宮部行範さんの講演会の感想文 (記:2002年9月5日)

『なぜ、オリンピックでメダルが取れたのか/宮部行範』


昨日、小学校の体育館で公民館・小学校PTA共催の講演会がありました。

 まず、宮部さんはアルベールビル五輪のことを話されました。
 アルベールビル五輪には宮部さんのお兄さん(宮部保範さん)も出場されたのですが、 期待されていたのはお兄さんの方で宮部さんは期待されていなかったそうです。 で、宮部さんが銅メダルをとった1000メートル、お兄さんは1組目だったか (とにかく最初の方)に滑ったのですが、 その時、一緒に滑る相手(スピードスケートは2人で滑りますね)がフライングをしたそうです。
 普通フライングの場合はピストルで「パン、パン」と2発鳴らすそうなんですが、 その時に限って笛で「ピーィ!」で、宮部さんのお兄さんはほぼ止まった(立った?)状態、 相手の選手は止まりそうになったけど、また滑り出して、 宮部さんのお兄さんもそれにつられるように滑り出してしまったそうです。 その後係の人に止められてそのレースはやり直しになったのだけど、 すぐに滑りなおしになってもう全然レースにならなかったそうです。

 宮部さんはそれよりも後の組で滑って銅メダルをとったわけだけど、 宮部さんの話しではレースは午後3時頃から始まって、 氷も後になるに従って滑りやすい(記録が出やすい?)状態になったから、 後の方の組で滑ったいつもはあんまり目立たない?成績の人がその時は1,2,3位になったそうです。

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 宮部さんは東京都出身で、お父さんの仕事の関係で5歳から中学生になるまで(だったと思う) 北海道ですごされたそうです。 社宅(だったかな?)が道路をはさんでリンク(実業団がそこを使っていたらしい)の前にあったので、 毎朝滑ってたそうです。 (実業団の練習は午前7時から始まるのでそれまでは近所の子が自由?に使っても良かったみたい。)

 で、スケートを始めたのはお兄さんと一緒だったのだけど、 宮部さんは自分がお兄さんの年齢になった時のお兄さんの記録に対して、 お兄さんが出した記録なら自分もその記録を出せるはずだ、 出すんだと思ってずっとやってきたと言っていました。

 中学生の時に埼玉に引越して、 冬になれば自然に氷が張るような環境でなくなったから中学ではバスケットボール部に入ったのだけど、 都内のリンクで練習してる人達(クラブかな?)がいるというのを聞いてスケートもやったそうです。 週末は軽井沢まで練習に行ったらしい。

 高校時代もそういうふうに過ごしていたみたい。 (この辺も詳しいお話はあったのだけど・・・すみません、私よく覚えていません・・・。)

 大学は推薦入学だったらしいのだけど (面接でも「スケートをしたい」か「スケートをしている」と言ったらしいのだけど) その大学にはスケート部がなかったそうです。

 お兄さんは大学3年の時に学生一、 4年生の時に日本一(大事なことなのに間違っていたらすみません・・・)になったのだけど、 宮部さんは大学生になっても高校時代と同じように過ごしていたらしい。 3年までに単位をめいっぱいとって4年生でスケートに集中しようと思っていたと言ってたと思います。 で、4年生の冬(だと思う・・・ちょっと忘れてしまいました・・・)、 4位以内に入ればオリンピック代表(だったかな?)に選ばれるという大会で、 23位になったそうです。

 控え室?にお兄さんがきて、普段はあまり口もきかない(?)のに「どうしたんだ?」 と声をかけられたら、涙が『ぶわぁ〜ぁぁ〜』とあふれてきたそうです。 それまでは3位以下になったことがなくて(そう言っていたと思うんだけど・・・)、 その時も4位以内なら大丈夫だと思っていたし、自信もあったそうです。でも結果は23位。
 その時、宮部さんは商社から内定をもらっていて就職するつもりだった (スケートを仕事にするという選択肢はなかった)そうですが 「本当にこのままやめてしまっていいのか?」と考えて、 もう2月くらいだったのに以前に「スケートをやらないか」と誘ってくれてた会社に 「あの時の話しはまだありますか?」ときいたそうです。 するとまだ大丈夫だと言われたので、内定をもらっていた商社を辞退してその会社に入社したそうです。

