旧津山機関区(現津山運転区)の構内について
2005/05/16開設 2017/05/03改訂 |
旧津山機関区構内(津山運転区)
(大隅公園より撮影・写真奥に扇形機関庫)
津山運転区は、津山駅ホームの西側に位置し、 扇形車庫・転車台があるほか、留置線など9線を擁し、 津山線・因美線・姫新線で運用されるキハ40形、47形、120形といった気動車の基地となっています。
かつてはここに「津山機関区」があり、SL時代には8620形、C11形、C12形、C56形、C58形などが 配置され、ここを拠点として津山線・因美線・姫新線を走っていました。
(津山線は主としてC56形〜C11形が、姫新線・因美線は主として8620形〜C58形が 走っていたようです。)
津山機関区は、大正12(1923)年に省線作備線(現在の姫新線 津山−新見間)のうち 津山−美作追分間、及び津山−津山口間(現在の津山線 津山−津山口間。 津山口−岡山間は、明治時代より中国鉄道が運行)が開通し、 津山駅が開業したことに伴って、「岡山機関庫津山分庫」として設置されたことが始まりで、 その翌年、「津山機関庫」に昇格となりました。
(昭和11(1936)年9月の職制改正により、「機関庫」という組織名称は「機関区」と改められています。)
ただし、津山機関庫開設当初は現在のような操車場はなく(用地は津山駅開業時にほぼ確保済みだったようですが)、 現在の操車場の基本形態が出来たのは、昭和11年に省線姫津線(現在の姫新線 姫路−津山間) が全通した時のようです。
それまでの機関車庫は2線の矩形庫(4両収容、面積は約678u)でしたが、この姫津線全通にあわせて、 矩形庫にかえて扇形車庫が建設され、扇形庫内17線を含む収容線23線、区内線4線のほか、 給炭・給水等の設備の設置や機関庫関連の各種建物の建設が行われました。
この津山機関庫の整備には、30万円の巨費が投じられたとの記述もあります。
(当時の津山市の年間財政規模が30〜40万円程度でしたので、 当時の津山の中では一大事業であったと言えるでしょう。)
この操車場の面積は約2ヘクタールで、その後の所属車両数の増加などに伴い、 区内線や設備の増設も行われました。
津山駅は、津山線・因美線・姫新線が集中する駅であり、 これらの路線は、山陰・山陽を結ぶ交通手段として、また山陰と京阪神を結ぶ交通手段として重要視されていました。
そして、それぞれの路線の中継地点である津山には、かつては機関区の他にも保線区や車掌区、客貨車区支区などが 置かれ、4方向に延びる列車輸送を担う交通の要衝としての機能を有していました。
このため、SL全盛期の昭和20年代〜30年代、津山機関区には最大37両のSLが配置され、 昭和29(1954)年には、機関区だけで304名もの職員が業務に従事していました。
また、SL牽引の列車に替わり気動車の導入が進んだ昭和30年代以降は、 姫新線経由で大阪方面や広島方面から、津山線・因美線経由で岡山方面や鳥取方面から、 それぞれDC(気動車)準急・急行が運行されるなど、 この地域の公共交通の要として大きな役割を担っていました。
昭和46(1971)年に津山線・姫新線の列車がDC・DL化され、 この地域での蒸気機関車の役割が終わった後も、気動車・客車の基地として機関区は存続していましたが、 機構改編により昭和60(1985)年からは「津山運転区」、 次いで津山車掌区との統合により「津山列車区」と変わっていきました。
津山線や姫新線を管轄する「津山鉄道部」が設置された平成2(1990)年以降は、 「津山鉄道部津山西分室」から「津山鉄道部津山運輸センター」となり、 津山鉄道部の最終所属車両は、キハ40が2両、キハ120が13両の計15両でした。
平成20(2008)年6月1日以降は、津山鉄道部の廃止により、名称は再び「津山運転区」となっていますが、 気動車の配置が岡山電車区気動車センターに統合されてしまったため、車両配置はなく、 乗務員基地としてのみ存続しています。
このように数々の変遷を辿っている旧津山機関区ですが、津山線・姫新線・因美線で運用される車両は、 この津山運転区を運行の拠点にしており、今でもかつてと同じく、 岡山県北の鉄道の中枢としての役割を担っています。
扇形庫以外のSL時代の遺構は、給水塔・給炭台・スポート(機関車に給水するための大型の立水栓) ・サンドホッパー(機関車に滑り止め用の砂を補給するための給砂塔)とも撤去され、 平成9(1997)年には機関区の事務所棟も解体されて駐車場などになりましたが、 2番線にはアッシュピット(蒸気機関車の内部に溜まった石炭の燃え殻や灰を掻き落とす溝)がまだ残るなど、 扇形庫などと併せて、SL時代の面影を残しています。
この操車場については、平成8(1996)年に津山市や「津山まちづくり市民会議」が中心となって 市民から公募した、『津山百景』の一つにも選定されています。
なお、駅ホーム東側から南側にかけては、津山周辺で客車の列車が運行されていた頃の名残である留置線が、 数年前まで数本残されていましたが、現在は全て撤去されています。
まだ機関区事務所棟(右手の2階建て)が残っていた頃。
('89年10月撮影。写真中央左寄りの平屋建ての建物付近に、
以前は給水塔がありました。)
●ちなみに・・・
昭和37(1962)年製作の松竹映画『秋津温泉』(長門裕之、岡田茉莉子主演)は 奥津温泉を舞台とした映画でしたが、津山駅本屋やホームでも撮影が行われました。
当時の駅本屋や、C11の牽引する津山線の列車、津山機関区の操車場などを、 わずかな時間ですが、カラー映像で見ることが出来ます。
特に、今は無き給水塔やサンドホッパーも映っており、当時の様子を窺うことが出来る、 貴重な映像です。
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留置線は、大隅公園から見ることも出来ます。
道路や大隅公園から見る場合、周辺は住宅地で駐車場もありませんので、 住民の方やJRの方のご迷惑にならないよう、節度を守って見るようにしましょう。