ほんなら・・・ ほんでも・・・ 9回目 『北杜夫』さんの ”どくとるマンボウ”シリーズ。 その二 ・・・・・2004年 8月 1日・・・・・ |
”どくとるマンボウ”に憑かれて行った理由って何だろう? 正直言って、マンボウ・シリーズを何冊も読み続けると飽きが来る。 でも、餓鬼の頃から、吉本興業のお笑いに身をどっぷり漬してきた者としては、馬鹿笑いに疲れて、静かな笑いを求めたくなる時がある。 私の場合、多分に、ここですね。 |
『どくとるマンボウ青春記』 北 杜夫 著 中央公論社 1968年3月10日 初版発行 |
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高校一年の時に読んだ。 旧制高等学校に憧れた。松本の町に憧れた。寮生活にもちょっぴり憧れた。 時代が違えば、自分もバンカラで馬鹿げた、一見自堕落な寮生活が出来たのにと思った。 (例え、その時代に生まれていても、勉強嫌いの私が入学出来るわけがないんだけどさ。) 青春期の入り口に居た私は『どくとるマンボウ青春記』で何かを得たと思う。 『大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変わりはないが書かない方がいくらかマシなことだけを書く』(『どくとるマンボウ航海記』のあとがき)と北杜夫さんは書いていながらなかなかどうして、役に立つものであった。 『大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬこと、』を念頭において突き進むのが通過儀礼としての”青春期”には必要なんだ、そう思った。 まぁ、おかげで、今もってどこと言って取り柄のない、小市民なんだけど・・・・。 齢五十になって振り返ってみれば、青春なんて二度と来て欲しくない。 行き場のない怒りを体中に秘め、おどおどし右往左往するなんて、まっぴらごめんだ。 |
『人間とマンボウ』 北 杜夫 著 中央公論社 1972年11月29日 初版発行 |
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三島由紀夫さん、保高徳蔵さん、川端康成さん、遠藤周作さん、獅子文六さん、埴谷雄高さん、吉行淳之介さん、辻邦生さん、手塚治虫さん、矢代静一さん、畑正憲さん達を、上品なマンボウさんは、根っからけなす事が出来ない。 奥ゆかしく褒めたたえ続けるわけではなく、ジャブ程度のおちゃらかしはするのだが、それが逆にマンボウさんの人柄が良く出てしまう。 小心者なんですね、きっと。 そして、純情なマンボウさんは学生時代からのファンだった八千草薫さんを前にしての思い出話は・・・・やはり小心者なんです。 超えたくても超える事が出来ない父斎藤茂吉。 マンボウさんは、父斎藤茂吉を消化し得て、時にはマンボウ調ではあるけれど冷静に淡々と思い出話を綴る。 『茂吉という人は、烈火のような衝動も有しているが、じっとしていると、万物をいたく悲しく思う男である。例えば三十歳のときの歌を見ても、まるで二十歳の青年のように万物が強烈に悲しく、彼の眼には映じたようである。晩年に至るまで、ゆえよしもない悲痛の念を抱いて彼は生きつづける。茂吉は晩年、大石田に住み、サンダワラを持っていささかの散策をした。一箇所にサンダワラを置き、その上に腰をおろして、じっと瞑目する。おそらくは歌を作っているのであろう。一時間、二時間、彼は頭をかかえこんで微動だもしない。その姿を、私は少し離れて、ひそかに観察していたものだ。』 |
『マンボウぼうえんきょう』 北 杜夫 著 新潮社 1973年5月10日 初版発行 |
