第二部 第5章 釣った魚を食べること、魚食について

私が釣って食べた、以下に掲げる冒頭および本文中の写真のうち、キビナゴとイカナゴはhttp://www.weblio.jp/content/,「weblio辞書>難読語辞典」から、それ以外の魚はhttp://zukan.com/,「WEB魚図鑑」から借用した。



            



















   





































私の釣果

下左、 2016年12月の釣果6キロ半のハマチと2017年12月50センチのグレ、      右、2018年1月、シマアジ50cm,1.5〜1.6kg3匹と40cm4〜5匹




下左:2010年1月下旬50pのイシダイ、 右:2017年3月、48cmのチヌと60cmのマダイ

 





























わたしが送った魚を用いて用意された、友人宅の夕食。⇒「魚を下すこと」



























第5章 見出し一覧

11月に3.5キロの大ボラを釣って食べたこと(2008年)
12月に50センチ超の大イサギを釣ったがうまくなかったこと(2008年)
12月29日にタイとハマチを釣って正月を迎えたこと(2010年)
コブダイとグルメ
地方ごとに魚の評価はまるで違う
タカベを捨てた高知の釣り人
ブダイ/エガメ
タマミ/フエフキダイ、ギゾ(キュウセン、青ベラ)、ホゴ(カサゴ、ガシラ)
カイワリ/メッキアジ
クロダイ/チヌ、ヘダイ、キチヌ
ウスバハギ
ミコタマ/イラ
稀少な魚は貴重で美味になる
世評と自分の舌

料理とその素材
魚好きだった私
家串での私の好みの変化
釣った魚をめったに食べなくなった原因
宇和島出身の若者の肉好き
家串の年配者の魚好き
魚を下すこと
家庭で魚を下す(下せる)人は少ない
  魚の鮮度、魚を〆ること
魚食のススメ
魚屋からチリメンを買って食べた
ドロメ、ノレソレ
キビナゴも買って料理して食べた
源さんからもらったゼンゴ(小アジ)で南蛮漬けを作って食べる
30数時間経ったおにぎりを食べた---釣りに関係があるというだけの、食事といえないような食事の話
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11月に3.5キロの大ボラを釣って食べた事(2008年)

船の免許証を入れた財布を松山に忘れたまま家串に来て、無免許運転で捕まるのはこわいので、釣りはやめようかと思っていたら、源さんが彼の船でいっしょに釣りをしようと誘ってくれ、油袋の生け簀に行った。

先にハゲを獲るカゴ漁用のカゴを沈めてから、釣りをはじめた。私はマキコボシ釣りと竿のサビキ釣りの両方の用意をし、マキコボシ釣りから始めるもりだったが、道糸を巻いた枠を(自分の船から)持って来るのを忘れてきたことに気がついた。しかたなく、最初から竿でやることにした。ところが持ってきたのは、ドウヅキにする仕掛けではなく吹流し1つだけだった。天秤は持って行かなかったので、カゴ・オモリの横から仕掛けを垂らして釣りを始めた。ハゲが2匹釣れた。しかし、その後は釣れない。コマセを出すために竿を上下すると、フキ流しのやや長いハリスが上の道糸に絡んでしまって、やりにくい。源さんも大して釣れず、また、下に(切れて沈んだ)ロープがあるらしく、2回も針が引っかかってしまったので、場所を変えた。

私は仕掛けが再び縺れたので、源さんから6本針、ハリス3号の仕掛を借りた。源さんは30センチくらいのタイを1匹とハゲを何匹か釣った。そしてやや大きいタイらしいのを掛けたが、これは針が外れたという。私は何も釣れない。針にオキアミをつけてやっていたが、餌を取られるばかりで、当たりは出なかった。11時少し前、コツンとあたりがあって、合わせると針掛かりし、竿がかなり曲がった。そして強く引く。向かい側の列の生簀に給餌していた宝水産の船の2人が私の竿の曲がりに気がつき、仕事を止めて私の方を注目していた。ハリスを切られないよう、突っ込んだときには糸を出したりしながらゆっくりと上げてきた。途中から、糸がずいぶん斜めになった。魚がかなり泳ぐのである。タイとは違う。魚が最初に見えたとき、一瞬、ハマチかと思った。大きく、太っており、背は黒っぽかった。しかし、魚がもう少し浮いてきて走ったとき、腹に筋がみえてボラだとわかった。始めてみる大きさだった。なかなか弱らず、源さんが出してくれた玉網に入れるまでに時間がかかった。後で測ってみたら、65cm強、3.5キロあった。

昼まで釣りをやった。大ボラを除けば、釣果はイマイチと言うところ。ハゲは2つのカゴで、多くは手のひらサイズくらいで、ちょっと大きいものが6、7匹混ざっていて、全部で50匹くらい獲れた。(私が)松山に魚を送る前日にまた獲りましょうと源さんが言ってくれた。

私は手のひらサイズのハゲを7、8匹もらって帰り、途中であったシゲさんに大き目の2匹を上げ、残りは藤井カズさんのところに持っていった。少し前にコブダイを分けてあげたことについて、おばあちゃんが「このまえいいものをもらってありがとう」と言い、「先日、お祭のとき、赤飯を持っていったが(私が)留守だった」と言う。そして山芋を4つか5つ、ざるに入れて返してくれた。

ボラはとうてい一人では食べきれない大きさだったので、浅野藤吉郎さんのところにもっていって捌いてもらった。私は塩焼きに2切れか3切れもらえればいいと言ったのだが、半身をもらった。きれいに、刺身と煮つけと塩焼き用の腹身に分けてあった。多すぎると思い、北條さんのところに持っていき、多めに取ってもらった。私は大きく切った刺身を4、5切れ、煮つけに3切れ、それにカマと腹の部分をもらった。

塩焼きは、焼いていると脂が滴り落ちるほど脂が乗っていて文句なしにうまかった。刺身も、始めは、どうかなと思ったが、まずまずだった。

ボラの煮つけは、翌日の夕食に食べたが、とてもおいしかった。藤吉郎さんは、居着きのものは味が落ちるが、塩子より沖のボラはうまい、と言っていた。塩子島は家串湾の出口にある。彼は私が「塩子の沖」で釣ったと信じ込んでいたらしかったので、今日、訂正しておいた。「居着きのボラ」もうまいのだ。

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12月に50センチ超の大イサギを釣ったがうまくなかったこと(2008年)

午後、油袋の生け簀に行った。3時近かった。風が強く、船を鉄枠にぶつけないよう、ゆっくり止めるのに、なんどもやり直した。隣の生簀に2人乗りの貸し船の客がサビキ仕掛で釣っていたが、聞いてみると何も釣れていないという。

私のバクダン・マキコボシ釣りも、最初の数回はオキアミがそっくりそのまま残って上がってくる。水温を測ってみると18度くらいあり、水温が低すぎるわけではない。タナは3ヒロ程度。少ししてから、石が落ちた後、1ヒロか2ヒロゆっくり糸をだしてみる。と、ガツーンと来た。最初は強い引き。しかし、タイのように突っ込むということはなく、また走ることもなく、ゆっくり抵抗しながら上がってきた。大きなイサギだった。隣の釣り客が「イサギだね」と言った。関東では「イサキ」と濁らない。

仕掛けを入れなおし、同じように、石が落ちた後、ゆっくりと糸を出してやった。またガツーンと来た。1匹目よりも引きが強く、慎重に糸を手繰った。玉網に入れる段階で急に暴れて、船の下に突っ込まれ、手の指が糸で少し切れた。しかし、無事取り込んだ。これは前のよりもいっそう大きく、つい「こんな大きいのが釣れたのは初めてです」と向こうの船の人に見せてしまった。釣り客は4時半近くに帰り支度を始めた。そのとき、また私に当りがあって、魚が掛かった。こんどは大きくはないがきれいなマダイが釣れた。向こうの釣り客が手を振って私の前を帰っていった。日は西側に突き出た半島の低い山の後に沈み、あたりは夕焼けで赤かったが、もうすぐ暗くなってくるだろう。私も明るいうちに帰ろうと片付けた。

筏に戻って生簀に移す前に測ってみると、大きいほうのイサギがほぼ50cm、小さいほうが40cm強、マダイも30cmを越えていた。1時間半ほどの間の釣果としては、すばらしかった。

その後、2、3日続けてこのポイントに行き、さらに30〜50cmのタイ数匹と、良型のイサキを2、3匹釣った。釣った魚のうちイサギとタイを1匹ずつ源さんに上げ、残りは松山の魚好きの知人と関東在住の友人と従弟などに送った。

次の日、源さんから夕食に誘われた。タイの刺身と、イサギの刺身と煮つけが出た。源さん夫婦の間では性別分業がはっきりしていて、彼は釣ることと〆ることしかしない。奥さんは料理上手で、それまでも2、3回食事に招かれたことがあったが、どの料理もきれいに作られ、そして味付けもよかった。この日はタイの刺身はうまかったが、イサギはさっぱりであった。

伊豆諸島の釣り宿で何度かイサギの煮付けは食べたことがあり、ほかの魚にない独特の旨さがあることを知っていた。しかし、この日のイサギは脂がないせいなのだろうか。刺身も、適度な砂糖醤油の味付けの煮付けも、身がぱさぱさしていて旨みがなかった。私が「冬のタイは旨いけれど、イサギは大したことがないですね」と言うと、源さんは、たぶん、もらった魚が旨くないと答えるのを遠慮したのだろうが、申し訳なさそうな様子で、「いまいちですね」とうなづいた。イサギはやはり夏が旬の魚なのだ。

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12月29日にタイとハマチを釣って正月を迎えたこと(2010年)

前日28日の釣りではハリス切れで中くらいと思われるタイをばらし、そのあと数回仕掛けをいれたが食わなかった。29日、9時前に船をつないである屋形(筏の上の作業小屋)に行くが、きのうよりも風が強く、やや波がある。すぐに出るのはやめ、様子をみることにして、場合によっては魚なしで松山に帰ることになるかもしれない、その場合には自分で育てているヒオウギ貝を持って帰ろうと、屋形の中でオウギ貝の掃除をやることにした。屋形の中なので風が当たらず、寒さは気にならなかった。

昼、昼食をとるために陸に上がったが、そのときはまだ風が吹いていた。しかし、午後風が次第に弱くなったようで、3時には風の音がしなくなり、県道にでて湾内を見ても、波はない。すぐに釣りの支度をして、出港。名切(家串湾の東側出口・エビス崎の下の磯)に向かう。風は北東風。時々は風が吹くが波はない。2、3回仕掛けを入れるとグーンと当たりがあり、合わせて、1、2回手繰る。とたんに針が外れた。針先を点検してみるが異常はない。

1、2投後に再び食った。こんどは強い引きで、スピードはそれほどではなかったが横に走り、糸が斜めになった。そして糸が真珠筏のロープに擦ったと思うと、プツンと途中で切れた。道糸を手繰るとテトロンの糸に結んである先糸のナイロンが途中で切れていた。残りのナイロンを切り捨て、7ヒロほど新しいフロロカーボンをつけ、ハリスと針も新しくして、仕掛けを投入した。しばらく待って、餌を付け替えようと、ハリスにあと数ヒロのところまで仕掛けを手繰ったときに、針が筏のロープに引っ掛かったかのようなショックがあった。

こんな上でロープに掛かるわけはないが、と思いながら手に力を入れるとググーと逆に糸が引かれ、船の下の方に入った。見えないので何だかわからないが魚だ。重く、引きが強い。こんなところで食うとしたらハマチか何かだろう。ハリスは4号で、下手をして走られたら切られると思った。最初の頃なら、震えて、失敗したかもしれない。しかし、落ち着いていた。走ったら糸を出せるように指だけで道糸を持ち、船底からゆっくり魚を引っ張り出しながら、すぐに使えるように玉網を引き寄せた。魚が見えた。やはりハマチだ。ゆっくり引き寄せ玉網で掬う。うまく入った。大きな硬い口から針を外し、スケールを当ててみると70センチあった。曳き釣りでは釣っていない「寒ブリ」だ。狙って釣ったのではないが、釣ったことは釣ったのだ。4号ハリスでうまく取り込めた。タイはまだだが、これで正月を越せる。「ふっふっ」と笑いがこみ上げてきた。

先ほど底のほうで糸を切られたのもハマチだったのだろう。近くにハマチがいて、タイは食うだろうか。ある程度大きくなっていれば平気だろう。ハマチがまた食うとは思えなかったが、タイを狙って続けて釣ることにした。

いまハマチを釣った針はほとんど無理はしなかったが、念のため新しいものに取替え、こんどは管付(針の軸の末端がリング状になっていてその穴にハリスを通して結ぶ)を使った。当たりがあって針掛りし、2、3回手繰ると針が外れた。2回続けて針がはずれ、そのうちの1回は上げてみると針先が外に向いていた。管付の針を使うのは初めてでハリスの結び方を間違えている可能性があると思い、チヌ針に変えた。まもなく、35センチ前後のタイを2匹釣った。夕陽が西の塩子島にかかろうとしていた。当たりは活発で食いはよく、まだ数投はできる、と思った。しかし、やはり時々強く吹く風で糸が縺れ時間を失った。太陽が塩子島の向こうに沈んだので、釣りを終わることにした。

沖で釣りをしている船は見当たらなかった。プロも今日は休んでいる。たった2時間だが、そして、バラシが3回4回とあったが、正月の塩焼きにはちょうどいいサイズのタイが2匹、それに、ちゃんとしたハマチ。これだけ釣れれば十分だ。よい正月を迎えられる。よい釣り納めになった。

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コブダイとグルメ

コブダイは薄い赤褐色で、頭に大きなこぶがあり、鯛という字がつくものの、マダイなどの華麗な姿とは全く異なるずんぐりむっくりした体型の魚で、イシダイを狙って釣りをしているとときどき釣れる。狙った魚ではないが、同じ道具、仕掛け、餌を用いて釣りをしていて釣れる魚を釣り人の用語で外道という。コブダイは、イラ、フエフキダイ、ウツボなどと並ぶ、イシダイ釣りの外道で、イシダイよりも大きく(重く)なり、針掛りしたあとの引きがめっぽう強い魚である。フエフキダイ(笛吹鯛。関西ではタマメと呼ぶようだ)も大きくなる魚で引きが強い魚だが、イシダイ釣りの外道としては喜ばれる魚で、笛吹ダイを専門に狙って釣行する人もある。しかし、コブダイは、少なくとも、宇和海ではあまり歓迎されない。



私がイシダイを狙って出漁するのは、クロハエという家串から4キロほど南の、灯台のある岩礁の近くである。クロハエから200mほど北に、大潮の干潮時にのみ頭をだすサクノセという、周囲が切り立った観光バスほどの大きさの岩(高根という)がある。この岩の周囲は水深が20m以上あって、コブダイの棲家に適しているらしく、時々釣れる。ここでイシダイを釣り始めて3年ばかりだが、すでにコブダイは5,6匹釣った。

