴉の情報網が、本家へ極めて重要な情報を齎すことが以外に多い。
奴良組のシマも新総大将のリクオによって強化され、各地の幹部との繋がりも安定しつつあった。
だが、東京周辺を離れると情報は極端に少なくなり、他のシマとの境界も近くなる。そういうとき三羽鴉は頼りになった。
その日、リクオ達は定例の総会が終え、懇意の幹部たちと堅苦しくない世間話に話を咲かせたつつ簡単な夕餉を兼ねた会食を持った。牛鬼は、もうすぐ訪れるであろう捩目山の美しい紅葉の様子を語った。鴆は秋に収穫できる薬用植物の話を。化け猫の良太猫は秋の味覚沢山の会席料理の話を。
少々、酒も入り、上機嫌の幹部たちの話は盛り上がる。
---そんな夜のことだった。シマの北西部境界の貸元荒らしの話が舞い込んだのは。
幹部たちが酒を飲みながら会談する夜の席に、突然羽ばたきが聞こえ、その音が収まったかと思うと、三羽鴉の一人、ささ美が、ぬっと宵闇の庭に音もなく現れた。そして、幹部を除き、人払いをするよう進言する。
その進言を受けて、酒を注いだり、給仕をしたりと幹部の世話をしていた小妖怪たちが急いで、台所へ下がっていった。
「----どうした、何かあったのかよ。」
酒の手を止めて問う三代目に、三羽鴉の一人、ささ美が報告する。
「実は薬師一派傘下の、シマの北端の或る貸元と全く連絡が取れません。」
リクオは頷く。すると、ささ美は、鴆のほうを向いた。
「鴆一派傘下の三つ目族の貸元ですが、鴆様は何かご存知でしょうか。」
急に話を自分に向けられた薬師は、驚いたようにささ美を見た。
「‥三つ目族。ああ‥そういや、一ヶ月ほども前に使いを送ってる。それで、そろそろ或る生薬を納めてもらうはずなんだが、確かに、まだ届いていねぇな。」
「一体、何の生薬なんだ、鴆。」
傍らのリクオが聞く。
「‥い、いや、大事な生薬なんだが、使い方によっては毒にもなる。まあ、薬には、そういうもんが多いんだけどな。今回のは、ちっと使い方の難しい薬だ。だから奴良組では、そこの貸元だけが扱っている。」
「じゃあ、お前が一番困るのか。」
「いや、オレというより、薬師一派が皆困るな。かなり貴重な生薬だ。」
鴆は困惑した表情をする。
「・・大きな貸元なのか。」
「いや、山奥に在る小さい貸元だ。だから鴆一派の傘下に入って保護を受けている。しのぎも多くねぇし、独立できているとは言えねぇな。」
「では、とりあえず、様子を見に行ってもらうしかねぇな。三羽鴉は全員揃うか。」
三代目の言葉にささ美が近寄り、その足元に跪いた。
「--大丈夫です。」
「じゃあ、差し当たり三羽で偵察に行ってくれ。必要であれば、出入りの準備をしようぜ。」
リクオは、了解を得るかのごとく、牛鬼を見た。
「それで、よろしいかと。三代目。」
重鎮の一人でもある牛鬼も賛成の意見を述べる。リクオが膝を打った。
「・・では、そのように・・」
「ちっと待て!」
三代目によって対応が決定しようとしたその瞬間。薬師一派の最高幹部でもある鴆が立ち上がった。
「リクオ。わりぃが、その偵察にはオレも同行させてくれ。出入りになる可能性は少ねぇだろうけど今回のことは、オレにとっては、ある薬草が無事手に入るかどうかの問題も関わっている。なるべく早く事情を知りたいんだ。三羽鴉ども、オレを連れて行ってくれよ。」
遠出することなどない、病弱で床に伏せがちな薬師幹部の言動に、ざわめいていた幹部たちは水を打ったかのように静まり返った。三羽鴉達も、鴆の予想外の発言に顔を見合わせる。
「鴆!おめぇ、一体、何考えてんだ!その身体で偵察なんかについていける筈ねぇだろうが!莫迦も休み休み言え!」
呆れたリクオは、苛立った声を出した。
「状況を知りたいだけなら、三羽鴉に任せればいいだろうが。どうしても手に入れてぇ薬草なら、こちらで何とか他の入手経路を探してやる。それで了解しろ。」
