塵劫記
「塵劫記」は,寛永4年(1627)角倉一族出身の吉田光由(1598-1672)の 手によって出版 され た。
光由は,毛利重能に師事し,後に※角倉素庵(すみのくら そあん)※に「算法統宗」(程大位著,1592年.ソロバンの算法を
説いた中国の算書)を学んで数学に達したといわれる.。初版が寛永4年に出された時,光由は29才であった.
そして,寛文12年(1672)に没するまでに十数回も増補,あるいは改訂を重ねた。
※角倉素庵(すみのくら そあん)※(1571〜1632) 江戸初期の学者・貿易家。通称、与一。
素庵は号(ごう)称号の略。名や字以外に人を呼ぶ際に使われる呼び名。
朱印船貿易に従事したほか、諸河川改修にも功を立てた。本阿弥光悦に書を学び、角倉流書風の始祖となる。
塵劫記の名前の由来は、仏教のことばに「塵点劫 (じんてんごう)」とのがある。とてつもなく長い時間のたとえだ。
たとえば、塵点劫は、わたしたちの世界を10億集めて、これをぜんぶ粉(こな)にして、その粉の一つぶずつを別の世界の一つずつにつけていく。
この粉がなくなったとき、その世界をまた粉にして、その粉一つぶずつを一劫として数えたものが塵点劫である。
塵劫は、塵点劫をかんたんに言った言い方。塵劫記という名前は、塵劫たっても変わらない真理の書ほんとうの本という意味です。
「塵劫記」に記された内容でユニークなもののひとつは、「命数法(数の単位)」に関する知識です。
一、十、百、千、万、億、兆、京(けい)あたりまでなら、今でも、金額の表示やコンピュータの世界などで使われますが、10の20乗の「垓(がい)」、
10の28乗の「穣(じょう)」、10の32乗の「溝(こう)」となると、普段は聞いたこともない単位ではないでしょうか。
さらに単位は大きくなり、「恒河沙(ごうがしゃ)」(10の52乗)、「阿僧祇(あそうぎ)」(10の56乗)、「那由他(なゆた)」(10の60乗)、
「不可思議(ふかしぎ)」(10の64乗)と、「数えられない」数の世界になってゆき、最大のものは「無量大数」となります
ちなみに、これら数の単位は中国からきたもので、「恒河沙」から上の単位については仏教の経典が由来になっています。
「恒河沙」は「恒河」=ガンジス川のことで、ガンジス川の砂の数ほどの大きな数という意味です。
また、仏教の経典の中では、阿弥陀仏の偉大さを表現するために「不可思議光仏」と呼んだりします。
ただ、当時のインドの数の単位の取り方は現在と異なっており、また経典によって数の名称が異なることがあります。
ちなみに、「塵劫記」では小さい数の呼び方も記されています。
「分」「厘」「毛」「糸」「忽」「微」「繊」…となんとなく細かそうな漢字が並んでいき、ついには「模糊」、「逡巡」、「瞬息」、「刹那」、「虚空」、「清浄」と、
こちらも仏教由来らしい「無」の世界につながっていきます。
吉田光由(1598−1672)の「塵劫記」は、日本人の数学力を飛躍的に高めるきっかけとなった、数学の初等
教科書です。寛永4年(1627)の初版から、たいへんな人気を博し、すぐに海賊版が多数出版されました。それに対抗
するためもあって、著者の光由自身が何度か改訂版を出しています。
「塵劫記」には、九九・そろばん等の基本事項や、米の売買・利息計算・土地の面積計算など生活に即した様々な実用的問題に加えて、「継子立て」
「ねずみ算」などの数学パズル的な問題も多く収録され、人気を呼びました。
光由が手を加えなくなった後も、「○○塵劫記」「塵劫記○○」といった類似書が江戸時代から明治時代にかけて300種
以上も出版され、「ぢんこふき(塵劫記)」が数学そのものを意味するようになるほど、人々に親しまれました。
今回は、そのうちの32種を展示しています。
また、光由が最後に出版した寛永18年版(1641)には、あえて解答を載せない挑戦問題(これを遺題と呼びます)が12問掲載されました。
この挑戦に応じた人が、解答と新たに自分が考えた遺題を本にして出版しました。
これ以降、遺題に解答し、新たな遺題を提示するという形式が流行し、本格的な数学(和算)の発展に大きく寄与することになります。
■『塵劫記』の問題■
【薬師算】
碁石を用いた遊び。碁石を中空正方形状に並べさせ、それを崩してから改めて一列がもとの一辺と同数になるように揃えて並べさせると、
三列になり何個か残る。その残りの個数から碁石の総数を当てる。その当て方は(残りの数×4)+12 である。ここに表れる一二を薬師如来の
一二の誓願、十二神将になぞらえて薬師算という。「塵劫記」に記載がある。
【薬師算の遊び方】
このゲームとその遊び方を次の箇条書き @〜C で示します。
@ はじめに碁石(黒)を多数用意して相手に渡しておきます。
