プロフィール

徳島化石研究会 会員(勘定奉行) 内田賢治

昭和30年(1955年)4月18日 島根県出雲市上塩冶町で誕生

関西大学文学部教育学科卒業。大学では心理学を専攻していた。卒業後は某高校国語科非常勤講師を経て現在は塩冶珠算教室指導員をしている。

興 味
動物の死骸収集骨格標本作成、フクロウグッズの収集、漂流物収集、短歌、ナイフ製作、山野草観察、
鉱物収集、野鳥観察、茸採集、遺跡徘徊、出土品収集、旅、音楽鑑賞、バードカービングなど


化石に対する本人のコメント

北海道の旅途中、民宿でたまたま同宿の大学院生が近くで採集したアンモナイトを見せてくれ、化石の存在感を身近に感じました。
旅から帰るとたまたま家の近くで化石が多産していたので夢中にそして虜になってしまいました。
化石の魅力は、美しさ、不思議さ、発見したときの喜び、学名を同定したときの喜び、標本箱にきれいに
収まったときの満足感、森の木々や野鳥の囀りの中で遊ぶ楽しさ、化石仲間と出会う喜びなど数多くあります。
「私はここよ。早く見つけて掘り出してね!」と化石達が私を呼んでいるような気がします。私は早速、彼ら彼女たちを岩石の桎梏の中から救い出してやります。  
泥だらけの身体をきれいに洗ってやると、輝くばかりの白い肌が現れ、数億年、数千万年の時間と空間を越えた私と古代の生き物たちとの出会いがそこにあります。
それはひとつの奇跡です。私も死んだらできれば化石になりたい。誰かに見つけだされ、きれいに洗ってもらってその人に飾ってもらいたい。
私はきっとその人を幸せにするだろう…。

会長コメント
彼は大変多趣味だが、化石に取り組む考え方や物事に対するイメージなど、タイプが私に似ていると思う。
彼は大学の心理学専攻という事で、私の長年の化石との付き合いから生じた科学的根拠のないイメージ(有限宇宙の無限的不変性)などにも理解頂き同調、力強い
応援を頂いた。
人の心、内面を把握する目、分析力はさすがである。彼が成長すれば私のイメージ力などかなわないかもしれない。もちろん化石を見る目も…。
頑張って下さい。私も追いつかれないよう頑張ります。一応殿として・・。最後に彼の数多い中の興味の一つ、短歌掲載します。
彼から頂いた22点の中から私が独断と偏見で選出した13点掲載致します。(私がとくに好きな短歌は青字です)

永久の微睡み醒ます磯の貝千万年の夢を語らむ

死してなほ石となりしは永遠の愛を伝へむきみの願ひか

黒雲の上に広がる果てしなき宇宙の光り心にぞ差せ

遙かなる水泡に生れし生命の栄枯盛衰不適者生存

死ぬならば化石となりて地に眠らむいつか物好き堀りて飾れよ

ビッグバン宇宙の創世かくのごと闇に咲く花光りの饗宴

石ころと言えども貌はひとつづつ異なり地球の歴史を担ふ

海に生れ山に眠れる貝ゆゑに石となりては海に帰さむ

命とは眼には見えねど石となる貝の形にやどるは命

毛穴より磯の香浸みて脳髄にやさしき海の記憶を辿る

稲妻の原始の海にとどろきて命の素は泡沫に生る

喰うものも喰われるものも石と化し永久の命をたたえて鎮む

ときめきをわれに与えよ闇ふかき地底にねむる海の精霊 

勘定奉行   内田賢治 作

2001年1月9日付けメールで勘定奉行 内田さんより私を題材にした短歌を頂きました。
どの歌も私に全て当てはまり大変気に入りました。人を、心を見抜く洞察力そして57577の31文字に
表現できるなんて素晴らしいと思います。ここに掲載させて頂きます。 殿 鎌田誠一

少年の見あげる空に星ひかり心の闇を照らしなぐさむ

夕闇のつつむ山肌さまよいて懐中電灯化石を照らす

山峡に化石の塊を抱きあげし友の歓声いまは黄泉にす

わきおこる熱き心をもてあまし身は俗界に心は山に

かぎりある命おしみて悠久の時にあくがる化石人生

殿へ
殿のことや殿の友人のことを思い浮かべ歌を作ってみました。

勘定奉行 内田賢治

2001年1月18日メールで短歌届きました。2〜3日前の雪降る情景を歌ったものだと思います。ちなみに我が徳島も少ないですが積雪がありました。

音もなく水面(みなも)にそそぐ淡雪の融けては流れ融けては流る

私の最近の短歌をお送りします。

勘定奉行 内田賢治

2001年4月24日
私が2001年3月に島根県におもむき彼と採集を共にした後、彼は8泊9日で和歌山県一週の旅に行きました。
熊野古道で野鳥の声や可憐な野草などの慰めを受けながらの歩き旅。串本の枯木灘で現生サンゴの骨格拾い。吉備町の化石採集家(83才)を訪ね、友達になり、
湯浅町矢田(有田層)へ化石採集。高野山では真言密教の修行の一部を体験したそうです。そして今彼は地元で化石がでないので海岸で漂流物拾いに熱中している
そうです。そんな彼からメールと歌が入りました。一部抜粋にて

海岸はいろいろなものが漂着しており、ほとんどはゴミですが未知なるものとの遭遇がたまにあり、好奇心をかき立ててくれます。ロシア製の白樺の皮でできた浮子(ウキ)や木の実、貝、軽石、ウニや蟹などです。そんな中で鳥の死体が30羽以上流れ着いていることがわかりました。鳥の名前はオオミズナギドリで、3月上旬の寒波により南から繁殖地に帰る途中、疲労と飢えのために斃死したものとわかりました。日本海岸沿いで千羽近く発見されたそうです。次の歌はオオミズナギドリの死を悼んでつくった歌です。

吹きつける風に翼は羽ばたけど海鳥朽ちて砂塵にまみゆ

勘定奉行 内田賢治

いかに自然界の事とは言え私は心重くなります。罪なく汚れなき鳥達…。寒波、小雨、温暖化現象、異常気象…休息地干潟の減少…私達人間に責任があるのかも…。
地球上に生きる全てのものが共存できる日は来るのでしょうか…?。

島根の化石と名所を訪ねた2001年3月18日〜19日、1泊2日の1回目。
そして2回目の2001年10月1日。共に同行した最愛の彼女、築出ヒサヱさんは2003年1月22日旅立った。もうこの世にいない。
そんな中、2003年2月8日に内田賢治さんからお悔みの歌をもらった。

「もろともに 夢を求めて 歩みたる きみはわが友 わが妻とわに」 合掌 内田賢治

彼がいちばん私の心の痛みを理解してくれている。そして共に悲しみを分かち合える。彼は私にとって最高の友だ。そこで内田さんの島根にと、2003年7月12日〜13日(故)築出ヒサエさんと愛犬の(故)チビちゃんの写真を伴って足が向く。寂しさを紛らわす化石採集。私と彼女が大好きだった日本海は、まだ見ることができない。いつか彼女のことが思い出となった時、私には見ることができるだろう…。

 

作成 会長 鎌田誠一

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