島根県新生代第三紀中新世化石採集

採集日

2001年3月18日(日)〜19日(月)

採集地

島根県出雲市上塩冶町菅沢 新生代第三紀中新世大森層

案内人

徳島化石研究会会員 内田賢治(出雲市医大南町在住)

参加者

鎌田誠一 築出ヒサエ

当研究会 内田賢治氏のお招きにより、島根県の観光を兼ねて採集に行ってきました。、内田氏とはメール交換が縁で知り合い2000年12月25日に、クリスマスでサンタが訪れる如く現われお付き合いが始まりました。彼には早くから島根にお越しくださいと、熱いラブコールを受けていましたが、ついつい今日になってしまいました。というのは化石と聞けばどんな時でもどんな坂でもどんな悪路でも愛車のノーマルボロボロ車で走り込むのだが雪と凍結が大の苦手、チェーンをしてもうまく走れない。雪道のドライブテクニックは最低だ。そんなこんなで安心して走れる今の時期になったのです。=悪路に関して少し余談

10数年程前に化石採集の途中に通りかかった鳥取砂丘近くの海岸砂地で、前右片輪を浮かして車体までのめり込んだ四輪駆動車を、運転技術のみで助けた事がある。被害者は若い学生さんで、最初は海岸を気持ちよく走りまわっていたが、砂が乾燥し締まりが緩み砂をかき散らしてのめり込んだらしい。4〜5人の助け船の人達が、砂を掘ったり木切れを引いたり押したりしていたがどうもならない。牽引に入ろうとする車ものめり込む。しばらく見ていたが私の出番と声をかけた。すでに学生さんは半べそ状態、助け船の人もあきらめ顔。出してあげるよ、と軽く言い運転席に座る。オートマだ。少しやりずらいなと思いながらLにいれ静かにふかす。10pは動く。大丈夫だ。出ると確信し大声で出る出るとアッピール。皆信じれない顔をしている。じゃ早く出してしまおうと行動に移る。静かにふかし前10p、足をアクセルから離すと後ろへ車の重みとりんごの落ちる法則で20p、そして又静かにふかすと前に30p、それを数回繰り返すと四輪無事接地。いよいよ勝負だ。ふと見ると皆が後ろで押そうと待ち構えているがそれは無駄な努力、危ないから車から離れてと丁寧にお断りし、Lで静かに前、即Rで静かに後ろへと。タイヤで砂をかかないようアクセル調整をしながら作業を繰り返す。10数回繰り返すと車一台分4〜5mの動けるスペースが出来た。目標斜面の上30m先舗装道路、軽く踏み込み突撃する。一回目は斜面の中腹までだった。どうしても心理的に斜面なのでアクセルを踏み込んでしまう。とにかくわだちの着いた15mを3回ほど、前後ろ踏み固め作業を繰り返し再度挑戦。突撃! 道路にかかる最終2m程手前がやばかったが、前輪が舗装にのったらいけると最後は思いきりふかし込んだ。そして大成功だ。車から降りると拍手喝采。いつのまにか見学者が増え20〜30人が拍手している。嬉しいのをとうりこし照れくさかった。見ず知らずの方に、貴方は何をなさっている方ですか?と聞かれたが、どう答えて良いかわからず「ただの運転手です」と答えた。少しポイントがずれていたかな?ま、とにかく私も含めてあの場に立ち会った見ず知らずの人々、拍手をくれると言う事は、心が一つになり人間はまだ捨てたものではないなと、一同が感じえたのだと思っています。学生さんは後、しばらくして無事京都に戻り付き大変お世話なったと、礼状が届きました。あれから10数年、彼も立派な社会人となって、人助けに邁進している事でしょう。


出発〜米子

18日午前1時雨の中を徳島出発、一般道をトコトコ走り坂出3時、瀬戸大橋〜山陽道〜岡山バイパス〜中国道を経由し米子道へ。深夜の自動車道は調子が良い2時間足らずで蒜山パーキング、6時待ち合わせの時間調整の為、蒜山パーキングに立ち寄るが雪だ〜。苦手の雪だ〜。見ただけでぞっとしたがタイミング良く携帯電話が鳴る。彼から連絡がありまったく心配無いとの事。どうも解け残りの根雪らしい。一安心はしたが出雲も雨が降っているとの事。前回の古琵琶湖層群の時と言い私はついてないのかな、と悔やむ事大だが、3ヶ月ぶりに会える彼の事を考え楽しく時間待ちをし、6時米子インターを下りた所で再会を果たした。

