

2001年3月
2001年3月31日(土)曇りのち晴れ
いろいろ・・
長女も大事なことにならず退院したものの、本人も今回の風邪ではやはり、自信をなくした様だ。
一旦体調を崩すとなかなか元に戻らない。特に風邪など熱がでたり、喉の炎症などが出た場合は
白血球値が極端に減少する。今回はリュウマチ値も増えていなかったので、すぐ退院できてよかった・・・
一段落した頃、28日水曜日。
長男の仕事先から電話。
けがをして今、救急車で搬送されました。!!??
いったい何が?
「指をはさんで、小指がぶらさがっていました。今、手術をしています。」
血がひけていく・・・
5時間もしているのにその後の連絡がつかない。
とにかく主人は出かける支度をしているが私は会社を離れられない。
給料の計算と支払い。月末に来ている。
夕方になってやっと電話が入った。
「手術は終わりました。入院はしなくてもいいですが通院でしばらく仕事は休んでください。」
「それだったら、迎えに行きますので、新潟の病院に紹介状をお願いします。」
けがは小指の骨折、神経や筋肉の切断。ボルトを入れて骨は上手くつなげました。あと神経や筋肉の接続は
様子を見ないと・・・という所見。
とにかく、埼玉まで迎えに行ってしばらく家で静養中。
2001年3月16日(金)晴天
長女の入院
先日から風邪をひいて仕事を休んでいた長女、中々熱が下がらない。
まるで食欲がない。咳のせいで胸とお腹が痛むらしい。
それでもお医者さんに掛かっていてお薬ももらっているので安心していた。
でもとうとう何も食べ物を受け付けなくなったので、点滴をしてもらって
帰って来たのが、午前中。夜になったら、顔、手、足に硬直が始まった。
もう、躊躇していられない。すぐ病院に向かう。夜間のこと、いつもの担当の先生では
なかったけれど、カレテは準備してあった。病院に着く頃には大分落ちついていた。
高校生までは人一倍元気な子だったのに、まさかこんな病気になるなんて思ってもいなかった。
普段は病気を忘れるくらい明るく元気なのに、こんな時には思い知らされる。
症状が悪化したのかしら?検査の結果が待たれる。今日は判らないので
またこれから点滴。入院になっちゃった。
2001年3月15日(木)雨
市民芸術祭
娘が始めて頂いた花束
高校生の末っ子は市民サークルで演劇をやっている。
今日は3ヶ月間休みなしで練習した演劇の公演をやった。
子供が3人いれば3人に違う楽しみを分けてもらえる。
チケット売りなんて、親も始めての経験。
いよいよ、本番の日がきたんだね。おちついて・・
こちらの方がドキドキしてしまう。
織田信長の戦国時代を現代ふうにも脚色してあり、
笑いあり、涙あり、素晴らしかった。
幸せだね。ステキな仲間と一緒に過ごせて、
先のことばかり心配する大人に今を燃焼する若者達が問いかける。
今を生きていますか?
2001年3月14日(水)晴天
雪解け
今年の冬は長かった。雪の降雪量は平年並みというがこれだけ、気温が冷え込んだことは
10何年ぶりだったとか・・昨年暮れの頃には、近頃雪が少なくなったとか
雪遊びをしなくなったとか、雪を懐かしむことをいっていたのに、
まさか、3月になっても氷点下を切るほど長引くとは思ってもいなかった。
でもこれが新潟、覚悟を決めれば冬には冬の暮らし方、楽しみ方もあるように思う。
それでも、昨日、今日は晴天。気温も上昇、やっと春を思わせるお天気になって来た。
雪かきで隅に高く積まれた雪も屋根から滑り落ちた雪もペシャンコになっている。
草や芽が見え出している。道が乾いてホコリも立ち始めた。
とたんに、クシャン!!
今日は朝から、クシャミと涙・・あらら〜。
雪解けと一緒にやってくる、ホコリアレルギー(花粉ではないと思っている。)
この時期と稲刈りの時期には必ず鼻水の大洪水になってしまう。
鼻真っ赤・・目には涙、口開けて・・これじゃ仕事が出来ない〜。
という口実で事務所から抜け出て、マスクをかけ
1人になれる私のオアシス、温室へまっしぐら。
ネモフィラの種まき、レースラベンダーの挿し木、小苗の植え替えなどを楽しんだ。
雪解けと一緒に来る不幸と幸福の入り混じった
春の始まり。
高校受験の合格発表、ここにも春が・・みんながんばったね。おめでとう!
