風太郎の「旅の空」
 
 厳寒!流氷の海  ( 北海道 興浜北線 目梨泊 )
 地図
 
19842月、音威子府駅の夜間撮影(−30℃の夜)を終えた後、天北線経由で興浜北線に向かう。寒さに懲りず今度は流氷びっしりのオホーツクの海辺で撮ろうというのだ。まだ深夜の420分に発車したキハ22の乗客は、当然ながら風太郎一人。外は依然として−30℃近いであろう、真っ暗な雪原を黙々と進む。「鉄道員」という職業に尊敬の念を抱くのはこんな時だ。何気に回っているディーゼルエンジンも、極寒のなか念入りな保守の賜物だろうし、魑魅魍魎が現れてもおかしくない深夜の山中で雪の吹き溜まりに突っ込んでエンジンが止まり、外部と連絡が取れなくなったら最後、運転士・車掌と風太郎の3人はあえなく凍死してもおかしくない。当時は国鉄の最末期で、態度の悪い「国鉄職員」が目の仇にされていたのだが、どんな環境下でも与えられた職務を黙々とこなし、最北の鉄路を守った人達がいたことを記憶に留めるべきだろう。たとえそれが救いようの無い赤字ローカル線であったとしてもだ。厳寒!流氷の海

そうこうしているうちに音威子府でほぼ徹夜の疲れから眠り込んでしまい、目が覚めたのは浜頓別の手前だった。キハはそのまま興浜北線に入り、しばらくすると窓に氷の海が広がった。風太郎にとって「流氷」は一度見てみたかったモノであり、コバルトブルーの水面に白い氷が浮かぶ鮮やかな景色をイメージしていたのだが、やっと夜が明け始めた空の下、なんとも寒々しい灰色の氷原だった。6時前に斜内駅で下車、北見枝幸方面に歩き始める。次の目梨泊駅との間にある灯台のたもとから線路と海が一緒に撮れるというので、それを狙ったのだ。 







                       目梨泊の漁港


寒い。容易ならぬ寒さであることはすぐに分かった。気温も低いが、海から吹きつける強い風が体感温度を下げるのだ。音威子府も寒かったがすぐに逃げ込める駅舎があったから問題ない。ここでは目梨泊まで
5 km余りの間、何も無いのだ。小さな漁港の灯台はびっしりと氷で覆われ、流氷は完全に接岸してハスの葉のように海を埋めているが、とにかく寒いのと凍りついた路面が滑りやすく、ゆっくり鑑賞する余裕も無く下を向いたままヤケクソで歩く。そのうち小さな岬を回りこんで、なんと目的の灯台下を知らずに通り過ぎてしまった。列車も来る時間なので仕方なく流氷を手前に入れて撮る。列車が小さ過ぎるが仕方ない。目梨泊の駅にようやく逃げ込んだのは、斜内を出てから2時間近く過ぎた後だった。待合室の石油ストーブにしがみついたのは言うまでもない。
 

切符







風太郎の初めてのオホーツク流氷撮影行は、かように情けない結果に終わり、リターンマッチを誓ったのだが翌
19857月に興浜北線は廃止、これが最初で最後になってしまった。くだんの灯台下から輝くような流氷の海をバックにした他人の写真を見るにつけ、死んだ子の年を数えるような心境になるが、1枚だけ残った風太郎の「興浜北線」を手に取れば、あの寒さと潮の香りがじんわり蘇る。まあこれはこれで、と愛おしくなるのも年のせいか。






 
厳寒!流氷の海
 
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