A 自分が後ろ向きになっている間に、@で渡された碁石を使って、右の[図1]で示すような、一辺が4個以上の正方形
を相手に作ってもらいます。
B 相手に、Aで作った正方形の一辺だけを残して、その一辺に沿って[図2]のように碁石を並べ替えてもらいます。
C 最後の列の碁石の個数(これを端数と呼ぶことにします)を相手に教えてもらうだけで、自分が使用されている碁石の 総数を術者が当てる遊びです。
【注】 上記の操作 A〜C の間は自分は常に後ろ向きのままなので、自分は[図1]と[図2]を見 ることはできません。
=====================================================================
つぎに、薬師算の遊び方の一例を示します。
【遊び方の例】
相手が[図1]のような正方形を作って、それを[図2]のように並べ替えます。そして、『端数は4です。』 と術者に教えたとします。
そして自分はそれを聴いて簡単な計算をしてから、『碁石の総数は28です。』 と見事に当てて見せます。
【薬師算 の仕組み】
相手から端数を教えてもらっただけで、どうして、自分は相手が使用した碁石の個数を当てることができるのでしょうか。
つぎに、その仕組みを説明します。
【薬師算の仕組み】
一辺の碁石の個数が m(m≧4) であるような正方形を作るのに必要な碁石の総数を s 、碁石を並べ直したときの端数を n とします。
正方形の四隅の碁石 ● は二つの辺に属しているので
s=4(m−1)=4m−4 ・・・ @
が成り立ちます。したがって、碁石を正方形の一辺に沿って並べ替えると、4列目はかならず4個の不足が生じるので
m=n+4 ・・・ A
が成り立ちます。ここで、A を @ に代入して整理すると s=4(n+4)−4=4n+12 すなわち
s=4n+12 ・・・ B が得られます。
===============================================================================
前節で示した 【遊び方の例】 では、相手が 『端数 n は3です』 と術者に教えました。それを聴いて、術者は上の式Bを利用して
s=4×4+12=24 と計算してから、『碁石の総数は28です』 と当てるというわけです
【薬師算についての補足】
【薬師算の遊び方】のAで、「相手に一辺が4個以上の正方形を作ってもらう」ということになっています。
つまり、一辺の碁石の個数 m に m≧4 という条件がついています。・・・説明します。
ここで、m=1 は題意から排除されて当然です。そして、 m=2,3,4 に対応する端数 n と碁石の総数 s の値を求めてみると、題意から
[m=2 のとき n=0 ,s=4] , [m=3 のとき n=2 ,s=8] ・・・ [A]
また、前節の【薬師算の仕組み】の等式 s=4m−4 と m=n+4 から
[m=4 のとき n=0 ,s=12] , [m=6 のとき n=2 ,s=20] ・・・[B]
となります。したがって、[A] と [B] から、 《 n=0 に対応する s の値が s=4,12 》 と 《 n=2 に対応する s の値が s=8,20 》
のように、n に対応する s の値が2個あることがわかります。
この結果、相手が 『端数 n は0です』 または 『端数 n は0です』 と術者に教えたときは、術者はその応答に大変困ることになります。
このような理由から、一辺の碁石の個数 m に m≧4 という条件がついているのです。
【薬師算の一般式】
薬師算には多くのバリエーションがあります。
環中仙によって書かれた 『和国知恵較』(1727年)には、三角形についての薬師算が載っています。
また、中根彦循によって書かれた 『勘者御伽草紙』(1743年)には、正五角形の場合の他に、正a角形の場合についての一般式が
等式 s=an+a(a−1) で表わされることが記載されています。
この等式は、つぎのようにして導びかれます。
【薬師算の一般式】
一辺の碁石の個数が m(m≧a) であるような 正a角形を作るのに必要な碁石の総数をs 、碁石を並べ直したときの
端数を n とします。正a角形の隅の碁石は二つの辺に属しているので
s=a(m−1)=am−a ・・・ @ が成り立ちます。
したがって、碁石を 正a角形の一辺に沿って並べ替えると、a列目はかならずa個の不足が生じるので
m=n+a ・・・ A が成り立ちます。ここで、A を @ に代入して整理すると
s=a(n+a)−a=an+a(a−1) すなわち s=an+a(a−1) ・・・ B が得られます。