津山が誇る鉄道文化遺産 〜旧津山機関区 扇形機関庫〜

「津山まなびの鉄道館」の扇形機関庫に集う車両たち


2017/05/03開設

津山まなびの鉄道館の扇形機関庫に集う車両たち
津山まなびの鉄道館の扇形機関庫に集う車両たち

「津山まなびの鉄道館」の扇形機関庫には、現在1両のSLと12両のディーゼル車両が展示されています。
いずれも我が国の鉄道の歴史を振り返る上で、貴重な形式の車両たちです。
これら展示車両を、鉄道のディーゼル化の流れとともに、ご紹介します。

▼ ディーゼル車両の形式の表し方 ▼

■ ディーゼル機関車の形式の表し方
(例) (表す内容)
  50 ・・・ @ 動力がディーゼル(Diesel)であることを表す
@ A B A 動力の働く車軸の数を表す
   B・・・2軸 C・・・3軸 D・・・4軸 E・・・5軸 F・・・6軸 
B 最高速度または試作機等の別を表す
   10〜39・・・最高速度85km/h以下 50〜89・・・86km/h以上
   40〜49,90〜99・・・試作機、外国からの借入機関車

■ ディーゼル動車(気動車)の形式の表し方
(例) (表す内容)
・・・ @ 車両の種別を表す
キ:エンジン付車両  キサ:付随車
@ A B C A 車両の用途を表す
ロ:グリーン車  ハ:普通車  ユ:郵便車  シ:食堂車
ニ:荷物車
B エンジン方式を表す
1〜4:エンジン1台付(小馬力)  5:エンジン2台付(小馬力)
6,7:大馬力エンジン  8:特急形  9:特殊車
C 運転台形式
0〜4:車両の両端に運転台があるもの(特急形を除く)
5〜9:車両の片側に運転台があるか、運転台のないもの

● 戦前・戦後のディーゼル車両開発の背景

我が国に鉄道が開通して以来、路線の延長とともに蒸気機関車は活躍の場が増え、 特に昭和11(1936)年に貨物用として登場しながらも、万能機として1,115両も製造されたD51形に代表されるように、 昭和の戦前・戦後を通じて、最盛期で約6,000両の蒸気機関車が活躍していました。
しかし、蒸気機関車はエネルギー効率が悪く煤煙も多く出るため、これに代わる動力として、 戦前からガソリンやディーゼル燃料を使用した内燃機関を動力とする車両が開発されたり、 主要路線では電化により、蒸気機関車から電気を動力源とする車両に順次切り替えが行われてきました。

しかし、戦前においては、ガソリンやディーゼルを燃料とする内燃機関の車両などは、 エンジンなどにおける技術面での課題が多く、また戦争による燃料事情の悪化などから、開発は進みませんでした。
また、電化についても、整備費用などからなかなか進まず、一部の主要路線や、私鉄での導入にとどまっていました。

D51形蒸気機関車
旧・片上鉄道キハ303
D51形蒸気機関車
1〜95号機は、煙突から蒸気溜めまでがカバーで覆われているため「ナメクジ」と呼ばれている。
このD51−2号機は、平成27(2015)年、大阪の旧・交通科学博物館から津山へ移設された。
旧・片上鉄道キハ303
元・国鉄キハ41000形(昭和9(1934)年製造)で、旧・吉ヶ原駅で動態保存されている。
動態保存されている気動車としては国内最古。

終戦後、連合国の占領下にあった日本に、アメリカがディーゼル機関車を持ち込みました。
そのことにより、我が国の内燃機関を動力とする車両についての技術は、諸外国に比べても大きな遅れをとっていたことが明白になります。
その後、終戦後の経済が復興し成長してゆく中で、鉄道における動力近代化の必要性が再び唱えられるようになります。
しかし、動力近代化を達成するためには、内燃機関を動力とする車両についての技術レベルの向上とともに、 電気を動力とする車両、内燃機関を動力とする車両とも、新たな車両の開発を図る必要がありました。
このため、内燃機関を動力とする車両については、昭和27(1952)年頃からディーゼルを燃料とする車両の開発が始まりました。
このような段階を経て、昭和35(1960)年から15か年計画で、主要線区においては電化を図り、 地方線区においてはディーゼル化により蒸気機関車からの転換・無煙化を図るという、国鉄の動力近代化計画が策定されます。

