未来からのメッセージ | |||
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プロローグ | |||
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それはカズマにとって高校時代最後の夏のことであった。 ゆーらり、ゆーらり……。 重いゼリーのような波がカズマの身体を揺らしている。 カズマは、両親に――岬の岩場まで泳いで行って、遊んでくるから2時間ほど戻らないかもしれない――といい残してきた。 ゆーらり、ゆーらり、ゆーらり、ゆーらり。 さっきまでの強い日差しが弱まった気がして、空を見ると、うすい雲が万遍なく広がってきて、大きなビニールの膜を張ったようだ。まるでカズマの心みたいに、もやもやした、憂鬱な光があたりを包んでいる。海の色はというと、白と青の絵の具をまぜて水色を作ろうとしたのにパレットが汚れていて濁った時のようだ。 水も、頬に当たる空気も、ひんやりとした感触がする。 立ち泳ぎのまま痩せた手足を動かして、砂浜の方を見る。 ――ずいぶん、遠くまで来ちゃったな―― 遥か彼方、波の切れ目に白い砂の帯が、細長く延びている。その中を蟻のようにちっちゃな人々が動きまわり、ぽつぽつと、赤・青・黄色…そのほかいろんな色のビーチパラソルの点々が見える。 海の家のわき、貸ボートが並んでいるあたりには、深みどり色のカズマの家族のパラソルがあるはずだった。でも、ハッキリとは見えない。ひょっとしたら、ほかのパラソルと重なってしまっているのかも知れない。すぐ隣には、ピンク色の望月部長さんの家族のパラソルが立っているはずだが、それも見えなかった。 見えなくても、2本のパラソルの下がどんな様子なのかは想像がつく。 カズマと同じくひょろっとした身体に紺色の海パンをはいたお父さんは、ビーチマットに体育座りをして、にこにこしながら望月部長さんの話を聞いている。それは『株』とか『外国製品』とか『労働力』とかについての部長さんの『自説』だ。自説というからには、自分で考えた意見じゃないとおかしいのだが、行きがけの車の中でお父さんが言っていた。 「あの人のいうことって、ぜんぶ『エグゼクティブ・マガジン』の受け売りなんだよな」 それは、お父さんや部長さんのように『商社』というところで働いている人が、かならず読む雑誌らしい。 ――だとしたら、あの部長さん、見栄っ張りの自慢屋だ。受け売りやパクリって、バレないわけないだろうに―― だが部長さんはいかにも自慢げに話すのだ。ゴワゴワの毛に覆われたあさ黒い太った身体を、愉快そうに揺さぶりながら。そしてアイスボックスから取り出した缶ビールの蓋をプシュッと開けると、泡がふき出して、全然似合わない赤と白のしましまパンツの上にこぼれるのだ。 「チベテ!……ぎゃはははは!」 何がそんなにおかしいのか大声で笑い出し、その笑顔をカズマのお父さんの方に向ける。 ぶあついレンズの眼鏡の奥で、目が――さあ、君も笑いなさい――と命令している。お父さんもしかたなく、愉快そうな表情を作って笑う。 だがそれは、カズマの知っている中でいちばんカッコ悪いお父さんの顔だ。 お母さんはというと、部長さんの奥さんと女子大生の娘のイクエさんの話すファッションやテレビやアイドルの話題に作り笑顔でうなずいている。この二人がまた小太りで、しかもそろって似合わない派手な赤い水着なんか着てて、ダセエんだ。 奥さんの水着はセパレーツで、表面がキラキラしていて下品っぽい。イクエさんはビキニなんだけど、金に近いチャパツと相俟って行儀の悪い女子大ギャルって感じ。このヒト、いつもバカにした目つきで、「彼女できたのぉ〜?」なんて語尾をのばして訊いたりするから嫌いだ。 それに較べるとお母さんはちょっぴり太っているけど、青い地味めのワンピースの水着が似合っているし、オバサンのわりにはどっちかというと静かな聞き上手タイプだから、まだイイんじゃないかと思う。 そんなお母さんは、奥さんやイクエさんのような、ハデでお喋りで自慢ったらしい、女のヒトたちが苦手なはずなんだ。 部長さん一家と離れ、ホテルの部屋に帰って最初に溜息をつくのはお母さんだ。つられてカズマも溜息をつく。お父さんは、そんな様子に気づかないフリをして、部屋にそなえつけの面白くもない観光案内パンフレットを読んでいる。重〜い、空気が流れる。 ――こうなることは、分かってたんだよな―― 毎年、同じなのだ。ぜんぜん楽しくない海水浴なんだ。一泊して明日、お父さんは望月部長とゴルフ、ぼくはお母さんと観光ツアーだからまだ救われるけど。望月部長一家とはできるだけ離れた場所にいたいよな。 でも、カズマは、「ぼく、あんまり行きたくないよ」とはいえなかった。 お父さんが望月部長さん一家に気をつかうように、カズマもお父さんに気をつかっていた。 ――ぼくが辛いってことを、いっちゃダメなんだ。お父さんだって、好きで毎年毎年、来ているわけじゃないんだ―― お父さんはサラリーマン。そしてカズマはサラリーマンの息子。せっかくの上司のお誘いを断るわけにはいかないのだ。 お父さんが望月部長さんに気に入られたら、部長さんが今よりもっと偉くなったときに部長にしてくれるかもしれない。そうしたらカズマの家ももう少しお金に余裕ができて、お母さんも毎月パソコンの家計簿ソフトの画面に向かって何時間も悩まなくてもすむし、カズマも今よりは好きなものを自由に買ってもらえるようになる。