山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム 

 ▲ ひみつ基地ミュージアム
ひみつ基地ミュージアム
「ひみつ基地ミュージアム」は2018年8月1日にオープンした、 人吉海軍航空基地跡に作られた資料館です。
海から遠いここ人吉盆地の球磨郡錦町には、 かつて人吉海軍航空基地がありました。 まさに「山の中の海軍の町」だったのです。
基地が作られたのは1943年(昭和19年)。 その滑走路の東端に資料館が作られました。 館内には、基地の歴史に関するパネルや、隊員の遺品、零戦の残骸などの資料が展示されています。
館内の展示はそれ程多くはありませんが、 ここのメインはガイドツアー付きで見学する、「地下魚雷調整場跡」です。
資料館前の木立を下っていくと、山肌にポッカリと大きな穴が開いており、 そこが大戦末期の地下施設だったのです。

 ▲ ひみつ基地ミュージアム 館内

 ▲ 魚雷調整場跡
この「魚雷調整場跡」の価値が発見されたのは、ほんの3年前(2015年)のことでした。
それまでは、地元の方は勿論、海軍の基地があった事はご存知でしたし、町内にこの様な地下壕が幾つも残っている事もご存知でしたが、 ただの防空壕だと考えられていました。 ここ「魚雷調整場跡」の壕も、地元の方の農機具置き場として利用されていました。
しかし3年前に「国立公文書館アジア歴史資料センター」にある膨大な当時の資料から、人吉海軍基地の見取り図が発見されたのをきっかけに、 この地下壕がただの防空壕ではなく、軍事施設であった事が判明したのです。
そこから錦町が調査に乗り出し、この巨大な地下壕の中でも、コンクリートで覆われた部分は、 戦闘機の装備される魚雷の調整場だったことが判明しました。
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地下魚雷調整場ガイドツアー
入館料500円に含まれる、地下魚雷調整場までのガイドツアーに参加しました。 ガイドツアーの出発時間は10:30からの1時間ごと。 所要時間は45分程でした。

まず、資料館横の道路を眺めながら、ここにまつわるお話を。

この道路は、人吉海軍航空基地の 滑走路 の跡なのです。
1943年に作られたこの基地は、稼働し始めてすぐに予科練と呼ばれる航空教育隊の方が配属されました。
滑走路はコンクリート製で、本格的な飛行場なのに、なぜ予科練の方の練習用に使われたのかというと、 もともとは飛行場として活用する為に作られたのでしたが、作った後で、この地域が霧深く、 実践に適さない事に気づいたのだそう。
この辺りが航空教育隊の方が使われていたところで、居住地はここより2kmほど北の方にあったそうです。

 ▲ 当時の滑走路と、栴檀の木

 ▲ 資料館前の森
昭和19年の冬から20年初頭の冬にかけては、記録的な大寒波がきて、連日マイナス10度以下だったのだとか。 そのせいもあって、予科練さんたちは酷い凍傷を負ってしまいます。
見かねた上官が嘆願書を出され手袋の支給を訴えますが、認められず、 通勤の2kmの間だけは靴下を手袋代わりに使うという対策を取られたのだそう。
そして今も資料館横に残る「栴檀(せんだん)の木」の実が凍傷に効くという民間療法を知って、 隊長さんが自ら取って予科練さんたちのお風呂に入れたというお話が残っているそうです。

写真左の資料館前の森。
この森の右手側には、「蛸壺」と「塹壕」、「無蓋掩体壕」が残っているそうです。
ここの予科練さんたちは、飛行予科練と思って赴任されたのですが、 実際は整備予科練だったそうで、そうと知ってがっかりされたのだとか。

では写真の右手の方の木立の中の道を下って、魚雷調整場の方へ向かいます。
魚雷調整場のある山肌へと下る道は、当時予科練さんたちが使っていた道です。
兵隊さんたちが使っていた道を下ると、「木上加茂神社」が鎮座しており、その横の山肌に 魚雷調整場のある大きな地下壕があります。

この神社の境内にある広場では、軍刀の鍛冶場があったのだとか。
また、この地域の方々は、 この神社の境内に集まって玉音放送を聞かれたのだそうです。

ところでこの地域には、幾つもの地下壕や地下施設が見つかっています。 それはなぜなのか?
人吉海軍航空基地が出来た翌年の、昭和19年3月には、 九州の基地を上陸戦用に作り替える という指令が出たのです。 アメリカ軍が九州に上陸してくることが予想されたので、それに備えて地下施設の建設が始まりました。
それに伴って、設営隊の方々が入って来られ、後には特攻隊の方も疎開して来られるため、 ここには「設営隊」「航空隊」「特攻隊」の3つの部隊が集まることになりました。

 ▲ 木上加茂神社

 ▲ 地下魚雷調整場跡への入口
早速、地下壕の中へ入る前に、ここの地質のお話です。
この辺りの地下壕が掘られている岩盤は、9万年前の阿蘇の噴火のときに流れ込んできた火砕流の堆積物なので、 基本的に火山灰で出来ています。
硬度はありますが、触るとポロポロと落ちてくるという地質で、掘り易い地盤である反面、 強度のある蓄積物のところと、サラサラと崩れやすいところがあるそうで、 崩落事故も起きているそうです。
地下壕は今から入る壕だけではなく、この場所から向こうの方に見える別の森にもあります。

その中でも今から入る穴が一番大きな穴で、高さ5m、幅5m、総延長が233mくらいの地下施設です。 当時は勿論、山肌と変わらない感じにカムフラージュされていました。
地下壕に入ると、当時のままの手つかずの手彫りの跡がはっきり残っています。 縦の3本の壕と、横の壕から成る巨大な地下壕です。

昭和20年3月18日に空襲を受けてからは、地下施設の方に本部が移転されたということで、 この地下壕で寝泊まりをしていた方もおられたそうです。
さすがに湿気と火山灰の埃が酷かったので、目の前の集落で寝泊まりをする様になったのだそうです。

またこの壕の中の、真ん中の壕では、昭和20年の戦争末期、 鹿屋から連れて来られた工場部隊の女子挺身隊の方々が、 何かの部品か兵器を作っておられました。
この方達は沖縄出身の方々で、昭和20年4月の沖縄上陸作戦より前に沖縄から出てきていたので、 沖縄の現状を知らなかったのですが、兵隊の方が沖縄の状態を教えたところ、 外に出てさめざめと泣かれたそうで、かける言葉が見つからなかったという。

 ▲ 手彫りの跡がはっきり残る地下施設

 ▲ 地下魚雷調整場跡
地下壕の中に、頑丈なコンクリートで覆われた横方向の壕があります。 ここが 地下魚雷調整場跡 で、 当時のままの姿で残っています。
魚雷調整場の壕は2本あり、万が一誤爆したときを考えて、 真横ではなく、互い違いに作らてれいます。
素人目には立派な頑丈に作られたコンクリート製の壕ですが、 分かる人が見れば、この壕のコンクリートは海軍の施設にしては作りが荒いのだそうです。 というのも、小石が沢山混じっているのが見て取れるからで、 それだけ突貫で急いで作られたというのが分かるそうです。

他にもガイドの方は、当時を知る方から聞いた様々なお話を聞かせて下さいました。 非常に有意義なガイドツアーでしたので、ぜひまた再訪したいと思います。
ガイドツアーの様子を詳しくブログに書いています。
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ひみつ基地ミュージアム DATA
住所熊本県球磨郡錦町木上西2-107
電話番号0966-28-8080
公式HPhttps://132base.jp
備考
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last visited : 2018/09/15