内燃機関を動力とする車両には、内燃機関を機関車に搭載したものと、客車に搭載したもの(これを「動車」と呼びます)との、 2種類に分類されます。
これらの車両の燃料は、機関車がほぼディーゼル燃料であったのに対し、動車は、昭和20年代まではガソリンのものと、 ディーゼル燃料のものが存在していました。
しかし、ガソリンに比べディーゼル燃料の方が安全で燃費も良いことから、昭和20年代後半からは、ディーゼル燃料による動車 (「ディーゼル動車」または「気動車」と呼びます。)が主流となり、ガソリンエンジンからディーゼルエンジンへの換装も順次行われました。

ディーゼル機関車は、ディーゼルエンジンを搭載し、そのエンジンからの動力で走行する機関車です。
また、ディーゼル動車は、客車にディーゼルエンジンを搭載し、そのエンジンからの動力で走行する車両です。
双方とも、エンジンからの動力伝達方式により分類することができ、@歯車で直接伝えて車輪を動かす機械式、 Aエンジンで発電機を回して電気を起こし、モーターを回して車輪を動かす電気式、 Bエンジンからの動力を液体変速機(トルクコンバーター)を通して車輪を動かす液体式、があります。
ディーゼル機関車においては、エンジンの出力や車体重量、付属装置などの組み合わせによって、 幹線用や支線用、旅客用や貨物用など、様々な用途に応じたものが造られています。
こうしたディーゼル機関車の開発には、国内の技術だけでなく、海外企業の協力により行われるものもありました。

● ディーゼル車両の本格的量産化

終戦後の鉄道における動力近代化の中で、蒸気機関車からの転換を図るべく始まった内燃機関を動力とする車両の開発ですが、 本格的に量産化された国産ディーゼル車両の登場は、キハ17系一般形気動車(昭和28(1953)年)まで待つことになります。
キハ17系気動車は、180馬力のDMH系ディーゼルエンジンと液体式の駆動装置を持ち、車両前面の三枚窓の中央に連結用の貫通扉というデザインで、 それまでの気動車から一新されたコンセプトで、現在の一般形気動車につながる基礎を築きました。
昭和31(1956)年には、非電化路線の優等列車もディーゼル化するため、キハ17系を改良し、グリーン車をも備えた キハ55系準急形気動車が登場します。
次いで昭和32(1957)年には、一般形ながらキハ17系を一回り大きくしたキハ20系が登場。
これらキハ55系・キハ20系は、全国各地で、長年にわたり活躍することになります。
このキハ20系一般形気動車のうち、急勾配のある山岳路線用としてエンジンを2機搭載した前後両運転台車が、キハ52です。
キハ52は、昭和33(1958)年から昭和41(1966)年まで製造されました。

津山駅構内のキハ20一般形気動車
キハ52一般形気動車
キハ20一般形気動車
津山駅構内にて昭和48(1973)年頃撮影。
キハ52一般形気動車
このキハ52−115は長年、大糸線で活躍していたが、平成22(2010)年から津山の扇形庫で展示されている。

一方、ディーゼル機関車においては、キハ17系気動車と同じ昭和28(1953)年、 エンジンを海外企業の技術提携で製造し搭載した幹線用のDD50形電気式ディーゼル機関車が、 昭和29(1954)年には入換用のDD11形液体式ディーゼル機関車が、それぞれ登場しますが、 いずれも出力不足など技術的要因から、量産には至りませんでした。
昭和31(1956)年になり、ようやく本格的に量産化されたディーゼル機関車として、DF50形が登場します。
DF50形は、幹線用の電気式ディーゼル機関車で、海外企業との提携によって開発されたエンジンを使用しています。
全国の主要路線で活躍し、特に紀勢線や九州各線ではブルートレインの牽引機としても使用されました。

また、昭和33(1958)年には、国産の気動車用エンジンの改良型を搭載した構内入換用のDD13形液体式ディーゼル機関車が登場し、 順次、全国の機関区などに配備されました。
このことにより、駅構内などの入換用機関車を中心として、蒸気機関車からディーゼル機関車への置き換えが一層進むことになりました。
また、DD13形は入換用にとどまらず、支線用としても用いられました。
このDD13形に大型のラッセルヘッドを取り付け、冬季の除雪用機関車としたものが、DD15形です。
DD15形は、昭和36(1961)年から昭和47(1972)年まで製造されました。