 ⇒第一部第三章「イシダイ釣」1.の 2)「 マイボートのイシダイ釣り」の中の「大物との格闘」の魚拓写真参照

07年に家串で最初に釣ったコブダイは8キロだった。その前年には8.5キロのマダイを釣っていた。タイは泳ぐ力はさほど大きくなく、掛けてから糸を切られないようにするのに注意がいるが、力はいらない。しかし太い竿と太い丈夫な糸(ハリスはワイヤーである)を使うイシダイ仕掛けに食ってくるコブダイはズシーン、ズシーンと竿をへし折らんばかりの猛烈な力で引き、数分間はとにかくその引きに全力で耐えるしかない、という格闘というより苦闘、苦役を強いられる釣りになる。家串最初のコブダイも、針に掛けてから大分苦労したので魚拓を取った。しかし、そのあとすぐ11月に10キロを超えたものを釣り、これを私の記録にしようともう一度魚拓を採った。私が持っているバネ量りは上限が10キロで、これまで釣ったものは何とかこのバネ量りで測ることができた。しかしそのときに釣ったものは、針が一番下まで下がって、針の動く縦の溝の端につかえて止り、10キロを越していることがはっきりしていた。魚拓には10キロ超と書いた。

その後も10キロに近いものを2,3匹釣ったが、08年8月に、例の「10キロ超」よりも大きいと思われるものが釣れた。もう魚拓はいらないと思った。というより、釣るのに疲れてしまい、帰港した後で魚拓を取る元気が残ってなかったというほうが本当だ。それでも、とにかく目方を測るだけは測ってみようと、農協の売店にある大きな量りを借りて測ってみると、13キロであった。例の奴もこれくらいあったかもしれない、と考えた。

家串の人もコブダイはあまり見たことがないらしく「えらくふといわなあ」と買い物にきていた人たちが皆、といっても3、4人だったが、驚いた。

最初に釣ったものは自分で捌いて食べた。そして、4,5キロのものも食べた。しかし10キロほどの大物になると捌くのも大仕事で、他の人に上げた。こんどは13キロだ。「食べませんか。フライにしてもいいし、ミリンを少し入れて味噌漬けにするとすごくうまいですよ」と薦めてみたが「こんなに大きうては、よう食べ切れん」と皆しり込みをする。コブダイは頭の目方が半分近くを占めるが、それでも身が6,7キロはあるだろう。家串でも核家族化や高齢化が進んでいて、世帯員が2,3人という小家族が多く、普通の家では食べきれない。そして慣れた人でしかも腕力のある人でなければ、この大きな魚を捌くのは難しいが、老人世帯が多い。というわけで、農協の売店に来ていた人のなかには貰い手がいなかった。

私が捌いて、切り身にでもして分けてあげれば、もらう人はいくらでもいるに違いない。しかし、私は釣り上げるための格闘に精根尽き果てて、家にもどるのがやっとと言う状態で、とても魚を捌く元気がない。「誰かもらってくれる人はないですかねえ」と聞くと、「藤吉郎さんとこはどうやろう。藤吉郎さんとこは家族が多いからだいじょうぶかもしれん」と言う人がいた。浅野藤吉郎さんの家族は、同居の息子夫婦と孫が一人で5人だという。決して「家族が多い」というほどではないが、家串では確かに多い方だ。

そして、後で聞いたことだが、浅野さんの家には、毎年、5月の連休にたくさんの親戚がやってくる。08年は、近くの「日帰り」の親戚が9人、遠くからきて泊まる人が23人!だという。奥さんは食事を作るのが大変だ。「しかし、こうやって、集まってきてくれると楽しいものなあ」と藤吉郎さんは言うが、やってくる親戚の子どもたちの名前はさすがに覚えてはいないという。

少し話がそれたが、とにかく「家族が多い」と聞いて、コブダイは浅野藤吉郎さんの家に持って行くことにした。浅野さんは、本業は真珠貝の養殖だが、貸舟を2、3隻持っていて、釣り客がたくさん釣ると何匹かは置いて行くといい、魚には全然不自由していない。

コブダイは四国では、タイやアジに比べて評価が一段低い。もし魚が「高級魚」、「美味」、「食用」の三段階に分類されるなら、コブダイは「食用」の部類である。そしてアジやタイは「美味」、シマアジやヒラマサは「高級魚」ということになるだろう。

コブダイは当地ではモブシと呼ばれている。『伊予灘漁民誌』(渡部文也、高津富男著、愛媛県文化振興財団、平成13年)には、瀬戸内海に面する双海町の漁民冨岡さんが残した「日誌」が載っていて、次のように書かれているところがある。「昭和28年5月6日から11日に、建網で漁獲高6000円。メバル少量、モブシは漁あり。魚価メバル33〜100円、モブシ33円」。もちろん魚価は貫目かキロ当たりで書かれている。

別の魚を瀬戸内海と宇和海で同じ名前で呼んでいるとは考えにくいので、このモブシもコブダイであろう。そして当時でコブダイはメバルが一番安い時の値段で取引されたとみることができる。モブシは多くはいないと思われ、多分、都市の消費地には出回ることはないだろう。松山のスーパーで売られているのを見たことはない。メバルは文句なしにうまい魚で、コブダイはメバルとは較べることはできないと思われるが、私は、白身でとくに癖もなく、またタラなどよりはずっとうまい魚だと思う。

<別冊フィッシング>『釣人料理』末尾の「海の魚・川の魚 料理早わかり帳」では、103種の海の魚のうち、「美味」とされているのは24種で、コブダイ(関東ではカンダイ)は「夏は臭いがある。冬美味」としている。「臭い」は〆方や血抜きの仕方による。そして普通は煮たり焼いたりして食べれば臭いはなくなる。ブダイ、メジナなどが冬は海藻を食い、夏はカニなどの動物性の餌を食うことはよく知られている。コブダイも同様だと思われる。刺身で食べる場合、〆方が悪いと、動物性の餌を食う夏季は臭う。くさいのは血で、魚のくささの大部分は血の生ぐささだと言われる。特に動物性の餌を多く食う夏は血がくさくなる。しかし、食用にされる魚はいずれも元気に生きているときにしっかりと〆て(生きの良さを保持し)、エラの付け根を完全に切って血を流せば、季節に関係なく臭いはほぼなくなる。

私は釣った魚は船の生け簀の中で生かして港に帰り、陸に上がる前に〆、アジなどは別として、大きい魚は必ずエラを完全に切って血を流す。こうすれば氷を抱かせなくても30分や1時間鮮度は変わらず、味が落ちることはないと信じている。

家串では、船でイシダイ釣りをする人はおらず、コブダイはイシダイ用の剛竿でなければ釣り上げることが難しいので、コブダイを見たことがある住民は少ないと思われる。私が釣ったコブダイを見た人はみな大きいことに驚いた。しかし、マダイや、イシダイ・イシガキダイのように、誉めたり、感心したりする人はいなかった。むしろ、魚体をみるまでは、私が釣りを終えて帰る途中で出会って「どうだった」と釣果を訊ねた釣り仲間は、私が「モブシ」と答えると「ふん」と鼻で笑うという対応で、魚を見て「えらくふといなあ」と驚くというのが家串での一般的な反応であった。つまり、もらって食べたいほどのうまい魚とは考えられていない。

このコブダイ、モブシを浅野藤吉郎さんの家に持って行くと、奥さんが喜んで受け取ってくれた。私は、冷蔵庫に他の魚がまだ残っており、この大型魚を解体処理する重労働から解放されたことに感謝したいくらいであったので、一週間ほど後で会ったときに、奥さんから、おいしい魚ありがとうございましたと挨拶され、少々面食らった。「刺身でもおいしかった。あんかけにしたらとてもよかった。広島の親戚にも送ってやった」とありがたがられて、照れくさかった。

藤吉郎さんは「わしは、どんな魚も刺身で食うてみることにしとる。うまかったぜ、モブシというて皆ばかにするけどなあ、料理の仕方を知らんのよ、あんかけもええし、フライにしてもうまいぜよ」と言っていた。

浅野さんは開高健と同じだ。アラスカから南米の最南端まで旅をし、巨魚、怪魚を釣って書いた『オーパ』で有名な作家の開高健は、他の仕事でも世界中を旅したひとだが、グルメの人(フランス語ではグルマン)でもあった。そして彼は旅行先で、一度も食べたことのないその土地の食べ物、料理を片っ端から食べてみた。彼は、「ベトナム戦争から日本人の遊び場まで」、生(なま)の事実、事件を現場に行き自分で体験し、自分の言葉で他の人に伝えようということを恐ろしく真剣に追求した人であったが、彼は食においても、一切の先入観なしに、とことん自分の舌で味わい、多くの文を書いた。周りの人の評価に左右されず、自分の舌で味わって食べるという点で、藤吉郎さんは家串の開高健、魚に関する本当の食通・グルマンだと言えるだろう。

藤吉郎さんのほかにもう一人コブダイを食べてくれる人がいる。細川浩志さんだ。彼は若くまだ30代で、磯ではイシダイのほかに大型のスズキを狙うこともある。船ではジギングでハマチ、ヒラマサを狙う。彼は定評のある魚の味をよく知っている。その上で、彼はコブダイを喜んで食べてくれるのだ。彼はコブダイのこぶがうまいと言う。こぶの中身はコラーゲンだろうか。コブダイの頭は巨大で、私にとっては、解体したあと処理に困る代物だった。彼は魚を捌くのが上手で、私が持っていくと見ている前で手早く解体して、私に半身をくれ、彼は残りの半身と頭を引き受けてくれる。彼も自分の舌で食べる人なのだ。

食べ物のうまいまずいを人の意見によって判断するのでなく、自分自身の舌で味わって判断するのは難しいものである。

文化圏が違えば、好みの度合いに差が出るなどというだけでなく、判断の決定的違いを生むこともある。新聞記者が書いていたが、ニューヨークのアパートに住んでいたとき、上の階の住人から、朝夕の食事時になると糞尿の臭いがして困ると苦情を言われた。原因は味噌汁のにおいであったという。味噌は発酵食品で、発酵は一種の腐敗であるから、米国文化のなかで育った人には、食品と思われない悪臭と感じられたのであろう。逆に、少し前までの日本人は、たとえば同じ発酵食品であっても、「カビの生えた」ブルーチーズなどとうてい食べられなかったはずだし、魚なら生きて泳いでいるものをそのまま三杯酢で食べ、あるいはローストチキンなら一種の「姿作り」の鶏一匹まるごと平らげるのに、たとえば、孵卵途中の卵を茹でたフィリピンの料理は雛鳥の姿がみえて気持ちが悪いと食べないというように、生まれ育った環境のなかで形成される、食べ物についての好みの違いは大きく異なる。

これと同じことが、狭い日本の中でさまざまなものについてあてはまり、魚の評価も、土地ごとに、関東と関西で、関東と四国で、四国の中でも高知と愛媛で、愛媛の中でも、松山と他のところでまったく異なることがありうる。そして私は、自分と言うものがなく、一方で釣り雑誌などに書かれている「通」人たちの意見と自分が現在住んでいるところの周囲の声、よく聞こえるすぐ近くの声の両方、あるいはそのうちの、いわば大きな声に影響されてしまう。

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地方ごとに魚の評価はまるで違う

タカベを捨てた高知の釣り人

20年ほど前の梅雨のころ、私が高知県の柏島でイシダイを狙って釣りをしていたとき、同じ磯で(コマセかごのついた仕掛けを遠くに投げて魚を釣る)カゴ釣りをしていた人が、タカベが釣れてもクーラーボックスに入れず、磯の上に放り出した。
タカベは外形はイワシに似て、長さ20センチくらい、全体は青みがかった色で体側に黄色ないしは金色の縞が一本入ったきれいな魚である。関東では夏、下田沖の磯に渡船までして行って釣る人気の魚で、旬の夏は脂が乗っていて塩焼きにすると非常にうまい。前掲『釣人料理』の「料理早わかり帳」ではタカベは「美味」である。30年くらい前のことになるが東京の魚屋では一皿4匹かそこらで1000円以上した。

この高知の釣人に聞いてみると食べないという。その人はタカベの名前も知らなかったが、高知では誰も食べないのだという。私がもらっていいですかというともちろんだという。私は自分のイシダイ竿のわきに片膝をついて当たりが来るのを待っていたが、その高知の人がタカベが釣れると「タカベです」と言って針を外すので、私はその都度それをもらってクーラーバックに入れる。こうして、一時入れ食い状態になり20匹ほど釣れたタカベを私が全部もらい、冷蔵して持ち帰った。
イシダイは釣れなかったがいいお土産になった。イシダイが釣れなかったのはタカベをもらうのに忙しくイシダイの当たりを見逃したためではなかったと思っている。

この写真は『ウェブ魚図鑑』に投稿されたものだが、釣った場所は柏島だという。この釣人は釣ったタカベを持って帰ったかどうかについては書いていない。

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ブダイ/エガメ

ブダイは関東で冬の底物釣りの対象として人気が高く、また伊豆大島などでは漁師が潜って突いたブダイを干物にして売っていて、観光客にも人気がある。種類が少し違うが、家串周辺では、ブダイの仲間のヒブダイが時々釣れる。源さんは、ここらでは「エガメ」と呼んでいるという。体つきは淡水魚の鯉に似ている。くちばしがオウムに似ている。色はほとんど黄色だがところどころに薄い青色の斑点があって、少し離れたところから見ると黄緑色に見える。わたしがこれまで釣った10匹ほどはいずれも体長が40cmほどあり目方が1キロを越える大型である。なぜか小さいものは釣れない。当たりはカリッと小さく、餌取りもうまい。掛かると激しく抵抗する。同サイズのヤズ(関東ではイナダ)よりも強く、カンパチとおなじくらい強く、よく泳ぐ。わたしの腕ではハリスが4号ないと危ない。釣り上げるまでははらはらする。

しかし、家串周辺では「引きは強いが、味はちょっと」と釣っても喜ばない。友人の源さんもその一人である。しかし、家串の他の人(女性)に聞いてみると、柔らかく、白身でおいしい、という人も何人かいる。ある人が「手間がかかるからねえ」と言った。ブダイはウロコが大きく、普通のウロコ落としでとるのが難しい。関東のブダイ(アカブダイ)は、ウロコを手で取る。尻尾の方から爪(指)を差し込んで、めりめりと引き剥がすようにすると、簡単に取れる。わたしは同じ方法で試したが、ヒブダイはブダイと少し違うようで、爪を差し込んで指で取ることはできるが、かなり取りにくい。














