風太郎の「旅の空」
 
 −30℃の夜  ( 北海道 宗谷本線 音威子府  )  
 
 
音威子府(おといねっぷ)の夜のことを知ったのは、雑誌で内藤健作氏の作品「凍夜」を見てからだ。文字通り凍るような雪景色の中に息づく末期のSLを捉えたモノクロ作品なのだが、その解説によると、音威子府駅構内の稚内側に強烈な構内照明が設置されており、夜でも明るく夜間撮影に最適とある。確かに写真を見ると雪に覆われた夜の構内を舞台に、つららやスチームの湯気を纏った9600の白と黒のコントラストがドラマチックで、明るさもかなりシャッタースピードが稼げる感じだ。



「凍夜」より


しかし容易ならない寒さの中での撮影であることが、写真からも伝わってくる。既に
SLは無いが、深夜に音威子府を発着する夜行急行「利尻」は健在だ。SLなき後の「凍夜」を表現してみたいと思った。

そんなことで永らく狙っていた「厳寒の音威子府夜間撮影」だが実現したのは大学卒業を真近に控えた
1984年冬のこと。
当時の音威子府は、午前0時前にまず上りの利尻が発着し、深夜3時過ぎに下りの利尻が発着する。待合室は終夜開放だから、まず上り利尻に乗って音威子府で降り、待合室でうだうだ時間をつぶせば本命の下り利尻を狙える。4時過ぎには天北線経由の北見枝幸行きという凄い時間の始発列車があるので、それでオホーツク方面に回れば時間を効率良く使えそうだ。「完全徹夜」ということになるが、全く意に介さなかった。若かったよなあ。

 

21時前に稚内を発車した札幌行き「利尻」は14系客車を連ねた編成で、これはつい数ヶ月前まで雑系客車だった。写真的にはつまらないがまあ仕方ない。黒々とした闇と白い雪の底に沈むサロベツ原野をひた走り、凍結した天塩川と天北の山々の間に分け入ると音威子府に着く。深夜の音威子府は、高気圧圏内にあるようで星が瞬いており、風も無い。

こういう時は、放射冷却で恐ろしく気温が下がるのだ。

下車した風太郎が一向に動く気配が無いのを不審に思ったか、駅員が「どうしました?」と声をかけて来たので、「写真撮るんで。」と答えると「何を?」と聞く。「下り利尻。」と言うと、はあっという顔をしてすぐに引っ込んでしまった。


玄関脇にあった寒暖計を覗くと「−
31℃」を指している。出た。地元の学校でさえ臨時休校になるという、北海道のマイナス30℃オーバーを体験することになった。顔など、露出している部分は刺すような寒気を感じるものの、思ったほど寒くはない。しかしこれは服の中に暖かい空気が残っているからで、時間の問題ではある。


                          深夜の音威子府駅                             
                                         


稚内側の構内照明は健在で、深夜なのに思いのほか明るく期待通りだ。撮影ポジションを決めたあと、周辺を歩く。駅前にはマンサード型の純北海道建築の商店もあるが、当然真っ暗である。ホーム上には「音威子府そば」の店があり、これは真っ黒なそばで「日本一うまい駅そば」の声もある。店は後に駅が建替えられた際、駅舎内に移転したが、元はホーム上にあったのだ。駅員に声を掛ければ自由に出入り出来たという。雪が降っている訳でもないのにキラキラ煌めくものがある。空気中の水分が凍結して出来るダイヤモンドダストだ。しばらく眺めているとゾクッと来た。急いで駅舎に逃げ込む。
 


時計の針が午前3時を回り、いよいよ到着時刻が迫ったので意を決して外に出る。三脚を据えるのだが、こういう作業時に風太郎は手袋を外すので素手で三脚を掴む。冷たいとは思うが意に介さないでいると何やら指先の感覚がおかしい。金属部分にペッタリ指が貼りついているのだ。そおっと引き剥がすともう片手の指が貼りついている。ファインダーは、吐いた息が一瞬で凍り付いて白く曇ってしまう。「−
31℃」はそういう世界だ。

1台のカメラにコダクローム、もう1台にトライX、これは1600に増感でなんとか動きを止めたい。
フイルムが寒気で硬化し、切れるといけないのでそおっと巻き上げる。何よりシャッターはちゃんと切れるのか。これはメカニカルシャッターを信用するしかない。カメラにかからぬよう息を止めてセッティングしたあと、後ろ向きになって夜空に向け白い息を吐き出す。









やがて闇の彼方から氷に覆われた「利尻」が入線して来た。周囲の静寂を破るアイドリングと吹き上がるスチーム、確かに思い描いたシーンが展開された。構内照明の強烈な明かりの中で、露出計もよく振れる。駅員は凍った雪面をカンテラを持って忙しく走り回り、タブレットを交換する。時間にして20分程度だろうか、カラーからモノクロと忙しなくカメラを変え、夢中になって撮っているうちに発車時間が迫る。ピーと汽笛一声の後、「利尻」は再び闇の中へと発車していった。SLの持つ煙の迫力や独特な存在感は望むべくもないが、漆黒の空に浮かぶスチームは、まぎれもなく風太郎にとっての「凍夜」になった。

 
我に返ると、寒気が足元から這い登った。結局この夜の気温は、風太郎が各地の旅を体験した中でいまだ破られていない最低記録である。指先が貼り付く独特な感触と共に「音威子府」の地名は風太郎の記憶の中に長く留まることになる。

窓の外を見れば、ダイヤモンドダストが依然として煌めいていた。

 

その後予定通りの
4時20分、天北線721Dの客となり、浜頓別・興浜北線方面に向けて出発する。その後の顛末は「厳寒!流氷の海」へ続く。

 

 

 
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