蝶 の 舌
   ―LA LENGUA DE LAS MARIPOSAS―


監督・脚本
 ホセ・ルイス・クエルダ
原作   
 マヌエル・リバス



スペイン内戦の背景と映画、そして『蝶の舌』

はじめに.........
『蝶の舌』は、その背景を知らなくても記憶に残る作品のひとつだと思います。でも、この作品の背景に何が起こっていたのか、ラストシーンの先には何があるのかを知るとまた感じ方が違ってくるのでは?と思いスペイン内戦とスペイン内戦が描かれている映画のことを少し取り上げてみました。スペイン内戦のことについては、大好きな写真家ロバート・キャパの写真集(スペイン内戦、他)、世界史の勉強に使った資料や副読本、紛争などの本を参考にして、スペイン内戦の年表に少しにくづけしてあります。間違いなどもあるかと思いますが、補足や指摘をしていただけると嬉しいです。

1930年
スペイン北部バスク地方(サン・セバスティアン)に共和主義者が集まり君主制を倒し共和制を樹立しようとする協定が結ばれます。
各国で社会党、共産党など民主主義政党が反ファシズムの人民戦線を組織する動きが活発になり、その動きの中、軍事独裁政治を行っていたプリモ・デ・リベラ将軍が失脚します。

1931年4月12日
統一地方議会選挙が行われ共和制支持政党が圧勝。

1931年4月14日
リベラ将軍のもとで王制を行ってきた国王アルフォンソ13世は国民の支持を失い失脚、フランスのマルセイユヘ亡命。

1931年7月
第二共和制政府が成立、アサーニャが首相に選出されます。
 (ワイマール憲法、カディス憲法(1812年、自由主義)、セラーノ憲法(1869年、信仰の自由などを認めたもの)を規範とした共和国憲法を公布されます)
この共和国憲法の主な内容は、農地改革(大土地所有制度の解体)、軍隊改革(大多数をしめる貴族、地主階級出身の将校の数を減らしていこうとする改革)、宗教改革(信仰の自由、婚姻・離婚の自由、政教分離、イエズス会の解散など)、教育改革(当時、教育を受けていない児童が多かったため、五年計画で初・中等教育を充実させようとするもの)、カタルーニャやバスクに自治権をも与えるなど大きなものでしたが、この改革は1329年にアメリカから起こった金融恐慌がヨーロッパにまで伝わり世界恐慌の影響がではじめる頃には、共和政府だけでささえるには経済的余裕が乏しくなり、さらに地主、教会、軍部などのブルジョアの反発を受けることになります。

1933年9月
ヒル・ロブレス率いるスペイン独立右翼連合セダ(CEDA)の台頭によって、アサーニャ首相は辞任に追いやられます。

『蝶の舌』の中では、1936年、このヒル・ロブレスの演説がラジオから流れる中、不穏な空気が流れはじめます。

1933年11月
共和制によってもたらされたスペインで初めて女性にも選挙権が認められた総選挙が行われます。
右派の勝利に終わり、レルー内閣・サムペル内閣は農業改革などアサーニャ政権のとった諸改革に反対していきます。これに対して各都市では労働者によるゼネストや武力蜂起がおこなわれはじめます。

1934年
カタルーニャが共和国宣言、マドリードでのゼネスト、10月にはアストゥリアス地方で労働者によりコンミューン(自治政府)が作られます(「十月闘争(社会、共産、アナーキストらによる大反乱)」)。それに対し、フランコ将軍はモロッコからムーア人部隊を送りコンミューンを2週間で壊滅させます。その際ムーア人部隊による労働者の大量殺戮が行われました。

1936年2月
総選挙。
十月闘争を機に左派、労働組合、ブルジョア共和主義政党は結束し反ファシズム統一戦線として、この選挙を前にブルジョア共和主義政党(左翼共和党、共和同盟など)、社会党、共産党、POUMなどの左翼政党は人民戦線を結成します。
人民戦線(Frente Popular)側は455万票-450万票という僅差で勝利。アサーニャ政権が復活。
(6月にはフランスでも社会党のレオン・ブレムを首班とする人民戦線内閣が発足しています)
人民戦線の勝利に反発し貴族、資本家、地主、教会など右翼勢力は人民戦線政府の政策に反対し、人民戦線陣営の労働者に対して暗殺、暴行などのテロ行為を行われ、軍部でもモラ将軍を中心に軍事クーデターの計画がたてられます。

1936年7月17日
スペイン領モロッコのメリリャ駐屯地においてファシストのセグエ大佐が反対派のロメラーレス将軍を逮捕・銃殺。ムーア人部隊により公共建築物を占拠、労働組合や人民戦線政党の建物は閉鎖され、労働組合員や左翼の指導者が逮捕されます。