米子から三保関町へ

弓ヶ浜(夜見ヶ浜)の松並木から境港を通り三保関町七類の古浦層のメタセコイアに挑戦したが不発、地質見学のみとなった。

 三保関町から目的地出雲へ

早々に切り上げ次の目的地出雲へ宍道湖を左に見ながら431号線を走る。そして10時目的地到着である早速意気込んで採集の用意に取掛かる。大ハンマー、たがね、バール、その他もろもろ、そして背負子。そこで内田さんに笑われた。どうも少し大げさすぎるらしい。良く見ると採集現場は目の前で掘削工事も終わり奇麗に整地してある。(あーそうか、大掛かりにはやれないのだ。拾うか転石のみを割るぐらいだ。せっとうとたがねとで上等なんだな)と理解した。内田さんからお誘いがあった時に即刻現場に来ていたら体力と根性の限り大ハンマーが振れたのに残念だ。しかし内田さんいわく(そんな苦労しなくても拾うだけで充分収穫があった)との事、くやしいー 。が、悔しさをバネに現地へと足を踏み入れた。転石自体は小さいものが多いがそれでも化石がちらほら見える。時間をかけて探せば少々は収穫がありそうだ。2時間ぐらい内田さんと一緒に採集し午後から彼は所用の為不在となり築出さんと二人で午後6時すぎまで這いずり採集に精を出した。収穫はモニワホタテガイ、ムカシエンコウガニ、エゾヒバリガイ、ノムラナミガイなどであった。

出雲市上塩冶町菅沢の
採集現場工事も完了し
奇麗に整地してある

獲物を持って!
内田賢治氏

潮干狩りが大好な築出
さん、貝化石の潮干狩り

また島根に
来るぞ!闘志満々

宿泊

ビジネスホテルか旅館で泊る計画をしていたが、出雲を訪れる日程が決まった時から再々内田さんからお誘いがあり、ご親切ご厚意に甘えて彼の家に泊めて頂く事にしました。彼の示してくれた地図を頼りに訪れる事、採集現場から車で5〜10分足らず、(彼は幸せだなー、現場のこんな近くに住まいがあって、毎日でも行けるはずだ)とうらやむ。そして到着。なんと広い敷地と家だ。旅館並みだと築出さんと顔を見合わす。一瞬気後れしたが外まで彼が迎えに来て下さった。彼の誘導で駐車場へ入り車を止めドアーを開く。そして目に飛び込んだのは駐車場に無造作に停めてある?転がっている大きな転石。化石だった。それを見て先ほどの気後れはどこ吹く風、化石談義に花咲いた。そして玄関を入り長い廊下から部屋へ、やはり部屋も大きく広々し、庭も鑑賞できる。感嘆し(うーん)と唸っている所へ早速彼が標本箱に整理した化石を持ち出して部屋にならべ始めた。お宅も素晴らしいが標本も素晴らしい。クリーニングは丁寧で繊細、沢山の種類で標本数も多い。ラベルも理整然と全部に付けてある。まして標本箱は彼の手作りだそうだ。こりゃ何に対しても彼は本職だ。最初彼と会った時の私の受けた彼の印象は間違いなかった。それ以上だ。まだ化石を始めて1年少々の彼、しかし素晴らしい。私は(故)高木と正信と良く似た所があって持ち帰った化石の整理をどうしても後回しにしてしまう癖があるが、彼は繊細な神経でやりこなしているのだ。賞賛そして敬服。この言場を化石閲覧のお礼に彼に送った。

素敵な来訪者

とにかく広い部屋いっぱいに化石を並べ話に熱中している所へお客さんが訪れた。どうも内田さんが私に会せたいと、化石の好きな人をおよびしたらしい。一瞬男性客かと緊張し身体が引き締まったが何と上品な女性客だった。私の顔がほころぶ。それを見て取った彼が一言(女性で正解だった)と微笑みながら言った。とにかくご挨拶をし彼女のコーヒーの差し入れを頂きながらお話しを聞くと、内田さんのご友人で過去の物に夢を抱き大変魅力を感じているそうだ。もちろん機会があれば化石採集にも同行している。また特に日本古来の良き物、きものに大変愛情を持ち心血を注いでいる。私達が化石に命を吹き込むように彼女は着物に命を吹き込んでいる。日本の文化、きものを死蔵させずに活かしたい、甦らせたいという強い思いで、自営の洋裁教室とオーダーメードの服作り以外に日々夢を持って取り組んでいる。やはり彼女も私達と同じ夢追人なのだ・・。

