2006年地学サミット研修旅行

日 時

2006年2月11日(土)〜12日(日)(1泊2日)

開催地

四国最西端「佐田岬」地質探査

宿泊地

海鮮料理「金沢旅館」串港 三崎町正野地区

参加者

東明省三先生・久保 亨先生・近藤和雄先生・大戸井 義美先生・小川祺文先生・稲井弘道先生・鎌田誠一

全行程

2月11日(土)
徳島市出発7時30分〜小川先生(上吉野)・久保先生(佐古)・近藤先生(国府)回り同乗〜土成秋月の幸福寺にて東明先生(阿南)・大戸井先生(阿波市)・稲井先生(同寺)の計7名全員集結8時30分。
稲井先生の車(定員8人)に乗り込み、幸福寺出発8時40分〜脇町三角点見学(写真1)〜脇町IC〜徳島自道車道〜(吉野川オアシス休憩)〜川之江JCT〜松山自動車道〜(ジェイサバ石鎚山SA昼食)〜大洲IC〜大洲市〜八幡浜市着。市立市民図書館(二宮忠八文献資料見学)〜国道197号線(説明1)〜伊方原子力発電所・伊方ビジターハウス見学〜国道197号線メロディライン〜三崎港15時〜佐田岬灯台見学(写真2)〜金沢旅館17時30分着(写真3)

2月12日(日)
金沢旅館9時発〜国道197号線〜伊方町川之浜(せと風の丘パーク)〜三机(帝国海軍特殊潜航艇「甲標的」練習基地 9軍神慰霊碑参り〜八幡浜市〜大洲市(大洲城天守閣)13時〜新居浜(別子銅山記念館 ザクロ石採集)〜新居浜IC〜徳島着19時30分。

全走行約600km

2月11日(土)(写真1)脇町にある三角点の見学

三角点とは三角測量のために置かれた不動の位置のことで、日本ではまず三角形の一辺が45キロメートル程度になるよう一等三角点を設置し全国をカバー。さらに25キロメートル程度の間隔となるよう一等三角点補点を設置し、さらに細かい三角網をつくるために二等三角点、三等三角点、四等三角点を設置し地形図がつくられた。
近年は長距離用の高精度光波測距儀が開発され測量方式は角度を測定する三角測量から直接、距離を測定する三辺測量にかわり、さらにGPSなどの測量技術が進歩し従来の三角測量はほとんどやられなくなっているが「三角点」という名称は残っている。

(説明1)三波川結晶片岩類、時代決定の化石
八幡浜と保内町の境の名坂トンネルを抜けて喜木から北東に約2km、八幡浜市日土町川辻で緑色片岩層の見かけ上、下位に位置する黒色片岩層の最上部の2枚の石灰質片岩(厚さ20m前後)中よりEpigondolella などの三畳紀のコノドントを産出する。これは発見した須鎗和巳先生が地質学雑誌 第86巻第12号(1980年12月)の827〜828ページで報告をしている。このコノドントの発見により、三波川結晶片岩類の原岩の大部分は三畳系に属することが明らかになった。


(写真2)佐田岬灯台見学

全長約40kmの日本一細長い佐田岬半島の先端に立つ、白色八角形の大型灯台。四国の最西端に位置し、約14kmの豊予海峡を隔てて、九州佐賀関半島地蔵崎の関埼灯台と対峙。灯台周辺は瀬戸内海国立公園に指定され、自然がよく保護されている。駐車場からは、断崖絶壁が海に落ち込む絶景とツバキやツワブキの自然林の遊歩道を片道20分ほど歩く。白亜の灯台の向こうに豊予海峡が広がり、天候が良ければ対岸の高島や佐賀関半島まで望める。


(写真3)海鮮料理「金沢旅館」

海鮮料理がうたい文句の旅館だけに吟味された新鮮な魚。三崎の漁は網を使わない。すべて疑似餌の一本釣り。岬サバ(大分県佐賀関の豊後水道で獲れるのが関サバ)・フグ・ホウボウ・ハマチ・アジ・メバルなどの盛り合わせが並ぶ。

