ゆっくり走ろう 疲れたら歩いていいよ 他人と競争しなくていいよ 


『限界への挑戦』

 新田能久(にったよしひさ)

2月の下旬,佳子先生が私に尋ねてきた。
「ねぇ,よっちゃん。5月の末にあるマラソン大会で5km走って出てみない。」思いがけない突然の誘いに私は動揺した。普通の人から見れば,たかが5kmのマラソンであるが,ケガの為に若干右足に障害がある私にとっては,フルマラソンを走るぐらいの過酷な試練である。「考えておきます。」この様な返答しか出来なかった。他の先生方から「よっちゃんが走って見せたら,生徒にとっていい刺激になるから,頑張って走りなよ。」とよく言われた。私としては挑戦してみたいという思いがある反面,ケガをして以来走っていない事による足への大きな不安の為,なかなか決断出来ないでいた。

そんなある日,ふとこんなことを考えた。
(もしここで逃げたら,一生の笑い者になるだろう。結果よりもっと大事なことは,勇気出して自分を試すことではなかったか。損得を抜きにして,自分の限界に挑戦してみよう。たとえ足がダメになっても死ぬ事はない。この挑戦は生徒のためではなく,自分との戦いである。自分の持っている全てを掛けて,絶対に5km走り切ってみせよう。)この様な思いを胸に,マラソン参加を決意した。

ところが,悲壮な決意を持ってランニングに挑んでみたものの,右足に若干の障害がある私にとっては大変厳しく、1kmも走り続けない状態であった。そこで私は走れる体力とコンディションを作るため,様々なことに挑戦して体を整えた。例えば,毎朝ラジオ体操と腹筋運動を始め,朝・昼・晩とスクワットで足を鍛え, 外食は止めて夕食は栄養のバランスを考えた食事をとるなど,徹底して体をベストコンディションに持っていけるように心掛けた。お陰で,体重も5kgおちて60kgとなり,ほとんど体のコンディションは,万全に近くなってきた。しかしながら大会当日まで,足に不安のある私は,5 kmを無事走り切る事が出来るかどうか,心配な日々が続いた。

いよいよ,5月29日(土)2004ランナーズ東京10K・夏大会が,東京都立川市にある国営昭和記念公園にて行われた。前日の天気予報とは裏腹に, 30度を超える真夏日という,マラソン走者にとっては過酷なコンディションが待ち構えていた。途中でのリタイアを防ぐために,走る前に丹念に柔軟体操をし,水分を充分に補給して,走る準備を念入りに調整した。そして,たとえどんな最悪の状況に陥ったとしても,己の誇りと名誉に掛けて,絶対ゴールしてやろうと自分自身に誓った。そこで走る直前,気合を入れるため,右手を力強く握り締め,渾身の力をこめて大声で叫んだ。
「いくぞー!!!」
周りの人々は驚いた顔をして私を見つめた。しかし,人がどう思おうと関係ない。限界に挑戦する自分に最大限の渇を入れたのである。

そして遂にスタートの合図が鳴った。足が遅い私はみんなに追い抜かれ,200mを過ぎた頃には,最後尾になってしまった。しかし私は孤独ではなかった。なぜなら,親切にも佳子先生がサブランナーとして,私と共に走ってくれたのである。彼女はいつも私を厳しく批判し,説教をする為,目の上のタンコブとしか意識していなかったが,この時ばかりは,天から舞い降りた,心優しい天使のように感じられた。しかしながら、どんな助けが入ろうとも,結局走るのは自分である。私にとっては、始めの1kmがとてつもなく長く感じられた。そしてようやく1kmに到達した時も,あとこの距離を4回も走らなくてはいけないのかと考えると,気が遠くなりそうだった。

すると前から,こちらに歩いて来る人がいた。その人は走るのを途中であきらめて,リタイアしてしまったランナーであった。その人を見た時,私は思った。(五体満足な人でも,走るのを諦めてしまう人がいるのだから,足に障害がある私が完走できたら,どんなにすばらしい事だろう。たとえ遅くてもいい。とにかく全力を尽くして最後まで走り抜こう)。この心境の変化が走り苦しんでいる私に,大きなパワーを与えてくれた。

しばらく走っていると,20分遅れでスタートした10km走のランナーが,私に追いついてきた。ウサギの如く勢いを持ったランナー達は,カメのようにノロノロと走る私を,あっという間に追い越してゆく。その光景を見る度に,早く走れない私としては,悔しい思いでいっぱいであった。ところがしばらくすると,10km走のランナーである小野先生,中村先生,そして下田先生が私に追いつき,「がんばれよ!」
と声を掛けてくれた。その様な暖かい励ましの言葉にも勇気づけられ,炎天下の中,私は黙々と走り続けた。

ようやく4kmまで走り切ると,そこには給水所があった。のどが乾いていた私は,紙コップに入った水を一杯取り,軽くのどを潤して走り続けた。ところがその後私は,愕然とする光景を目にした。なんと飲み干した紙コップが,道路一面に散らかっていたのである,あまりに散らかりすぎて,走るのに邪魔であった。これを見た瞬間(日本人のモラルとマナーがここまで落ちたのか)と考えてしまい,悲しい気分に陥ってしまった。

いよいよゴールの近くまで来た頃は,足は棒の様になり,やっと走っている状態であった。ところが,ゴールの旗がみえる場所に辿り着くと,最後の自分の力を振り絞って,ラストスパートを掛けて走り切った。ゴールした瞬間「やった!」と手を挙げた後,佳子先生に思わず抱き着いてしまった。(後で佳子先生からは,「暑苦しい上,大変汗臭かったので,とても嫌な思いをしたわ。」と文句を言われたが……)しかし私としては,それほど嬉しかったことなのである。タイムは1時間3分と,5km走とは思えないほどの時間が掛かった。しかしタイムは別として、5kmを一度も休みもせず,歩きもせず走り抜けたことに格段の喜びがあった。

思い起こせばケガをした当初,医者からは「一生,歩けません」と言われ,車椅子生活を強いられた私が,正規のマラソン大会で5kmを走ることができようとは,一体誰が想像出来ただろうか。これは人間,必死になって努力して,努力して,努力すれば,不可能な事などありえないことを,身をもって知ることが出来た。これからも,過酷な試練が待ち受けているかもしれないが,それを克服すべく必死に戦いたいと思う。

マラソン大会に誘ってくれ,またサブランナーとして最後まで私と共に走ってくれた佳子先生に,感謝の意を表明したいと思う。最後に,右足のハンディに屈せず,最後まで走り抜き,己に打ち勝つことが出来た自分に, 最高の賛辞を送りたい。
Excellent!!!!!

 ※佳子先生:古屋佳子先生
  (NPO法人 Futures Running Club 理事、家庭教育アドバイザー)

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