源さんは「味はイマイチ」と言う。しかし、あとで触れる『魚 海水編』<野外ハンドブック・9>では、ヒブダイは「美味」と評価されている。また愛南町の他の地区で「エガメ」が好かれているところもあるという。ウロコを取るのが面倒であり、手間をかけても食べたいほどではない。他にも、簡単に下ろせて、うまい魚はある、というところが真相ではないかとわたしは思っている。
『市場魚貝類図鑑』では、「味の評価度」で「まずくはない」と書いているが、「ブダイ」の解説は非常に詳しく書かれているのに、「ヒブダイ」ではほとんどの項目に記載がなく、「味の評価度」は不十分な情報に基づいて書かれていると推測される。

ブダイの写真は『Web魚図鑑』への「ヒサビッチャ」という投稿者によるもので、由良半島の須下で釣れたものという。私は家串の近くではまだブダイを釣ったことがない。半島の北側で釣れるのかもしれない。

追加:2017年3月27日、家串湾の奥で、オキアミ餌のマキコボシ釣りで34センチの赤ブダイが釣れた。昭和55年(1980年)西伊豆の戸田でカニ餌の投げ釣りで釣って以来、37年ぶりの2匹目である。ウレシイ!下手な写真だが、掲載する。

「ヒサビッチャ」さんは足摺岬周辺で釣ったヒブダイも投稿している。しかし私は別な釣り人が由良半島で釣ったというヒブダイを引用した。


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タマメないしタマミ/フエフキダイ)、ギゾ(キュウセン、青ベラ)、ホゴ/カサゴ、ガシラ

フエフキダイ(正式名はハマフエフキ)もイシダイの外道で釣れることがある。形は、タイを細長くして、腹をボテッと太らせ、顔を笛を吹いているように尖がらせたと言ったらいいだろうか。色は黄色掛かった薄茶色である。そして目が大きい。玉のような目なので「タマメ」の名がついて、タマミはタマメがなまったのだろう。

  ⇒第一部第三章「イシダイ釣り」のなかの2)マイボートのイシダイ釣りのタマメ(笛吹鯛)の魚拓写真を参照

私は2009年にサクノセの近くで75cm、6.1sのかなり大型のフエフキダイを釣った。以前、磯釣りで大型イシダイを追いかけていた時には、フエフキダイも一度釣ってみたいと思っていたが、実際にこれを釣り上げたときは、コブダイを釣った時と同様、「もう釣りたくない」と思うほどの激しい戦い(防戦?)を強いられた。

また、家串湾口には、水深10m程度から30m程度まで急な傾斜で落ち込んでいる大きな瀬があって、ここでは小型のイトフエフキ(茶色の斑点がある)がよく釣れる。せいぜい30cmくらいまでのもので、私は開いて一夜干しにしている。<別冊フィッシング>『釣人料理』(昭和58年)の「料理早わかり帳」ではハマフエフキとイトフエフキを区別せず「美味」としている。たぶんハマフエフキであろう。わたしが持っている益田一編『魚 海水編』<野外ハンドブック・9>(昭和55年、山と渓谷社刊)では両方とも「美味」である。

友人の、宇和島の清水氏によれば「タマメは味が少し落ちる」という。彼はイシダイ釣りでは名人クラスの人で、彼が較べているのはイシダイ、イシガキダイとである。だが、イシダイ、イシガキダイと較べたら、やはり、たいていの魚は「落ちる」と評価されてもしかたがない。しかし、タマメは釣るのは簡単ではないが、一般的に言えばうまい魚で、釣り人は喜んで釣る。
                   

松山では、ギゾ(キュウセン/本ベラ)を好む人が多く、魚屋でいい値段で売っているが、関東ではたまに釣れても、まず、食べる人はいない。そもそも船釣りの対象になっていないし、魚屋で見たこともなかった。
私が松山に移って来てすぐの頃、職場の同僚や先輩に誘われて瀬戸内海の船釣りに行ったときに、他の魚も釣ったが、ギゾを狙って船頭が連れて行ったポイントでギゾがかなり釣れた。帰ってから隣家の人に分けてあげたら大変喜ばれたし、私自身も食べて、なるほどうまいものだと思った。私がギゾを狙って釣ったのはその1回だけである。
私はキュウセンと本ベラの違いは分からない。ベラは性転換し、オスは青いという。関東では「青ベラ」と呼んでいた。家串湾の奥でもベラがしばしば釣れるが砂泥底であることと関係があるのか、赤いものばかりで、たいてい、放流してしまう。

また、カサゴは関東でもおいしい魚とされているが、松山周辺でのホゴ(カサゴ)に対する珍重ぶりはおかしいほどで、10センチにもみたない小さなものを皿にきれいに並べていい値段で売っている。やはり松山に来て間もないころであったが、市の中心部「大街道」近くの魚料理を食べさせる店で、コースの一品としての「ホゴの煮付け」に、大きさが10センチほどで、ほんのわずかな背中の肉をのぞいてほとんど食べるところがないものが出てきて驚いたことがある。

 
松山沖でホゴを狙った船釣りの人のクーラーを見せてもらったことがあるが、10センチ足らずのものがほとんどだった。ホゴはいったん釣り上げられると空気袋が出てしまって放流しても死んでしまうので、仕方がないとも思うが、釣り人が釣ってきた魚のサイズを一向に気にかけていないことが、私には意外であった。数が釣れれば満足するようである。そして10センチ足らずの小さなホゴも、時間をかけて丁寧に箸でつついて食べるのだろう。

家串でもホゴは人気があるが、専門の漁師は別としてホゴを狙って釣る人はあまりいないし、狙うとすればやはりある程度大きいもの、多分20センチ以上の大きさがなければ、釣ったと言わないのではないだろうか。友人の源さんなどは、15センチていどのホゴは、その日不漁であっても、捨てて帰ろうかどうしようか迷うくらいである。彼もホゴはうまいという。しかし、20センチ以下では食べるところが少なすぎて、夕食のおかずにするには面倒だというわけである。

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カイワリ/メッキアジ

カイワリは最大で30センチくらいとされるが、アジの仲間で、アジを平たくしたような形の銀色の姿はシマアジに似てなかなか優美といってもよい。前記『魚 海水編』<野外ハンドブック>では、それぞれの魚の特徴を説明した文の末尾に食用、美味、高級魚などの評価が付されている。観賞魚、食用としない、食用にはならない、などの評価もある。美味や高級魚とされるのはほんの少数で、ほとんどが「食用」であるが、カイワリは「高級魚」である。
関東地方が発行所の釣り雑誌にもカイワリが釣れたと得意そうな投稿が載っている。実際、刺身もうまいし、塩焼きにしてもいい。〔前記「市場魚貝類図鑑」では「味の良さはアジの仲間でも最上の部類で、特に大型のものはシマアジよりうまい」と書いている。このページを運営している会社の所在地は東京都八王子市である。〕

ところが愛媛ではメッキアジという、味も素っ気もないというか、ひどく貶めた名前で呼んでいる。メッキは金属製品の製作に重要な役を果たす電気化学工程である。しかし「メッキがはがれる」という言葉に代表されるような、うわべだけ飾った、ニセモノというイメージと重なる。
瀬戸内海では網でたくさん取れるのか、松山のスーパーなどでやや小さいカイワリが一皿いくらでよく売られていて、ポピュラーな魚である。つまり大衆魚とみなされている。

家串で釣っていると、マダイ、大アジなどに混じって30cm近い良型のカイワリが釣れる。引きがすばらしい。針にかかったときの手ごたえの強さは同サイズのマダイに近く、しかもマダイのように上がってくる途中で弱ることなく、大アジのように最後まで、しかもククククッ、ククククッとアジにはない、段をつけた引きをして、強く抵抗しながら上がってくる。釣り味(釣りの手ごたえ)がいい魚で、20センチを越える良型が釣れたとき、最初は非常に喜び、得意になった。

しかし、松山の知り合いに上げると、メッキアジという魚で、親がしばしば買ってきてよく食べさせられたと言われて、ガクッときた。愛媛では、高級魚でもなんでもなかったのだ。何が高級魚であるのか、何がうまい魚で「美味」であるのか、土地によってまるで異なるのである。

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クロダイ/チヌ、ヘダイ、キチヌ

クロダイ(チヌ)の仲間に、ヘダイとキチヌ(キビレ)がいる。親友の源さんは昔父親の漁の手伝いをしていた。彼の話しでは、チヌの仲間に、白っぽいヘイマジロというのがいる。宇和島の市場ではチヌより安いという。私はチヌに似てはいるが、頭の形が丸く、また体もややずんぐりとしていてチヌと異なる、銀白色の魚を何回か釣った。図鑑や百科事典で調べてみると、ヘダイである。
 






















また大雨が降ったある日の翌日、沢から流れ込む泥水のせいで海がひどく濁っていたときに、アコヤ貝の作業所が並ぶ岸壁で釣っていた2人が手のひらかそれより少し大きいくらいの小型のキチヌを何匹も釣り上げていた。キチヌは顔が尖っていて体つきはチヌと全く同じである。体表にも黄色いところがあるが、とくにヒレははっきりと黄色である。キチヌの別名「キビレ」は「黄鰭」であろう。私が話し掛けると、「ヘイマジロはうまくないから棄てる」という。私が「図鑑では美味と書いてありますよ」というと、「じゃあ持っていってくれ」と、5、6匹釣っていたキチヌを私にくれた。私は持って帰り、開いて一夜干しにしてから食べてみたが子ダイや小アジの開きと同様おいしかった。

DVD平凡社世界大百科事典のヘダイ(平鯛)の項目では地方名は様々で、宇和島では「ヘイマジル」という。そして「刺身、塩焼き、煮つけなどにする。ヘダイは磯くささがなく、クロダイなどより美味である」という。
そして、おなじ執筆者で、クロダイは「美味で、洗い、刺身などで喜ばれる」とある。ヘダイの「各うろこの中心には黄褐色の部分があり、これが前後に連続し黄褐色線状に見える。腹びれと尻びれは黄色」と書いてある。イラストは頭が丸くヘダイである。家串の岸壁で釣っていた人たちもキチヌ(キビレ)を「ヘイマジロ」と呼んでいた。この百科事典にはクロダイの項目はあるがキチヌの項目はない。執筆者はキチヌとヘダイを混同しているのではないだろうか。

<野外ハンドブック>の図鑑には、キチヌは載っているが、ヘダイは載っていない。そして、クロダイは「食用」、キチヌは「美味」である。『えひめ愛南お魚図鑑』(2010年刊)には両方載っている。やはりヘダイとキチヌは別種である。ただしこの図鑑には味の評価は書かれていない。

良型のアジがたくさん釣れたときに、友人の車で宇和島の魚市場に出荷した。そのとき、キチヌが2箱でていた。一方は500〜600グラムぐらいのものが1匹入っており、別の箱にはおなじサイズか少し大きいものが2匹入っていた。競りが進んで、キチヌが1匹入った箱のところまで来て、担当の魚連の職員が「次ヘイマ。誰かいないか」と聞いたが声が掛からない。職員が「買ってやってよ」ともう一回言う。すると仲買人の一人がぼそっと何か言って決まった。わたしは値段が知りたくて、箱を持って脇に行ったその仲買人に「幾らだったんですか」と聞いた。すると「10円」という返事であった。ここでは一桁違う数字を言うので、10倍した100円がこの「ヘイマ」と呼ばれたキチヌの値段だった。さらに競りは進んでいき、途中で担当者が変わった。そしてキチヌが2匹入った箱のところに来た時、その職員は「次はチヌ」と言った。キチヌとヘダイを区別しないだけでなく、それはともに「チヌ」と一括されている。

わたしは驚いた。チヌ(クロダイ)とヘダイ、キチヌの評価の違いを知ろうと思ったのだが、そんなことは市場では問題になってなかった。担当者が、その区別、少なくともクロダイと他の2種の違いを知らないわけはない。色が全く違うからである。ヘダイ、キチヌがチヌの仲間なのでそう呼んだのだろう。その2匹のキチヌの値段は聞き漏らしたのだが、近くの人に、「今のはヘイマジロ〔ほんとはキチヌ〕ですよね。へイマもチヌも区別しないんですか」と聞くと、その人は、「どっちもたいしてうまくない。進んで買うものはおらず、どっちだって構わない」という。

私は、知り合いにヘダイを上げる時に、源さんの「宇和島では安い」(=「評価が低い」)という説明にはふれず、「名前は変な名前だが、百科事典にはクロダイよりもおいしいと書かれている」と説明していた。しかし、百科事典の「ヘダイ」はもしかしたら「キチヌ」のことなのかもしれない。キチヌは「美味」だが、ヘダイは「美味」とは言えないのかもしれない。また、わたしが、宇和島の魚市場で受けた印象からは、チヌ(クロダイ)、ヘダイ、キチヌはどれも大して評価されていない。私は、魚を上げた知り合いに、正しくない、あるいは不正確な説明を行なっていたことになるのだろうか。

ちょっと考えれば分ることだが、事典や図鑑の執筆者が、すべての魚種を自分で食べてみて、単なる「食用」か、「美味」かの評価を行なったはずはない。その魚がよく釣れる、あるいは獲れる地方の漁業者や魚屋などの意見を聞いて書くのだろう。また、執筆者が自分で味わって書いたとしても、その人の好みがあるだろうから、その評価が正しいとも言えない。

また、イワシに対する評価が、30〜40年ほど前と較べて大きく変わったことはよく知られている。クロダイやヘダイにたいする評価も、時代により、変わったとも考えられる。『えひめ愛南お魚図鑑』では、ヘダイは「観察例はまれであったが、1999年以降個体数が増加し、普通に観察されるようになった」とある。源さんの子どもの頃にはヘダイはたくさん獲れて安かったが、その後、ヘダイの数が減ってしまって、平凡社世界大百科事典の初版が刊行された88年頃には消費者の評価が高くなっていた、そして、また最近では、マダイやハマチなどが安く食べられるようになって、チヌ(クロダイ)の仲間には目が向けられなくなってしまったということかもしれない。

魚についてはもっとも詳しい解説がなされている前記インターネットHP上の「市場魚貝類図鑑」によれば、クロダイと同じく、キチヌ(キビレ)もヘダイもともに「非常に美味」である。そして、キチヌ、ヘダイは1980年代には関東ではほとんど見られず珍しかった、入荷も少なかった。しかし、最近は温暖化のためか関東でも入荷量が増えている。今も西日本に多い、と書いている。この記事からも、その時々に魚の数が増えたり減ったりして、評価が変わってしまう可能性があることがわかる。

ついでに、このHPで他の魚の評価を調べてみたら、マダイ、マアジ、イサキ、シロアマダイは「究極の美味」、カイワリ、シマアジ、ハマチ/ブリ、アカアマダイ、イトヨリ、イシガキダイ、イラは「非常に美味」、イシダイ、フエフキダイ、アイゴ、コブダイは「美味」、メジナ、ニザダイは「まずくはない」で、評価に若干の偏りがあるように私には思われる。