東明省三先生・久保 亨先生・稲井弘道先生
東明先生(級長)の挨拶と乾杯の音頭の後、18時30分から宴が始まった。

早くもほろ酔い気分の久保 亨先生と稲井弘道先生

「どれどれ、岬サバの味を確かめるか」と食も進む小川祺文先生

「食も良いが、まず一献」と、お酒を注ぐ大戸井先生。方や近藤先生は私と同じで酒を嗜まず、烏龍茶を飲みながら団欒する

囲碁勝負中の小川祺文先生と稲井弘道先生

楽しい宴は22時過ぎまで続いた。その後、東明先生、近藤先生、久保先生と別れ、部屋に戻った小川先生と稲井先生の二人の囲碁大会が始まった。しばらく観戦していたが甲乙つけがたく、大戸井先生と私は寝床へ。「パチン、パチン」と碁をさす音が子守り歌になり熟睡。
勝負は深夜2時30分まで続いたそうだ。

 


2月12日(日)行程
金沢旅館9時発〜国道197号線〜伊方町川之浜(せと風の丘パーク)(写真1)〜三机(帝国海軍特殊潜航艇「甲標的」練習基地 9軍神慰霊碑参り(写真2)〜八幡浜市〜大洲市(大洲城天守閣)(写真3)13時〜新居浜(別子銅山記念館 ザクロ石採集)(写真4)〜新居浜IC〜徳島着19時30分。

2月12日(日) (写真1)せと風の丘パーク                      (写真2)9軍神慰霊碑参り(写真撮影・大戸井義美先生)

佐田岬半島のほぼ中央、伊方町川之浜地区にある自然公園。ここは、年間平均風速8.3m(高さ40m地点における数値)の日本でも有数の風の強い地域で、この強風を利用し、瀬戸ウインドヒル発電所が2003年10月1日に完成、11基の巨大な風車が立ち並んでいる。風車は高さ50mで風力発電施設として稼動している。展望台からは山の尾根沿いに建つ風車や伊予灘、宇和海が眺望できる。

日露戦争以降、日本には軍隊で英雄的な活躍をし戦死、還らなかった人を軍神として讃える動きがあった。艦首に魚雷を2本もつ乗員2名の帝国海軍特殊潜航艇「甲標的」。真珠湾奇襲に際して航空機による攻撃に呼応して、湾内に進入、敵艦に魚雷攻撃を仕掛ける作戦。この攻撃に参加したのは5隻、計10名であったが9人は戦死した。「九軍神」とは、真珠湾奇襲攻撃の際、特殊潜航艇に乗り湾内に潜航した10人の軍人の内、戦死した9人のことだ。軍神は戦いに赴く前に、三机湾を真珠湾にみたてて極秘の訓練をうけるために滞在したが、同地方の人々との交流も深く、彼らの逸話美談が現在も町民の間の語り種となっている。9軍神をはじめとして、戦争では多くの人々が散っていったが、その人々のお陰で現在の私たちがあることを忘れてはならない。


(写真3)大洲城

清流・肱川のほとりに築かれた大洲城の庭を散策。眼下には肱川に浮ぶ、鵜飼いの屋形船が見える。

鎌倉末期の築城に始まる大洲城は、17世紀初頭に天守をいただく本格的な城郭としての姿を整えたといわれている。平成16年、大洲市市制50周年を記念して木造4階の天守が旧来の工法で復元され、大洲城天守が蘇った。


(写真4)国領川

別子銅山が283年に亘る歴史に幕を閉じたのは、昭和48年(1973年)。記念館は銅山経営の史料を保存展示するために、昭和50年(1975年)に開館した。せっかく訪れたのだが建物改装工事中で休館。そこで見学よりは実地と、鉱物採集をする。左から東明先生、小川先生、稲井先生

記念館横の国領川河原に降り探索。早速、ザクロ石発見。
抱え出す近藤先生。

ポケットに入る程度のザクロ石を探す久保先生

「私は大きなザクロ石が良い」と大戸井先生


何はともあれ、今回のサミットも楽しい研修となった。始めよければ(三角点見学)真ん中飛ばして、終わり(鉱物採集)良しだった。来年のサミットも早、期待でいっぱいだ。

 


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