未来からのメッセージ | |||||
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おわりに | |||||
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「ユートピア」はトマス・モアの考えた理想郷で、「どこにも無い」という意味の造語のようです。「エポカ」はラテン語で「新紀元」を意味します。「エポカ」は「ユートピア」とは異なり、「国」ではなく未来の「世界」を想定しています。 ところで、ある人にとってのユートピアは別の人にとってはデストピア(反ユートピア)でである場合があります。トマス・モアのユートピアはキリスト教の戒律厳しい社会であり、著者にとってはデストピア(奴隷、旅行の許可制、離婚禁止、全裸見合いなどがある)以外のなにものでもありません。ユートピアのつもりで造られた社会がデストピアになってしまった社会主義のような社会もあります。 人間は種の意図に反して不良長寿に向かう道を歩んでいます。一人一人にとっては望ましいことでも人類全体にとって望ましくない事態になることもあります。この不老長寿社会はそれこそ下手をするとデストピアになる恐れさえあります。この問題に関してはエポカでも答えが見出されていません。 ユートピアとしての未来社会は全ての人にとって自由で楽しいものでなければならないでしょう。その楽しさは人によって異なっています。したがって、エポカは単一のユートピアではなく、様々なユートピアの存在を許すような共通基盤ともいうべきフレームワークを想定しています。様々なユートピアがあり、人はそれらを自由に移動できる(何時でも参加、退出できる)ことが条件になります。このフレームとしての条件は、実質的な生存権、民主主義、選択の自由、機会均等などが保障されており、階級制・身分制、規則(法律、規制、罰則、戒律)が可能な限り少ないこと、思想や宗教の強要がないことなどではないかと思います。思想の是非ではなく社会や経済の仕組みの是非こそが最も重要であると考えています。思想や社会規範といったものは自然にこのようなフレームに見合ったものになるのだと思います。 著者は、この本で描いたような未来世界が、その姿形は少なからず異なったものになるかもしれませんが、資本主義社会が行き着くところまで行き着いたその先で、その限界を打破するものとして、必然性をもって到来すると考えています。すでに商業銀行が発行する利子貨幣をベースとした資本主義経済システムは度重なる危機にみまわれており、租税や国債を財源とする世界主要国の財政は危機的状況にあります。地球環境・資源の破壊は進む一方で、地球温暖化は歯止めのかからない状態になっています。 自然科学の驚くべき進歩とは裏腹に、経済学のメインストリームは進むべき方向を誤り、世界を混乱に陥れ、時代錯誤の学問と化しています。経済は語源からして本来、経世済民であるべきものであるにも拘わらず、現在の経済と財政のシステムは全ての人に不必要な競争を強要し、持たざる人や社会的弱者には不幸の約束しかできなくなっています。人間的で自然な経済システムに基づく社会システムの展望が今ほど必要な時代はないと思います。 確かにリアリティのある理想的な世界の姿やそこに至るプロセスを思い描くことができたとしても、その実現は容易なことではありません。しかし、賛同する人が多ければ実現を早めることができるかもしれません。少なくとも、議論になることだけでも、その実現の第一歩になるのではないかと思います。 ところで、人間は宇宙に生命の存在しそうな星を探索し、もう少しで発見できるかもしれないところまで来ています。人間は知的生命体と自負し、宇宙の他の知的生命体との交信の試みなども行っています。しかし、現在の地球上で行われている数限りない醜い争いや愚かな行為の基になっている様々な仕組みは、知的生命体らしからぬ極めてお粗末な代物です。科学技術だけでなく、社会システムも知的生命体を自称するに相応しいものになって欲しいものです。 最後になりますが、『配当というお金』に関する著書を紹介しておきます。貨幣システムの改革や市民所得(ベーシックインカム)については近年多数の著書が出版されていますが、社会・経済のシステムとして広い視野から展開されているジェームズ・ロバートソンの邦訳本をお勧めします。 ●『未来の仕事』(勁草書房 小池和子訳 1988年発行) ●『21世紀の経済システム展望』(日本経済評論社 1999年発行) ●『新しい貨幣の創造』(ジョセフ・フーバーとの共著 日本経済評論社 2001年発行) |
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