ほんなら・・・
ほんでも・・・


2回目 井上章一さんのパンツが見える。』 その2
・・・・・2004年6月13日・・・・・


 「日本の三大美人」って前回に書いたので、井上章一さんの代表作(?)美人論』に行くと思った貴殿は、一応正しいです。

 はじめ、”その2”には、欲求・欲望・消費者・広告・性差なんぞの”心理本”あたりに行こうかなぁと思い、本棚の前に立って眺めたのですが、「多いやんけ!こりゃ〜たまらんわ」って事になりまして・・・・。


『霊柩車の誕生』 霊柩車の誕生』新版

井上章一 著

朝日新聞刊(選書)

1990年5月20日 初版発行

(1990年10月購入)
 1984年12月に『霊柩車の誕生』が出版されているのだが、その時、知らなかったので購入していない。

 二つ下に載せている『現代世相探検学』に井上章一さんの紹介があり、そこでこの書名を視た時「こりゃ!こりゃ?」と思った。
 今、このパソコンを打っている机から、西に10mも行かない所が葬式屋さんです。
 餓鬼の頃から、この葬式屋さんはあった。
自動車好きの餓鬼が、宮型霊柩車に興味を持つのも不思議はない環境だったって訳です。


 宮型霊柩車を最初に作ったのは大阪ってのはなんとなく分かる気がする。

 おまわりさんが霊柩車の交通違反に甘いと噂で聞くが、本文ではほんの少しそれっぽい話しか書かれていない。
 まぁ、少々の違反なら見て見ぬふりをするでしょうねぇ。
 よぉ〜し、次回のキヤノンボールには金箔の宮型霊柩車か白木の宮型霊柩車。ベース車両はベンツ・CL55・AMGかポルシェ・カイエン・ターボ。棺を納める所には増設された燃料タンク・・・・・・・・・・・
これで決まり!ぶっちぎりで優勝だな。
 せやけど、モノコックだから強度計算がたいへんだぁ〜!!


 京大・工学部・建築学科卒なのに、人文研(”その1”、現風研の本を参照)に潜り込んでいた時の処女作。
 でも、建築史・意匠論専攻って事らしいから、巧い具合の合体本? 


『つくられた桂離宮神話』 つくられた桂離宮神話

井上章一 著

弘文堂

1986年4月25日 初版発行

(1991年1月購入)
 1990年10月に『霊柩車の誕生』を読んだ後、
邪推する楽しみ・・・アートから風俗まで』福武書店・89年2月15日発行を手にした。多分、年末頃に眼を通したと思う。
(本棚を探したのだけれど、見当たらない。これも処分してしまったのかなぁ〜?)
 「”常識”の世界を、自ら持つ”邪推”と言う武器で解体する」って事を言いたかったみたいですわ。

『邪推する、楽しみ』
2004年12月20日 記

 本棚からひょっこり今になって出てきた。
購入したのは、1990年11月11日。



 建築物なんぞに興味のない私なので『つくられた桂離宮神話』を読もうと思わなかった。でも、上記『邪推・・・』の後、「その”邪推”とやらの切れ味を見る為に、ついでに読むか」で、購入。

 ある神話が神話として成り立つまでの過程ってのは色々ありそうだけれど、一番解り易いのは、えらいさんが「これ一番よ」って太鼓判を押す場合。
 桂離宮もこれだったようで、独逸の建築家ブルーノ・タウトさんとやらが「これぞ、日本の美。ええやんけ!」って言ったもんだから神話が成り立ちゃった。
 井上章一さんはなまじっか専門家だったもんだから、お頭では「美しい」と思えるもの、その実「どこがやねんな?」「感動せなあかんのんかいな?」「感動出来ん私がオカシイのんかいな?」と。
 で彼の持つ武器、”邪推”の登場であります。

 ブルーノ・タウトさんはもとより、桂離宮も「そんな建物が京都に有ったな」程度しか知らなかったので、神話が出来上がって行く事の面白味よりも「桂離宮って建築物が、それほど、たいそうなものやったんかいな?」ってのが読後感でありました。
 ”邪推”する以前の阿呆坊でありました。 


『現代世相探検学』 現代世相探検学

井上章一 著
上野千鶴子 著
高田公理 著
野田正彰 著
奥野卓司 著


朝日新聞刊(選書)

