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いつの日か 2

   
・・・ね、ハジ。今日のお菓子はどうだった?」
少女は身を乗り出して、答えを待っている。
「・・・・・・・」
だが、少年からは答えが無い。
「美味しかったでしょ。」
「・・・・・・・」
「ねえ、何とか言いなさいよ。」
「・・・・オレ、こんな甘いもの食べたことないから・・。」 
「お茶はどうだった?」
「・・・・・苦いよ。」
少女はあきれた顔をした。少し不満げだ。

「こういうときはね、『とても美味しかったです』っていうのよ。決まりなんだから。ハジってほんと、気が利かないのよね。それに、ここでは『オレ』とか言うのはやめることね。『僕』とか、『私』というのよ。あなたは、私の『お友達』なんだから、こういう事はちゃんと覚えなさい!」
サヤは、立ち上がると飾り棚の鏡の前へ立った。
「では、ハジ。テーブルの上のものを下げなさい。それが終わったら、すぐこの部屋に戻ってくるのよ。」
サヤの指示に少年は慌てて、テーブルの皿やフォークやらスプーンを銀の盆に載せると、部屋を出る。重いお盆の上で小さな陶器のお皿が、かちゃかちゃと音を立てていた。

 ハジは、子供には持ちにくい銀のお盆をどうにか掲げ持って、館の別棟の地階にある厨房の隣部屋へ辿り着いた。そして、古い木の扉を開くと洗い場の下働きの老女が現れる。
   
「・・・おや、ハジ。お茶が終わったようだね。あの、サヤとかいうお嬢さんはどうだったかね。」
ハジが扉を押さえてもらうと、お盆を抱えて中へ入った。

「・・・お菓子は美味しかったみたいだけど。」
「・・・そうかい。しかし、あんたも気の毒だね・・。あんな娘の世話係になっちまってさ。しかも我が儘で気味の悪い娘のさ。」
「・・・・・・・・・・。」
我侭なのはよくわかるけど、気味が悪い・・・?ただの世間知らずの薔薇好きの我侭お嬢様に過ぎない。

「ほんと、気味悪いったらありゃしないよ。わたしゃ、15年ここにいるけど、あんな娘は、見たことないね。犬も猫も寄りつきもしなくてね・・。小鳥もさ・・。みんな不思議なことに怯えて逃げちまう
のさ。」
「・・・寄りつかないって・・?」
「しっ・・。やめときな。」
横から別の下働きの女が制した。老婆は、困った様子で急に黙り込むと、また何事もなかったかのように、再び食器を片付け始めている。ハジは、その様子を不審に思ったが、誰ももう口をきいてくれそうになかった。

 少年が話を聞くのを諦めると、食器を下げて、急いでサヤの部屋に戻る。先ほどと同じように、少女は、鏡の前に一人で立っていた。

   「・・あら、終わったのね、ハジ。今度はこっちを手伝ってちょうだい。お客様がいらっしゃるようだから、支度をしたいのよ。私の世話をしていたメイドがまたやめてしまって手伝ってくれる子がいないの。」
「・・・どうせ、サヤが、また我がままをいったんだろ。」
少年は呆れた顔で言う。少女は、むっとした表情をした。    
「していないわ!やめられたら困るから、していないわ!でも、やめてしまったのよ!」
「・・・じゃあ、意地悪したんだな。」
少女は、今度は手に持っていたハンカチを投げた。
「ハジ!していないって言っているでしょ!」
少年はまた、さっきと同じように少女の癇癪に付き合わせられる。思わずため息をついた。
   
「・・・わかった、手伝うよ。何すればいい?」
「夕方にお客様がいらっしゃるそうだから、着替えるわ。だから、このドレスを脱がせて頂戴。」
少女は、大きな姿見の前で両手でスカートの裾を持つとハジに華奢な背中を見せる。
   
