大浦天主堂 
大浦天主堂
大浦天主堂は長崎市にあるカトリックの教会堂で、 1864年(元治元年)に竣工し、翌年2月に完成した、 現存するわが国最古のキリスト教の教会堂です。
創建当初は三廊式の小さな教会でしたが、増改築により現在の姿に変容しました。
長崎市の主要観光地 「グラバー園」 に隣接しており、 周辺には数々の土産物店が並び、沢山の観光客や修学旅行生で賑わっています。

大浦天主堂が建てられた時代は、 まだ日本人にはキリスト教が厳しく禁じられていましたが、 長崎の居留地に外国人の為の教会として建立されました。
フランス人のプチジャン神父によって完成した大浦天主堂は、当時「フランス寺」と呼ばれていました。
正式名称は「日本二十六聖殉教者聖堂」と命名され、その名のとおり、 1597年に日本で最初に殉教した日本二十六聖人に献げられたもので、 その殉教地である西坂に向けて建てられています。

 ▲ 大浦天主堂

1865年2月に完成した大浦天主堂には、外国人の為の教会でありながら、完成当時から正面に漢字で「天主堂」の文字がありました。 プチジャン神父は禁教の時代の中に、キリシタンの子孫が隠れていることを信じていたのでしょう。
また天主堂の脇祭壇には、フランスから運ばれてきたサンタ・マリアの像が安置されていました。
正に当時の浦上村は隠れキリシタンが大多数を占めており、 「フランス寺にはサンタ・マリア様がおいでなさる」という噂が浦上で囁かれるようになりました。
天主堂完成の翌月の3月、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、プチジャン神父に「サンタマリアのご像はどこですか」と尋ね、 自分たちがキリシタンである事を告白したのです。 これは当時の迫害の情勢下においては、命がけの告白なのでした。
この出来事は世界の宗教史上にも類を見ない劇的な「信徒発見」であり、 このマリア像は「信徒発見のマリア像」と呼ばれ、現在も祭壇の右の小祭壇に安置されています。

大浦天主堂は1875年(明治8年)と1879年(明治12年)に増改築され、 平面形式と外観デザインが変容し、外壁も木造から煉瓦造に変更されましたが、 内部空間の主要部には創建当初の姿が残されています。
昭和8年に国宝(旧国宝、現・重要文化財)に指定され、1953年に洋風建築初の新国宝に指定されました。
1945年の原爆投下で破損はしましたが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れ、1952年には修理が完成しました。

大浦天主堂の正面につづく階段中程の左手には小さな広場があり、 キリスト信者発見の記念碑や、プチジャン神父の像が建てられています。

また天主堂の正面に建つ真っ白な聖母像は、 信徒発見を記念してフランスから贈られたもので、 「日本之聖母像」と呼ばれています。

大浦天主堂の右手には、「キリシタン資料室」があり、 キリシタンの歴史や、禁教時代のカクレキリシタンの資料である マリア観音や納戸神、ロザリオなどが展示されています。

もともと祈りの場である天主堂ですが、観光客の増加に伴い、1975年に大浦天主堂の向かい側に、 カトリック大浦教会 が建設されました。





 ▲ 日本之聖母像

 ▲ 大浦天主堂 右手から

 ▲ キリシタン資料室

 ▲ キリシタン資料室

 ▲ キリシタン資料室の納戸神
大浦天主堂 DATA
住所長崎県長崎市南山手町5-3
電話番号095-823-2628
拝観料大人300円、高校生・中学生250円、小学生200円
駐車場
公式HP
備考
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last visited : 2015/01/02