だが、鴆は首を振った。
「わりぃが、それは出来ねぇ。なるべく早く状況を掴みてぇ。どうも生薬が届かねぇと、気になっていたところなんだ。その生薬は、三つ目組幹部が直々納めるモンで他の薬草とは違う扱いになってやがる。」
「・・ダメだ!鴆!この間、寝込んでよくなったばかりじゃねぇか!行っても、どうせ三羽鴉たちの足手まといになるだけだ!」
「‥‥‥‥‥‥‥。」
痛いところを突かれた鴆は目を伏せ、唇を噛んだ。其の様子に、言い過ぎたとリクオは後悔する。
「・・そ、そりゃ、オレはおめぇから見たら、ただの足手纏いにしかなんねぇ役立たずかもしれねぇよ。けどよ、薬師としては、精進しているつもりだ。それに奴良組の役に立てるよう、責任持って薬も調達している。」
「い、いや、そういうつもりで言ったわけじゃねぇぜ‥。ただ身体のことが心配で・・。」
リクオは懸命に言い訳した。もはや、いつもの三代目の威厳が失われつつある。
「‥‥‥‥‥‥‥。」
二人の間に沈黙が下りる。
「リクオ、今回はオレを行かせくれ。勿論、足手纏いにならないよう覚悟して行く。その貸元は出入りとは関係ないような小せぇとこだが、オレにとっては大事な貸元だ。奴良組の薬草倉庫と思ってもらっていい。」
「‥‥‥‥‥‥‥。」
苦虫を噛み潰したような表情で三代目は、腕組みをして、じっと考え込んでいた。
「出入りになる可能性が少ないのであれば、三羽鴉殿と鴆殿、三代目、五人で行かれては如何か。」
傍で成り行きを見守っていた牛鬼が、突然、横から助言した。腕組みして考え込んでいたリクオが振り返る。
「本家を留守にしても構わねぇのか。」
「こちらは、大殿のぬらりひょん様と私で留守を預かりましょう。御心配には及びません。」
最高幹部である牛鬼の言葉で事態が収束したらしいことを悟った鴆は、ほっとしたような表情を浮かべた 。
そこは美しい場所だった。
空が青く高い。明るく澄み切った空気の中で、辺りはひんやりとしていた。
「うわぁ!凄い!綺麗だねぇ!楓もナナカマドも真っ赤だし、欅は見事に黄葉しているね!ほんと錦みたいだ!」
透明な青い空。そして見渡す限り続く、赤や黄色に色づいた森の錦彩なす景色に少年は感嘆の声を上げた。
「東京と全然違う。静かだし、ほんとうに綺麗だ。」
少年は屈むと、嬉しそうに足元の楓の紅い葉を拾い上げる。
「おめぇ、此処へ何しに来たつもりなんだよ。」
鴆一族が所有する小屋の中へ入らず、紅葉鮮やかな森で走り回る少年を、鴆は呆れたように見ていた。問題の貸元の屋敷が近い小屋の中では、三羽鴉たちが囲炉裏を囲んで、打ち合わせに余念がない。それをどこ吹く風と受け流しているリクオの様子は理解しがたかった。
「ねぇ、ちょっとあっちの方へも行っていい?」
「・・かまわねぇけど、池があるから注意しろ。あと、渡り鳥の季節だから、脅かさねぇように静かに歩いていけよ。」
「わかった!」
そう答えた少年は、さくさくと楽しげに落ち葉を踏みながら、池の在る方向へ歩いていく。薬師はリクオの変わりようにため息を付いた。行かせないと怒った三代目との、あの深刻なやり取りは何だったのだろうと、今更ながら頭が痛くなりそうだった。
あれほど、反対したくせに、いざ来てみれば、少しも気にしていないらしい。今為すべきことは偵察と情報収集だというのに、どうみてもリクオは旅行気分の学生だった。
「ねぇ、鴆くんは、ここへ来たことあるの?」
自分の後を、ゆっくりと付いてくる薬師を振り返りながら問う。
「・・ああ。昔、親父が生きていた頃に、一度、親父と貸元への引継ぎの挨拶に来たことが在る。」
「・・引継ぎ?」
少年は首を傾げた。
「ああ・・一応、鴆一派としてのな。病気の親父は、其の後すぐ亡くなった。」
男は、そうひと言いうと、さり気なく秋の空を仰ぐ。