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中年になったマンボウさんは、鬱期に僅か数枚の雑文を書いていく能力がないと嘆きつつ、結構な量を書きつらねる。 本屋さんには、もし客が頼んだなら、安い文庫本一冊でも、面倒臭がらずに取り寄せて頂きたい。それは本屋さんの勤めであろうと書き。 デパートで虫を売ることを一概に非難しないが、インスタント採集であるからして、その安直さを嘆き。 女性のお化粧には、化けるのは大いに結構だが、自分の姿格好を知れと願い、趣味を持てとすすめ。 男には、「カッコいい」という言葉は中身のカッコ悪い男が言ったものでこいつらはもともと男ではないと暴論(正論?)を吐き。 ゆったりと生きろと我が身の挫折経験から述べ。 挙句は、学生だろうが若人だろうが無責任だと、自分と他人とに甘えとると、現実の社会は「厳しい〜ぃ」(ここは、財津一郎ぽく、どうぞ)から後にはちゃんと帳尻があるぞ!と説教すら。 自分でも、『小説こそ滅多に書けなかったが、屁のような雑文はまぁ人並みの速度で生産してきた』との認識があるところからすると、躁鬱病を抜きにして、一寸うるさい中年常識男。 この頃、一人っ子の娘さんは多分、十五歳ぐらい。 |
『どくとるマンボウ追想記』 北 杜夫 著 中央公論社 1976年1月10日 初版発行 |
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東京で生まれ育った中産階級、と言っても、今の「自分ちは、中流階級」と世の大多数が思っている現代の中産階級=中流階級とはえらく差が有る『”中産階級”の上』と認識している、旧制松本高等学校入学までのマンボウさんの思い出話。 『覚えていない。おどろくほど何も覚えていない。遥かに霞んだ遠い昔・・・すべては淡々しい霞の帳(とばり)の中に薄れている。それが記憶というものの本質とはいえ、なにかうら寂しい思いがする。』と、彼の初期小説『幽霊』や続編の『木精』(こだま)を思わせる書き出しで始まり、1945年6月の戦乱期、『何時間もが経ち、塩尻が過ぎると、入試のときに見た懐かしい東の王ヶ鼻や西のアルプス前衛の山々が、こよなく魅惑的にまた雄々しく私のまえに現れてきた。』そしてこのあと、『私の記憶は「どくとるマンボウ青春期」へとつながるのである。』で締めくくる。 昭和初期のお江戸の坊々話は面白い。 現代の高級住宅地と言われる芦屋市の山手、六麓荘に住む坊々話を聞きたいとはこれっぽっちも思わんが・・・ね。 (伝聞だが、阪神大震災後、すぐ米国のハワイに飛び”避難民生活”をしたと聞くと「われ!!何考えとんじゃ、舐めとんのんか!!」と言いたくなる。兵庫県の”羽合”温泉の聞き間違いではないですぞ) |
『マンボウ談話室』 北 杜夫 著 講談社 1977年3月28日 初版発行 |
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”談話”であって”対談”ではない。 話を聞きだすとか、鋭く切り込むとか、一寸した緊張感があるものではなくて、ほんま、マンボウが太平洋で暢気にプカリプカリと漂っているようなくつろいだもの。 お相手は藤島茂さん、高橋義孝さん、獅子文六さん、吉行淳之介さんと山口瞳さん、吉永小百合さん、佐藤愛子さん、山藤章二さん、矢代静一さん、星新一さん、阿川弘之さん、水野晴郎さん。 私は別にサユリストではないけれど、1945年生まれって言う事は、当時25歳。その頃の吉永小百合さんとの談話をのぞいて見ると、池袋か赤羽、錦糸町あたりの飲み屋のお姉さん(大阪で言うたら、天王寺界隈か十三あたりの姉ぇちゃんでんな)に手玉を取られている40代のおっさんって感じがします。 マンボウさんはイメージそのもののウブなのですが、今、シャープ株式会社のテレビコマーシャルで液晶テレビを前にしている吉永小百合さんのイメージからは程遠い、お姉さん・・・・(う〜ん、二見書房刊のマドンナ文庫『隣のお姉さん』シリーズって言えば良いのかな?違うなぁ)・・・・でも、サユリストからすれば、清純・清楚にうつるんでしょうね。 吉行淳之介さんと山口瞳さんとの談話で 山口 『ぼくはね、女の人がかわいそうでしようがない。匂うがごとくと いう年齢があるでしょう、二十三、四から七、八までの。