結論を言えば、それぞれの魚に関して、人により、時代により様々な評価がありうるが、私は、人に魚を上げる時には、あるいは買ってもらうときには、そのなかの最も高い評価を信じて、それをその魚の説明の際に用いるのである。実際、私は家串に来て様々な魚を釣ったが、すべての魚をほかの魚の味と比べつつ繰り返し食べてみたわけではない。また、あとで述べているが、家串に来たばかりの頃と比べ、魚を食べる回数が大幅に減ってしまった。そして、一度食べても2〜3年食べなければ忘れてしまう。ポピュラーではない魚を他所に送るときに、味や料理方法について何も説明せずに送るわけにはいかない。自分で一度くらいしか食べたことがなく、こうだと言えない魚については、事典や図鑑などの説明に頼らざるを得ない。こうして、書かれている「評価」を信じて、それを他の人にも語るのである。

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ウスバハギ

私が、自分で料理をしてみて、絶対的な自信を持って勧めることのできるのは、ウスバハギ(ウスバハゲ)のフライである。
ウスバ(薄刃あるいは薄葉と書くようだ)は、年によって場所が変わるが、家串周辺にたくさんいる。
体の厚みはさほどないが体高は20cm、体長は40cmほどとかなり大きいので、針に掛かると強く引き、釣人を喜ばせる。カワハギの仲間で歯が鋭く、ウニの餌でイシダイ釣りをしていると、餌をつついて横取するが、口が小さいのでめったに釣れない。餌を取って邪魔をするだけである。
マキコボシ釣りでは、石にコマセを載せてハリスを巻きつけて落とすのだが、そのハリスの上から鋭い歯でかみつくために、ハリスが切られてしまい、釣りができなくなってしまう。
この厄介もののウスバが、ある年、私がよく行くクロハエの近くに大量に発生し、仕掛けを入れるときに散らばるコマセを食おうと何十匹も浮いてきて、船の周りで泳ぎ回り、玉網で掬って獲ることもできたほどだった。

ウスバハギの身は白身で、カワハギと似ており、旬の冬は刺身で食べられる。料理屋で、薄切りにして、フグに混ぜて「フグチリ」などに使われるという話を聞いたこともある。
私は、1匹でも刺身では多すぎると思い、適当な大きさに切ってフライにし、マヨネーズをかけて食べたことがある。他の様々な魚のフライ、鳥肉のフライなど、これまで食べたフライに較べて、歯ざわりも味も抜群によかった。

家串では、ウスバハゲは厄介物とみなされていて、冬の一時期、網か何かで獲って市場に持っていく漁師はいるかもしれないが、釣りの積極的対象にはなっていない。釣れてもあまり喜ばれない魚である。フライにして食べると非常においしいと私は周囲に勧めているが、残念ながら、家串では魚をフライにしてまで、手をかけて食べようという人は少ない。

この「web魚図鑑」のウスバハギは、ヒサビッチャさんが由良半島で釣ったものという。

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ミコタマ/イラ

家串周辺で、ウニを餌に石物(イシダイ、イシガキダイ)を狙っているとしばしばイラが釣れる。また、オキアミを餌にマキコボシ釣りをしていても時々釣れる。
家串では「ミコタマ」、由良半島北側の嵐では「ミコ」と呼ぶ。額がツルッとしていてピンクの縞模様の入った白いイラの姿を神子ないし巫女に見立ててつけた名前であろう。
しかし、家串で魚をよく知っている人に味を聞くと「うもうない」という返事が返ってくることが多い。2010年まで私が船を係留させてもらっていた筏の持ち主の水谷さんは時々網漁をした。網に入ったイラを他の人にあげようとして「ミコタマがあるが、食うかや」と聞くと、相手の人は「ミコならいらん」とにべもない返事であった。釣り仲間の源さんもイラは食べないと言う。
アコヤガイの養殖を本業にしている漁民たちは、たいてい、作業小屋の前の海に屑のアコヤ貝などを入れたカゴを浸けておく。ときどき、魚が入る。あるとき、ピンクの縞の隣に青い色の縞がもう一本入っているイラが入った。私にみてくれという。私は、「青い縞の入ったのははじめてみましたが、イラ、ここらでミコタマと言ってるものに間違いないでしょう」と返事をした。するとその人は「やっぱりミコですか」と言って、カゴを開けて魚を棄てた。こうした魚食環境の中で私はイラをすっかり食べなくなってしまった。

一人暮らしの老人などであまり魚を食べられない人の場合には、食べられない魚でない限り、あげれば喜ぶ。私は、イラも、最初は、捨てるのはもったいないと持ち帰り、人に上げていたが、「うもうない」という言葉を数回聞き、自分では食べない魚を人に上げるのは失礼だと言う気がしてきて、最近はイラをあげるのはやめた。

しかし、東京では、釣れた魚に対する磯釣りのベテランの否定的な評価を一度も聴いたことがない。東京、新島か神津島での釣りクラブの例会のときに石物を狙っていてイラが釣れた。私は初めてだった。ベテランに尋ねると、味噌漬けにするとうまい、といわれた。親戚に味噌漬けにした切り身を「磯釣りでしか釣れない魚だ」と配ったが、おいしかったと喜ばれた。 「味噌漬けにするとうまい」、あるいは「フライにするといい」という言い方は別な表現をすると「刺身はちょっと無理だ」、あるいは「磯臭いので、味噌漬けやフライにしないと食べにくい」ということになるだろう。(ただし、釣ってすぐに〆て血抜きすれば、磯臭さというのほとんどなくなるのだが。)しかし、東京のベテラン釣師たちは、狙った魚が釣れず、外道としてもさほどおいしいといえない魚しか釣れなかったときの新参会員を慰めるために、「物は言いよう」と肯定的表現を選んだ、ということではないと私は思う。



  追加:2016年、インターネットで調べて驚いた。「イラ」で検索し『市場魚貝類図鑑』のページを見ると、「寒い時期、味がよくなるもので関東でも伊豆半島などではさかんに食べられている」。 和歌山県、徳島県、大分県などが産地。 大量には出回っていないというが、市場に出荷されており(網に入るようだ)、長崎五島列島の産直で5、6匹のイラが発泡スチロールに氷詰めにされた写真も載っている。

すでに書いたが、そのHPの味の評価によれば、イラは、シマアジ、ハマチ/ブリ、アカアマダイなどと並んで「非常に美味」で、単に「美味」のイシダイなどよりもうまい魚とされている。 潮汁やブイヤベースにしても美味。また、バターやオリーブオイルでソテーして美味。ハーブ類やニンニクを利用してもいい。 刺身でも美味。皮はやわらかい。皮をつけたまま焼き霜造りにするといい、という。私もやってみようと思うが、家串の人はどうだろうか。面倒がるのではなかろうか。

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稀少な魚は貴重で美味になる

磯釣りで狙うのは、石物(イシダイ、イシガキダイ)、メジナ/グレ等々の、釣り人の評価では「美味」あるいは「非常に美味」な「高級魚」である。これらの魚はめったに釣れない。繰り返し上で書いたことだが、運に恵まれた私の場合でも、東京にいた10年ほどの間に何百回と通って釣った石物は10匹ほどで、10年以上追いかけてまだ釣っていないと言う「イシダイ釣りファン」がたくさんいる。釣りクラブの例会で、メジナが釣れたのを見た覚えがない。

--------------------------------------------------------------- 塩子島の西側で釣れた50センチのイシダイ(クチグロ)など、



















首都圏、つまり東京、神奈川、埼玉、千葉の合計人口はおよそ3千500万人である。これに対して松山市の人口は50万人、宇和島市と愛南町の人口が合わせておよそ10万人である。同じくらいの割合の人が釣りをし、その住んでいる場所から最も近い海に出て釣りをすると仮定する。

海岸線の長さは銚子から館山まで約150キロ、東京湾奥から熱海周辺まで約120キロある。沖合い20キロくらいまでを船で釣るとすると、海の面積は約5400平方キロメートルである。多めに見て6000平方キロメートルとしよう。

松山周辺の海岸線をおよそ50キロと見て海の面積は1000平方キロメートル、宇和島から愛南町にかけての海の面積もおよそ1000平方キロメートルと見積もることができる。
首都圏、松山圏、宇和島・愛南圏の人口比は3500:50:10、つまり350:5:1であり、海の面積比は6000:1000:1000、つまり6:1:1である。人口当たりの海の面積比では6/350:1/5:1/1、つまり6:70:350である。あるいは約1:11:58である。

愛南町から宇和島にかけての宇和海、また松山沖の瀬戸内海は、海底地形も潮流も複雑で房総沖と湘南の沖よりも漁場として優れていると思われるが、その点は措くとして、同じ面積の海の中には同じ数の魚がいると仮定すると、この数字から次のように言うことができる。

宇和島から愛南町にかけての海で釣ると一人当たり平均58匹釣れ、松山周辺では11匹釣れる。東京周辺の海では1匹しか釣れない。あるいは、愛南町・宇和島周辺で誰もが例えばマダイを一匹ずつ釣れるとすると、松山では11人に一人、東京周辺では58人に一人しか釣れない、と予想される。

極めて大雑把な計算だが、愛南町周辺に比べると、千葉から湘南にかけての海では圧倒的に釣果が期待できない。要するに東京周辺では釣り人の数が多すぎるのである。そして、多くの人が釣る結果、魚の数も減り、ますます釣れなくなる。東京周辺では撒き餌にオキアミの使用を禁止しているところがあるという。魚の保護のためであろう。魚が少ないということはこのことからもわかる。


東京周辺では、魚が実際に少なく、釣りの例会や大会でも大半の参加者は手ぶらで家に帰る。こうして、食べられない魚、あるいは数センチの小魚を別として、どんな魚でも釣れればそれだけで手柄であり喜びである。だから、関東地方の釣り人は掛け値なしに、「カンダイはうまい」、「イラはフライや味噌漬けにしてうまい」と言うのであり、狙ったイシダイが釣れず、イラやカンダイしか釣れなかった人を慰めるために言うのでは決してない。

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世評と自分の舌

私は「食」に関すること以外のかなり多くのことについて、人の意見に左右されず、自分で判断し、自分で決め、行動してきたと思っている。だが、食に関して、とくに魚に関しては、極めて、他人の意見、評価に左右されやすいといわざるを得ない。
なにかをうまい、まずいと感じるのは、頭ではなく舌だろうと思う。頭で考える物事は説得力のある論拠、より確かな証拠、新しい情報などに接すれば、それらに影響を受けるだろう。しかし、舌でいったんうまいと感じたその味が、場所が変わったからといって、他の人がまずいと言ったからといって、そう簡単に変わるはずはないように思われる。

だが、実際には、東京にいたとき、あるいは松山にいたときにはうまいと思って食べていた魚が、家串では食べる気がしなくなってしまっている。イラ、カンダイ(コブダイ)やブダイに対する家串の人の低い評価の影響をまともに受けて、私はこれらの魚を食べる気がしなくなった。私の場合、本当に自分の舌だけで味わうことをせず、「世評」に左右される面が強いと考えざるをえないように思う。

しかし、浅野藤吉郎さんや細川浩志さんのように確固とした自分の舌を有する人以外の家串の人々の魚に対する好み、評価はどこまで正当といえるのだろうか。

柏の旅館の主人、赤樫さんのつぎのような説明が的を得ているのではないだろうか。この辺りにはいくらでもうまい魚がいる。魚に不自由しないから、うまい魚だけ食べる。そして、わざわざ料理の手間をかけずに、刺身か、塩焼きか、煮付けかで食べる。うまい魚はそれで十分うまい。それでうまくない魚はうまくない。これが内海地区の、ほとんどの人の魚の食べ方であり、魚の評価のしかたである。これが赤樫さんの説明だ。

そして私もまた、この説明が当てはまる「内海の人」、「家串の人」になってしまっているように思われるのである。

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料理とその素材

知人の紹介で私が何度かヒブダイなどの魚を買ってもらった、松山のイタリアン・レストランのシェフは「魚種にはこだわりません。何でもいいんです。料理をしますから」という。レストランでは、魚も料理に使われる素材の1つなのである。シェフは、素材選びにも神経を使うだろう。しかし、「うまい魚」を含めて、よい素材がそろったとしても、料理=ディッシュは、それら素材をただ盛り合わせただけではない。

日本料理店で出される、焼き魚、煮付け、とくに、宴会などでしばしば「メインディッシュ」となる刺身の盛り合わせなどでは、もちろん、家庭料理の場合とは全く異なるが、しかし、「素材選び」に重点が置かれているように思う。

他方ヨーロッパ料理では、肉でも魚でもただ焼いただけ(たとえばビーフステーキ)、煮ただけというものは少なく、時間をかけて作ったソースがかかっていたり、様々な香草と一緒に煮込んだりしたものがでてくる。料理がおいしいものであるときに、ソースになるバターや小麦粉あるいニンニク、そして様々な香草などの一つ一つが「よい」ものであることはさほど問題にはならないのではなかろうか。

それと全くおなじとは言えないかもしれないが、魚料理の魚がうまい魚であるのかどうかは重要ではない。「料理」としてうまいことが重要なのである。地中海沿岸地方を除き、西欧では獲れる魚の種類が多くない。ニシンとタラのほか数種類程度だということが、同じ魚を様々に異なる料理の仕方で食べる工夫を必要とした、ということもあるかもしれない。

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魚好きだった私

私は、東京にいてイシダイを追いかけていたときには、ほとんどいつも坊主であった。自分で釣った魚(イシダイ、イシガキダイ)を食べるのは数年に1回以下で、他の魚は魚屋で買って食べた。イシダイが釣れたときには、「釣り人料理」の本などを読み、(大型が釣れたので)刺身はもちろん、煮付け、塩焼き、バター焼き、潮汁、アラ煮、皮の酢の物など、あらゆるしかたで、うろこと骨以外はすべて食べた。自分で釣った魚を食べるということには特別の喜びがあった。

魚は磯釣りを始める前から好きだった。結婚して子供ができてから、家事育児は、大学院生=学生に戻っていた私の担当だった。そして夕食の買い物によく魚屋に行ったものだ。店頭に並んだ色々な、本当にさまざまな色と形をした魚を見るのも楽しかった。そして、サバなどは一匹物を買ってきて自分で下ろして、あるいは金目鯛やカレイの場合には切り身で買って来て、煮たり、焼いたりして食べた。寿司は時々食べたし、築地が近く、松山などの地方都市よりも安いマグロの刺身も魚屋で買ってきてよく食べた。水槽に泳いでいるアジ(せいぜい20センチ程度の大きさしかなかったが)をその場で料理して食べさせる店で、何度か「アジのたたき定食」を食べた。また大学の寮が西伊豆の戸田にあり、夏休みなどに何度か遊びに行ったが、沼津まで電車に乗りそこから船で戸田に行く。沼津の駅前にカワハギの肝合えを食べさせる店があって、戸田にいくときには毎回のように寄って、食べたものだった。

