扇形機関庫と転車台のある駅 JR津山駅
2008/12/23開設 2017/05/03改訂 |
駅の南側・石山の石切場跡付近から見るJR津山駅全景(平成21(2009)年5月撮影)
JR津山駅本屋
JR津山駅の概要 所在地 岡山県津山市大谷178 開業年月日 大正12(1923)年8月21日 接続路線 JR姫新線・津山線(因美線の列車も乗入れ) 駅本屋の構造 木造モルタル瓦葺平家建 駅本屋の面積 約500u (隣接する上家等を除く) ホーム 島式ホーム2面4線
※駅本屋とは地下道で接続みどりの窓口 有(営業時間5:30〜22:30) 売店 有(セブンーイレブン(営業時間6:30〜20:30) お土産も有。) その他の店舗 駅前広場東側に観光案内所あり(物産・グッズの販売あり) 駅弁販売 なし (セブンーイレブンで普通の弁当・サンドウィッチ等の販売あり) コインロッカー 有 トイレ 改札外1ヵ所 タクシー 乗り場有 バス 大阪・京都方面へのハイウェイバス乗場併設。
東京行き夜行バス、広島行き高速バス乗場・近郊路線バス乗場あり。その他 駅前広場に面して交番あり。 駅に併設のJRの主な機関 津山運転区
岡山気動車区津山派出
岡山保線区津山管理室
岡山支社輸送課指令所津山派出
岡山電気区津山駐在
津山駅前案内図(平成29年4月現在)
■ 岡山県北の中核駅 JR津山駅
中国地方山間部・岡山県北の中核都市である津山市。
その玄関口であるJR津山駅は、東西南北から路線が集まる中国地方の主要駅の一つでもあります。
開業は大正12(1922)年8月21日。
作備線 津山−美作追分間、津山−津山口間の開通に伴い、津山町(現在の津山市)への玄関口として設置されました。
しかし、この場所は津山市街地から吉井川を隔てた南岸(旧福岡村)にあり、開業当時は辺り一面田んぼで、 駅と関連施設(開業と同時に開設された岡山機関庫津山分庫など)がポツンとあるだけでした。
その後、因美線開通や姫新線の全通に伴い、津山の玄関口として駅周辺も発展し、陰陽連絡路線の中核駅としても重要性が増していきました。
運行される旅客列車も、昭和30年代半ばまではSLが牽引する普通列車が殆どでしたが、 昭和35(1960)年には大阪−上井・中国勝山間の気動車準急「みささ」「みまさか」、岡山−中国勝山間の気動車準急「ひるぜん」、 また昭和37(1962)年には宇野−鳥取間の気動車準急「砂丘」がそれぞれ運行開始となり、 津山駅にも気動車の優等列車が姿を見せるようになりました。
昭和46(1971)年3月に津山線からSLが姿を消すと、津山駅には気動車やディーゼル機関車の牽引する列車が集うようになります。
また、津山駅は岡山県北の鉄道貨物の一大集散地でもありました。
津山駅を含めた岡山県北各駅発着の鉄道貨物や鳥取方面発着の鉄道貨物が一旦ここ津山駅に集まるため、 貨物列車の発着や貨物の積み下ろしでも賑わっていました。
駅員数も、開業当初は24人だったものが昭和21(1946)年には100人を超え、昭和29年頃には131人となります。
津山駅には、機関区や保線区、車掌区、客貨車区支区なども設置されており、これらをあわせると、数百人が勤務する「大所帯」でした。
津山駅からの乗客数も、昭和30年代から昭和40(1965)年頃にかけては1日平均9,000人を超えており、まさに主要駅の一つであったのです。
しかし、自動車の普及や沿線住民の減少により鉄道利用者は減少を始めます。
各線とも利用者や貨物の取扱量が減少し、津山駅での貨物取扱は、昭和50年代に廃止されました。
昭和50(1975)年には中国自動車道が開通、同年に中国ハイウェイバス(津山−大阪間)が登場すると、 京阪神方面への利用客を中心に津山周辺での鉄道利用者の減少に拍車がかかり、 「みささ」「みまさか」は平成元(1989)年3月に廃止となります。
また、1日5往復運行され利用者の多かった岡山−鳥取間の「砂丘」も、津山を経由しない智頭急行線経由の特急にその座を譲り、 平成9(1997)年11月に廃止となりました。
「砂丘」廃止後、津山発着の優等列車は岡山−津山間の急行「つやま」1往復のみとなりましたが、 この「つやま」も、平成21(2009)年3月14日に行われたダイヤ改正で廃止となったため、 現在、津山発着の優等列車はありません。
因美線の鳥取直通列車・姫新線の姫路直通列車ともになくなり、駅弁の販売も今はありません。
