
2001年2月
2001年2月26日
停電
雷がなった訳でもなく、地震があった訳でもなく、こんなに突然電気が
途切れてしまうなんて、何年ぶり?今まで、いかに災害や事故にあうこともなく
安穏としていたことか、文明の利器をあたりまえに使っていたことか
寒い・・ストーブ、コタツ、カーペット、ボイラーすべてOFF
暗い・・電灯、テレビ、CD、OFF静かなものだ。
釜はガスだったのでご飯が炊けてよかった。
お味噌汁にお味噌をいれようと思った時、突然お味噌が見えなくなったのだ。
お肉を焼いていたのに、どのくらい焼けたか、見えなくなった。
見えないということがどういうことか、見えている時には想像できないものだと実感する。
蝋燭のあかりで食事をする。これも、レストランのラウンジならステキなんでしょうね・・
お皿はボイラーが回復してからにして・・
でもすることがないのよね。暗闇のなかでは。
外で、車のエンジンがかかった。「中でヒーターで温まって、テレビみよう」
さすが、パパ、名案だね。
甘やかされた生活からはなかなか抜け出せないものだなあ。
たった、1時間半程の短い不自由でした。
2001年2月19日
雨水
二十四節気でいうと今日にあたるらしい。
水ぬるみ、草木の芽が出始める頃。
今まで毎日、雪が降りつづけ今年の春は来る日を忘れてしまったのかしら?
そう思っていたのに、今朝から雨が降っている。
積もった雪も半分も溶けてしまい、あっという間に景色が変わる。
雨は暖かい。
薔薇もクレマチスもほんの小さな蕾を膨らませていた。
この時期に剪定をすることを納得する。
小さな蕾を確かめて、枝の伸びる先を想定する楽しい作業だ。
お日様の暖かい手の平になでられるように
暖かい雨に喉を潤すように
草木のささやきや歌声が聞こえるような・・そんな春の始まりを感じた。
2001年2月14日
暖冬の予想を遥かに裏切って毎日雪が降り続く。
12月までは、暖かだったのに、1月から除雪作業は6回になる。
降雪量では気象庁の発表では7年ぶりなのだそうだ。
でも気温はどうかしら?こんなに凍る毎日はあまり記憶していない。
だから、降った雪は溶けないうちにまた積もる。
今日はいよいよ、温室の雪抜け作業をした。潰れちゃってからでは手遅れだもの。
屋根から滑り落ちた雪が両脇に溜まってしまって肩まできてしまったので
もう、滑り落ちなくなってしまった。
そこで、ぐる〜り周りの雪を1メートル幅に穴を掘っていく。スコップですくった雪を肩より
高くにほうりなげる。掘る、なげる、掘る、投げる・・約60メートル。
スキーウエアも汗をかいていらなくなる。
真っ白い美しい雪も生活する中でここまでくると、格闘している気分。
真っ白く、美しく、輝くままで、少しだけ降ってくれればいいのになあ。
2001年2月11日(日)
毎年、同じ日、同じ時間、同じ場所で集まる女だけの同級会。
遠くに嫁いだ人はなかなか集合出来ないので、2学級しかなかった学年の
女子だけだから、15人ほど。
その時々の話題は家族のこと、仕事のこと、子供のこと・・息災(まだそんな歳じゃないって)を喜ぶ。
それでも、10年も前と今ではやはり、違ってくる。若い頃(?)しゃかりきになっていた自分達。
何事にも頑張りすぎていたように思う。うまく行かない時の焦り、現実に対する理想とのギャップ・・・
家庭でも仕事でも大役を余儀なく与えられ、こなしきれず悩んでいた。
一人相撲をとっては悔しがる。そんな一途な時期があったように思う。
少しづつ世渡りを覚えどうにもならないこともある・・と学習していく。
それは、諦めというものではなく肩の力を抜くと言うことでは?
離婚した人、親とうまくいかなくて別居した人、子供が難病(私)・・いろいろある。
まだまだ、現在進行形。辛いことはこれからかもしれない。
でもおしゃべりが明るい。うれしかったな。逞しくなっている。こんな話も笑って出来るようになっている。
人間、万事塞翁が馬
まだまだそんな意味が本当に判るわけもないけれど
人生はわからない。今を大切に明日を信じてがんばろうね。
2001年2月9日(金)
チマチョゴリ
韓国に出張していた主人が4日ぶりに帰宅。
「お帰り〜。」帰りを待ちわびる娘のナント可愛らしい声。最近聞こえないトーンだな?
と思っていたら、やっぱりお目当てはお土産。
ちゃっかり注文を出してあったそうな・・何時の間に?
荷物を見れば、トラベルケースが1つ増えている。
チマチョゴリの為に買ったそうな。なるほど、チマチョゴリは花嫁のドレスのスカートのように
裾がふんわり広がる芯が入っているのだ!!驚いた!!