1936年7月18日
フランコ将軍は左遷先のカナリア諸島のラス・パルマスからクーデター宣言を放送。
セビリア、サラゴーサ、バルセロナ、マドリードをはじめ約50の兵営で反乱が始まります。
反乱軍にはフランコ将軍率いる陸軍に加え陸軍将校と陸軍兵士の約3分の2、海軍・空軍の一部がつき、のこりの兵士は人民戦線側につきスペイン内戦に突入していきます。
共産党の女性指導者ドロレス・イバルリはファシストに対し言った「ノー・パサラン(奴等を通すな)」は人民戦線側の言葉となりました。

1936年7月19日
人民戦線側では民兵隊の組織化を決定。労働者約5万人によって最初の民兵隊が結成されます。
後に正規の人民軍と民兵軍に分かれていきますが、スペイン内戦では終始、民兵隊が活躍をします。

1936年7月29日
フランコ将軍の要請によってドイツ、イタリア空軍の軍用機がモロッコに送られます。
(海軍、空軍が人民戦線側についたことによって、反乱軍側は戦艦1、巡洋艦1、駆逐艦1、砲艦1、数機の軍用機、水上機しか所有できず、モロッコからの軍隊をスペイン本土に輸送することができなかったため、制空権などを人民戦線側が握っていました)
両国は反乱軍に対して資金援助の他に、ドイツは約1万人の兵力、イタリアは7万人の兵力、ポルトガルも2万人の兵力を反乱軍に送りました。

1937年3月
マドリードの北東50キロのグアダラハラの戦いでは外国軍も加わった戦いとなります。
フランコ将軍側の支援にドイツ、イタリアがつき、人民戦線政府側にはソ連がつくと同時にアメリカ、イギリス、フランスを中心として世界中から集まった義勇軍が参戦します。
イギリス、フランスの政府は戦線の拡大、国内での右翼・左翼との衝突をを懸念し不干渉政策をとります。

この夏公開された『蝶の舌』はこの1936年の総選挙前からフランコ将軍が隆起した直前までの時代を背景に描かれている作品です。

わたしは写真家ロバート・キャパのファンなのですが、彼の写真集の中にあるスペイン内戦(ISBN4-00-008198-5 C0072)は、その悲惨さを内側から伝えてくる作品ばかりです。

支持する政党の違いによる争いは、「おとなたち」の間で親兄弟の骨肉の争いとなっていきます。

スペイン内戦によって、支持政党の違いから仲違いをし親子の縁を切っている父親と祖父の姿がヴィクトル・エリセ監督の『エル・スール』(1983年作品)の中に登場します。
またエリセ監督作品の中では『ミツバチのささやき』の中で、少女アナが人民戦線の兵士を助けたことや、母親が出す手紙の先の世界の中に内戦の姿を見ることができると思います。

ヴィクトル・エリセ監督作品のページへ

1937年4月27日
フランコ将軍側についているドイツのコンドル部隊が、北部バスク最古の小都市ゲルニカを無差別空爆します。
(この空爆はドイツ軍の第二次世界大戦に向けての兵器の実験のひとつだったとも言われ約3時間15分にわたりハインケル型爆撃機、ユンカース型爆撃機、メッサーシュミット戦闘機によって行われた空爆により建物の4分の3は破壊され(死者は1600人以上)、爆撃による火災は3日間におよびゲルニカは焦土とかしてしまいます)

(7月のブルネテの戦いではソ連製の戦車対ドイツ軍の戦車・装甲車の戦いになり、第二次世界大戦の戦術の実験だったと言われています)

歴史的な町が焦土と化したこの空爆後の様子を戦争への憤りとして、ピカソは『ゲルニカ』を描き、パリの万国博覧会に出品し、戦争への抗議をしました。この『ゲルニカ』はアメリカにわたり、スペイン軍事政権が倒れるまでは故郷にはかえりませんでした。(ピカソはこの後1944年にフランス共産党に入党しています)

この戦争の悲惨さを訴えるためイギリスのオーウェルは「カタロニア賛歌」を書き、スペインの音楽家カザルスは演奏活動の中で反ファシズムを訴えていきました。

スペイン内戦は文字通りスペイン国内を舞台に繰り広げられた内戦ですが、この争いが拡大し悲惨なものになっていった影には、第二次大戦に入る前の大国、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ、ロシアの共産主義の影響や思惑が大きく関わっていたといいます。他国からの武器や兵力の支援、経済的援助なくしては、戦いがここまで長期化することも拡大することもなかったのではないかと思います。

この傾向に反発した人々が世界中から集まり、国際義勇軍(Brigada Internacional)に参加し共和国政府を支援しました。(人民戦線軍を支援し前線に向かった4万人を含め、後方支援にまわった人たちを合わせて57カ国から7万人を超える人が世界中から参加)