そして、松山で勤めていた大学を退職し、毎日でも釣りのできる家串での生活が近づいたとき、私は、学生時代から40年近くも続けてきたパンとサラダそしてコーヒーか紅茶という朝食をやめて、朝はご飯食にしようと考えた。「朝釣った魚を刺身にし、それをおかずにして食べるのだ」。「家串で、自分で釣ったアジのたたき、カワハギの肝合えで朝食が食べられれば最高だ」。

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家串での私の好みの変化

ところが実際、家串で生活をはじめてみると、この考えはあっけなく放棄された。パンとコーヒーは毎日でも飽きない。それはご飯党の人にとってご飯と(少しずつ具を変えた)味噌汁の場合と同じだろう。しかし、目玉焼きか、ゆで卵、シーチキンサラダは飽きないが、刺身はアジ、ハゲ(カワハギ)、メジカ(ソウダガツオ)、ヤズ(イナダ)、マダイ、イシガキダイ、グレ(メジナ)と魚の種類を変えても、1週間と続けて食べられない。

1ヶ月もたたないうちに、刺身は、月に1回たべるかどうかというくらいになってしまった。モイカ(アオリイカ)の刺身はあれば何度でも食べる(食べたい)が、ほかの魚の刺身は、どれも、年に1回か2回しか食べたいと思わなくなった。煮たり、焼いたり、あるいは揚げたり、調理した魚は時々食べるが、それでも、自分で釣った魚を食べる回数は少ない。知人や友人にあげたり、買ってもらったりするが、(天然の)マダイ、ハマチ、イサキ、そして陸揚げされる場所によって「関アジ」などと呼ばれもする宇和海の大型の真アジなど、私が釣っている魚の多くは高級魚の部類に入り、みな喜んで食べている。私も愛南町に来て釣りを始めた頃はそうだった。しかし、今では、さほど食べたいと思わない。とくに刺身ではめったに食べたいと思わなくなった。

他方、松山の自宅にいるときには、サバやサンマ、サケ、カマス、ホッケなど、自分では(内海周辺では)釣れない、あるいはたまにしか釣れない魚をスーパーで買うなどしてかなり頻繁に食べる。私は魚は依然として好きだ。しかし、自分で釣った魚、とくに自分で下ろして刺身にした魚は食べたいと思わなくなった。食べたくなくなった。

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釣った魚をめったに食べなくなった原因

自分で釣った魚を食べたいと思わなくなった理由はなんであろうか。いつでも、すぐに食べられるものは、食べたいとは思わなくなるということが、理由としてまず考えられる。好きだけれども、もうすでにたくさん食べてしまい、満足してしまっている、飽きているから、食べたいとは思わない。それより、普段食べていないものを食べたいのだ。

次に、調理に関する事情が魚をめったに食べなくさせていると思われる。肉であれば、ハンバーグなどでは手間がかかるが、焼肉、生姜焼き、すき焼き、肉野菜炒め、その他、多くの料理は調理がごく短時間で済み、肉は切り身をにちょっとふれるか菜箸で持つだけで、臭いはほとんどない。それに対して、魚の場合には、うろこを落とし、タワシでごしごし洗い、はらわたを出してまた洗う。ものによっては、頭を落とし、三枚にする。刺身で食べるときは皮を取らねばならない。

魚は肉に比べ煮たり焼いたりするまでに手間が掛かるのだ。手間が掛かるだけでない。その間に、魚のはらわたのいやな臭いを嗅がねばならない。また、刺身を食べようとすれば、皮を引き、いばしば小骨を抜き、切ってさらに並べている間に、魚の身の臭いをたっぷりと嗅いでしまう。刺身はワサビやショウガと醤油で食べるが、それは魚の臭いを抑えるためでもあると思う。刺身は舌で味わうとともに鼻で臭い(匂い)を嗅ぎながら食べるもので、臭いが全くなければうまさが大きく損なわれるであろうことは確かだが、臭いが強すぎてもよくない。私は自分で刺身を用意している間に生の魚の臭いを嗅ぐことによって胸がいっぱいになってしまう。肉を食べるのに比べて、魚を食べるときには、準備段階でワタの臭いを嗅ぎ、調理段階で生の魚の臭い嗅ぐ。こうした臭いを一緒に味わうことになり、実際に食べた量よりも多く食べたような気がしてしまう。こうしたことが私に魚を飽きさせた原因ではないかと思う。

家串に来て4年目、2009年5月の日記にも次のように書いている。すぐ近くで「大アジ3匹が釣れ、20センチほどの小サバが一匹釣れた。アジは生かして持ち帰り、サバは頭を落とし内蔵を洗って持ち帰った。頭を落とされたサバは家に着く直前までぶるぶると体を動かしていた。どうやって食べようか考えた。前に水谷さんから小サバの刺身をもらってうまかったことを思い出し、刺身にして(皮は手でむけた)生姜醤油で食べたが、身がモッチリとして、非常にうまかった。久しぶりだったこともあるし、小さなサバで下ろすのに時間がかからず、また食べる直前に臭いを嗅がないで済んだこともあるだろう。10センチか15センチの小さな半身が2切れ、少しだけ食べるのがいいのかもしれない」。アジの方は開いて一夜干しにしたか、松山に送ったかしたのだろう。

だから、魚を釣った日に調理をし、すぐに食べるのでなく、数日たって、いやな臭いの記憶が薄れてから食べるほうが好きである。もちろん刺身ではそうした食べ方は無理だが、煮魚や塩焼きなどでなく、開いて一夜干しにしたものを後で食べることが多い。家串で釣った魚は、鮮魚として、冷蔵で松山や関東地方の知人や友人に送ることも多いが、アジやイサキなどの場合には一夜干しにして冷凍しておき、松山に送り、帰ってから食べることが多い。こうして家串では魚を食べる回数が減るのである。

他方、イカは下ろすときに臭いがほとんどしない。私がイカ釣りが下手であまり釣れず、めったに食べられないということも多少関係していると思われるが、イカの場合には、自分で刺身を作っても、臭いがしないから「飽きない」。それが、イカを以前と変わらずに好む理由だろう。

私が船を止めさせてもらっていた筏の持ち主で2010年11月に亡くなった水谷さんも、魚をさほど食べたいと思わない、刺身はめったに食べないと言っていた。彼は自分の釣った魚や網で取れた魚を生間(イケマ、船の生簀)から出すと、家に持って帰らずに、屋形(筏の上の小屋)で処理していた。メジカやゼンゴ(小アジ)、イワシなどがたくさん釣れると、メジカは大鍋で湯掻いてから、ゼンゴやイワシは塩をして網カゴに入れて軒下に干す。自分の家で食べるよりずっと多くの干物を作り知人、友人に分けてやると言う。わたしも時々もらう。よく手入れされた包丁が何本もあり、手早く、上手に、魚を処理する。刺身はきれいに切れている。奥さんが魚好きである。しかし、水谷さん自身は「めったに魚は食べない。釣るのが面白い」という。釣ったらその魚を処理しなければならず、魚好きの奥さんに食べてもらうため、知人・友人に配るために、せっせとさばく。聞き漏らしているが、食べない理由は私と同じであったかもしれない。

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宇和島出身の若者の肉好き

  私が勤めていた女子大の事務職員に宇和島出身のMという青年がいた。彼は現在も勤めており、(私が女子大の図書館をしょっちゅ利用させてもらっており、彼が最近図書館の担当になったため、しばしば会うが)今は中年になっている。彼の実家は宇和島で真珠の養殖をやっており、家業は彼の兄が継ぎ、次男坊の彼は高校卒業後大学に進学してホワイトカラーになった。彼は面長の優しい顔つきの青年であったが、身長は180センチくらいあり、学生時代に少林寺拳法をやっていたというだけあって、筋骨たくましいからだの持ち主である。

私が在職中のことだが、何かの折り、魚と肉とどっちが好きかという話をになったことがある。彼は断然肉が好きだといった。松山に来てサラリーマンになり、いつでも肉が食べられるのでいい、というような話だった。それに対して、私は肉も好きだが、どちらかといえば魚派だ。漁村で暮らしていれば、新鮮な刺身がいつでも食べられる。刺身も食べないのかと聞いた。彼は、確かにイカの刺身はうまいので、食べる。しかし、ほかの魚は、刺身であれ、何であれ、全然食べる気がしない、と言った。私は、町にいたら食べられない獲りたての魚が食べられるだろうに、もったいない、そんなことを彼に言った記憶がある。

魚もイワシぐらいしか食べられなかった父母や祖父母の時代と違い、焼肉やハンバーグが珍しくない現在では、魚が毎日食卓に出てくると、食べたくなくなってしまうのかもしれない。あるいはまた、彼の場合には、むしろ、学生時代、激しいスポーツの練習のあとの食欲を満たすために、いちいち骨を取り除きながら食べなければならない魚を敬遠し、焼肉をおかずにして、かばがばと(どんぶりで?)飯をかっ食らっていたのではなかろうか。そうした習慣が彼を肉好きにしたのではないだろいうか。

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家串の年配者の魚好き

  家串の年配の人は魚が好きだ。朝、曳き釣りをして獲ったばかりのメジカ(ソウダガツオ)の刺身は毎日でも食べるという人もいる。といっても、釣れる時期は3ヶ月ほどであり、凪で曳き釣りができる日は半分くらいで、出漁しても釣れない日もあるのだから、そう毎日同じメジカの刺身を食べるのではないだろうが。ヤッサン(伊井安さん)は農協の役職を務めたひとだが、(2010年現在で)70代半ばの年齢だ。今は、旅行(何回かに分けて四国八十八か所の寺をめぐるバス・ツアー、あるいは高野山めぐりなど)と釣りを楽しみながらのんびりと暮らす。夏場は早朝の曳き釣りをほとんど日課のようにしている。非常に刺身が好きで、アジ、タイ、メジカなど、刺身は毎日でも食べると言う。年配者には珍しく、安さんは刺身は自分で作るという。

私の最も親しい友人である前田源一さん、源さんはもっぱら釣るだけで、調理はすべて奥さん任せである。朝食は、高齢のお母さんの分も含め、彼が用意すると言っているが、何か料理を作るわけではあるまい。基本的に、彼の家は性別分業が貫徹している。奥さんは料理上手で、私も何度か呼ばれてご馳走になっているが、出されるものはすべてとてもおいしい。源さんは好きな釣りをし、奥さんが作るうまい魚料理を食べるだけでよいのである。しかし、大阪からUターンして7年ほどになり、「以前は魚を毎日うまいと思って食べていたが、最近は、毎日は食べたいと思わなくなった」といっている。大阪にいたときとは違い、魚を十二分に食べ、そろそろ飽きてきたのだろう。

彼が小中学校時代をすごした昭和30年代くらいまでは、終戦後の日本の漁村の例に漏れず、内海村の人々はみな貧しかった。主食はサツマイモだった。第一章でふれたように、家串の裏手の山は、今はうっそうと茂った木々で覆われているが、昭和30年以前の由良半島は、頂上まで、完全な段々畑で、サツマイモと麦が作られていた。現在も林のなかに段畑の石垣が残っている。

サツマイモを薄く切って干し、砕いたたものを蒸して食べる「つめメシ」、「カンコロメシ」が常食で、白米など食べたことがなかった。このころに子供時代を送った人々はジャガイモは好きだが、サツマイモは嫌いだという。魚はイワシしか食べられなかった。日本人の一部の世代はイワシを馬鹿にして食べない。最近になってイワシが獲れなくなり、またヘルシーだといわれて、高級魚になった。子どもの頃にイワシしか食べられなかった人々は現在ではおそらくイワシ以外の魚を好むのではないか。

愛媛県では1980年代に養殖ハマチの生産量が増加した。マダイの養殖は1990年代に進んだ。それ以前はどちらも「高級魚」で、庶民の口にはなかなか入らなかった。家串の年配の人たちが子どもだったころ、イワシはともかくとしても、マダイやブリは言うまでもなく、魚というだけでごちそうだったはずだ。

走る船から仕掛けを流して釣ることを曳釣り/曳き縄釣り、英語でトローリングtrollingという(底引き網漁・トロール漁法はtrawlで別もの)が、家串の人は「漕ぎ釣り」という。エンジン付の船が一般的に使われるようになるまでは、曳き釣りをするには手で漕いでいた。現在では船を櫓で漕いで釣る人はほとんどおらず、「漕ぎ釣り」と呼ぶのはおかしいのだが、昔の呼び名が依然として使われているのである。モイカの場合には、家串湾内の曳釣りで充分に釣れる。
しかし、メジカやヤズ(イナダ)は砂泥底の湾内にはめったに入ってこない。釣れるのは、湾の出口にある塩子島から、沖のクロハエまで続く浅い岩礁地帯である。しかし、そこまでは家串の漁港からは約3キロある。おまけによく釣れるのは大潮周りの時で潮流も速いことが多い。手漕ぎの船では凪であってもそこまで出かけ、潮流のなかを「漕いで」釣るのは難しいはずである。今ではほとんどの船が船外機を使っているので、漕ぎ釣り=曳釣りはずっと楽に行なえる。それでもほとんどが小型船なので凪の日に限られる。昭和30年代までは、村人がメジカやヤズを釣って刺身で食べることはまずなかったであろう。

昭和30年代半ば頃から真珠母貝の養殖が始まった。真珠母貝の養殖は村の産業となりその後昭和40年代末になると、働けば働いただけ儲かる「爆発的な」好景気が訪れた。働き盛りの人々は、みな、競争で早朝夜明け前から夜真っ暗になるまで仕事に打ち込んだ。村で申し合わせて月に2回の定休日を設けることに何年もかかった。

昭和の末、景気はよくなったとはいえ、すぐに人々の暮らしが変わったわけではなかった。1980(昭和55)年ごろ、他所から嫁入りしたというある中年女性の話によれば、肉も魚も手に入りにくく、ひどく不便に感じたという。魚はカゴに入るもの(小型のグレかハゲ)くらいしかなく、行商の軽トラックが回ってきた時に買い損ねると、刺身はもちろん、サバやサンマなどの大衆魚でさえも、次ぎの機会まで食べるのを我慢しなければならなかった。

人々が自家用車を購入して、城辺や宇和島まで買い物に自由に出かけ、大きなスーパーで食べたい魚を買って食べることができるようになったのは、1990年代になってから、つまりごく最近になってからのことなのだ。

いま70歳前後の人々が子供であったころには、手漕ぎの船しかなく、ヤズやメジカを「漕ぎ釣り」で釣ってきて家族に食べさせることのできる親はいなかった。そして彼らが大人になったころからは、真珠貝の養殖のために船外機船が使われるようになったが、今度は仕事がひどく忙しくなり、「漕ぎ釣り」=「曳釣り」でこれらの魚を自分で釣って食べる時間的余裕はなかった。こうして家串の年配者たちが、リタイアして時間的な余裕を得た今こそ、少し前までは食べたくても食べられなかったこれらの刺身を毎日でも食べるというのは至極もっともなことなのだ。

