長崎市中町にあるカトリックの教会です。
長崎に現存する数少ない被爆建造物のひとつであり、残った塔や外壁を利用して復元されました。
明治時代に長崎市街地のカトリック教会は、
大浦天主堂 しかなく、日本人信徒のための教会が求められていました。
中町教会の創立者である島内要助神父は、殉教の歴史をもつこの地に、日本人のための教会を建てようと志し、
苦労の末に1889年(明治22年)の暮、キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地に教会を設立しようと取りかかりました。
教会はフランスのパピノー神父の設計で1891年(明治24年)8月より建設に着手、
1897年(明治30年)9月8日聖母マリア生誕の祝日に献堂式が挙行されました。
教会建設にあたっては、フランスの一夫人の多額の寄付や、他にも多数の協力がありました。