津山駅からの乗客数も1日平均2,100人ほどと、かつての賑やかさはなくなってしまいました。
しかし、現在でも津山運転区や岡山保線区津山管理室、CTCセンターなどの機関が集まり、 この地域を管轄する駅であると同時に、津山の玄関口としての役割を今でも果たしているのです。
昭和38(1963)年3月末の津山駅正面の様子(管理人所蔵)。
この頃、駅本屋は既に開業当時ものを増築し、さらに屋根続きで右側に集札口や手小荷物取扱所が設けられている。
また左側には貨物取扱所や貨物ホームの上家も見える。
この頃は駅本屋正面に停まっている車も少なく、ここからバスを利用する人が多かった。
写真右側、ロータリー内のモニュメントは、昭和30(1955)年に西日本で最初に復元された沼住居遺跡(津山市沼) の弥生時代の竪穴式住居をモチーフとしたもの。
上の画像から約45年経過した、平成20(2008)年2月の津山駅正面の様子。
駅舎は一部が変わっているものの、基本的な部分に変化はない。
駅前にはタクシーなどの車がずらりと並び、45年の間に車中心の社会に変化したことがわかる。
貨物取扱所は昭和50年代半ばに鉄骨造2階建に建て替えられたが、貨物取扱廃止後は、旅行センターや駅長室、 会議室などとなっていた。
写真左側の警察駅前派出所は、建て替えられたものの、位置は変わっていない。
ロータリー内の竪穴式住居のモニュメントは、平成17(2005)年の岡山国体に伴う駅前広場整備により撤去され、 津山出身の幕末の洋学者、箕作阮甫の銅像に置き換えられた。
上の画像から、さらに9年経過した、平成29(2017)年4月の津山駅正面の様子。
駅前の全面的な整備事業が行われ、駅前広場・ロータリーの形状が変わり、駅舎前にバス乗り場が整備されるなど、 配置が大きく変わったが、駅本屋・旧手小荷物取扱所は変わっていない。
旧貨物取扱所は撤去され、警察駅前派出所は、画像右端の位置に移転し、駅前交番となった。
昭和50年代初め頃の津山駅構内配線図(管理人作成)。
構内の線路の配線が一番複雑だった頃を再現したもの。
(あくまで配線の概要を示したものなので、長さや分岐の角度等は実際と異なっている部分があります。)
こちらは平成29年現在の津山駅構内配線図(管理人作成)。
昭和50年代初めと比べて、かなりの線路が撤去・整理されている。
(こちらの図も、長さや分岐の角度等は実際と異なっている部分があります。)
■ 津山駅の駅本屋について
津山駅の駅本屋(駅舎)は木造モルタル瓦葺の平家建て。
(※ 駅におけるメインの駅舎を「駅本屋(えきほんや)」と呼びます。)
ローカル線の駅ながら駅本屋内のコンコースは広く、入口を入って右側には「セブンーイレブン」があり、 左側には待合室や自動券売機、正面にみどりの窓口と改札があります。
この駅本屋は、何度か大きな改装や増築が行われているものの、大正時代からのもの。
駅舎に取り付けられている建物資産標によると、大正12(1923)年6月の建築となっています。
これは開業時からの駅舎であることを示しています。
平成22年4月現在の津山駅本屋平面図(管理人作成)。
津山駅本屋に取り付けられている建物資産標
開業した当初の駅本屋は、ペンキを七度も塗ったという、当時としてはモダンで重厚な駅舎でした。
しかし、開業から1ヶ月半ほど経った大正12(1923)年10月3日朝、
駅本屋で使われていた石油ランプの消し忘れから火災が発生し、駅本屋は焼けてしまいました。
その火災で焼け残った柱などをそのまま使って復旧された駅舎が、現在の駅本屋なのです。
しかし、建物資産標では大正12年6月に建築されたものとなっているため、 火災による駅本屋の復旧にあたっては、建て替えを行っていないことを示しています。
この駅本屋は姫津線全通や戦後の旅客増などに伴い増築や改装が繰り返され、 昭和40年代前半に行われた大規模な改装では、建築当時からあった屋根のドーマーウィンドウ(屋根面に突き出した三角屋根)が取り払われるなど、 内外装が大きく変わりました。
また、昭和50年代半ばには駅本屋東端の姫新線全通にあわせて増築した部分(駅前に張り出した部分)が撤去され、 現在の姿となりました。
また、その頃まではこの駅本屋の西隣(現在コインロッカーがある辺り)が集札口(出口)となっており、 改札口(入口)と集札口(出口)が別々となっていました。