『魚の文化史』(矢野憲一、昭和58年、講談社)には、江戸時代末期に、橘曙覧アケミと言う国学者の詠んだ次のような歌が載っている。    たのしみはまれに魚(ウオ)煮て児等みながうましうましといひて食ふ時    たのしみは門売り歩く魚買ひて煮る鍋の香を鼻に嗅ぐ時 著者の矢野は、橘が生活した福井市は、当時の日本では魚類に恵まれた土地で、魚は彼の大好物であった。彼はとくに貧しかったわけではない。しかし、彼はなかなか魚を食べることはできずにいたのだという。また、錦江湾(鹿児島湾)を目前にした鹿児島市でも、太平洋戦争前までは「無塩(ぶえん)の魚」、つまり塩をしてない生の魚や刺身を食べるのは贅沢なことだった。好きなときに好きなだけ魚を食べられるというのは、少し前までは、漁村においても、なかなかできないことだったという。「なぜなら、現代のように漁法は発達してなかったし、手漕ぎの船では漁場も狭い範囲しか行動できない。しかも今でもそうであるが、漁業は水物である。大漁、不漁は運任せ。特定の魚の漁期はごく短い。大漁に喜んでも、輸送はままならず、保存や加工にも限度があった。これはつい最近までである。---もっと具体的に書けば、それは電気冷蔵庫の普及する昭和30年代までといってよいだろう」。

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魚を下すこと

  魚は新鮮さが重要だ。店では、新鮮な魚は一匹もので売っている。そして、その日売れなかったら、頭、尻尾を取り、腸を出し、パックし直して次の日に売る。あるいは切り身にして売る。新鮮さにこだわる主婦あるいは主夫は、一匹ものを買ってきて、下ろしてから料理することになる。しかし、料理に取り掛かる前に、魚のうろこと腸を取り、二枚にあるいは三枚に下ろすという作業は、肉を使う場合に較べれば面倒だし、また、嫌なにおいをかぐことを伴い、できればなしで済ませたいことだ。

私は親戚や友人に魚を送ったり、知人に魚を買ってもらったりしているが、最初は、新鮮なまま送ることが何よりも大事だ考えていた。新鮮な魚を送るためには、朝、宅配便で発送する直前に、沈めてある生簀を引き上げ、魚を〆る。そして氷を抱かせて発泡スチロールの箱に入れて出荷する。県内なら、その日の夕方に、関東地方なら翌日の昼までに着く。その日に〆た魚を夜食べるなら疑いなく新鮮である。(2016年4月から、朝の便がなくなって翌日配達の昼便だけになり、また日曜日の便もなくなった。大変残念だ。)

また、私には、釣った魚を一匹ずつ、私がこれを釣りましたと見てもらいたいという気持ちがある。一本釣りであってもプロの漁師は毎日たくさんの魚を釣って出荷する。同じ種類の魚でも大きさによって単価(キロ当たりの値段)は異なるが、それについては別のところでふれることにして、大雑把な話をすれば、プロの漁師にとっては、1日にどれだけ多くの(単価の高い)魚を釣るかが問題なのであり、1匹1匹はどうでもよいはずだ。しかし、毎日釣れるわけではない素人の私にとって、1匹1匹が大切であり、買ってもらうのであれプレゼントするのであれ、他の人に魚を送るときには、〆ただけで、つまり魚体にできるだけ手を触れずに、泳いでいたときとほとんど変わらぬ姿のまま、もちろん「尾頭付き」で、魚を送ろうと思う。

実際、家族みんなが魚好きで、毎週でもいいから送ってくださいといわれて月に2回ほど魚を届け、良い値で買って頂いている松山のSさんは、私が魚を送ると「立派なタイを送ってもらって---」、「見事なイサギを送ってもらって---」と言ってくださる。釣った魚を誉めてもらって、素人漁師冥利に尽きると感じる。ただし奥さんが魚を下ろすのが上手で、大きい(マダイ、コショウダイ、ハマチなどでは60センチを超えることもある)ものの場合にも苦にしておられないので、ご主人のこの誉め言葉も可能なのだろう。今もSさんには〆ただけの丸ごとの魚を届けている。

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また、関東に住む、私の中学の同級生である友人(女性)にも年に1、2回魚を送る。この友人の場合、私が最初、魚を下ろせるかと聞くと、(当時20代の)娘のNがぜひやりたい、出刃包丁とウロコ落しを買ってくると言っている。下ろし方を教えてやってよ。やってみてうまくいかないようだったら、すぐ近くで料理屋をやっている親戚がいるので頼むから、と言うので、娘のNさんに(電話で)下ろし方を説明した。
彼女は、最初は家で使っていた普通の洋式の包丁(牛刀という。私は肉屋でみる大きな肉切り包丁のことかと思ったら、先の尖った家庭の普通の包丁も牛刀なのである。平凡社百科事典「包丁」)で下ろしたが、その後は、出刃包丁を買ってきて、やっている。

包丁は料理用の刃物で、本来は《荘子》に見える古代中国の名料理人・庖丁(ホウテイ)の名に由来し、転じて料理する人をいった。日本では〈料理すること〉をもいうようになり、料理する人を包丁人、包丁者、料理に使う刀を包丁刀と呼ぶ風を生じ、さらに包丁刀を略して包丁というようになった、という。

私が送った魚では、60センチを超えるマダイの時に一度だけ親戚の料理屋に持って行ったが、それ以外、60センチを越えるハマチも、50センチを越えるマダイやクロダイなども、N嬢が下している。
彼女は、昼間は勤めている。夜は親戚のお店が忙しい。そこで、その親戚の店には行かないようにしているのだと言うが、なんとか自分の力でやろうとしているようだ。
三枚に下ろすと、中骨に身が一杯ついてしまって、刺身が少なくなってしまう。しかしその分、中落ちを入れる吸い物が豪華になるなどという。上手に下ろせるようになりたいから魚をお願いしますなどと言う。
私が魚を送ると彼女の母親からお返しに何か送ってくるが、それはともかくとして、こんなに喜んで魚を下ろしてもらえると、非常に送り甲斐があるというものだ。

<2016年7月にN嬢から来たメールとそれに添付された写真>

「こんばんは。〇〇です。今日はお魚たくさんありがとうございます。 すんごいご馳走になりました( ̄▽ ̄)。当初は特売の鰻に余り野菜でおかずを作って夕飯の予定だったんです。 しかし、夕方、私の昼寝中にお魚さんが届き、5時前に起きた時にはどうしようかと正直頭をかかえました。
色々シュミレーションした結果、鰻さんには冷凍庫に入って頂き、そこから私の格闘が始まりました…。
名前はわかりませんが、1尾は、「オレを刺身にしてくれるな。オレを塩焼きか煮付けてくれ」と訴えるので、煮魚に。
他3尾は3枚におろして塩麹漬けに。残り2尾は刺身にするため、3枚におろしてから皮を引こうと頑張ったんですが、今回はかなり残念な結果に。
しかし、出来上がった夕飯はウチにとっては、すごいご馳走になってました!我ながらびっくりなご馳走です。
煮魚にしてくれと訴えた彼、とても美味しく煮上がってくれました。食べていて気がついたんですが、生姜をいれ忘れてたんですが、塩をふっておいたからか、全く臭みがなく、美味しく頂きました。
2種類のお刺身さんはブリンブリンな歯ごたえが美味かったです。魚屋さんだともっと上品に切るから歯ごたえってあまり感じないですよね。刺身を食べてる!っていう味わいを感じられました。残念だったのは、刺身の盛り付け(~_~;)ツマがなかったので、高さをだせずただおいただけになってしまいました。
でも、本当に煮魚さんもお刺身さんも美味しく頂きました。ありがとうございます。明日以降の塩麹漬けちゃん達も楽しみです( ^ω^ )
では。」

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2017年2月下旬,35センチほどの桜鯛に近いマダイを送った。配達予定日には留守で、一日遅れになると業者から連絡があったので、「刺身でも食べられなくはないが、煮つけがよい」とメールを入れた。

<二日後、N嬢から届いたメールとそれに添付された写真>

「こんばんは。 今回もとっても美味しい鯛、ご馳走様でした。 久しぶりの赤い鯛ちゃんでしたが、案外楽に骨を断ち切ることができました。 今回は、三枚におろして、 1日目 →半身:鯛めし
→中骨:生姜、セロリなどと共にスープをとってから、カレースープ

2日目 →半身:小麦粉をはたいてオリーブ油でフライパンで焼く
せっかくオススメ頂いた白子or卵巣、肝は正直どれがそれかわからず…、もったいないことになっています。すみません(-_-)

しかし、鯛めしもオリーブ油焼きもとても美味しく頂けたし、カレースープ!スープがすっきりと爽やかなお味でこれまた美味しく頂けました。中骨についた身はスープにいれ、あとは少量のベーコンとお野菜でつくりました。中骨のスープが本当に美味しかったので、ブイヨンは使いませんでした(*´?`*)
ご馳走様でした!」

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2017年6月中旬、黒ハエ・イサギ根で2日間イサギを釣り、外道のウマヅラも入れて数匹イサギを送った。ウマヅラは角を取って口を切り、腹を開けて腸も取っておいた。が、N嬢から、皮をどうすればいいかと言う電話が来た。その後、写真左とともに次のメールが届いた。

「こんばんは。
夕方は突然お電話してすみませんでした。

1日目無事終了です。とっても美味しく頂きました。イサキのお刺身ちゃん、素晴らしかったです。
ウマヅラハギちゃんも美味しかったです。ただ若干、お醤油を入れ過ぎた感が残念でした。魚の煮付け、もっと精進します。
明日は残りのイサキちゃんを塩焼きにする予定です( ´∀`)。 ご馳走様でした。 N. 」

翌日写真を添付したメールが来た。

「こんばんは。Nです。
今晩はイサキの塩焼きを頂きました(´∀`)
身がとっても厚くても、ふっくら焼くことができました( ^ω^ )
エラの取り方が悪いんですかね?エラぶたがパックリ開いてしまいました(´?ω?`)
あと、尾っぽはホイルをかけたんですが、胸ビレは何もしなかったので、焦げちゃいました。
でも、美味しかったからいいんです!( ^ω^ )
今回もとても良いお魚の勉強と経験をさせて頂きありがとうございます。またどうかよろしくお願いいたします。
ご馳走様でした☆彡」



私の返信

「昨日、家串から松山に戻り、(家串で作った)イサキの一夜干しを焼き、小型のイサキの煮つけを作って夕食に出しました。他にキャベツと油揚げとカニカマを入れた味噌汁。それに、こちらの冷蔵庫にあった、キャベツときゅうりの塩もみ。まあ一汁一菜に近い献立です。

これをNさんの見事な献立と比べると、ひどく見劣りがして、写真に撮ろうとはとても思いません。

今回、日曜日、松山に帰る朝、生簀に生かしておいた12,3匹のイサキを〆ようと、生簀を引き上げ口を開けたときに手が滑って、さかさまに海に落とし、一匹を残して逃がしてしまいました。そのため、今回は、刺身がありません。(残った一匹が煮つけになったのです。)
息子は特に刺身が好きで、わたしが家串に釣りに出かけることは、特に最近は、遊びだと知っており、自分は仕事をしているのにと、不満げな顔をするのですが、それでも、刺身が出ると、喜んで食べ、私の留守を許してくれるようなのです。」----


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2017年8月下旬、いつものポイントででイサギを釣っていて46cmのグレ(メジナ)が釣れた。イサギは前回6月に送ったので、今回はグレを送った。

N嬢よりのメール


「こんばんは。
とても立派なメジナさんありがとうございます!

久々のデカさですね!

頭をおとした段階で内臓を傷つけたようで、変な匂いはするは、中骨は断ち切れないわで、若干手間取りました(*´-`)
そして、昨日は仕事から帰ってきて、疲れていたのもあり、中骨にのこった身を刺身で食べたくらいで、2枚の大変立派な身は塩を振って冷蔵庫にいれました。

本日、仕事は休みだったので、調理しました! 夕方からラタトゥイユと野菜のスープを作り、最後にメジナさんを皮だけに小麦粉を振ってグリルしました!
フライパンに入れてすぐに、手で押さえて縮むのを防ぎたかったんですが、メジナさん、まだまだ新鮮だったようで負けました(-_-)。
でも、皮はパリッと、身はブリンと食べ応えのある贅沢なメジナのグリルとなりました。
ちょっと塩を振りすぎた感はありましたが贅沢な一皿になりました( ^ω^ )。ご馳走様でした(*´∇`*)

残りの半身は西京漬にする予定です。いつも美味しくて、立派なお魚ありがとうございます(*´∇`*)

今回もとても良い勉強になりました!」

私の返信

「メジナは前にも送ったことがあるような気がしていて、うっかり、書き洩らしたのですが、メジナの胆のう(肝臓の近くにある黒い玉)はつぶすと苦いと言われています。「変な臭い」は胆のうを傷つけたせいではないかと思います。〔魚と一緒に入れた〕メモにそのことを書かなかったこと、ごめんなさい。
中骨は、そろばん玉を直列にくっつけたように凸凹している、その凹んだところに出刃の刃を押し当てて、上から少し力を入れれば簡単に切れるはずです。これは前に電話で話したことがあるような気がするのですが。マダイはそれでも少し硬いですが、メジナはごく柔らかいはずです。次回には(魚の種類によらず)試してみてください。

また(半身を)皮付きで焼くとそっくり返ってしまいます。ムニエルなどにするときは皮はとった方がよいでしょう。煮魚にするときは大丈夫ですが。
今回は大変苦労させたようです。
きれいに料理してくれてありがとう。写真もきれいです。」

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2017年11月はじめ、40cmほどのきれいなマダイが釣れた。一緒に20cmほどのコロダイと同サイズのウミヒゴイを付けて送った。

数日後、N嬢から届いたメールと写真。

「こんにちは。
今回もたくさんのお魚さんありがとうございます。ご馳走様でした。

海ヒゴイちゃんが若干煮すぎて、身がくずれましたが、美味しく煮上がってくれました。
ブチのあるほうのお魚〔コロダイ〕は煮崩れることなく、いい感じでさっぱり煮上がりました。
同じ鍋で同じ煮汁で煮ても味は違うんですね。
私は海ヒゴイちゃんのほうが好みでした(*´∇`*)
鯛のお刺身は、皮をちょっと上手くひけなかったかなー。残念。
でも身を平切りしたので歯ごたえあって美味しかったです。次は削ぎ切りでいきます!
わざわざ買ってきた八海山(1合)と煮魚さんもお刺身さんもよく合いました(*´∇`*)
美味しかった(#^.^#)
残りの鯛の半身は次の日に鯛めしにしました!今回は鯛めしを妹のウチにお裾分けしたので、ウチの分は、私も明子さんも1膳分ほどで、私はおにぎりでいただきました。美味しかったです(*´∇`*)

お魚三昧の週末、ご馳走様でした。」



写真は2枚あったが掲載したのは「八海山」の瓶とともに写っているウミヒゴイの煮物の載ったお膳。手前の刺身はマダイ。コロダイの煮物の写っている写真は割愛。

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2018年4月末の釣行で釣れた47〜48cmのクロダイ(チヌ)を送った。 数日後N嬢から届いたメールと写真を掲載する。


須藤様

こんばんは。

今回も立派な黒鯛ちゃん、ありがとうございます。無事、とっても美味しく頂きました(*^ω^*)

ただ、仕事終わりで疲れていて、集中力が全くなくなっていたのか、さばきはとても残念な感じになってしまいました(*´-`)

しかし、上達ポイントもありました(*^ω^*)

1、中骨が以前より楽に断ち切れるようになったこと。

2、背びれから包丁を入れる際の注意点がわかった気がします。これは次回さばく際に意識していこうと思います!