1987年3月20日 初版発行

(1990年7月購入)
 これが井上章一さんとの初対面本。
 井上章一さんが書いているのは、『農村回帰』の章に『倫理の消費』を。『タウン・プランニング』の章に『都市論の現在』を。『パソコン少年』の章に『修辞としての”自閉症”』を。『秘境観光』の章に『脱出産業』を。『ゴミの反乱』の章に『公徳心の解体』を。『明るい老婚』の章に『世代差社会』を。そして座談会で発言をば。
 もっとも、書名で「買うか」となった本
(暇つぶし本ですね)なので、何も覚えていない。


アート・キッチュ・ジャパネスク
・・・大東亜のポストモダン』

井上章一 著

青土社

1987年7月25日 初版発行
(1991年2月購入)
 「昭和初期の建築物は、伝統的な日本建築の意匠を取り入れた戦争加担・協力の表れである」とまぁこれまで学会の大御所が言っていたのに「歴史的な諸資料を調査したら日本的な様式は戦争協力とはほとんど無縁だった」と書いちゃった。
 私には建築は判らん。んだもんで、ほとんど飛ばし読み。


『ノスタルジック・アイドル 二宮金次郎』 ノスタルジック・アイドル 
二宮金次郎


井上章一 著
大木茂 写真

新宿書房

1989年3月10日 初版発行

(1991年2月購入)
 小学校の校庭でひっそりと一人たたずみ、薪(柴)を背負いながら本を読む二宮金次郎はん、あんたは出版界の救世主だ!!業界あげてキャンペーンせなあかん!!
 再び餓鬼どもに「私を手本にしろ」とのシグナルを送り続けようじゃないか!
 ところが、本書『自動車と金次郎』の項で『読書しながら歩く。これは危ない。自動車にはねられてしまう。とうぜん、そうした声はあいついだ』と書いてある。
 と言う事なら、このキャンペーンは無理だろう。
これが、手にした時と、読み終えた時の気分なり。
 
 半分本気の冗談はさて置き、読了後、卒業した小学校にまだ残ってるか視に行きましたでぇ。お盆には嫁はんの出た信州の山奥小学校にも。
 健気にも、じっと耐え忍ぶ正直者、質素な勤勉家二宮金次郎はんがおりました。
 昨今、気分はジュンイチロウよりも金次郎!! 


『美人論』 美人論

井上章一 著

リブロポート

1991年1月25日 初版発行

(1991年1月購入。
 但し手元に有るのは初版本にあらず、同年4月の6刷。
 と言うのは読んでお銭を払った後、本棚に並べておいたら売れたので再度仕入れた・・・この場合”古本”を売った事になるのかなぁ?
 まぁ、難しい事言わんと、役得役得ですがな)
 別にこれと言って何も書く事がありません。
 『面喰いが悪いか!』と問われれば、「貴方様の好き好きですから、決して、悪うございません』とお答えするしかありません。

 
 凹に対する凸がこの世に生存する限り、人口比率の大変化なんぞが来れば別ですが、凹が容姿としての美形の呪縛から開放される日が近い将来に来るとは思えません。
 それは、凸と凹が吉田拓郎さんが唄った♪凹はどうして凸を求めて着飾っているんだろう♪の詩に、共感を覚える者がその大半を占める間は。
 その意味では”美男論”が、そう遠くない日に執筆される事があるかもね。
(もう、誰かが書いていたような気がするけれど)


『美人研究・・・女にとって容貌とは何か・・・』 美人研究
・・・女にとって容貌とは何か・・・

井上章一 著

河出書房新社

1991年8月20日 初版発行

(この本以降は並べた順に購入す)
 井上章一さんの定義では美人度は容姿の良否で決まり、その容姿も、体型よりは目鼻立ちにもとづくと。
 ついでに
『もし、内面が美人の条件だというなら、「あのひとは美人だけど、顔が悪い」という言いまわしが普及してもいいはずだとも。
 
 書名を忘れたのだが、かなり前、動物漫画で、眼・パッチリの二重の絵、鼻・筋が通った高い鼻の絵=ラクダが微笑んでいるってのを・・・・。
 まぁ、ラクダさんの内面は解らんが・・・・・ネ。
(7月29日記・思いだした。『ナマケモノが見てた』村上たかし作・集英社刊でした。)

 この後、92年1月に『おんな学事始』文芸春秋社刊、同年3月に『美人コンテスト百年史・・芸妓の時代から美少女まで・・』新潮社刊を書いとります。
 でも、何も井上章一さんや版元さんに儲けさす事もないので”美人本”には阿呆らしくって手を出していない。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
3回目 井上章一さんのパンツが見える。』 その3 に往きます。


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