最新のゲームやパソコンも手に入りやすくなるかも知れない。 それが家族の幸せなのだ! ――我慢しなきゃいけない。分かってんだけど……―― 「つまんないの!」と一声、大きく叫ぶと、ざぶりと海の中に潜る。 ぶくぶくと泡が立つと同時に重い水に包まれて、音は消え、あたりは薄暗い青の世界になった。ここには何もない。お父さんが縛られている会社も、カズマの学校も、家族さえも。 スイミングスクールに通っているくらいだから水泳は得意だ。クロールで泳いでいく。ゆったりしたフォームだけれど意外に速い。目を凝らすと、針のような小魚の群れが横切るのが見える。 何だか不思議だ、地球はカズマの住む陸地の世界より、海の方がずっと広いんだ。 ぐぐっと息を止める。水の中でも波の強さが感じられる。そいつは、ズーン、ズーンと、一定の間隔で、身体を押しては引き戻す。潜っているわずかな時間のうちに、急に強さが増してきた。 ――海の中の動きが何だか妙だな―― カズマはざんぶりと波間に顔を出した。 「岩場のあたりで2時間ほど遊んで、昼頃には戻るから」と言ってはきたけれど、波の動きも怪しいし……戻った方がいいかな――とカズマは考えた。 砂浜に向かって、今度は平泳ぎに切り替える。 見馴れない白い大きな鳥が、さっきからカズマの上をゆっくりと舞っている。 すると、目の前の海面の下に何か大きなものが浮上してくるのが見えた。 ――鯨? 潜水艦?……まさかこんなところに?―― 鯨や潜水艦ならば黒く見えるはずなのに、その大きなものは透明感があった。 カズマは――なんにしても、ヤバイ――と思い、この何かを避けようと方向転換しようとした。 すると突然、元いた場所の海面の一部が陥没するように、海水が円形になって滝のように海の底に向って落ち込んでいった。 このままだと、吸い込まれる! う、うそだろう!――とカズマは思いながら、流れ落ちる海面を背にして、必死なって逃れようともがいた。 もがいても、もがいても押し戻される。 と思う間もなく、一挙に吸い込まれていって、足の先から滝つぼに墜落するように、海水と一緒にドドドーッと落下していく。 落下したと思ったら、今度は海水にもまれながら急浮上した。滝つぼのように泡だって海水が回転していた。頭を上に向けると、なおも海面から海水が流れ落ちている。鼻から海水が入って頭がキーン、キーンと鳴っている。 ――溺れる!―― すると、海水が流れ落ちてくる円形の天井が閉まり出した。天井の真ん中には空が覗いている。 カズマは何かの中にいることを知って――閉じ込められた! もうだめだ!――と思った。 残り少ない水面の上の空気に辛うじて顔を出すと、すっかり天井の蓋が閉ざされてしまった。 まわりは相変わらず泡だらけであったが、大きなガラス球のようなものの中に閉じ込められていることが分った。 ――何なんだ、これは……この世に、こんなおかしなことがあっていいのか?―― 水に浮かんだままガラス球の壁にへばりつき、外側を泳ぐ魚たちを眺め廻していると、下の方からチューブのようなものが海面に向かって上がっていった。チューブは海中で波に揺らいでいる。 すると、ガラス球の中の水位が徐々に下がっていった。チューブはガラス球の中に、空気を取り入れるためのものらしい。やがて、カズマの足もガラス球の床に届いた。中からすっかり海水がなくなると、チューブは吸い込まれるように元来たガラス球の底に消えてなくなった。 ――丸い潜水艦のようなものかな? 一体、何でここにこんなものが?―― 壁面を見回すと、電光板の表示パネルのような装置があり、表示パネルには『00002』の数字が並んでいる。 すると今度は、床の真ん中から椅子が、表示パネルの前の床からは小さな鉄棒のようなものが競り上がってきた。 椅子は、「ここに座れ」とでも言っているかのようである。 カズマが仕方なしに椅子に座ると、またまたガラス球の天井が開き出し、空の雲が覗いて見えた。ジャンプしても天井に届くような高さではない。再び海水が落ち込んでくるのかなと思ったら、波頭の飛沫程度の海水が落ちてきただけであった。 今度は何が起きるんだろうかと見上げていると、一羽の白い大型の鳥がわずかに開いた天井の丸い穴から飛び込んできた。 鳥はガラス球の中でバタバタと羽ばたいている。 ――さっき泳ぎながら見かけた大きな白い鳥に違いない―― よく見ると、驚いたことに、海鳥ではなくふくろうであった。 天井の蓋は既に閉じている。 ふくろうはカズマの目の前の鉄棒のような棒を掴んでとまった。 羽根に被われた大きな卵のような身体に、角のまるい台形の顔があり、ペン先のように見える小さな細い嘴がある。まん丸い目の上にはつりあがった眉のような毛があって、顔全体でVの字を描いているような印象であった。大きな翼をファサファサと動かして、ゆったりバランスをとっている。 ふくろうは、ここが自分の根城だとでもいうように「ホーウ! ホーウ!」と鳴きながらカズマと向かい合った。 そして、ふくろうは食い入るようにカズマじっと見据えた。 カズマがふくろうの後ろの表示パネルに目をやると、数字がどんどん大きくなっている。ガラス球の外に眼をやると、泳いでいる魚たちが勢いよく上に移動していき、ガラス球が海の底に沈んでいくのが分った。 すべてのことがあっという間の出来事であり、カズマには不可解なことだらけであった。 |
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