DF50形ディーゼル機関車とDD13形ディーゼル機関車
DF50形電気式ディーゼル機関車(左)とDD13形液体式ディーゼル機関車(右)
どちらも平成27(2015)年、大阪の旧・交通科学博物館から津山へ移設された。
DD15形除雪用ディーゼル機関車
DD15形除雪用ディーゼル機関車
このDD15−30は、長年北陸地方で活躍し、平成23(2011)年から津山の扇形庫で展示されている。。

● 気動車による特急列車網・急行列車網の拡大

昭和30年代半ばになると、全国の非電化主要路線に気動車による特急列車網・急行列車網を拡大する計画が構想されるようになります。
このため、新たに特急形気動車・急行形気動車の開発が急がれることとなり、まず初の特急形となる気動車・キハ80系が、昭和35(1960)年に誕生しました。
このキハ80系は、準急形のキハ55系の動力系統をベースにし、車内設備を特急形電車なみとしたほか、先頭車の運転台の前に冷房用エンジンなどを積んだ、 いわゆるボンネット型という、独特なスタイルをしていましたが、早くも翌年の昭和36(1961)年には改良が加えられ、冷房用エンジンを車体床下に移し、 先頭車をボンネット型から前面中央に貫通扉がついたスタイルとした、キハ82系が登場します。
このキハ82系は全国各地に配備され、非電化路線のディーゼル特急網の拡大に重要な役割を果たしました。
これら特急形気動車と並行して開発が進められ、昭和36(1961)年に登場したのが、キハ58系急行形気動車です。
キハ58系は、準急形のキハ55系よりも前面・側面の窓が大きくなり、車内設備も急行形電車と同様としたほか、グリーン車・郵便車も造られました。
動力系統はキハ55系と同じくDMH17系エンジンで、これを2基搭載した車両と、1基搭載した車両の2種類が造られました。
昭和36(1961)年の登場から昭和44(1969)年に製造が終了するまで、1,830両という、実に多くの車両が製造され、全国各地で活躍しました。
その活躍は広く、急行列車から普通列車まで、2両編成での運行から10両以上の編成での運行まで、幅広く活用され、 平成20年代まで、約半世紀にわたって活躍しました。
このキハ58系の代表的車両が、キハ58と、キハ28です。
キハ58は動力エンジンを2基搭載し、キハ28は動力エンジンを1基搭載しています。
なお、キハ28は後年、キハ58系の冷房化改造に際し、冷房用エンジンを床下に積む改造を受けています。

キハ28急行形気動車・キハ58急行形気動車
キハ28急行形気動車(左)・キハ58急行形気動車(右)
このキハ58−563とキハ28−2329は、平成19(2007)年から津山の扇形庫の展示車両として加わったが、 平成22(2010)年10月まで現役車両として使用されていた。

● ディーゼル機関車における1エンジン機の開発

この頃、ディーゼル機関車でも、新たな車両の開発が行われていました。
幹線形としてはDF50形が各地で活躍していましたが、大型の蒸気機関車に比べやや出力が劣り、なおかつ電気式は製造コストがかかるため、 このDF50形に代わるものとして、国内技術で開発した大出力エンジンを積んだDD51形液体式ディーゼル機関車が昭和37(1962)年に登場しました。
DD51形は1100馬力のエンジン2基を搭載し、旅客用や貨物用など汎用性が広く、この登場により各地で大型の蒸気機関車の置き換えが進むことになりました。
このDD51形は、昭和53(1978)年までの間に様々なバリエーションの649両が製造され、後年には山陰や北海道で、 ブルートレインの牽引機としても活躍することになります。

また、入換用のディーゼル機関車であったDD13形は、支線用としても用いられていましたが、車軸にかかる重量が重すぎ、 線路規格の低い線区には入線出来ず、旅客用としては不向きという欠点がありました。
これに代わるものとして、昭和41(1966)年に、1250馬力のエンジン1基を搭載し、 亜幹線・支線・入換用など万能タイプ的な機関車であるDE10形が登場し、全国各地に配置された結果、 非電化の支線区におけるディーゼル化が図られることになりました。

DD51形液体式ディーゼル機関車
DE10形液体式ディーゼル機関車
DD51形液体式ディーゼル機関車
このDD51−1187号機は、寝台特急「出雲」やお召列車の牽引機としても知られており、昭和61(1986)年12月、 山陰本線でお座敷列車「みやび」を牽引中、餘部鉄橋上で強風にあおられ、全ての客車が鉄橋下に落下した事故の、 その機関車でもある。
平成19(2007)年から津山の扇形庫に展示されている。
DE10形液体式ディーゼル機関車
津山駅構内での入換作業を撮影。平成5(1993)年頃。

