津山が誇る鉄道文化遺産 〜旧津山機関区 扇形機関庫〜

全国に現存する12の扇形機関庫〜No.3
旧盛岡機関区荒屋新町支区 扇形機関庫
(岩手県八幡平市)


2010/04/29開設 2011/11/03改訂
旧盛岡機関区荒屋新町支区 扇形機関庫
旧盛岡機関区荒屋新町支区 扇形機関庫
岩手県の好摩と秋田県の大館を結ぶ花輪線の中間に位置する荒屋新町駅(岩手県八幡平市)には、 かつて盛岡機関区荒屋新町支区や花輪線管理所が置かれ、 花輪線で運行されていた8620型などのSLが所属していました。
現在も扇形機関庫・転車台が残っており、現役で使用されています。

荒屋新町の扇形機関庫は、鉄骨鉄筋コンクリート造の4線構造で、奥行は設計標準の乙種に該当する約23m、 収容庫入口には庇付きで両開きの扉が設けられていますが、修繕職場等は設けられておらず、 SLの収容と点検を行うことを主とした機関庫だったことがわかります。
外周部は支柱が鉄骨鉄筋コンクリート、側面の壁面はコンクリートブロック、背面の壁面はコンクリート(モルタル?)、 内部の支柱や梁は鉄骨で構成されており、 屋根面はコンクリートの陸屋根となっています。
排煙の煙突は全て撤去されています。

この扇形機関庫の竣工時期について、私が調べた範囲では明確な資料がありませんでしたが、 こうした構造は戦後の建築物によく見られること、「盛岡機関区写真史」(昭和47年発行)には、『新車庫』として紹介されていることから、 昭和30年代から40年代に建設されたものではないかと考えられます。
現在この扇形機関庫には、保線等で使用されるモーターカーが主に収容されています。

扇形庫前面には、明治36(1903)年にドイツ・ハーコートで製造され輸入された、50ft級の電動上路式転車台が設置されており、 現在も使用されています。
この転車台は、明治期の輸入転車台で現存する数少ないものの一つとして、非常に貴重です。

なお、この扇形庫・転車台は駅構内にあり、現役で使用されている施設です。
一般公開等は行われておらず、無断で立ち入るなど、現場の方のご迷惑とならないようにしましょう。

 (調査・撮影時期) 平成19年6月(許可を得て立入)
 (参考文献) 「盛岡機関区写真史」昭和47年 盛岡鉄道管理局盛岡機関区

右の画像は、荒屋新町の扇形庫正面。
収容庫入口(開口部)には庇が設けられ、各線とも両開きの扉がある。
また屋根高が低く抑えられ、当初から天井部分にはクレーンやホイストなどを設置する予定がなかったことが窺える。

扇形庫の正面
扇形庫の内部1
左の画像は、荒屋新町の扇形庫内部の様子。
現在もモーターカーの整備・点検が行われており、 検修ピットやモノレールホイストなど整備・点検のための設備が設けられている。

荒屋新町の扇形庫は、支柱や梁なども鉄骨で組んでいる。
また天井部分には、SL時代の煙の煤がそのまま残っている。

扇形庫の内部2
扇形庫の側面から背面にかけて
扇形庫の側面(4番庫側)から背面にかけての状況。
4番庫側の側面は、コンクリートブロックの上にスレート板が掛けられている。
背面側は、採光を考慮してか、支柱間の幅一杯に窓が取られている。
荒屋新町の転車台
荒屋新町の転車台の銘板
荒屋新町の50ft上路式転車台とその銘板。
この画像では見えないが、転車台のピット側壁は石を積み上げて造られている。
現在も現役で使用されているが、この日はレール運搬用車両が上に載ったままだった。
銘板は塗装が厚く塗られており文字が読みづらいが、「1903」「Harkort」などが読み取れる。

■当サイト内の文章・画像の無断転載の禁止について(注意)■ (2011/03/04掲載)

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