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脳性マヒ・二次障害レポート

感じたこと聞かせてね


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 [12]   父からの手紙
 
みおへ
 三日前、無事パリに着いた。元気で学会に参加している。今年は、いつもより暖かいようだ。
 今日は休みだったので、朝、早く起きて、久しぶりにルーブル宮あたりを散歩し、オルセー美術館を観て回った。そして今、チュルリー公園の近くのカフェテラスで、この手紙を書いている。二軒向こうにみおの好きなチョコレート屋がある。
 
 さて、どのくらい前からなのか、赤ん坊の頃からかも知れないが、すごくうれしいときや落ち込んでいるとき、決まって夢のなかで水色の手紙を受け取る、という不思議な話を、日本を発つ少しまえに聞かせてくれたね。それには宛名のほかには何も書いていないのに、優しかったり、励ましたりしているのを感じる、ということだった。
 
 その時、おとうさんはこの手紙を書く決心をした。おかあさんは、もう解ってくれていた。おまえは十八才になる。四月からは声楽を勉強する大学生だ。これから私が書く事を理解してくれる、と私もおかあさんも信じている。
 
 
 二十年ほど前の事だ。当時、私は博士課程にいた。そして、デンマークの大学に一年間の公費留学の話が舞い込んできた。アンデルセンについての博士論文を書くためには、デンマーク行きは不可欠だった。私は迷うことなく留学を決めた。
 
 コペンハーゲンでの一年を有意義に過ごすため、私は研究に没頭した。しかし、ひとりで外国にいて勉強ばかりしていると、孤独、それも生半可なものではない本当の孤独、というものに痛めつけられる事がある。
 
 下宿のおやじさんが釣りにさそってくれたのは、そんな時だった。
 
 有名な人魚の像がある港から船に乗り、ある小さなこんもりとした緑の島に着いた。そこにはおやじさん所有の小屋があり、三日分の食料と釣り道具と我々ふたりを置いて、船は帰っていった。
 
 船着場で並んで釣り糸をたらし、おやじさんはいろんな話をしてくれた。その多くは私を笑わすためのものだった。その中には人魚をみた、という話もあった。
 
 その夜、寝付かれなかった私は、そっと外に出た。そこは、まさに、まったくの別世界だった。星は手をのばせば取れそうなところで光っていたし、海の波は月に照らされて巨大な魚のうろこのようだった。静かだった。こんなに静かなところが、そうぞうしい文明社会と同じ地球上にあるなんて信じられないくらいだった。
 
 小屋に帰ろうとしたときだ、流れ星とともに、どこからか星のまたたきをつなげたような音楽が聞こえてきた。ふと、海を見ると、水面に肩から上を出し、片手を髪にそえてこちらをみつめながら、女の子がうたっている声だった。それは今まで聞いたどんな声より繊細だった。今のみおと同じくらいの年で、短めに切りそろえてあるウェーブのかかった黒髪を月が光らせていた。
 
 私は、夢かまぼろしでも見ているような気持ちがした。そして、それが初めての出会いだった。改めて、よく見よう、とした時にはもういなかった。
 
 翌晩も同じ時間に外へ出ると、彼女は来ていた。私は思い切って声をかけた。彼女の話す声もまた優しかった。
 
 彼女は、まず自分が人魚であることを告げた。私は驚きのあまり、しばらく呆然となった。しかし、彼女はそんなことには気にも止めず、ゆっくりと話かけてきた。私は、やっとのことで口を開き、本当に人魚なのか、とたずねた。そうすると彼女は微笑み、頭からまっすく海に潜った。その時、確かに、虹色に光る魚のしっぽが見えた。
 
 私は、しだいに打ち解けて、聞かれるままに日本の事や研究の事、何故ここに来ているのか、などを話した。彼女は、愛くるしい目を輝かせて聞いていた。しかし、明日帰ることを伝えると、
「せっかく、お友だちになれそうですのに・・・」
 と、つぶやいた。
 しばらくふたりとも黙ったままだったが、また必ず来る、と約束した時、空が白み始めた。彼女は、振り返り振り返り波の間に消えた。
 
 帰りの船の中で、おやじさんに人魚に出会った、と打ち明けた。おやじさんはちょっと考えてから、
「やっぱり、君も、か」
 と言い、それ以上は聞かなくても分かっているようだった。そして、
「あの小屋はいつでも使ったらいいよ」
 と、付け加えた。それから大きな手で私の肩をゆさぶり、
「彼女はブロンドの長い髪で、グラマーだっただろう」
 と、言いながら大きな声で笑い、片目をつぶった。私は、わざと否定せずに、微笑んでいた。
 
 島から帰って以来、私は心に春のたねが植えられた気分だった。二日以上の休みが出来ると、おやじさんと、あるいは一人で、島に向かった。ひとりで釣り糸をたれていたり、ぼんやり海を見ていると、彼女は昼間でも姿を見せた。そして、歌をうたったり、夢中で話をしたりしていた。
 