 少年の瞳は、思わず少女の背中に釘付けになった。細くしなやかな腰。優美な曲線を描く背中。
彼女が持ち上げたスカートの下のペティコートの裾から白いタイツをつけた足が見えている。ふくらはぎの膨らみと引き締まった足首。

     少年は、無防備な少女の姿に息をのんだ。そして、以前も雨宿りした納屋の中で見たことある彼女の警戒感の感じられない白い下着姿を思い出した。少女の腰のラインを包むコットンレースのドロワーズ。そして、胴を包む硬いコルセットのなかから膨らんだ胸が今にもあふれ出そうだった。
 今、彼女がドレスを脱ぐのを手伝いながら、この少女の細くしなやかな腰に触れることが出来るかもしれない。そして、そっと、さりげなく前に手を回して、その魅惑的な胸の柔らかな膨らみに触れても、あまりにも鈍感なサヤのことだから、多分、気がつかないだろう。

「・・・何しているの?ハジ?急いでちょうだい。」
   
サヤが待ちかねて振り向くとそこにハジの姿はなく、後ろの扉の閉まる大きな音しただけだった。
   
「・・・全く!誰もが私の側にいるのがいやなのね!そうよ、わかっているわ!私はお客様の前に姿を見せたらいけないことぐらい・・。私は、このお城の人以外には、顔を見られたらいけないって・・・!」

少女は、顔を覆って絨毯の上の長椅子へ倒れ込んだ。
「私は、ずっと、このお城の中だけで暮らしているのよ・・・!ずっと!」




                 *           *            *




 やはり、夜が更けて行くにつれ、雨脚が酷くなっている。闇に不気味な雷鳴がとどろく。嵐だった。古く厳めしく高台に亡霊のように建つ石造りの中世時代の城の中では窓を叩く雨の音が、気味の悪い反響音を立てる。
 どこからともなく、湿った冷たいすきま風が入ってきていた。暗闇の中で陰気に響き渡る反響音は、まるで獣の咆吼のようにも聞こえた。

  ハジは、自分にあてがわれた小さな子ども部屋のベッドの中で丸くなる。こんな夜に一人になるのはいやだった。
思い返してみれば、物心が付いたときには肉親はいなかった。いつも旅をしていた。親が、いつ、どこへ行ったのかも知らない。気がついた時には、貧しい旅のロマの一座にいた。親方の男に殴られ、蹴られながら芸を覚えて出し物に出る日々が続いた。いつも空腹で、怪我が絶えない。そんな日々。回りの大人たちに、こんな穀潰しと謗られながら、懸命に芸を覚え、歌を覚え、踊りを覚えた。やがて、努力の成果が現れ始め、人気の芸人になって言ったが、今度は普通より優れた容姿が仇となった。
・・・いつしか、強欲な親方が自分に持ってくるようになったのは、汚い男たちに身体を売る仕事だった・・・!自分の出る出し物は、己自身が値踏みされる場と化して行ったのだった。


 そして、いつもこんな嵐の日の夜更けには、必ずと言っていいほど、酔った親方や一座の男たちに殴られたものだった。まだガキの癖にこんな仕事をしやがってと、自分がガキを商品にしているというのに、それを棚に上げて殴るのだ。

 ハジは、身体の周りにある毛布やシーツを掻き寄せ自分の身体にぐるぐると巻き付けてみる。
幼い頃から、いつのまにかそれが癖になっていた。不安になったときは布や毛布などを身体に巻く習慣が出来ていたのだった。そうすれば、少しは安心感が湧く様な気がした。、だが、今夜は雷鳴までとどろき、落ち着くことが出来ない。窓からは、眩しい稲光が入ってきて、部屋の中が 一瞬明るくなり、黒い影が部屋に落ちる。立て付けの悪い窓が、がたがたと振動していた。

  ハジはようやく、うとうとし始める。疲れた身体が眠りに落ちていこうとしてた。
そう思った時だった。どこからともなく、微かだが高音の震えるような旋律が聞こえてくる。彼は、耳を澄ませた。



---誰かが、歌を歌っている・・・。