天女の羽衣のような薄い生地に綺麗な刺繍がほどこしてある。
なんて、きれいなの!テレビや雑誌では見たことあるけれど本物は始めて見た。
胸の所で大きく結ぶリボンが足元までさがる。指のない足袋のようなものにもちゃんと刺繍がある。
「わ〜。きれい!ほんものだ〜。ステキ〜。」
娘の歓喜のおたけび。
主人はそんな娘に着つけまで手ほどきしてるし・・ハア、このコンビは・・・?
「あっちゃん、よく似合うわ〜。でも何処で、何時着るの?」
2001年2月7日(水)
今日は、税務署と雇用保険の出先所をはしごした。
医療費控除とか娘の厚生年金の掛け金が控除になる。年末調整では出来ない分。
それと、雇用能力開発機構に雇用創出人材確保助成金の申請。
異業種経営につき従業員の給料を助成してくれる制度。
わずかだとは言え、苦労を惜しむより、自分でできることはチャレンジしてみたい。
人まかせにお願いすると中身が見えないし1つ1つを納得してクリアして行く。
これもなかなか楽しいことだ。
雇用開発では3時間もの時間を要した。これにはちょっと目算違い。
看護婦をしている妹がお休みだから、つきあってくれた。
新潟市内に出るんなら、ついでに食事を一緒にして、
スーパーじゃなくデパートでお買い物しようよ〜。
と目論んでいたのに・・ごめんね。
埋め合わせはこんどきっとね。
2001年2月5日(月)
近所に同じ年にお嫁に来た仲間が6人いる。毎年子連れでのんびり温泉旅行していた。
子供も一家に3人もいれば、全部で25人近くの団体になる。おんぶしたり、だっこしたり・・・
子供達も男女、年齢関係なく、皆いまでも仲良くしている。
最近では子供も付いて来なくなり女同士気がねない旅行が出来るようになっていた。
今年も、積み立て貯金の満期が来る。
さて、今年はどこに?ところが、仕事の都合が悪い、おばあちゃんの具合が悪い、
こどもの受験で・・という具合で20年も続いた、温泉旅が危機だ。
結局今年はお休みということに・・・
子供に手がかからなくなる頃に、両親も年をとっている。
そろそろ介護のことも考えなくちゃ・・そんな話題になってくる。
先のことを建設的に考えるのは大切だけど、どっぷり漬かっちゃうのはいやだな。
そんな中でどうやって楽しみを見つけるか!みんながんばろうよ!
2001年2月4日(日)
立春・・朝も明るくなるのが早くなって、目覚めもいい。
今日はいいお天気だった。いつものように家事をして、リュウと少しゆっくりめに散歩をする。
美容院に行って、リフレッシュ!プリティになったかな?お花屋さんに行ってゆっくり眺める。
でも今はランの花が咲いていて、飾るところもないので、目の保養だけにしておいた。
春のガーデンのプランが沸いてくる。今はがまん、がまん。
家に帰って、さっそくノートを開く。春のお花のプランニング。タルのプランターを2個買ってある。
あと、コンテナも新しいのがいくつか欲しい。ベゴニアの飾り棚も工夫しよう。それから・・それから・・
楽しいなあ。
2001年2月2日(金)
昨年から準備を始めていた新しい会社。
いよいよ活動が始まって、御客様も多い。商品の仕入れコストの一覧、見積もり書の作成。
見本市の出品リスト。サンプル品の印刷。等々・・きりがない。
一日中ざわめきたっている。
けれど、やろう!と思えるチャンス到来と思えばいい。皆が目標に向かって走り出した。
意欲の海原に漕ぎ出した一艘の船。さしずめ私は、清掃班かな。救急班かな?
皆無理をしないでね。先は長いよ。
2001年2月1日(木)
お誕生日おめでとう。
今日は長女の22歳の誕生日。毎年おひなさまを飾る日に決めている。
お祝いのご馳走は何にしようか?考えていると、職場から、電話。
「これから帰ろうと思っていたけど、彼が足を骨折してしまって、熱もあって大変なの。
入院はしなくていいんだけど、狭いアパートで大変だから、手伝いたいの。何日か帰らないから。」
結婚前の娘が言う。
「それは、たいへん!うん、わかったよ。おだいじにね。」母は答える。
娘が膠原病を患ってから、1年2ヶ月。去年のお正月には入院していた。
それまで、スポーツ大好き、高校生ではインターハイに出場するほど打ち込んで
発病の前までスイミングのインストラクターをしていた。
そんな彼女に先生はその仕事は無理です。やめてください。そうおっしゃった。
今は月に1〜2回の通院で落ちついている。過労をさけて、風邪をひかないで・・注意をもらっている。
だけど、彼女の明るさはどうだ・・まいっちゃうんだよね。
今はケーキやさんでアルバイト。持ち前の明るさで可愛がってもらっているらしい。
親からみればあぶなっかしいことも頓着しない。
「今を大事にしたい。後で失敗したと思っても、後悔はしないよ。」それが口癖。
もう一度言うね。お誕生日おめでとう。産まれてくれてありがとう。