黒鯛ちゃんは、

1日目、お刺し身にしましたが、皮をキレイにはぐことができず、誤魔化すため(ー ー;)

セロリの葉っぱとパプリカをのせたカルパッチョにしていただきました(*^ω^*)

美味しいバゲットとワインが欲しかったんですが、我慢しました。

代わりにガッツリ身がついてしまってもったいないことになっている中骨で、物凄くゼイタクなお味噌汁を作りました。

どちらも美味しくいただくことができました(*^ω^*)

残った半身は皮をキレイにはぐ自信と集中力がなかったので、塩をふって臭みをとってから塩麹に漬けておきました。

本日、その塩麹漬けの切り身で夕飯にしました。ふっくらと焼きあがりました!あり合わせの野菜炒めとでいただきました。

これまた美味しくいただきました。

本当にご馳走様です。

いつも新鮮で美味しく立派なお魚さんと魚料理を勉強する機会を与えて頂き感謝しております。また次回を楽しみにしています。



私の返信

私も皮の引き方には苦労します。

私がよくやる手は、三枚に下ろしたら、半身を、さらに背側と腹側に二つに分け(上下の境目---ここに小骨もある----を5ミリか1センチ幅で切り取る。切り取ったものはスープに使う。)、半身を半分にしてから皮を引くようにしています。この方が皮がきれいに取れます。

多少残っても、ただの刺身で食べるのでなく、カルパッチョにして食べたほうがいいかもしれませんが。

また、味噌汁が豪華になるなら、骨に身が「ガッツリ」付くのもいいのではないですか。

現在の仕事を止めて、小料理屋でも開くというのでなく、お母さんと二人で、おいしく食べられればいいのだから。

ただし、私のHPに掲載され、多くの人に見てもらって、(・∀・)イイネ!! を得たいというのであれば、また話は別かもしれませんが。

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2018年11月末の釣行では、40センチ超のグレ(メジナ)2匹、25〜30センチほどのイサキ数匹、25センチほどのウマヅラなどが釣れ、 N嬢宅に、グレ、イサキ、ウマヅラを各1匹送った。

彼女から届いたメールでは

1日目 夕

イサキの塩焼き,ウマヅラハギの刺身   (右の写真)

2日目 夕

メジナの竜田揚げ

3日目 昼

メジナの竜田揚げをいれたお弁当(前日の夕飯の使い回し(^_^)

3日目 夕

づけにしたメジナを焼いたモノ

今回、全て平日の仕事終わりなので、副菜などに気は配れず、リアルに質素ですが、いつもと変わりなくお魚さんは美味しく頂きました。

いつもご馳走様です(???)ありがとうございました。

とあった。

私はイサキは刺身と塩焼きに、グレは半身を刺身に、残りを煮つけにして食べた。
イサキの旬は夏だが、今年は水温の低下が遅れているのか、脂が乗っていて刺身も塩焼きもとてもうまかった. 他方、冬が旬のグレは、あまり脂が乗っておらず物足りなかった。N嬢の竜田揚げは大正解だったのではないか。


                                    第5章 見出しに戻る

家庭で魚を下す(下せる)人は少ない

  しかし、こういうケースは珍しい。家串に移ってすぐ、30センチほどのタイがたくさん釣れた。私が送った魚が届き、電話をかけてきた親戚の一人は「大きなタイで、驚いた。すごいわねえ」と言った。電話の声はあまり嬉しそうではなかった。30センチのタイの調理は、たとえば、40センチのサバに比べて、下ろすのに力もいるし、ずっと難しい。私は彼女が一匹ものを下ろしたことがあるかどうか、あるいは下ろせるかどうかも聞かず、出刃包丁やウロコ落しを持っているかどうかも確かめずに送った。全く独りよがりで、彼女にとってはありがた迷惑な贈り物だったはずだ。

都会の一般サラリーマン家庭では、魚はたいてい切り身で買い、そのまま焼くか煮るのが当たり前で、出刃包丁やウロコ落しを備えているところは少ないだろう。それらを揃え、新たに挑戦してみることにしたとしても、慣れて楽に下ろせるようになるまでにはある程度、数をこなさなければならない。だが、共稼ぎであれば、勤めから帰ったあとで、調理に取り掛かるのである。しょっちゅう一匹物を買ってきて調理するなどということはできまい。

私の教えた女子大の卒業生で今も手紙をやり取りする人が数人いる。もちろん、私が半漁師になったことは知っている。「魚が下ろせればプレゼントで送ってあげます。次の手紙でそう書いてください」と彼女らに書いたが、下ろせるので送ってほしいと言ってきた人はない。一般家庭で、また共稼ぎの家庭では、魚を下ろせないと考えた方がよいようだ。

50歳代くらいから上の愛媛の知人、友人の女性は、周囲を海に囲まれた四国で育ったせいか、ほとんどの人が魚は下ろせると言うし、また下ろせて当然と考えているようである。しかし、だからといって、下ろさずに済むのならその方がよいと考えている人もいる。下ろせるからといって、「尾頭付きの」1匹物の方を好むとは限らないのである。

魚を送って欲しいという人がいても、最近は、ウロコや腹ワタを取らなくていいか、一匹もののほうがいいのか、三枚あるいは二枚に下ろしたほうがいいか、魚屋では刺身用に皮を引いて、サクにして売っているが、サクにしなくていいかなど細かく聞くことにしている。(サクと言う語を辞書で引いたらみつからない。マグロなどの刺身は長さ15センチか20センチ、幅5〜6センチ、厚さ2センチ程度の、直方体の切り身になって売っている。皮や骨、あるいは血合いなどを取り除き、あとは薄切りにして食べるだけの状態になっているこうした切り身を、私は、サクというと思っていたのだが。)

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魚の鮮度、魚を〆ること

  氷を抱かせて送るにしても、包丁が入り空気に触れれば、鮮度は多少落ちる。鮮度を重視すれば丸のままの方がよい。しかし、たとえば、愛媛で取れた魚が東京で売られる場合、朝、愛媛で水揚げした魚を積んだトラックは翌日の午前中には東京に着くが、築地の中央卸売市場の荷降ろしと配列は前夜10時から朝4時までに行なわれ、セリは6時に終わっているため、その日の取引には間に合わない。魚は冷蔵庫に保管しておき、その次の朝のセリに掛けられる。こうして魚がスーパーや魚屋の店先に並ぶのは、愛媛を出てから2日後ということになる(注1)。
家串の会社の養殖のマダイやハマチは海水が循環するタンクの中で生かして都市の市場に運んでいるが、京阪神以西に限られているようだ。四国や九州から東京まで生かして出荷される魚もあるだろうが、こうしたケースはそう多くはないだろう。そして、2日経ったからといっても、しっかり冷蔵保管されていれば鮮度に問題はないのである。

エラの奥、目の少し後ろに神経が集まった箇所があって、ここを尖った器具や出刃包丁の先で刺して、瞬間的に魚を殺すことを一般に〆ると言っている。魚は死ぬと温度その他の条件で決まる一定時間後に死後硬直を起こし、その後、死後硬直が解けると鮮度が落ちてくるという。
東京市場とは異なり、京阪神の市場では、ハマチの刺身の新鮮さを非常に重視するため、市場近くの港まで活魚船で輸送し、ここで〆て市場へ急送する会社もある。マダイの場合にもセリ開始時に死後硬直に入ってしまうと値が下がるため、活魚車で市場まで運び、セリ開始時の数時間前に市場内で〆る作業が行なわれる場合があるという。
また、プロのなかには、〆たあと魚の筋肉がぴくぴくと動き続ける特殊な〆方をする人があり、「活け〆」と呼んでいる。活け〆状態になった魚は、死後硬直を起こすまでの時間が長いという。
また、最近では〆たあとで、特殊な器具により、神経を抜き取って、死後硬直までの時間をさらに延ばす方法まで開発されているという。しかし、東京市場では「鮮度」による価格差は少ないため、産地では「野〆」といって、生きている魚を1匹ずつ箱詰めにし、氷で覆って酸欠死させる方法で発泡スチロールに入れて出荷するという(注2)。
関西市場では消費者が「新鮮」神話に取りつかれているのか、それとも魚屋、すし屋、料理店などで仕入れた魚を長持ちさせるためにできるだけ新しい「生きのよい」魚を買い入れようとしているからなのかはわからない。ともかくきちんと冷蔵保管が行なわれれば普通の〆方で3、4日は十分おいしく食べられるはずだ。

(注1)津谷俊人『図説 魚の生産から消費』改訂増補版、盛山堂書店、平成10年、p30f
(注2)熊井英水『水産増殖システム1海水魚』恒星社厚生閣、2005、いよぎん地域経済研究センター刊『愛媛の魚類養殖業』1998年

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魚食のススメ

  日本人の魚離れということが言われる。日本が30〜40年ほどまえに経済成長を成し遂げ、海外から食糧を、そして肉を大量に輸入することができるようになって、人々は魚離れを始めた。しかし、環境の視点からは、肉牛の生産は資源とエネルギーを浪費するので、魚の方が望ましい。また日本の食料自給率をこれ以上低くしないためにも、沿岸漁業を振興し、魚食を進めるべきである。

魚を肉以上に好む人も多い。子どもも料理・調理の仕方によっては、肉に劣らず魚を好む。魚離れの原因をもっと調査し、それを解決する方法を探すべきだ。たとえば、魚の骨。調理された牛や豚の肉はそのまま食べられる。骨付きの鳥モモだって食べるのは難しくない。しかし、小骨をあらかじめ抜いてある刺身は別として、煮ても焼いても、魚の骨は面倒である。子どもは上手に骨を取って食べるようになるには、かなり練習が必要だし、苦労しながら食べているうちに魚離れを起こし、肉のほうを好むようになってしまうかもしれない。

年を取ると目が悪くなったり箸をうまく使えなくなったりして、魚の骨を取って食べることが難しくなる。缶詰の魚は確かに骨を心配せずに食べられる。しかし、魚自体の味と食感が変わってしまっていて「魚の缶詰」を食べても、「魚を食べた」と思えない。種類を変えても、メインディッシュとして缶詰の魚を一日おきに食べたいと言う人はいないだろう。老人施設などでは、魚はすり身になったものしか出てこないところが多い。すり身にすることによって、料理としてはおいしいものを作ることができるかもしれないが、魚の形を見ながら食べられるということも重要である。

しかし、最近、加圧することにより骨ごと食べられる、柔らかい干物の製造法が発明され、私も実際に買って食べてみた。値段は少し割高だったと思うが、味や食感は普通の干物に負けてはいないし、手先が不器用で箸で骨を取って食べることができない私の息子がぱくぱくと食べられたのがなによりもうれしかった。また私は最近大学生協の食道で、骨が全くないサバの味噌煮を食べたことがある。味や食感は普通のサバと同じでうまかった。小骨を取り除いてあったのだろう。

しかし、いまのところ、骨を気にせずに食べられるように加工された、こうした魚の種類は限られているらしく、あまり出回っていない。魚の消費を増やそうとするなら、多くの種類の魚が食事の際に骨を取り除く面倒なしに、肉と同様に簡単に食べられるようにすることが必要だと私は思う。本来の魚の味と食感を損なわず、食べる際に簡単に食べられるようになれば、魚を食べる家庭が断然増えるのではないだろうか。

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魚屋からチリメンを買って食べた

家串には魚屋が軽トラで魚を売りに来る。一台は女性で「ゼンゴー、---、カツオのタタキー、キビナゴー、チリメーン----。ご入り用の方はおいでください」というような案内で、一年中同じかどうかは不確かだが、夏の間は毎日のように回ってきていた。もう一台は男性で、進軍ラッパのような音と軍歌を流しながらやってきて、魚の名前を言う。こちらの軽トラが回ってくる回数はやや少ないようだ。週2回か3回ではなかろうか。

家串にある農協の売店には魚はおいていなかったと思う。もしかしたら塩じゃけや塩サバのようなものは置いていたかもしれず、わたしが見逃していただけだったかもしれないが、鮮魚、つまり生の魚は売っていなかったし刺身もおいていなかったことは確かだ。

家串にはアコヤ貝の養殖でなく、漁(一本釣り)を生業にしている人が2、3人いる。〔これは2010年ごろまでのことで、2016年現在は一人だけ。〕市場に出すのは同一魚種ででまとまった量の場合で、魚種がばらばらだったり、少なかったりすると、市場にもっていかず、親しい者や近所に配ることになる。

退職して遊びで釣りをしている私や源さんのような人が数人いる。ほぼ毎日釣りに行き、家族で食べるより以上の釣果があれば、ほとんど親戚や近所に配る。私も、マダイが2時間、3時間で20匹、30匹も釣れた時には(私は2日でやめた)、関東地方の親戚や友人、また松山の自宅(妻が知り合いに配る)など10軒ほどに送った----これで1万数千円かかった(笑)----が、それでも余ったものは、家串で私がいつも通る路地の両側の家の人に配った。

貸し船業や渡船業を営む家が数軒ある。この人たちは、客が好漁だったときにはしばしば何匹か魚を置いていくという。またアコヤ貝の養殖を行っている30人ほどの現役の漁業者も、まったく釣りをしないという人は多くない。アコヤ貝を入れたネットを吊るすための太いロープを張った設備を真珠筏と当地では呼んでいるが、この筏(ロープ)にネットを吊るしたり、あるいはロープにつくホンダワラなどの海藻を除去する作業を行なっていると、エビや虫の類が落ちるのであろう、しばしばマダイやチヌが浮き上がってくる。そういうのを見れば本業以外には目もくれない(たとえば北條さんのような)人でなければ、魚を釣りたくなって当然である。