 書き出すと切りはないのだが、クジラの横をいっしょに泳いでいて迷子になってしまった話や風の強い日に歌をうたってのどを痛めた話、などを表情豊かに話してくれた。
 
 そして、いちばん印象に残っているのは、海のなかの花園をみつけた話だ。
 
 彼女が住んでいる海の端に、ものすごく大きな岩が立ちはだかっていた。その向うは水温が異常に低くなっていて、何か恐ろしいものの住みかのようだから、誰も行ってはいけない、と言われていた。でも彼女は、
「どうしても、どうしても、行ってみたいと思ってしまいましたの」
 と、少しはにかんだ。
 
 それから、彼女はそこに、それはそれは美しい水色の花園をみつけたそうだ。美しすぎて息ができないほどの景色だった、と夢を見ているように彼女は言った。しかし、その花を摘んで、みんなのいるところに帰ってくると、その花は全部くすんだ色になってしまうらしい。だから、私にも見せてあげられない、とくやしそうだった。
 
 研究室で、私は勉強ばかりしている日本人、と皮肉まじりに言われていたが、彼女との出会いを境にして、人間らしくなったのか、やっと話かけてくれるひとも多くなった。私も日本にいるような気分で、冗談やたわいのない話をするようになっていった。
 
 クリスマスが近くなった日、私は島にいた。雪の舞う中、彼女は来た。
「君は、寒くないのかい?」
 彼女は、あきれた顔をしながら声をたてて笑った。
「わたくしたちは人魚なのですよ。それにここには暖流も流れています。あなたが思われるほどのことはございませんわ」
 本当に彼女はいつも頬をピンク色にしていた。
 
「もうすぐイブだ。プレゼントは何がいいだろう?」
 彼女がはじめて困った表情になった。それから、
「なにも。なにもいりません。いちばんのものを、もう戴いておりますから」
 と、言った。
 
 私は考えた末、私の気持ちを表す指輪に決めた。小さくはあったがルビーがひとつ光った指輪だった。彼女は、それを指先が桜色をした白い指にはめて、しばらくの間それをみつめてから、本当にうれしそうな顔をした。
 
 またある時、私は、
「君のような、おとぎ話に出てくるような人魚が現実にいるなんて、君を目の前にしていうのもおかしいことだが、信じられない。他のものには君たちの姿は、見えないのだろうか?」
 と、聞いたことがあった。
 
 彼女は、しばらく考えてから、
「わたくしにはわかりませんわ。でも、わたくしたちは確かに生きています。ずっと昔から・・・
 と、言った。
 
 私は、彼女と出会う前、ジュゴンやマナティを人魚と見間違っているんだ、という説を頭から信じていた。しかし、アンデルセンは本当の人魚に出会ったからこそ、あの童話が書けたのだろうか、などと考えていると、彼女が言った。
 
「わたくしたちが、見える方と見えない方がいらっしゃるような気が致します」
 と。それは何故なのだろう、そして、そのことを君たちは悲しくはないのだろうか? むなしくは感じないのだろうか? と思っていると、
「そんな顔をしないでください。決して多くではありませんが、わたくしたちは、わたくしたちを信じてくださる方たちの中に、生きています。それで十分なのです。それだからこそ、幸せなのだと思いますわ」
 
 いつもより、はっきりとした口調だった。よく考えてみると、我々も同じなのだと思った。街ですれ違うひとの顔など、見過ごしてしまう。見ていても存在ていないに等しい。それよりも例えば、大切にしていた昆虫がいなくなっても、それがおもちゃのような無機質なものでも、いつまでも忘れられない。そのようなものだろう、と私なりに考えた。
 
 時は、冬を過ぎ、遅い春からゆっくりと初夏にさしかかっていた。私は、彼女と離れて生きていく、などいうことは考えたくもなかった。
 
 しかし、こちらに来て一年が過ぎようとしていた。この国にこのまま残りたい、と真剣に思った。この国の研究所にもぐり込むくらいのつては無くもなかった。そのことを日本に報せよう、としたその時、おふくろから手紙が届いた。それには、母がひとりで育て上げた息子への思いや、帰国を待ち望んでいる気持ちなどが綴られてあった。
 
 私は本当に迷った。しかし、帰らなければならないであろう運命を、感じざるを得なかった。
 
 そう決心すると、一刻も早く島に行き、彼女との時間を大事にしたかった。
 
 なかなか言い出せないでいると、
「なにか、たいせつなお話が、おありなのでしょう・・・ ?」
 と、伏し目がちに言った。察していたのだろう。私が帰国の話をしてもおだやかな表情だった。いつも愛くるしく輝いている瞳をくもらせているほかは。
 