2001年3月13日(火)晴天
留守番
両親が旅行に出かけている。2人が毎日がんばっているのは、農業。
100坪ほどのガラス温室で夏は大葉(緑色の紫蘇)、春、秋、冬も
代わる代わる何かしらの葉ものを育てて、出荷している。
農業を始めたのは、3年ほど前から、それ以前は素人だったのだから
かなりの勉強をしている。
大葉にいたっては出荷組合に加入しているので、規格、良品が必須になる。
今、種が芽を出し、温度管理と水やりは明暗を分ける大事な作業。
以前はなんの心配もなく、旅行にも気軽に「いってきま〜す。」
だったのに、可愛い子供を残すより不安な顔で、
「・・・さん、水やりと、換気、電気のスイッチお願いしますね・・」
私の温室と向かい合わせだから、「大丈夫。朝、晩2回は見に行くから。」
「天気が変わりやすくてね、油断するとあっというまに40度くらいになってしまうんだよね。」
ふふ・・お花も野菜もおんなじだね。生き物を育てることは休みがない。
だけど、本心は心配だよ〜。
留守番は水やりだけの時にしてほしいわ〜。
2001年3月11日(日)晴れのち雪
フラワーウェーブ
春の訪れを知らせてくれる、花の祭典「フラワーウェーブ」毎年楽しみにしている。
今年はお花大好きな親友と一緒にいくことができた。
私はリュック、彼女はショルダーという出で立ちで宣戦スタイル?
会場を埋め尽くす花、花、花・・・・
中央に高くそびえるチュウリップ、スイートピーを中心にした、アーチ。
ステージを結婚式会場にしつらえて、テーブルアレンジ、
そして、人前結婚式が執り行われている。
それを取り囲むようにさまざまなテーマで模擬ガーデンが現れる。
さらにその周りを出店が並ぶ。
2階では、全国1位を誇るチュリップの品評会。
フラワーアレンシ教室の出展作品が並ぶ。
花を愛する人々に丹精をこめて作られた作品、
花を愛する人々によって催されるイベント、
花を愛する人々が幸せをを共有することができるひととき。
カトレア、2鉢。チョウリップ10本、ミニバラ1鉢おみやげゲット。
とっても春色になっちゃったね〜。うふふ。
2001年3月7日(水)曇りのち晴れ
献体
隣に80歳を越えた老夫婦が住んでいらっしゃる。
昨日までは、お二人だった。お子さんがいられないので定年退職された後
いつもお二人で、お花の世話をしたり、近所の子供を散歩に連れたり
とても元気で仲のいい夫婦だった。
我が家の子ども達も遊んでもらったり、カメラを趣味に持つご主人に撮ってもらったり
したものだ。ゴルフをしたり、自転車で釣にでかけたり・・
あんなにお元気だったご主人は昨年の7月に倒れたきり
病院からご遺体でお帰りになってしまった。
元気なうちから、ご夫婦の約束は死後の献体だったそう。
2人ともに亡くなってしまった後お墓のお守で他人に迷惑をおかけしたくないと。
そんな辛い話を老夫婦は語り合っていたのだろうか。
空には久しぶりに満天の星。高く、高く澄み渡った冬の空に
今日、青く輝く星が1つ増えたのですね。
2001年3月3日(土)晴れ
Congratulation
かおりんと一緒に食事をしてから、1ヶ月半、
彼女の身の回りも忙しそう。長女の高校受験、両親の心配、
おじいちゃんの闘病、一遍に押し寄せている。
私も心配しながら、邪魔になりたくないので、いつも陰で応援するしかない。
会いたくてもがまん、しよう!私は、いつでもまってるよ。
ところが彼女から来たメールに書いてあったことは
「マイクロ社の検定試験に合格しました。」
なんと!あれからわずかの時間に学校に通い試験を受けていたなんて!
4月から、就職内定が決まりましたって。
すごいぞ〜!!がんばったね。かおりん。
妹さんが遣り残したパソコン教室の夢が近づいたんだ。
子供達もきっとお母さんのがんばりを見て、負けていられないって思っているね。
想いを貫くこと、実行して前に進むこと、簡単じゃない。
かおりん、いっぱいいっぱいありがとう。
たくさんの勇気をありがとう。