エルネスト・チェ・ゲバラ........。 彼のことを知ったのはいつだっただろう。 中学生の終わり頃には彼の名前を知っていた。 それは、歴史の資料集でだったのか、それとも.......ちょうど彼の遺骨がキューバに帰ったあとだったので新聞の記事などで読んだのだろうか。 ともかく、彼の名前に惹きつけられた。そしてその眼差しに。 フィデル・カストロとともにキューバ革命をかちとった盟友。 そんな認識だったでしょうか。 米国中心に語られる世界観・歴史観に少しばかりの疑問をもち始めた頃。 その後の出会いは高校の1年の時、友人の学校の文化祭に行った時。 昇降口に貼ってあったポスター、カストロとチェ。 「若い頃のカストロだよね」と言う声がした。でもチェのことには誰も触れない。 もう一人はチェだよ。心の中でつぶやいた。 この頃は、チェ・ゲバラはアルゼンチン人であり、医師であり、安定したキューバでの生活よりも自分を必要をしている人々のために再びゲリラ兵士となり、ボリビアで政府軍に殺害された.......。 アルゼンチンには縁があるなぁ..... そんな認識。 つぎの出会いは高校1年の1月(2000年1月)、ヴィム・ヴェンダース監督作品「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」を観に行ったとき。 (この作品にはとても感銘を受けて、キューバの歴史や音楽にふれる機会になり、オマーラ・ポルトゥオンド、イブライム・フェレールを中心とした「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」のコンサートや、コンパイ・セグンドのコンサートにも足をはこんで思いきりはじけた) この作品自体のもつ魅力はもちろんだけど、わたしの目を惹きつけたものがもうひとつ........。 この作品の中には、いたるところにチェ・ゲバラがいる。 冒頭で映し出されるハバナの街並み。壁に書かれたキューバ革命の師カストロやゲバラをたたえる文字やポスター。 自分の写したカストロやゲバラの写真を誇らしげに見せる男性の声(彼は、あの有名なベレー帽のチェを撮ったアルベルト・ディアス・コルダだったのですが......この時はわからなかった)。 全編をとおしていろんなところにチェの写真があらわれる。 少しチェのことを調べてみる。でも資料は少ない。出版されている本は高校生にとってはちょっとお高い........。 その後「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」のDVDには、コルダの特典映像もありまたびっくり。 本編では語られなかったチェとのエピソードを語っている。 12月、ドキュメンタリー映画「チェ・ゲバラ ―人々のために―」を観に行った。 ずっと気になる人物だった。 これをきっかけに彼に関する本を読みながら、このページを作っていこうと思った.......。 冬休みのバイト代をつぎ込んでチェに関する本を買った。ちょっとずつ読みはじめたところ。 |
チェ・ゲバラ ―人々のために― |
2002年12月19日 BOX東中野 そんなこんなで、ずっと彼のことを知りたいと想いつつ、他の興味や大学受験で忘れがちになっていたとき、「チェ・ゲバラ ―人々のために―」というドキュメンタリー映画があることを知った。 でも、公開の有無もわからずに新しい生活環境の中にいて忘れていたのだけど.....。そんな時、母から携帯にメールが届いた「チェ・ゲバラの映画を観に行こう♪」と。 しばらくぶりのミニシアター、ちょっとどきどき。 壁に貼られたチラシの『あのころ世界で一番かっこいいのがゲバラだった。』というジョン・レノンの言葉が目についた。 そしてチェがカストロに宛てた”訣別の手紙”『自由を求める人々が僕のささやかな努力を望むかぎり闘い続ける。永遠の勝利まで。革命か死か。』胸のおくで緊張する自分を感じた。 いま、サイードの本を読んでいて、次はチョムスキーの本を読んでみたいと思ってる。 すると予告篇に現れたのはそのチョムスキー。こんなこともあるもんなんだってマジックを感じる一瞬。 チェがまだエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナだった頃を知っている古い友人アルベルト・グラナドスが少年期から青年期に向うチェのことを語る。 