「君は、どうして人魚なのだろう」
 私は、ずっと思っていたことを初めて言葉にした。彼女は、ちょっと微笑んで、
「そうですね。わたくしも同じことを思っていました。あなたが、どうして人魚ではないのかしら、と」
 私はハッとなり、つぎの言葉が出なくなっていた。彼女の素直さが、私の思い上り、人間の傲慢さ、そういうものをはっきりと自覚させていた。そして、それと同時に、人魚としての彼女の幸せも理解した。
 
 しかし・・・
 
 やがて、彼女は何かを決めたかのようにして、静かに歌をうたいだした。
 
  海と空のまじわるかなたに
  生まれし 吾れ
  波に乗りて 今 帰らむ
  真の愛を知り 時は来たれる
  風の精よ 天空に満ちるその力
  招きて運べ 吾がたましい
  生まれ変われ 海のかなたへ
  生まれ変われ 新しきいのちに
  吾が思い 空の向こう側へ
  吾が一度の思い 聞き届けよ
 
 それは心に深く沁み入る声だった。歌、というよりも朗読か呪文のように聞こえた。風と波が伴奏を引き受けていた。自然と涙が頬を伝った。
 
「わたくしは、百年に一度だけ、ひとりの人魚の願い事がかなえられる、ということを知らされました・・・ 。そして、うたったのは、そのためのものなのです・・・
 と、うるんだ声で言った。
 
 それから明日の朝、太陽がのぼるのと同時に手渡したいものがあるから、島の裏手にある砂浜へ必ず夜明け前に来てほしい、と言い、海に帰っていった。
 
 ひょっとしたら海の水は人魚の涙なのかもしれない。
 
 夜明け前、彼女は両手で何かをささげ、やって来た。私は、それを受け取るために海に入っていった。それは透き通った水色の花が盛られた白いカゴだった。私は、それを片手にかかえると、はじめて彼女を抱き締めた。
 
 彼女の鼓動と私の鼓動が響き合い、そして、ひとつになった。
 やがて水平線から太陽が昇りはじめ、視界はあざやかな色に染まりつつあった。私たちはその荘厳な美しさにふるえた。
 
 彼女は、私の耳元で、
「差しあげたのは、わたくしのいのちです。たいせつに育ててくださいませ」
 と、ささやいた。私が聞き直そうとしたその一瞬、海のかなたから突風が吹いてきた。そして彼女は消えた。
 
 残された私は、カゴを手に海のなかで立ち尽くしていた。ふと気がつくと、カゴのなかで何かが動いている。見ると愛らしい赤ん坊が花とあそんでいた。
 
 おとうさんがどれだけ驚いたか、みおには解るだろうか。
 そして赤ん坊が声をたてて笑った。それは彼女のうたっている声とそっくりだった。
 
 私が、その赤ん坊をつれて帰国すると、親戚や私の周りにいるひとたちが大騒ぎをした。だが、おとうさんにとっては大切な子だった。 名前を、みお、とした。
 
 帰国後、病院で検査の結果、みおは健康でかわいい、完全な人間の女の子であった。
 
 私は仕事に追われ、みおの世話はおふくろがしてくれていた。みおの顔立ちは、日に日に彼女に似ていったし、澄み切った声には家のものだけでなく、誰もが優しい気持ちになった。
 
 おふくろは最初、私の話に半信半疑のようだったが、
「この子の声を聞いていると、だんだんおまえの言ったことが本当に思えてきたよ」
 と、言ってくれた。
 
 ようやく研究の整理がついたころ、ある女のひとに出会った。一年ほどの月日が過ぎた時、このひとには何もかも本当のことを話さねば、と思った。そのひとは、静かに聞いてくれた。
 
 そして、いっしょに暮らしてもらえないか、と言うと、
「その、みおちゃんがわたしの子供になるのですね。うれしいわ」
 と、目をうるませ、微笑んだ。
「でも、その方もどんなに、あなたとともに生きたいと思われたでしょう・・・
 と、目にハンカチをあてた。それから明るく、一気にこう言った。
 
「その方との思い出も大切にしてくださいね。わたしは、そういう方を好きになってしまったのですから」と。
 
 まもなく、そのひとは私の妻になり、みおの母親になった。
 
 みお、さぞ驚いたことだろう。まさかと思うことばかりだったに違いない。しかし、すべて真実だ。
 
 みおは、おとうさんと人魚の恋から生まれた。そして、おかあさんの愛と努力のなかで、明るく優しく育ってくれている私の娘だ。おとうさんは本当にしあわせ者だ。
 
 みおが水色の手紙の話をしてくれた日の明け方、私もはじめて夢で手紙を受け取った。おかあさんも同じ夢を見たそうだ。ふたりとも直観的にそれが誰からのものなのか、解ったのだ。そしてその意味も。
 
 
 長い手紙を書いてしまった。疲れただろう。あと一週間もすれば学会が終わる。そのころ、こちらに来ないか。おかあさんと一緒に。
 モンマルトルの丘に、いいシャンソンを聞かせる小屋がある。
                                 パリにて 父より
 
update:
2003/02/26