ビクトル・エリセ(Victor Erice)監督作品から

ミツバチのささやき
―EL ESPIRITU DE LA COLMENA―

1973年スペイン作品
監督・原案・脚本…ビクトル・エリセ
CAST
アナ・トレント
イザベル・テリェリア
フェルナンド・フェルナン・ゴメス

この作品に描かれる場面々の図はまるで壁一面の絵画を観ているような錯覚を起します。
『スリーピーホロウ』も一枚一枚の絵画を観るような濃厚で美しい場面が登場しましたが 『ミツバチのささやき』は大きな風景画の中に誰とも分からない人の姿が描かれているような 風景の中にあたりまえのように人のシルエットが浮かんでいるような自然な懐しさを 覚える絵です。

この作品の主人公ともいえる二人の姉妹イザベルとアナ。演じている子役の子の名前が そのままイザベルとアナだったのに、ああ、なるほどなぁという感じがしました。
この二人が名前を呼びあうとき、とても自然な感じだったのもそのせいかと思いました。
エリセ監督の手法でしょうか。

舞台は1940年年ごろのスペインの小さな村です。

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1940年ごろといえば、1936年に始まったスペイン内戦が39年4月にフランシスコ・ フランコ将軍による国民派の勝利のもとに終結されて間もないころです。
3年という長い内戦で市街地は大きな破壊をうけました。
この模様は昨年発売された「ロバート・キャパ スペイン内戦」という写真集 (ISBN4-00-008198-5 C0072)で克明にみることが出来ます。
ミツバチのささやきの中にもスペイン内戦の落した大きな影が潜んでいます。

この片田舎の小さな村に移動映画がやって来て村人や子どもたちのまえで上映されます。

上映作品はジェームズ・ホエール監督の1931年作品『フランケンシュタイン』。
上映会の司会者らしき人が「製作者と監督からのご注意を申し上げます……」と 映画に関する注釈を述べます。
映画のセリフはスペイン語に吹き替えられてるみたいです。

フランケンシュタインが少女を殺してしまったことを観てアナは姉のイザベルに 「どうして殺したのか」と訊ねます。イザベルは「あとで教えてあげる」と言います。
(でも、実際にはイザベルにも何故なのかわかっていないのですね)
6歳のアナにとってこの映画で観たフランケンシュタインはとても印象的だったのですが、 さらにアナの心の中を大きくしめるようになったのは、イザベルがしたお伽話でした。

幼い頃というのは、たくさんの秘密を抱えています。秘密なんていうたいそうなものでは ないのですが、誰もがもっていたはずなのに、おとなには理解出来ないことが多い秘密の世界です。
秘密の世界(夢の世界というか空想と現実が一緒になった世界)で遊んでいたことが 小さい頃の思い出の中にあります。わたしの中でも、いまもかすかに残ってはいますが だんだん薄れてきてしまっています。

イザベルは妹より秘密を多く知っていて、その秘密をもっていることを誇らしげに言います。
フランケンシュタインは聖霊の化身で村のはずれの一軒家に住んでいるという話。
イザベルはその聖霊と会ったことがあり話をすることも出きるという話を聞いて アナの心の中にはそのお伽話が現実のものとなって根をおろしてしまいます。
心の中に根を下ろしたお伽話で終わるはずだった聖霊の話が自分よりちょっと年長のイザベルの いたずら心やおとなの物言いや言動から、ただのお伽話の域を超えてしまいます。

この幼い姉妹と父親がキノコを探して森を歩くシーンがあるのですが、この中で父親が 子どもたちに、良いキノコか毒キノコか分からないときは触らないことが 毒キノコをとらないコツだという説明をします。
そして、毒キノコを見つけキノコを無造作に踏みつぶすのです。
このシーンを観た時、まるで自分がそのキノコになったかのような錯覚を覚えて、 無造作に紙をクシャっと握りつぶした時の、その紙になったような感じがして ぎゅっと胸が痛みました。

なんで毒キノコが悪いキノコなのだろう。たしかに人間などにとっては悪さをするキノコだけど、 キノコが悪いわけじゃない。何故、人間にこんな風に踏みつぶされなければいけないのか......。
このミツバチのささやきは少女アナの秘密の世界であるとともに、イザベルの秘密の世界でもあり、 父親や母親にも内に秘めた秘密の世界があることを伝えてきます。

この作品を思う時、自分の気持ちがすさんでいるときはイザベルの気持ちがよく分かり、 そして穏やかな気持ちでいるときはアナの気持ちがよくわかる、わたしにとってとても不思議な 作品でした。

2001.1.13
ADU



エル・スール ―南―
 ―EL SUR―

1983年/スペイン作品

監督・脚本…ビクトル・エリセ
原作…アデライダ・ガルシア・モラレス
CAST
オメロ・アントヌッティ
ソンソレス・アラングーレン
イシアル・ポリャイン
ロラ・カルドナ
ラファエラ・アパリシオ
オーロール・クレマン

エリセ監督の夫人アデライダ・ガルシア・モラレスの書いた同名短編小説の映画化作品です。

この小説は映画『エル・スール ―南―』で描かれたスペインの北バスク自治区を舞台にした話のあとに父親の故郷を訪ねた南を舞台にした話が続いていたそうです。
映画化も当初は南も描かれることになっていて『ミツバチのささやき』で父親役を演じたフェルナンド・フェルナン・ゴメスも出演することになっていたそうです。
何故、前半部分の北だけになってしまったのかはわかりませんが、父親の死に面して父親の想い出をたぐりながら自分自身の心を見つめるエストレリャの心の旅がわかるような作品でした。
エストレリャは、何故父親が死を選んだのかをさぐるように自分の記憶の中で父親の面影を追って心の旅をはじめます。

