「特攻殉国の碑」が建つ周辺は、1944年、日々悪化する太平洋戦争の戦局を挽回する為、
魚雷艇の訓練場として横須賀から移転開設されました。
その年の9月頃より、特攻艇「震洋」要員の要請を始め、人間魚雷「回天」、機雷「伏龍」、小型潜水艇「蛟竜(こうりゅう)」
などの要員育成にも力を入れていました。
そして、この海で全国から志願した数万人の若者が日々訓練を受け、出陣し、3511名が死亡しました。
ここにある特攻殉国の碑は、その殉国者全員の氏名が刻銘されています。
また、東彼杵君川棚町には、佐世保海軍工廠などで製造された魚雷の発射試験を行う「
川島魚雷発射試験場」があり、
その遺構は今でも現存しています。