ホーム側から地下道を進むと、駅本屋手前で階段が2方向に分かれており、 地下道から直進する階段を上がれば集札口、地下道から直角に曲がっている階段を上がれば改札口、となっていました。
現在では集札と改札が1ヶ所にまとめられ、集札口へつながっていた地下道の階段はコンクリートで塞がれてしまいましたが、 改札口前の広いコンコースは、かつて1日あたり1万数千人が乗降したという利用者の多さを物語っています。
津山駅本屋の増築部分の概要図(管理人作成)。
赤枠部分が駅本屋で、青枠部分が別棟・上家。
赤枠の斜線部分が駅本屋の増築された部分。こちらは昭和50年代初め頃の津山駅本屋平面図(管理人作成)。
改札口・集札口が別々だった頃を再現したもの。
(当時の資料を参考にしたほか、記憶を頼りにしている部分もあるため、実際と異なっている部分があるかもしれません。)
平成29年現在の津山駅コンコース。
画像の最も左側に自動券売機があり、改札口左横にはみどりの窓口と精算所、画像右側に「セブンーイレブン」がある。
また、画像には写っていないが、撮影場所後方に待合室がある。
またコンコース天井には、地元の津山高校・津山東高校の生徒が平成5(1993)年に製作した絵が 取り付けられている。
■ 駅本屋に連なる諸建物
津山駅の駅本屋の西隣には、屋根続きの形で上家と2階建ての建物が設けられています。
(壁がなく、柱と屋根だけの建築物を「上家(うわや)」と呼びます。)
このうち上家は、昭和31(1956)年に造られたもの。
改札内の地下道階段直上から北側にかけて、駅本屋外の路線バス乗り場前までを覆っています。
かつてはこの上家の下に、地下道から直進してくる階段と、集札口がありました。
集札口が廃止された後、階段は塞がれて店舗スペースが設けられていましたが、現在は店舗も撤去され、コインロッカーが設置されています。
上家を構成する柱や梁などには、昭和2(1927)年から昭和23(1948)年にかけて国内で製造された古レールが使用されています。
この3点の画像は、駅本屋西隣の上家を見たもの。
上の画像のうち左側は、駅本屋正面出入口横から見たもので、右側は改札内・駅本屋側の地下道階段付近を見たもの。
古レールを利用した鉄骨造で、古レールが綺麗にアーチを描いている。
上家に続く2階建ての建物は、昭和29(1954)年に手小荷物取扱所として建てられたもの。
この建物も支柱などに古レールが使用されており、一部にアメリカから輸入した古レールも使用されています。
手小荷物取扱所が廃止になった後は店舗やJR関連会社の事務所としても使用され、 平成21(2009)年から平成28(2016)年までは津山市観光協会の津山駅観光案内所として使用されていました。
(現在、駅観光案内所は、駅東側へ移転しています。)
またトイレも併設されており、駅利用者用トイレは、この1ヶ所のみとなっています。
駅本屋西隣の上家に続く2階建ての建物は、旧手小荷物取扱所。
この建物も支柱や斜材などに古レールを利用している。
1階・駅正面側にはトイレもある。
■ 津山駅のホームと地下道
津山駅のホームは駅本屋から線路を隔てて2本設置されており、 駅本屋に近い方から1・2番ホーム、線路をはさんで3・4番ホームとあります。
(このように、線路に挟まれて設置されているホームを「島式ホーム」と呼びます。)
ホームの幅は約6m。
長さは約120m〜250mと幅がありますが、各ホームとも7両編成の列車にも対応できる長さをもっています。
各ホームから発車する列車は行先によって分けられており、基本的には、 1番ホーム=因美線上り、2番ホーム=姫新線上り、3番ホーム=姫新線下り、4番ホーム=津山線下り、となっています。
駅本屋とホームは地下道で接続されています。
(平成10(1998)年頃までは誇線橋でも接続されていましたが、現在、跨線橋は閉鎖されています。)
この地下道も、開業当時からのもの。
開業当時、ホームは1・2番ホームの1本しかなく、駅本屋とは地下道で接続されていました。
昭和3(1928)年3月に因美南線 津山−美作加茂間が開業すると3・4番ホームが設置され、 地下道もそれにあわせて3・4番ホームまで延長されました。
津山駅1・2番ホーム
津山駅3・4番ホーム
戦後になると、利用者増・列車の編成の長大化の伴い、昭和39(1964)年には3番ホームが東側(姫路方)に延長され、 続いて昭和43(1968)年には4番ホームも東側へ延長されます。