この当時、DD51形ようなエンジン2基タイプの機関車に対し、DE10形のようなエンジン1基タイプの機関車の方が、 保守やコスト面から好ましいと考える流れがあり、この思想のもと、昭和41(1966)年に、亜幹線用のディーゼル機関車として、 1820馬力のエンジンを1基搭載したDD54形液体式ディーゼル機関車が登場します。
このDD54形は山陰地方に集中投入され、寝台特急「出雲」も牽引しましたが、故障が相次ぎ、 また、エンジンを始め主要機器を海外企業の技術に頼っていたことから、故障原因の根本的解決が出来ず、 結局DD51形に置き換えられ、昭和53(1978)年には全機廃車となります。

DD54形液体式ディーゼル機関車
DD54形ディーゼル機関車
このDD54−33号機は現在、京都鉄道博物館に展示されている。

このエンジン1基タイプの機関車を流れを汲み、幹線用ディーゼル機関車として昭和45(1970)年に開発されたのが、 DE50形液体式ディーゼル機関車です。

● DE50形の特徴と登場後の運命

DE50形液体式ディーゼル機関車
DE50形液体式ディーゼル機関車

DE50形は、海外技術に頼ったDD54形の失敗を踏まえて全て国内技術で開発され、 2000馬力という大出力のエンジンを1基搭載した幹線用の液体式ディーゼル機関車です。
車体は、同じ形状のDE10形よりも一回り大きな車体です。
またエンジンも、DE10形のエンジンに改良を加えたパワーアップ型となっており、 DE10形の発展形とも言えます。
車両の特徴としては、国内最強とも言えるV型16気筒の大出力エンジンを搭載したことと、 勾配のある山岳路線での貨物用として設計されたことで、 連続する下り勾配での加速を抑制する装置として、液体変速機を利用した抑速ブレーキ (ダイナミックブレーキ)を初めて搭載したことが挙げられます。
DE50形は当初から幹線用の標準型の機関車として量産される計画があり、 その試作機として昭和45(1970)年に製造された1号機は、中央西線や紀勢本線でテストが繰り返されました。
しかし、この頃にはDD51形やDE10形がすでに増備され、さらに主要幹線の電化が進んでいたことで、 既に使用されていたディーゼル機関車が余剰気味となり、新形式の幹線用ディーゼル機関車を量産しても、 活躍出来る場がなくなっていたため、結局、DE50形の増備は行われず、この1号機のみで製造は打ち切られました。

その後、岡山機関区に配置転換されたDE50−1号機は、伯備線で使用されていましたが、 1両のみの異端な車両であったために車両保守や運転の面から敬遠され、あまり使用されることなく、 伯備線の電化前の昭和56(1981)年当時には既に休車状態となっており、 昭和61(1986)年には、ついに廃車となりました。
廃車後のDE50−1号機は、岡山気動車区の留置線に置かれ、 露天で風雨に晒されて荒れるがままの状況でしたが、 平成13(2001)年に岡山の鉄道ファン有志が塗装をし直し、平成14(2002)年12月には 津山線経由で津山に移動の上、扇形機関庫に収容され、現在に至っています。

DE50形(1エンド側)
DE50形のエンジン
DE50形ディーゼル機関車(1エンド側)
こちら側にエンジンが積まれている。
国内最強と言われるDE50形のエンジンの一部
普段はパネルの扉が閉じられ、見ることが出来ない。


● 動力近代化の最終段階へ

電化の遅れている地方線区において蒸気機関車からの転換を図るという、国鉄の動力近代化は、昭和40年代後半に最終段階へと入ります。
昭和47(1972)年、軸重の軽い機関車しか入線できない簡易線区において、貨物列車のディーゼル化を図るため、 DE10形などよりも小型の、DD16形液体式ディーゼル機関車が開発され、昭和49(1974)年までの間に65両が製造されました。
このDD16形の一部は前後にラッセル式除雪車を連結できるよう改造され、平成20年代まで活躍しました。
昭和40年代において、ディーゼル機関車では失敗を繰り返しながら大出力エンジン搭載機の技術向上が図られていきましたが、 気動車においても、特急形を中心に大出力エンジンの開発し、これを搭載した車両が開発されます。
昭和36(1961)年に登場したキハ82系特急形気動車は、準急形のキハ55系の動力系統をベースにしているため、 勾配の続く山岳路線ではエンジン出力が不足し、こうした路線での運行には不向きでした。
このため、勾配の続く山岳路線でのスピードアップを図るため、新たに500馬力のDML30系エンジンを開発し、 これを搭載したキハ181系特急形気動車が、昭和43(1968)年に登場します。
キハ181系は当初、東北・奥羽本線に投入された後、中央線や伯備線・四国・山陰各線などでも使用され、 ディーゼル特急の高速化に重要な役割を果たしました。

