手紙(記:2003年10月18日)


 私はもらった手紙はず〜っと仕舞っておく人だった。 一般的には (まぁ、こういう事柄に対して『一般的』なんてものはないと思うけど・・・。) 手紙って読んだら捨ててしまうものなのかしら?
 私は独身の時も結婚してからも、もらった手紙を捨てられない人だった。 だってね、せっかく人からもらったものをそう簡単には捨てられないじゃない。

 だけど、ここにきて私の荷物 (結婚してからも実家に置きっぱなしだった私の荷物をようやく全て引き揚げてきた) を整理していて、いらないものは処分しようって決心したんだ。 家はそんなに広くないので。
 学生時代の教科書とか、ちょっと気になった新聞や雑誌の切り抜き(ジャンル問わず)とか、 特別深い意味のない近況報告程度の手紙とか・・・そんなのは捨てることにした。

 で、手紙は中身を読まないと捨てる、捨てないの区別がつかない。 だからすごく久しぶりに(小・中学生時代の手紙まである)一通ずつ読みながら仕分けした。
 その中に亡くなった友達からの手紙が何通かあった。
 それは高校時代の友達で、私はその友達とは特別仲がよかったわけでもなんでもなかった。 高校時代はおんなじクラスで、たまたま出席簿(当時は男女別だった)で彼女は私の次だった。 だから入学当初、出席簿順に机が並んでいて、 配り物をまわしたりする時に
「はい。」
「ありがと。」
くらいの関わりがあった程度。
 彼女は可愛くて明るくて男女問わず誰とも仲良く楽しく話せるような人だった。 私は男子とは『絶対』(と言ってもいいほど)に話したりしなかったし、 逆に話しかけられるようなこともない人だった。(これは今も・・・。) だから羨ましい気持ちはありながらも、 なんというか別世界の人みたいな・・・ すごく親しい友達にはなれないというか・・・、なろうともしなかったし・・・。

 そんなわけでただの同じクラスの友達として高校の3年間が過ぎて、 卒業後は同級会で会う程度で、 結婚したということも同級会の時に友達から聞いた。

 その後何年間か同級会もなく、彼女に会うこともなかった。 (個人的に会う程、親しい友達じゃなかったし・・・。)

 ある時、高校時代の担任の先生から手紙が届いた。 彼女が東京の病院に入院しているという内容だった。 確かに高校時代も心臓が悪いとかで体育の授業は見学していたけど、 特別具合が悪そうでもなかったし、それが原因で学校を休んでいたとかいうこともなかったと思う。 だからその手紙を見た時も、
「そんなに具合悪いの?」
っていうのが正直な感想だった。
 たまたまその頃友達の結婚式に呼ばれていたので、 一緒に呼ばれた友達と結婚式の帰りに御見舞いに行くことにした。

 病院で見た彼女は、思っていたよりは元気そうだった。 だけど、彼女の話しでは大変な状況のようだった。 (私達が行った頃は安定していた頃なのね、たぶん・・・) 3日間心臓が止まったままだったこともあったそうだ。
(その間、機械をつけていたそうだ。 その機械も1日使うと何百万とかかるらしく、医者も2日目に家族にどうするか聞いたそうだ。 で、あと1日って言ったら、奇跡的に次の日に心臓が動き出したんだって。 医者も「奇跡だ。」って言ったそうだ。) で、その後、自分で自分の体を見たらすごい色だったと言っていた。 体は見ようと思わなくても見えちゃうけど、 怖くて鏡で自分の顔は見られなかったって。



 なにかの本だったかで、 長く入院している人が一番うれしいのは手紙をもらうことだと書いてあったのを見たことがあったから、 とりあえず一度手紙を書いてみた。 とはいえ、特別親しくもない私からの手紙はかえって迷惑ってこともあるよね。 だから、あまり内容のないあたり障りのないことを書いた気がする。
返事を期待しての手紙じゃないから、
「どうですか?」
みたいな問いかけもない、本当に質素?な手紙。 それから散歩の途中で見つけた四葉のクローバーを栞にして同封した。


 それから、たぶん二ヶ月くらい経った頃に思いがけなく彼女から返事が届いた。
「手紙有難う。迷惑なんてとんでもないので、どんどん手紙を下さい。 私からの返事は体調が悪い時は遅れたり、書けなかったりするけど、 それで良かったらまた手紙下さい。」
だいたいこんな感じの内容だったと思う。

 なので、それからは時間をみて手紙を書くようにした。 (とは言っても一ヶ月に1回とか二ヶ月に1回程度なんだけどね。)



 私からの手紙は相変わらず世間話程度の内容ばかり。 彼女の病気についての詳しい知識もないし (看護婦−今は看護師だね−だった友達は状況をよく理解していたみたいだったけど) 知らない私が軽々しいことは言えないし・・・。 だから 「こんなテレビ番組を見たけど、そうだったんだね」とか、 「私は今この人達のこんな曲が好きなの」とか。 たまにはカセットテープを一緒に送ったりもした。
 逆に彼女からの手紙の内容は結構密度の濃いもので、 病院での食生活?(心臓に負担が掛かるから体重を増やせないとかで少ししか食べられない、 ちょっとジュースを飲んだだけで体重が増えて怒られた)とか、 辛い検査の話しとか。



 途中、彼女は別の病院に転院したんだけど、それからも手紙のやりとりは続いた。
 彼女の病気は心臓移植しか治療の方法はないそうで (今はどうなのか知らない、その頃はそうだった) 手紙のやりとりを始めた頃は移植のために渡米する計画もすすんでいた。 だけど、転院後に新しい治療方法?を試したらそれが彼女に合ったのかどうか (彼女自身も辛いけど頑張っていると書いてきたことがあった) 状態がとても安定してきて、「すぐにも移植」という状況は回避されたようだった。



 その後も治療を続け、日常生活には差し支えない程になって彼女は退院した。 退院した後は手紙のやりとりは全然していない。 なんか、カッコつけな言葉だけど、私の役目は終わったみたいな感じ。 彼女には彼女の生活があっただろうし、私は彼女とすごく仲良くなりたくて手紙を書いていたわけでもない。 なんかちょっとでもタメになれば・・・と思っただけ。 ヒマつぶしでも、気分を紛らわせられればでもなんでも・・・あまり深いことは考えてなかった。



 それから1年か2年くらい経ったのかな。
 突然高校の同級生から電話がかかってきて、
「彼女、亡くなったの・・・。告別式は・・・」
って。

 そりゃぁ、ビックリした。
 だって、それなりに元気になって、なんていうか普通に暮らしていて、 その普通に暮らすことに期限なんてないと思っていたから。





 特別な理由はないんだけど、今、彼女に手紙を書けたらなぁと思う。 特別親しかったわけでもないし、逆に意地悪したり、されたりしてたわけでもない。 ある意味お互い「あまり関係のない位置」にいたと思う。 けど、なんでだろう、なんか今の自分はこうして生きてるよって伝えたい。 生きてることを自慢?したいわけじゃなくて、 なんていうか、上手くいかないことばかり、頭にきたり、悩んだりの毎日だけど、 これでもがんばっておなじような毎日を生きてるよって伝えたい。



 ひょっとしたらこれは彼女に伝えたいんじゃなくて、 神様の側にいる人、神様自身に知って欲しいだけなのかもしれないな。



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