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2月11日(土)(写真1)脇町にある三角点の見学
(説明1)三波川結晶片岩類、時代決定の化石
(写真2)佐田岬灯台見学
(写真3)海鮮料理「金沢旅館」
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2月12日(日)行程 |
2月12日(日) (写真1)せと風の丘パーク (写真2)9軍神慰霊碑参り(写真撮影・大戸井義美先生)
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佐田岬半島のほぼ中央、伊方町川之浜地区にある自然公園。ここは、年間平均風速8.3m(高さ40m地点における数値)の日本でも有数の風の強い地域で、この強風を利用し、瀬戸ウインドヒル発電所が2003年10月1日に完成、11基の巨大な風車が立ち並んでいる。風車は高さ50mで風力発電施設として稼動している。展望台からは山の尾根沿いに建つ風車や伊予灘、宇和海が眺望できる。 |
日露戦争以降、日本には軍隊で英雄的な活躍をし戦死、還らなかった人を軍神として讃える動きがあった。艦首に魚雷を2本もつ乗員2名の帝国海軍特殊潜航艇「甲標的」。真珠湾奇襲に際して航空機による攻撃に呼応して、湾内に進入、敵艦に魚雷攻撃を仕掛ける作戦。この攻撃に参加したのは5隻、計10名であったが9人は戦死した。「九軍神」とは、真珠湾奇襲攻撃の際、特殊潜航艇に乗り湾内に潜航した10人の軍人の内、戦死した9人のことだ。軍神は戦いに赴く前に、三机湾を真珠湾にみたてて極秘の訓練をうけるために滞在したが、同地方の人々との交流も深く、彼らの逸話美談が現在も町民の間の語り種となっている。9軍神をはじめとして、戦争では多くの人々が散っていったが、その人々のお陰で現在の私たちがあることを忘れてはならない。 |
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清流・肱川のほとりに築かれた大洲城の庭を散策。眼下には肱川に浮ぶ、鵜飼いの屋形船が見える。 |
鎌倉末期の築城に始まる大洲城は、17世紀初頭に天守をいただく本格的な城郭としての姿を整えたといわれている。平成16年、大洲市市制50周年を記念して木造4階の天守が旧来の工法で復元され、大洲城天守が蘇った。 |
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別子銅山が283年に亘る歴史に幕を閉じたのは、昭和48年(1973年)。記念館は銅山経営の史料を保存展示するために、昭和50年(1975年)に開館した。せっかく訪れたのだが建物改装工事中で休館。そこで見学よりは実地と、鉱物採集をする。左から東明先生、小川先生、稲井先生 |
記念館横の国領川河原に降り探索。早速、ザクロ石発見。 |
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ポケットに入る程度のザクロ石を探す久保先生 |
「私は大きなザクロ石が良い」と大戸井先生 |
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