1957年父の死を知った15歳のエストレリャの記憶は8歳のころまでさかぼのっていきます。
この作品のキーワードになっているのも『ミツバチのささやき』と同じようにスペイン内戦による別離と秘密の存在なのかなと感じました。

8歳のエストレリャが感じた父親の秘密と15歳のエストレリャが感じている父親の秘密は同じでありながらまったく異質なものです。
愛らしく純粋な少女たちを描いた『ミツバチのささやき』に比べて、同じく少女を描いたものでもこの作品は父親にとっては嫌な作品かもしれません。

こどもの頃の女の子にとって父親というのは余程のことがないかぎり、自分の世界の大半をしめる存在でありどんな愛にもまさる存在なのだと思います。
わたしも幼い頃は父親っ子でした。
8歳のエストレリャにとってもそれはとても大切な世界だったのだと思います。
でも、だれでも成長していろいろなことが分かってくると少しずつその父親という言葉のもつカリスマ的なものは消えていってしまいます。

エストレリャが知った父親の秘密は母親以外に心をしめる人の存在。
当初、8歳のエストレリャにとってそれを知ったことは父親の秘密を共有できたような気持ちにもなります。
でも、ある日父親の秘密の陰に自分の知らない顔をした父親の姿を発見します。
心をしめる女性の出ている映画を観終えて映画館を出てきた父、カフェで手紙を書いている父を見つけた時、自分の知らない父親の姿を見てしまったのでしょう。
そんな時の寂しさや不安さが感じられるような気がしました。

15歳のエストレリャが、ずっと聞きたかったときりだした秘密が秘密でなくなる時。
自分が父親が想う人の存在を8歳の時に知ったと自分の心の秘密を話すのと、心の中にしまっていた秘密を娘に知られていたことを知った父親。
このふたつの秘密も同じことをさしていながら全く違う秘密です。
エストレリャにとってはずっと心のわだかまりになっていたことであっても過去のことなのでさほど重要なことではないことだったのかもしれません。
でも、父親にとっては違ったのです。
思いのほか動揺する父親に戸惑いも感じます。

「パパがわからない」という娘に父親は「それでは、こんなに小さいころはわかっていたのか」と問います。「比べられないわ」とエストレリャは言いますが.........こんなに小さい頃は、すべてを知っていると思っていた世界の中にいたのです。
裏も表もなく自分の目に見える父親の姿が父親のすべてだったのです。

エストレリャの初聖体拝受の日に娘と一緒に踊った「エン・エル・ムンド」を聴きながら父親はどんな寂しい気持ちを持ったのか......

こうして父と娘の物語はおわりをつげます。
エストレリャは父の生まれ育った南、父が想いをはせていた女の人が住む南へ旅立つところで終わります。

この作品は終始、エストレリャの観た世界、感じたこと、考えで話が進んでいきます。
8歳のエストレリャに映ったおとなの世界と自分の感じたこと、15歳のエストレリャに映った大人の世界と自分の感じたこと。
おとなの目線が入らない純粋で我儘で残酷な世界を感じることができると思います。
8歳のエストレリャは15歳になって幼い少女のころから少し大人にはなったけど、まだおとなにはなりきれない年なのだと思います。
少しおとなになったつもりで、父親に打ち明けた知っていた秘密の存在を口にすることが、父親にとってどれほど残酷なことかは感じていなかったのです。

このあとエストレリャが少しずつ成長して何を知っていったのか、父親に死を選ばせたのは何だったのか.........このあとのことが知りたいような、ここで終わって良かったような不思議な気持ちになります。

2001.1.14
ADU



ビクトル・エリセ(Victor Erice)監督


1940年6月30日スペイン・バスク自治州ビスカヤ県カランサ生まれ。
マドリード大学で政治学を専攻。
1959年に映画祭で観たフランソワ・トリュフ ォーの『大人はわかってくれない』に衝撃を受ける。
60年に国際映画学校に入学、いくつかの短編制作を経て卒業制作「失われた日々」で監督資格を取得。
同時に映画批評誌<ヌエストロ・シネ>などに批評やエッセイを寄稿する。
68年オムニバス映画『対決』で監督デビュー。
『エル・スール』の原作者アデライダ・ガルシア・モラレスはエリセ監督の夫人。

1992年
マルメロの陽光 ―EL SOL DEL MEMBRILLO―
カンヌ映画祭審査員賞、国際批評家連盟賞

1983年
エル・スール ―南― ―EL SUR―
シカゴ国際映画祭ゴールド・ヒューゴー賞

1973年
ミツバチのささやき ―EL ESPÍRITU DE LA COLMENA―

1968年
対決 ―LOS DESAFÍOS― 3人の監督によるオムニバス映画(監督デビュー作)
エリアス・ケレヘタ製作
クラウディオ・ゲリン、 ホセ・ルイス・エヘア、ヴィクトル・エリセ

1967年
八月の暗い夢 ―OSUCUROS SUEÑOS DE AGOSTO― 脚本

1963年
軌幅 ―ENTRE VIAS― 16ミリ短編(国際映画学校)
失われた日々 ―LOS DÍASPERDIOS― 35ミリ短編(国際映画学校卒業制作)
監督資格を取得
秋になれば ―EL PRÓXIMO OTOÑO― 脚本

1962年
失われた日記のページ ―PÁGINAS DE UN DIARIO― 35ミリ短編(国際映画学校)

1961年
テラスにて ―EN LA TERRAZA― 16ミリ短編(国際映画学校)


2001.1.14
ADU


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