幼い頃から患っていた喘息に苦しみつつも活動を続けたこと。 1956年12月2日のグランマ号でのキューバ上陸(カストロと81人の同志のうち生き残ったのは12人)。その後の山岳ゲリラ戦。革命成功後の国家の建て直しの数々。 そしてフィデル・カストロとの人生をも変える運命的な出会いの証人、ともに闘った革命の同志たち、コンゴ、ボリビアまで同行した同志、チェを撮影した写真家リボリオ・ノバル、アルベルト・ディアス・コルダ、次女のアレイダ・ゲバラ・マルチのチェに対する想いや回想話に当時の映像がかさなり、生身のチェを映し出す。 活字と何枚かの写真でしか知らなかったチェが、彼らの想いとともに時を超えてひとりの愛すべき人間として甦ってくる。チェを想う人々の回想録が続く。実際に広く扉をあければ、当然、チェのことを疎ましく思っていた人や敵も多くいたはずである。 この作品の中では、キューバがどんな情勢にあったのか、中南米がどんな歴史を歩んできたのか、キューバ革命・キューバ危機とはなんだったのか、なぜチェが殺されなくてはいけなかったのか、または”だれが”チェをころしたのか。にはほとんどふれられていない。 ”だれが”コンゴに行かなければならないことを吹き込んだのか......という表現をしたところ以外では政治的なことに触れた箇所はなかったような気がした。 ”だれが”ではない、チェがそうしたかったのだ、チェの意志がチェを動かしていた。それを伝えてくる回想。それは彼らの願いであり、希望であり、気持ちなのだと感じた。 歴史の中で伝えられる大きな力の中での表現で、以前わたしの中ではカストロの印象はあまり良いものではなかった。伝えられるチェの英雄像からキューバ革命の英雄はチェのような気がしていた。たしかにそれは間違いではないと思う。でも、やはりキューバ革命の英雄はカストロなのだ(当然か......)。カストロにとってはチェがいたことが大きな力になっていたとしても、チェがいなかったとして痛手はあっても、やはり革命を成功させていただろう.......と。 チェの想いはラテンアメリカの解放にあったのだと思うし、生まれ故郷であるアルゼンチンにあったのだと思う、でもそれよりもカストロに宛てた手紙の中の一節がすべてなのだと感じる。 いつの時代にも大国からの干渉の中で苦しむ人々がいる。圧政に苦しむ人々がいる。 そして今の時代.........とてつもなく大きな力にたいして真っ向から向っていったチェの意志が尊まれる。 以前、ロバート・キャパ賞の写真展でデビット・バーネットの「ボリビアの少女」(1980年)という写真を観た。涙をためこらえた少女の目の見つめる先にあるもの、ボリビアという地名がそう思わせたのかもしれないけれど、コルダが1960年3月5日のラ・クーブル号襲撃事件の葬儀の日に撮ったチェのベレー帽姿の写真の眼差しの見つめる先にあるものとがシンクロしてた。 作品の最後の方で、ともに闘った同志がチェの眠る記念館に訪れる人々を観る時に、自分は彼と会ったことがあるんだという誇らしさの気持ちになるという話がでてきた。その言葉がすべてをあらわしていると思った。 この作品を観たあと、キューバ革命のことをもっと知りたくなった。 もっともっとチェのことが知りたくなりチェに関する本を買い込んだ(チョムスキーの本は買えなかった)。 その話はまたこのつぎに......つづく。 2003年1月2日 ―参考資料―(現在、読破中) エルネスト・チェ・ゲバラ伝 上巻(海風書房) ISBN4-7684-8875-7 エルネスト・チェ・ゲバラ伝 下巻(海風書房) ISBN4-7684-8876-5 チェ・ゲバラAMERICA放浪書簡集―ふるさとへ1953-56(現代企画室) ISBN4-7738-0102-6 1967年10月8日―チェ・ゲバラ 死の残照 (毎日新聞社) ISBN4-6203-1442-0 チェ・ゲバラの声―革命戦争の日々・ボリビア日記(原書房) ISBN4-5620-3492-0 リウスの現代思想学校 チェ・ゲバラ(晶文社) ISBN4-7949-1255-2 そうだったのか!現代史 (集英社) ISBN4-8342-5050-4 写真集 CHE チェ・ゲバラ 情熱の人生 (スタジオ・ナダ) ERNESTO che GUEVARA エルネスト・チェ・ゲバラ (海風書房) ISBN4-7684-8859-5 エルネスト・チェ・ゲバラとその時代―コルダ写真集 ISBN4-7738-9806-2 |