帰国時顛末記

1,食中毒
  いよいよタイを発つ最後の日の夜中の2時頃になり、長男が腹痛を訴え吐き出す。その後いったん寝かせつけるがホテルを出発間際になりまた吐く。下痢止めの薬を飲ませたがすぐに吐いてしまう。私も少し便が緩くなっている。2人に共通するものは前夜に飲んだ椰子の実ジュースのように思われる。これまで食中毒等には注意をしていたが、一番最後の帰国の日になり子供が体調を崩し心配となる。最も今にして思えば一番最後の日でよかった。空港へ着いてもまた吐き、飛行機の中でも幾度か吐く。しかしその後飛行機内でお湯をもらいようやく落ち着いてくる。
 成田に着き検疫所により、その後検疫所で指示された空港内の診療所へ立ち寄り診てもらおうと思ったが、家族で入った旅行保険に家族4名と書いてあるだけで、子供の名前が入っていないからこのままでは旅行保険が使えないと言われ、何のための旅行保険かとがっかりし出てくる。その後子供は特に問題がなかったが、私がお腹の調子がずっとおかしく、帰国後2日目になり夜中に急激にその痛みが激しくなり、ひどい下痢状態となる。その朝病院へ行き点滴をする羽目になる。検査の結果は食中毒ということであったが、旅行から帰り4〜5日具合が悪くとんだ災難であった。これまでの海外旅行ではこうした経験が無く、改めて注意を喚起するのであった。

2,飛行機乗客数
 日本からバンコクに来るときの飛行機内はほとんど満席に近かったのに、帰国時は300人乗りくらいの機内に乗客がわずか30人余しか乗っていないかった。待合室には当初20人程度しかおらずこれで全てかと思っていたら徐々に人が集まってきたが結局30数名しかいなかった。アジア地区の不景気が言われていたがやはりこうしたところに現れているのであろうか。航空会社もこれでは採算に合わないのではとちょっと心配になった。
 タイへ来るときの飛行機内は客数も多く添乗員が気の毒なくらいよく気を使って機内サービスに心がけていたが、帰国時は人数が少なく、ほとんどが寝ているため添乗員もゆとりを持って接している。タイ航空のスチュワーデスのサービスの良さはこれまで乗った航空会社の中で一番良いように思われた。

3,中央線の不通
 無事日本に帰国し、いよいよ故郷へ帰れると内心ホットしたのもつかの間。新宿駅へ着き19:00発のあずさに乗るべくホームへ移動する。ところが中央線が大雨のため大月ー塩山間で不通になっているとの放送がはいる。仕方なくホームのそば屋に入りしばらく時間つぶしをかねてそばを食べる。そのうちに19時と19時30分発の電車の運行は中止で当分電車が動く見込みが立たないとのこと。仕方なく明朝出発の電車に変更手続きをし、駅近くのビジネスホテルへ泊まることにする。
 以前アメリカ東海岸からの帰国時も沿線沿いの火事のため列車が大幅に遅れ、またかという感じである。狭い2人部屋だが家族4人で一夜を過ごす。着替えはすでに宅配で送りなく、部屋に備え付けの狭い風呂に入り床につく。昨日までの広々とし高級感あふれるホテルと比較して何とも狭く惨めな感じである。夢から覚めた浦島太郎の気分であった。
 翌朝早朝の電車で、予定より1日遅れの帰郷となる。

 

<旅行を終えて>
 タイは歴史もあり以前から一度行ってみたい国の一つであり楽しみにしていた。わび・さびを基調とした日本の仏教建築とは異なったタイ独特のきらびやかなそれらに接し感激すると共に、また幾つかの遺跡群に接し在りし日の繁栄を肌で感ずることが出来た。ただ仏像があまりにもきらびやかであり個々の仏像のお顔を拝顔するという雰囲気ではなかった。最も日本の寺院や仏像は創建当初はこのようにきらびやかであっただろが。
 子供達にとっては、同じような寺院巡りが続きあまり興味のないものであったかもしれない。至極当然であろう。子供を連れての家族旅行も4回目となるが親の興味だけでは無理がある。もっとも色々な風土に接し色々な世界があることを肌で感じたことは多少なりとも子供達の感性の中に何か残るものと期待している。


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