素敵なお客さん 阿部早苗さん

 19日 島根県内の観光

朝8時ごろ澄み渡る鳥の声で目覚め。とはいかず内田さんの「おはようー、朝だよー」の声でシャッキ!。よーし今日も採集に頑張るぞ!と飛び起きたがよーくよく考えると今日は同行の築出さんの為に一日かけての島根県内観光だった。3人で朝食をとりながら雑談、彼から海岸で取れるハマボウフの話を聞いた。ふっと築出さんを見ると目の輝きが増している。案の定彼の話に飛びついた。潮干狩りにしろ山菜取りにしろ自然の物が大好きな築出さん。結局彼の忙しい時間の中、採取できる所まで御案内を願い同行して頂けることになりました。私はとにかく日本海の深い青色、荒々しい波飛沫、吹き付ける風が大好きだ。(いつも日本海を前にして立つと何年か前に見た映画連合艦隊の挿入歌、谷村新司歌、群青を何故か思い出す。戦争映画ではあるが親子兄弟夫婦恋人の絆、情、愛国心、残る人達をまもる為に自分が進んで逝く犠牲心、そして映像の一コマ、暗く深い海そして打ち寄せる波、舞い落ちる雪などそれらがオーバーラップし深く感動する)一石二鳥とばかり早々に食事を終え現地へと。そして1時間少々日本海を見ながら3人で採取に専念し、いよいよお別れ、彼との名残を惜しみまたの再会を約束し縁結びの神様出雲大社へと車を進めました。

朝の日本海,ハマボウフ採取に
必死の築出さん
築出さんと日本海をバックに 収穫!収穫!次の目的地へ さらば日本海またの再会を!

出雲大社10.30〜11.30

大社の大きな鳥居をくぐる

鳩が憩う静かなたたずまい
本殿を見る

化石を通じ多くの人と縁ができ
知り合えた事の御礼をのべた

日御碕12.00〜13.00

経島 ウミネコ繁殖地

日御碕・青い海の色に映える白亜の灯台

鳥取県富益町弓ヶ浜(夜見ヶ浜)近くの濱兆さん15.50〜16.50

日御崎でちょうど昼食時間だったがイカの炭焼きを頬張っただけで道中を急いだ。HTさんが境港で鮮魚、かになどの買い物がしたいとの希望にあってのことだったが、9号線がのろのろ運転でやっと米子、そして境港へと進路を取ったが空腹に耐え切れず(採集なら2日間ぐらいは平気なのだが)昨日美保関へ走る途中で(かに!)看板があって料理屋さんがあったとHTさんが言い出した。かに、えびを食するのが大好きなHTさんならではの目ざとさである。私は化石になったかに(十脚類)は大好きだが食するのは大の苦手である。外が硬い殻で中身を食べるというのがピンとこない。特にしゃこなど形だけでも大の苦手である。だが今はとにかく腹ごしらえ、HTさんのいう弓ヶ浜(夜見ヶ浜)の近くにある濱兆に飛び込んだ。だがなんとお昼の営業は終わり夜の営業は17.00からである。ウワー残念とその場に座り込み、仕方なくあきらめて車に乗り込もうとした時、「大丈夫ですよ!食事できますよ」と天から救いの声、濱兆のご主人と奥さんだった。やさしそうなご夫婦の顔が益々優しく見え店内へと御案内頂いた。店内は落ち着いた雰囲気、木のカウンターと丸太のいす。私達は座敷に陣取った。ふっとカウンターの上に目をやると多くの芸能人、歌手のサイン入り色紙、うあー大勢訪れているんだなーとHTさんと顔を見合わし奥さんと話が弾んだ。そして食事、HTさんはご多分にもれずかに料理、ご主人お勧めの焼き蟹定食、私は苦手という事で御刺し身定食を頂いた。鮮魚は新鮮でおいしくまた旬の物ものっている。HTさんもおいしいおいしいの連発で黙々と口に運んでいる。とにかく幸せな時間を過ごさせて頂きました。濱兆のご主人そして奥さん、おいしい御料理そして楽しい時間をありがとうございました。

 

濱兆のご主人と奥さんにお願いし
御店の前で記念撮影

お食事処濱兆

鳥取県米子市富益町24‐8

0859−28−8958

大山道路経由大山18.00

最終目的地大山を車中より展望

大山寺駐車場から残雪残る大山をバックに

帰路

大山寺を後にし大山環状道路へと車を進めたが桝水高原の分岐でゲートが閉鎖、残念ながら蒜山高原とジンギスカン料理は次回のお楽しみとなった。分岐を右にとり大山を背中に背負って溝口町へ。そして溝口入り口より米子バイパスに乗り帰路に就いた。島根の皆さん、内田さん、阿部さん、鳥取の濱兆さん、島根の自然、鳥取の自然、そして日本海、楽しい時間を思いでの一ページをありがとう…。

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