また、駅本屋と各ホームを結ぶ唯一の利用者通路であった地下道がホームの西側(新見方)の端にあったことから、 昭和49(1974)年には駅本屋よりも東側に跨線橋が設置され、駅本屋と各ホームの間の移動は、地下道と跨線橋に分散されることとなりました。
加えて、昭和52(1977)年には、1・2番ホームが東側(姫路方)へ延長されました。
現在のホーム形態はこのとき作られたものですが、その後の利用者減少や列車の編成の短縮、急行列車の廃止などに伴い、 ホームの延長部分は使用されなくなり、急行「砂丘」が平成9(1997)年11月に廃止された後、平成10(1998)年頃には跨線橋も閉鎖となりました。
1・2番ホームの木造の上家は、駅開業前に造られたもの。
建物資産標を見ると、大正11(1922)年12月の建築であることがわかる。
また、3・4番ホームは、昭和3(1928)年3月の因美南線 津山−美作加茂間の開業にあわせて造られたため、 木造の上家もこのとき造られた。
また、駅本屋と1・2番ホーム、3・4番ホームをつなぐ地下通路も、それぞれのホームの設置と同時に造られた。
今も変わらず、乗降客の移動を支えている。
上の画像は、3・4番ホーム側から駅本屋側を見た地下通路。
かつて駅本屋隣に集札口があった頃は、地下通路の駅本屋側突き当りにも直進階段があり、集札口へと続いていた。
今はコンクリートで塞がれて、駅本屋改札口へ延びる階段のみが使用されている。
急行「砂丘」が廃止されるまでは、昼前後に急行が到着すると、ホームでは津山駅で駅弁販売を行っていた「吉野館」の販売員が『べんと〜べんと〜』と 声を揚げて「しいたけ弁当」などを販売していました。
また、1・2番ホーム、3・4番ホームともにキオスクの売店がありました。
しかし、現在ではこれらは全てなくなり、以前の賑わいはなくなってしまいました。
【‘09年1月31日追記】
■ 津山駅で販売されていた駅弁「しいたけ弁当」
駅前商店街にあった「吉野館」が昭和38(1963)年から津山駅で販売していた駅弁が「しいたけ弁当」。
当初は「しいたけめし」という名称で販売され、昭和50年頃に「しいたけ弁当」に変わりますが、 容器に敷き詰めたご飯の上に津山特産の椎茸の煮物と、錦糸玉子、鶏そぼろが載せられ、 付け合せの香の物が添えられているという、変わらない姿で長年販売されていました。
(ちなみにこの「しいたけ弁当」以外にも、「虹鱒ずし」や「かに寿司」も販売されていました。)
「しいたけ弁当」は以前より隠れた名駅弁として知られていましたが、 平成9(1997)年11月の急行「砂丘」の廃止を最後にホーム上での販売は取り止めに。
その後も駅前商店街にある本店兼工場と駅構内で僅かながら販売していましたが、平成14(2002)年9月にこの本店が火災で焼失。
ついに駅での販売から完全に撤退となり、駅弁ファンからは「幻の駅弁」と呼ばれるようになってしまったのです。
「吉野館」は、駅から北へ0.8kmほど離れた津山観光センター内にある「お食事処 よし乃」も経営しており、 本店焼失後もこの「よし乃」で、駅売り当時とは異なる容器包装で「しいたけ弁当」を販売していましたが、 駅売り当時の容器包装の要望が強く、その結果、かつてよりも一回り小さな容器ではあるものの、 以前と同様の姿の「しいたけ弁当」の販売を、この店舗での注文販売という形で再開しました。
現在でもこの「よし乃」で、懐かしい味を求めることが出来ます。
懐かしの「しいたけ弁当」。
価格は670円程度に抑えられている。
● 「しいたけ弁当」の販売場所 吉野館城下店「よし乃」
所在地: 津山市山下97-1 津山観光センター内
(JR津山駅から駅前の国道53号線を鳥取方向へ進み、「今津屋橋」を渡ったところで、そのまま通称「鶴山通り」を北進。
「中国銀行津山支店」前の交差点を東方向に曲がり、「津山国際ホテル」「旧津山基督教図書館」を過ぎると、「津山観光センター」。
JR津山駅より約0.8km。)営業時間: 午前10時〜午後5時 定休日: 月曜日 駐車場: あり 注) 「しいたけ弁当」は注文を受けてからの調製となるため、出来上がりまでしばらく時間がかかる場合があります。
また、その日の仕入れや販売の状況によっては早期に販売終了となることもありますので、 予め電話等で確認・予約等をすることをお勧めします。
●ちなみに・・・