「・・ご、ごめんなさい。思い出させちゃって。」
「・・気にするな。おめぇだって、親父を亡くしているだろうが。」
と、鴆は言葉を継いだ。
「・・・・・・・・・・。」
男と少年が歩く道行には、紅い葉が、はらはらと舞っている。透き通るような静寂の中で、二人は自然と無言になった。少年は先を急ぐように歩いていく。草色に苔むした地面に朱色の楓や漆の葉が模様のように散っていた。色づいた楓の林の小道を抜けると真っ赤な椛に彩られた小さな池に出る。
美しい透明な池だった。硝子のような池の表面には、青磁色の空と艶やかな錦のような紅葉が写りこんでおり、澄んだ水を湛えている。
「・・鴆くん、あそこに水鳥がいるよ。」
池には、小さな榛色の水鳥が一羽で泳いでいた。その水辺近くに立つ少年の横に男が静かに寄り添う。
「・・あれは、鴫だ。」
男は、少年の耳元に小さな声で囁いた。
「・・あの鳥、鴫なんだ・・。もうちょっと、近づけるかな。」
少年は、しなやかな姿の鳥の泳ぐ池に、少しでも近づこうと足を踏み出した。
「・・うわっ。」
少年は池の畔に繋がる下り坂で、苔むした地面に足を滑らせる。その瞬間、男が少年が落ちるのを防ごうと、その腕を掴み、自分の胸のほうへ強く引き寄せた。だが、思っていた以上に重かった少年に引きずられるように、男もまた、足を滑らせ、二人は苔ですべらかな斜面を、水辺の方へと転がる。水辺のすぐ傍に滑り落ちてきた二人に驚いた鴫が、ぱっと池の水面を蹴って飛び立った。
見上げる空が青い。その青い空を、赤や黄色に色づいた木々が彩っていた。
男の首筋には、胸に抱えている少年の短い髪の毛が触れていた。夜の姿のときより、その髪は柔らかく、肩は華奢で、其の腰は細かった。少年は、何故か男の胸に頭を置き、肩を抱かれたままで動かない儘だった。男は少年から抗議がないことをいいことに、自分の胸にそっと抱きしめる。そして、もう片方の手で、その髪に触れた。
「鴆くん。」
胸のところで、少年の声が響き、ふいに男の胸から起き上がった。少年の黒い瞳が男の萌黄色の瞳を見下ろしている。
「・・今回の件、鴆くんは、僕に何か隠してるよね、たぶん。」
だが、男は答えない。
「三羽鴉達の情報は正確だし、能力も高い。三人に任せて充分だと思うけど、どうして、拘ったの。」
「・・い、いや。」
「小さくて弱い貸元に、どうして薬師一派の頭領が、自ら足を運ばなければならないの。」
「・・・・・・・・・・。」
「鴆くん、鴉たちには言えなくても、僕になら話してくれるよね。ここなら、耳のいい鴉たちにも聞こえないよ。」
少年の黒い瞳は鋭い光を宿している。それは三代目としての厳しい視線だった。リクオは年端も行かぬ少年の姿を取っていても、時折、太刀打ちできぬような威圧感を放つことがあった。その威圧感には、恐らく夜の総大将としてのリクオも入り込んでいるに違いなかった。これ以上、総大将自らの追求は逃れなれないだろう。男は、ゆっくりと口を開いた。
「・・基本的には話したとおりだ、リクオ。使い方によっては、毒になる薬草を扱ってもらっている。今の時点では、推測の域を出ねぇ。だから、早く状況を把握したくて来たんだ。これは薬師一派が引き継いできた秘密でもある。ここには鴉天狗に通じている鴉たちもいるし、なるべく他派に知られたくねぇ。分かってくれ。必要になったら話すからよ。」
男の答えを聞いた少年は、すっくと立ち上がった。
「・・わかった。その代わり、後で必ず報告してね。これは鴆くんの義務だよ。」
少年は男に背を向けて歩き出す。
「鴆くん、小屋へ戻ろう。」
あとがき
お部屋でモタモタ過ごしてないで、お出かけしていただきました!
一応続く予定です・・・しかし果たして続くのか・・!(汗)
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