そこでネットを運ぶ作業船には、たいてい巻き枠に道糸を巻いた釣り道具が積んであり、ロープにつく藻のなかにエビなどがいれば取っておいて、魚が浮いて来れば針に刺して投げてやる。このようにして6キロ、7キロの大型のタイを釣ったという人が何人かいる。また、朝(真珠貝の仕事は朝、4時5時から始める)と昼は仕事に集中するが、仕事を終えた後1、2時間モイカ釣りをする人もいる。あるいは、普段は釣りはしないが、回遊魚であるアジなどが湾内に入って来たというニュースがあれば週末には親子連れで自分の船で釣りに出るひともいる。

こうして家串の人は自分で魚を釣るか、あるいは周りからもらうかして、「鮮魚」は買わないでも手に入る人がかなりいるのである。といっても、買わずに、ほぼ毎日あるいは食べたくなればいつでも魚が手に入るというひとばかりだとは言えない。しかし、なんといっても、人口が300人ほどの地区で、農協の売店に鮮魚や刺身がおいていないのは当然だと言わなけれならない。そして、都市では見られない魚の行商が軽トラックで週に何回かやってくるというのも、もっともなことなのである。

私は家串に来てから4年経っていたが、この行商の魚屋から魚を買ったことは一度もなかった。それは自分が釣る魚で満ち足りていたからだというわけではない。そして確かに魚を食べる回数は減っていたが、いつでも食べたいときに自分で釣って食べることができたわけではない。だが、私は釣りをするために家串に住んでいると考えており、私は漁師、あるいは少なくとも半漁師をもって自任していたのであり、私は食べたければ自分で釣る。買っては食べないのだと、意地を張っていたのである。

松山にいるときには、家串の周辺で釣れない魚であるサンマ、サケ、それにめったに釣れたことのないサバなどをスーパーで買って、またカマスの干物、ギンダラの西京漬け、デビラ・カレイ(小型のカレイの一夜干し)などを有機農産生協からとって、よく食べる。家串ではサバは2006年には群れの回遊があったらしくよく釣れたが、もう何年たまにポツリポツリとしか釣れない。カマスはたまには釣れるらしいが、突然回ってきて、またあっという間にいなくなるようで、仕掛けをすぐに出せるように準備しておかないと、なかなか釣れない。釣れない魚は松山で食べる。家串で釣れる、イサキ、タイ、アジなどは自分で下して食べることをほとんどしない。というわけで家串では魚を食べることがめったにない。

「チリメン」というスピーカーの声を聞いたとき、私の頭に浮かんだのはシラス干しであり、大根下ろしをかけてシラス干しを食べたいと思った。シラスを食べよう、そう思って、スピーカーの音が聞こえた農協の方に向かった。

農協から県道に出てきたところに車が止まっている。チリメンくださいというと、どれくらい上げましょうかと、四角い皿からしゃもじで掬ってビニール袋に入れようとする。シラス干しでなく、生のシラスだ。「どうやって食べたらいいの?」と聞くと、三杯酢でも、味噌汁に入れてもいいですよ、と言う。高知のドロメを思い出した。

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ドロメ、ノレソレ

ドロメは生きているマイワシやカタクチイワシの稚魚のシラスを三杯酢で食べる、一種の踊り食いだ。しばらく前、在職中のことだが、入学式から数日後に行なわれる女子大の「新入生オリエンテーション」で高知に行ったときに泊ったホテルの「お品書き」で見て、はじめて知った。「お品書き」にはそれと似た、というのは両方とも初めて見る珍しい名前の料理だということだが、もう1つの、別な魚の稚魚を使った「ノレソレ」という料理もあった。
ドロメがシラスの高知での呼び名だということは、後に『広辞苑』で知った。ノレソレは『広辞苑』には出ていない。別の魚(マアナゴの稚魚だという)を使うのだが、豆腐といっしょに鍋に入れて、火にかけると、温度が上がるにつれて魚が豆腐の中に潜っていくが、結局、豆腐といっしょに煮えてしまう。これを食べるという話であった。ドジョウでやるおなじような鍋料理のことは聞いたことがあるが、高知のそれは海の魚を使った料理である。4月はじめにはドロメはなく、その晩、一杯飲んだ時に注文してしてノレソレを食べた人がいたと聞いたが感想は聞かなかった。

追加:おそまきながら2015年秋にインターネットで調べてみたら、このドジョウ料理の名前は「ドジョウ豆腐」または「ドジョウ地獄」というのだが、NHKも取り上げ様々なしかたで実験したけれども、実際には、ドジョウが豆腐に潜り込むことはなく、ただ煮えただけだった。ドジョウ地獄は単に言い伝えであったという。これは日本豆腐協会のHPの「豆腐の歴史」のなかに書かれている。

2016年秋、高知県の「よさこいネット」HPによれば、ドロメはイワシの稚魚、ノレソレはアナゴの稚魚でどちらも生のまま酢味噌や三杯酢で食べるのが一般的。旬はどろめが9月〜6学、のれそれは12月カラ月、という。「地獄」料理は載っていない。、

私が魚屋から「チリメン」を買って食べたのは年2009年3月18日のことである。翌月、4月26日に高知で「ドロメ祭り」が行われたと、NHKテレビ、愛媛新聞が伝えた。NHKの地方ニュースによれば、ドロメをつまみにして男は1升、女は5合の日本酒を一気に飲み干す、呑みっぷりのよさを競う催しだという。愛媛新聞では、地元の蔵元がドロメをさかなに住民らに酒を振舞ったのが祭りの始まりとされ、いつしか土佐ならではの早飲みの祭りとして親しまれるようになった、という。テレビで大きな杯に注がれた酒をぐいぐい飲むシーンを見たが、飲むばかりでつまみを食べるシーンはみられなかった。そして、つまみはあっても添え物だろうが、このお祭りにはつまみの名前がつけられていたのだ。

当てずっぽうで「200円ばかり」と返事する。袋の中にしゃもじで一掬いほど入れ、目方を量った。握りこぶしより少し多いほどのシラスが入った。すぐ近くの作業小屋から水谷さんが出てきて、近寄ってきた。「何を買ってるの?」。シラスと言いかかって、単語を探してから「チリメン」と答えた。これも『広辞苑』であとで調べてみたら、チリメンとはチリメンジャコのことだが、煮て乾したものだと書いてあるので、私がシラス干しを思い浮かべたのは正しかったのだ。生ならばシラス、シロウオというのが一般的らしい。

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キビナゴも買って料理して食べた

他の皿の中のキビナゴが目に入った。瀬戸内海ではキビナゴに似たイカナゴが多い。松山の沖では、生きているイカナゴを針に刺してタイを釣る。
松山で船を買ってすぐ、家串に船を移す前の5月と6月に、鯛を釣ろうと近くの島に数回出船したが、釣れなかった。流し釣りで釣るが、タイのポイントは潮の速いところであり、ビギナーの私はよい潮時も知らず、また船の流し方も知らなかった。餌屋で教わった仕掛けは、1ヒロ間隔くらいで4、5本のハリス(針素)をつけたもので、長さが5mか6mあり、仕掛けを扱うのも難しかった。数回やったが、生きたイカナゴを針に刺し、仕掛けをまともに入れることができたのは1回か2回でしかなく、釣れなくても当然だった。
一種の佃煮で、イカナゴが折れ曲がった釘のような形になっている「くぎ煮」は時々買って食べる。暖かいご飯に乗せて食べるとおいしい。佃煮を好むようになったのはやはり年をとったせいだと思う。

キビナゴは宇和海で多い。体の側面の青みがかった銀色の帯が特徴である。
船に乗って釣りをしていると、しばしば、回りに無数のキビナゴが見えることがある。浅場にいるときなどは、キビナゴの群れが魚探に映って、画面で見ると海底から海面まで真っ赤になることがある。私は使ったことはないが、キビナゴもまた釣りのよい餌になる。魚神山(ナガミヤマ⇒第2章の地図参照)で甘ダイを狙っている人が、オキアミでは釣れない、キビナゴがよい、と言っていた。

キビナゴを湯がいたものをスーパーなどでよく見かける。湯がいたものは側面の帯が黄色である。天ぷらにしたり塩コショウで油いためにしたりして食べる。天ぷらはスーパーでもよく売っている。しかし、自分で料理して食べたことはなかった。天ぷらは面倒だ。「キビナゴはどうやってたべたらいいのですか」と水谷さんに聞いてみた。「煮つけでも刺身でも食べられるよ。塩を振ってフライパンで油でいためてもうまいよ」という。それに決めた。袋に入れてもらって量をみて、それくらいでいいと言うと、100円だった。

そのあと、農協に行って、油揚げ、キュウリ、モヤシを買い(好きな菓子パンの「チャンピオン」はまた売り切れだった)、朝、発送したクロネコの料金といっしょに支払いながら、「今日はじめて、チリメンとキビナゴを魚屋で買ってみた」というと、客の黒田美代子さんが「生きがよかったらポン酢がおいしいですよ」という。「生きのよさの見分け方がわからない。これはどうでしょうと」見てもらう。「これなら大丈夫」という。

伊勢さんの奥さんが「キビナゴは刺身がうまいよ」という。「最近、刺身は自分でやると匂いが気になるんです」と答えると、「酢で洗うといい」と教えてくれた。レジの徳田さんが「チリメンは玉ねぎなんかといっしょに掻き揚げにするとおいしいですよー」と言う。今日は簡単なフライパンいためにするつもりだと答えたが、フライパンでいためるつもりだったのはキビナゴだったと後で気がついた。だが次の時はチリメンのかき揚げもやってみよう。

昨日は午前と午後釣りに行った。昼食は、インスタントラーメンで済ませた(野菜と肉を入れたが)。今日は、釣りに行かなかったので、時間に余裕があり、昼食にご飯を炊き、「チリメン」つまり生のシラスを半分と油揚げとワカメを入れた味噌汁、チリメンのポン酢あえ、キビナゴの油いために大根下ろしをかけたものを食べた。
めったにない豪華献立で、とてもおいしかった。とくに、生のシラスにポン酢をかけたものは、コクがあり、ちょっと苦味があって、うまいと思った。味噌汁の方は、シラスが口の中でふわっと溶ける感触はなかなかいいが、味はどうということはない。しかし、これからは時々、魚屋を利用することにしよう。

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源さんからもらったゼンゴ(小アジ)で南蛮漬けを作って食べる

(2010年8月13日)家串の隣、油袋のマダイ養殖生簀に船を掛けて釣りをした。私の船から10mほど離れたところで釣っていた源さんが「ゼンゴを釣りに来たのじゃないのに」と文句をいいながら釣りをしている。サビキ仕掛を入れると、狙った大アジがいる底まで仕掛けが落ちず、途中でゼンゴの群れに突っ込んで止まる。何匹も針に掛かったゼンゴが泳ぎ回るので、仕掛けはもう下に沈まない。そこで、いわば仕方なく、仕掛けを上げる。毎回、少なくとも2~3匹、多ければ、4〜5匹ゼンゴがかかる。こうして、彼は、舌打ちをしながら、10数回仕掛けを上げ下げした結果、ゼンゴを50匹以上釣った。

私はマキコボシ釣りで、途中のゼンゴの群れには邪魔されずに仕掛けを底に入れることができる。しかし、仕掛けが底に入っても大アジがいなければ釣れない。この日の日記には私が何を釣ったかは書かれていない。たぶん、坊主だったのだろう。

釣りを終えて家串に戻ったとき、彼は自分用に少しだけ持って帰り、残りを私にくれた。10センチ程度のゼンゴが35匹、それに20センチほどの小サバが1匹。サバは三枚に下ろした。ゼンゴは、タワシで擦った後、ゼイゴを取り、頭は残す。腹を裂いて腸を指でかきだし水で洗う。またエラもできるだけとった。この下ごしらえにほぼ1時間かかった。それから小麦粉をまぶして180℃に熱した油で揚げる。鍋が小さく2、3匹ずつ入れ、3分か4分熱する。これに約1時間かかった。別冊「釣人」の『釣り人料理』を見て、酢、醤油、砂糖、白ワインをまぜ、タカの爪をくわえた三杯酢(レモンはなかった)に、揚げたてを浸けていく。いわゆる南蛮漬けである。

できたのは6時ごろ。夕食を食べ始めたのは7時ごろ。すでに漬かっていて、中骨は硬かったので食べなかったが、頭は柔らかく、身は噛むとサクッと砕ける。三杯酢は、上の調味料を「適当に」加えるという指示に従い、自分の好みの味になるように味を見ながら作り、出来上がった南蛮漬けもうまかった。

その続き(8月16日)

塩子島の手前にある常錨(近くの個人あるいは貸し船業者などが、ブイをつけて入れっぱなしにしている錨)にかけて、夕方からアジを釣った。好釣で6時半過ぎまでやった。帰ってから食事を作るのが面倒になり、夕食はまとまりがないというか、なんと言ったらよいかわからない、ハチャメチャな(この語は私の東京時代の友人が使っていた言葉で、『広辞苑』にはない。めちゃくちゃとほぼ同じ)組み合わせの食事になった。一パックだけ残っていたレトルトの「完熟トマトとなすのカレー」を温めて、パックのご飯にかけて食べる。そして、缶ビール350mlを呑んだ。柿の種とピーナツのおつまみ。他にアジ南蛮。3日前に作ったもの。フライパンで熱した厚揚げをしょうが醤油で食べる。豆腐とワカメ、油揚げの味噌汁(昨日の残り)。途中でお腹がいっぱいになり、厚揚げは半分残した。

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30数時間経ったおにぎりを食べた---釣りに関係があるというだけの、食事といえないような食事の話

(2010年9月11日)9時〜12時過ぎまで宮下生簀で釣りをした。家に戻り、釣り具入れのバッグから、空になったペットボトルなどを出していたら、昨日の釣りに持っていったおにぎりがでてきた。きのうは昼食を食べずに帰港したが、朝持って出たおにぎりのことは忘れてしまっていた。
ご飯を炊いたのは昨日の朝。すでに30時間近く経っていた。そして、バッグに入れたままになっていたのだから、昼間の暑い時間帯を2度近くも経ている。しかし、一口かじってみると、別に悪くはなっていない。つまり、糸を引くとか、いやな味やにおいがするということはない。そこで夕食に食べることにして、すぐに冷蔵庫に入れた。

夕食には、ワインを飲みながら、芋炊き風の煮物、昨日作ったタイのカマのみりん付けを焼いたもの、冷奴、キュウリとナスのぬか漬けをおかずに、昨日作ったおにぎりをレンジで温めて食べた。おにぎりの味は予想どうり、とうていうまいとは言えなかったが、一応食べられ、ご飯を一食分無駄にはしなかった、と考えた。ただ、そのおにぎりは、「しっとりワカメチリメン・ソフトタイプ」というふりかけをご飯に混ぜ、梅干を入れ、のりを巻いて作ったものだったが、チリメンやワカメの味も、酸っぱいはずの梅干も、焼ノリも全く味がなかった。一食分のご飯は無駄にしなかったが、結局それに混ぜたり中にいれた具、そして巻いたノリは無駄にしたのだ、と思った。

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