この様子はケン・ローチ監督の『ランド・アンド・フリーダム 大地と自由』(1995年作品)の中で描かれています。
また、自らがこのBrigada Internacionalに参加した経験からスペイン内戦を綴ったアーネスト・ヘミングウェーの小説「誰がために鐘は鳴る」(1940年)は1943年サム・ウッド監督の手で映画化されています。

未見ですが、この他にスペイン内戦が関わる作品として、アラン・レネ監督の『戦争は終わった』(1965年仏・スウェーデン作品)、カルロス・サウラ監督の『歌姫カルメーラ』(1990年スペイン作品)などがあると思います。

1939年4月1日
フランコ将軍の勝利宣言(3月29日に全ヨーロッパに向けて放送)と共に内戦は終結します。
(この後フランコ首相の独裁は1975年に彼が没するまで36年間続きます)

この内戦での死亡者は60万人にものぼり、その死亡者は戦闘中の死者よりも、反乱軍によるテロや処刑によるものが多いと言われています。

第二次世界大戦勃発によって、フランコ軍を支援しつづけたヒトラーは、日独伊三国同盟に参加するようにスペインにはたらきかけますが、スペイン政府は内戦による国内の経済、産業の荒廃を理由に参戦を回避し中立の立場をしめします。

しかし、ドイツのロシア進攻の際には、人民戦線側を支援していたロシアとの戦いということもあってか、フランコは「反共産主義」のもとに志願兵をつのり「青い師団」を結成しドイツ軍支援として最前線に約2万人のスペイン兵を送りだしています。

1945年7月.....
米英ソの三国首脳会談によるポツダム宣言の中には、中立国であるスペインに対して反スペイン声明も含まれていました。1946年、国連でスペイン排斥決議がなされ、フランス国境は閉鎖されます。
鎖国状態となったスペイン国内では、強烈なリーダーシップし示すフランコ首相に対する支持率は高まります。その後、米ソの冷戦を背景に、一貫して「反共産主義」を掲げてきたスペイン政府に対して米国から経済支援が行われ、その一方でスペイン国内には米軍基地が設置されます。



―蝶の舌―

マヌエル・リバスの原作「蝶の舌」(ISBN4-04-897018-6)短編16作の最初の3篇を、ひとつの物語として映画化された作品です。

ヴィクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』の中で、お父さん役を演じていたフェルナンド・フェルナン・ゴメスが演じるグレゴリオ先生は、きっと誰の心の中にでも住んでいる、自分の好奇心の扉をひらいてくれた人生における先生なのではないかと思います。

わたしの中にも、そういう大切にしたい存在の年長者の方が何人かいます。そう思うとき、この作品の中のモンチョ少年(マヌエル・ロサノ)の最後の決断は、切なく、そして自分の中の怒りや意思の存在を意識させられるような渦の中にまきこまれます。子どもの感情というものは、とても残酷さをはらんでいます。でも、それは何よりも深く純粋な愛の姿なのかもしれません。

そして、モンチョ少年の決断と同じように、切ない決断は、彼の父ラモン(ゴンサロ・ウリアルテ)の決断。スペイン内戦に限らず、紛争の起こるところには、この決断に迫られる人は絶えないのかもしれません。自分の保身のために人を裏切る行為、臆病な姿、そして家族を守るために卑怯者にもなる。これも、ひとつの大きな愛なのではないでしょうか。逮捕された共和主義の知人たちに、ラモンが涙ながらに叫ぶ言葉は自分自身にも投げかけられた言葉なのではないかと思います。

『蝶の舌』の全編を通して、伝わってくるのは、人間の持つ弱さや強さの中の様々な愛と、人が持つべき自由の存在です。

平和な時代に生きるわたしたちには、自由という意味を感じることは出来ても理解するのは難しいかもしれません。でも、人々は遥か昔から自由のために戦い続けてきたのです。今も世界中を見渡せば、自由のために戦っている人たちがいます。

渾沌とした時代、世界中をつつむきな臭い空気。人々の利害と思惑が交錯する時代。

美しい音楽と、冬の終わりから初夏にかけての美しい自然、世の中の動きととは別のところで子どもたちに自然の神秘や愛、勝ちとるべき自由を話していくグレゴリオ先生と、内戦突入という哀しい結末。

この先に続く、壮絶なスペイン内戦のことを思うと胸があつくなります。

さまざまな思いがあたまの中を駆けめぐり、言葉には出来ない、言葉にしてしまってはいけないような感情がこみ上げてきます。そしてラストの一枚が心に焼きついてしまうような作品です。


2001.8.22 ADU
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