このような流れの中で、ついに昭和51(1976)年、蒸気機関車は全廃され、動力近代化は当初の目的の達成となるのです。

DD16形液体式ディーゼル機関車
キハ181特急形気動車
DD16形液体式ディーゼル機関車
このDD16−304号機は、ラッセル式除雪車を連結出来るよう改造されたもので、平成27(2015)年に、津山の扇形庫に収容されることとなった。
ラッセル式除雪車は、後部に連結されている。
キハ181系特急形気動車の先頭車キハ181
このキハ181−12は、東北・奥羽本線の特急「つばさ」として登場し、平成22(2010)年まで特急「おき」「はまかぜ」などで活躍した。
平成23(2011)年から、津山の扇形庫に展示された。

● 高性能・新系列気動車による客車列車の置き換え

また、一般形気動車においては、キハ17系・キハ20系が長らく主力を占めていましたが、 都市近郊路線の通勤輸送にも使用できる気動車として、昭和41(1966)年に登場したキハ23系近郊形気動車を皮切りに、 後継車両の開発が進みます。
昭和52(1977)年には、220馬力の新系列DMF系エンジンを搭載した、キハ40系高性能近郊形気動車が登場し、 改造を行われながらも、現在でも全国各地の非電化路線で活躍しています。

国鉄の行った動力近代化は、電化の遅れている地方線区において蒸気機関車からディーゼル車両への転換を図り、 無煙化を進めることを目的としたものでしたが、蒸気機関車が全廃された昭和50年代以降になると、 ディーゼル機関車が牽引する客車列車から、単編成でも運行可能という効率的な気動車への転換が進められることになります。
そのため、全国的に客車列車から気動車の列車への置き換えが行われ、その過程で余剰となった客車に、 エンジンを積んで運転台を設置するなどの改造を施し、昭和63(1988)年に2両製造されたのが、キハ33です。
平成20年代まで、山陰地区で使用されました。

キハ40系近郊形気動車
キハ33形近郊形気動車
キハ40系近郊形気動車
現在でも、東日本を除く各地で活躍している。
画像はキハ47。
キハ33形近郊形気動車
気動車化改造される前は、50系客車(オハ50)であった。
平成22(2010)年から、津山の扇形庫に展示された。

● 車両ではなく「機械」扱いの入換動車

入換動車は、当初、「貨車移動機」と呼ばれていました。
戦前から戦後にかけて、大きな駅の構内での貨車の入換作業は蒸気機関車が行うことが多かったものの、 一般的な駅では人力による手押し作業での入換が中心であったため、 こうした駅での貨車入換の効率化のため、内燃機関やバッテリーを搭載した貨車移動機(小型の牽引機)が、 昭和10(1935)年頃がら開発されるようになります。
しかし、戦時中の燃料不足などにより、開発は一時停滞し、バスなどの木炭エンジンを転用したものまで登場しました。
戦後、開発は再開され、国鉄が移動機の自重別に規定した規格に基づき、国内の各メーカーが制作するようになります。
昭和26(1951)年には、ディーゼルエンジンを搭載し、その後の基礎的流れを造った自重5tクラスのC5形が登場し、 昭和27(1952)年には自重8tクラスのE1形が登場します。
昭和34(1959)年には自重10tクラスのF1形が登場し、以後、この自重10tクラスのF形が貨車移動機の標準となり、 全国各地の貨物取扱駅などに配置されることとなります。
しかし、全国各地の駅での貨物の取扱いが減少していくに従い、昭和40年代後半には、貨車移動機は、 構内の車両入換にも使用されるようになり、「入換動車」と呼ばれるようになります。
F6形10t入換動車は、昭和40年代から製造された、国鉄の中では最も標準的といえる入換動車で、 「津山まなびの鉄道館」に展示されているものは、長年、山陰地区で使用されていました。

国鉄F6形10t入換動車
国鉄F6形10t入換動車
平成23(2011)年から、津山の扇形庫に展示された。



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