かわい そうでナミダがでる。』 吉行 『そりゃァあなた、男のみたおんなだよ。女じたいは、・・・・ア マイ考えだよ、そんなことで泣いていたひには、死んじゃうよ。 冗談じゃないですよ、あなた。かわいそうなのは男だよ。(笑)』 ・・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉行 『男の認識からいえば、きみのいっているとおりだけど、だけど女 ってのは、そんなヤワなもんではありませんぞな、もし。』 北 『なにかまた迫力がでてきたな。こういう話題になると教祖じみて くる。(笑)』 ・・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉行 『わからないねえ。女ほどトクなものはないよ。こんど生まれるな ら女だ。ただし、美人でないと困る。(笑)』 ふと、泉谷しげるさんの歌を思い出した。 独身男(チョンガー)どもよよく聞けよ 独りぼっちが寂しいとて おんなに手を出すのは 考えもんだ おんなはとっても怖いんだよぉ 純情なあんたにゃ とっても歯が立たない 補) 吉行淳之介さんと山口瞳さんの作品を読んでいると、上の会話が非常に良く分かる。 いつか、吉行淳之介さんと山口瞳さんを載せる時がきたらそれぞれの女性像でも書いて 見るかも知れません。。 |
『美女とマンボウ』 北 杜夫 著 講談社 1977年6月8日 初版発行 |
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マンボウさんと対談した美女はもちろん淺川マキさんではありません。 岸田今日子さん、加賀まりこさん、岡崎友紀さんです。 昭和五十二年に対談しているので、マンボウさんは五十歳で、岸田さん四十七歳、加賀さん三十三歳、岡崎さん二十五歳。 4人共、東京生まれ。 どう見ても、あくの強そうな美女三人?に小市民のマンボウさんは腰を低くして守りの姿勢で。 岸田今日子さんは、テレビから想像するに、高圧的かつ小難しそうな態度を好むみたいだし。 北 「たいへん失礼ですけれど、初めてお目にかかったのは・・・」 岸田 「『楡家の人びと』のとき、」スタジオで」 北 「あ、もうしわけない。NHKのやつですね。ぼく、わかんなく なっちゃって。『楡家・・・』は前に白黒でテレビ化されたこ とがあったんです」 岸田 「NHKじゃない、TBSのほうです。白黒の。」 加賀まりこさんは、七十年頃の”平凡パンチ”あたりから、先日出版された『とんがって本気』(新潮社刊)までを視ていると、まさしく同書の帯に書かれている「媚びない女優が、考え、感じてきた・・(略)・・」なんだろうし。 加賀 「余分な肉が削げて、いい男になったじゃないですか」 北 「そうかの。あれ、まりちゃん、ぶよぶよ太ってきたと思ったら、 案外きれいね、見直した。まだ、妖精のようだよ」 加賀 「もうでも、三十三よ」 北 「ぼく五十、ことしジャスト」 加賀 「ああ、全然見えない、ほんと顔がつやつやしてる」 北 「そうでしょう、ぼく一時中年太りで、ブヨブヨしてみっともな かったでしょう」 加賀 「うん、最悪だった。著者近影なんてのを見ると、もうがっかり しちゃうの」 北 「だから、われながら醜悪だと思ってた」 加賀 「そう思ってた?わかってりゃいいけど」 岡崎友紀さんは、高校教師に夏木陽介がなっていて、あれ!?、あれは岡田可愛か? すんまへん、よう知りまへん。 で、読んでも別に何も思いまへんでした。 |
10回目は、 ”どくとるマンボウ”シリーズ。 その三 です。 |
この車に乗って往き、 ”本”の事でも、 ”わんこ”の事でも、 何でも書いて(掲示板)おくんなはれ。 |
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」 |
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