津山駅2番ホーム(姫新線上りホーム)は、地方の非電化ローカル線にしてはやたらと長く 約250mもあり、13両編成の列車にも対応できる長さがあります。
津山駅のホームでも、こんなに長いのは2番ホームだけです。
この長いホームを見て、「なぜ?」と思われる方も多いのではないでしょうか。
この2番ホームは当初からこの長さではなく、昭和52(1977)年に延長されたものです。
かつての津山駅は、「みささ」「みまさか」「やまのゆ」「砂丘」といった気動車急行が集まる 主要駅でした。
このうち、大阪方面と山陰・岡山県北を結ぶ「みささ」と「みまさか」、 山陰と山陽を結ぶ「砂丘」は、ここ津山駅で分割・併合を行っており、 大阪方面と津山の間は併結されていた「みささ・みまさか」が津山駅で分割され、 「みまさか」はそのまま姫新線を中国勝山方面へ、 「みささ」は岡山方面からの「砂丘」と併結し、「砂丘・みささ」として鳥取方面へ運行されるという、 複雑な形となっていました。
全盛期・昭和40年代〜50年代には、「みささ・みまさか」「砂丘・みささ」ともに10両以上の編成で運行され、 大阪方面行の「みささ・みまさか」が発車する2番ホームは、この編成が停車できるよう長さが延長されたため、 このように長いホームになったのです。
同様に鳥取方面行の「砂丘・みささ」が発車する1番ホームも、10両編成に対応できる長さとなっています。
また、これらのホームよりは短いものの、3番ホームも9両編成に対応できる長さです。
このホームからも、かつて長編成の「みまさか」が発着していたこともありました。
今ではこうした長編成の列車が発着することはありませんが、 今でも残る長いホームとそこに記された表示は、かつて賑わっていた頃の名残をとどめています。
津山駅の2番ホーム。
長いホームの姫路側エンドには、12号車の乗車位置を示す表示が今でも残る。
このような長いホームがある反面、1番ホーム向かい側(駅本屋東隣)には、 上家もなく、2両ほどしか停車できないホームがあります。
津山駅1番ホームの姫路側エンドには、10号車の乗車位置の表示が残る。
3番ホームの姫路側エンドにも、9号車の乗車位置を示す表示が残る。
「こゝから2両座席指定」とある。
このホームは旅客用には使われていませんが、稀に事業用車両が停まることがあります。
(以前は、団体列車の乗降が行われていたこともありました。)
このホームはもともと貨物用として使われていたものです。
かつて津山線・姫新線・因美線で貨物列車が運行されていた頃、 このホームから北側(現在の駅前広場(自家用車乗降場など)や民間の葬祭ホールなどがある場所)にかけて 貨物ヤードが広がっており、このホーム以外にも1面2線の貨物ホームや貨物取扱所などがありました。
また、現在もある津山駅1番線(駅本屋に一番近い線路)は、 当時は姫新線上り方面の貨物列車の出発線として使用されており、 駅本屋西隣(駅本屋と屋根続き)の2階建ての詰所には手小荷物取扱所もあったため、 多くの荷物が集まる駅でもありました。
このように、鉄道貨物の最盛期には津山駅も貨物の積み下ろしで賑わっていましたが、 自動車での貨物輸送が中心となった昭和50年代末には取扱が廃止されてしまいました。
不要になった貨物ヤード跡地は、現在では駅前広場や民間の葬祭ホールなどに変わってしまいましたが、 ホームの一部は、用途が変わりながらも、こうして残っているのです。
今でも残る津山駅旧貨物ホーム。
■当サイト内の文章・画像の無断転載の禁止について(注意)■ (2011/03/04掲載)
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津山駅では、乗車目的以外で改札口よりホーム側へ立ち入る際でも、入場券が必要です。
ホーム見学などの場合は、入場券を購入し、改札より入場して下さい。
関係者以外立入禁止の場所への立ち入りや利用者通路・ホーム以外の通行は、絶対に行わないで下さい。
JRの方のご迷惑となったり、列車の発着に支障となる場合があります。
ホームでは内側に下がり、列車の発着に支障とならないようにお願いします。
また、扇形機関庫・転車台はJRの敷地内にありますが、 一般公開部分以外への無断立入などの行為は絶対に行わないで下さい。
こうした行為は、JRの迷惑となると同時に、事故の原因となる場合もあります。
住民の方やJRの方のご迷惑にならないよう、節度を守って見るようにしましょう。