 スケートをするとなると1年の内合計しても一ヶ月くらいしか会社に居られない (練習・合宿とか遠征とかで)のでどうしても仕事は『お手伝い』みたいなことしか出来ないそうです。
 内定を辞退した時か、 この会社でスケートをしていくと決める時かちょっと私にはよくわからなかったのだけど、
「本当にそれでいいんだね。それじゃそういうふうに手続きします。」
と言われたそうです。

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 宮部さんは、自分と同じ年齢の時のお兄さんの記録を目標にしていた?し、 コーチも宮部さんとお兄さんの体型が似ていることもあって、お兄さんがやっているようなこと (練習とかフォームとか?)をすればいいという感じで、ずっとそういうふうにしていたそうです。
 オリンピックのシーズンの10月(だったかな?)のレースで成績が悪かったのか (ここが肝心なところなのに・・・はっきり覚えていないのです。申し訳ない・・・。)、 その時初めて『自分はなにをすればいいのか?』という風に考えたそうです。
 内定を辞退した時だったか、スケートをすると決めた時かに言われた 『本当にそれでいいんだね』という言葉が頭の中に浮かんできた (ちょっと表現は違うと思いますが・・・)そうです。
 それから(10月以降)は『自分』に合った練習とかフォームとかを考えてするようになったそうです。

 その後、宮部さんはオリンピック直前のレースで優勝してオリンピック代表に決まったそうです。

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 よく大会の前(滑る前かな?)に
「緊張しませんか?」
とインタビューされるけど、自分は緊張しません。外国の選手は同じ質問をされると
「自分がすべきことをするだけだ。」
と答えてます。英語では「I have job to ・・・」(ここは聞き取れませんでした)と言います。

 人は「〜しないようにする」と言うことは出来ないそうです。 だから、自分が今まで練習してきたこと、『自分がすべきこと』をするだけなんですと言っておられました。
 そしてその『自分がすべきこと』というのは1年くらい思い続けるくらいではダメで、 宮部さんの場合は5歳で最初にスケートをした時から「今より上手になりたい」、 「今より速くなりたい」とずっと思い続けてきたのだそうです。
 20年くらいもずっと、スケートだけをしていたわけではないけれど、 全てのことがスケートに集中していったと思うと言っておられました。

 引退する少し前(2〜3年前くらいのことでしょうか?)には氷の状態がわかる (これは全く表現が違っています。氷に『のる』っていうような感じのことを言っていたのだと思う) ようになって、そうなるともう遅く滑ることが出来ないそうです。

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 その後、宮部さんはコーチを教えるような、そういうことをしたいと考えるようになったそうで、 今年の9月からアメリカに2年間留学するそうです。






 講演が終わった後、宮部さんはアルベールビル五輪の銅メダルを見せるだけでなく、 聴きにきていた人達に回してくれました。
 もちろん、私も手にとってマジマジと見させていただきました。
 本物の銅メダルは結構大きくて、宮部さんのお話では真中部分はクリスタルで、 裏側から模様が彫ってありました。ずっしりと重みがありました。

 それから、講演が始まる前に、主催者さんが『講師の先生の紹介』をしている (みんな結構シィ〜ンとしている)時に、 机の上の荷物を床に『ガッシャ〜ン・・・!』と落として皆の視線を集めたのだけど、 講演が終わった後にもう一度同じことをして皆の視線を集めていました。
 宮部さんは非常に恥ずかしそうにしておられました。

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 どうやら宮部さんには10月頃という話しで講演の依頼をしたらしいのですが、 ご自身が9月からスポーツマネージメント(だったかな?) を学ばれるためにアメリカに2年間留学するということで (この講演会があった週末には日本を離れるそうで)、この時期になったそうです。
 会場となった小学校の体育館には空調設備もないのでただ窓等を開けるしかなく、 非常に暑かったのですが、宮部さんは「自分の都合でこんな暑い時期になってしまったのにもかかわらず、 大勢の方に来ていただいて有難うございます。本当に暑い時になってしまってすみません。」 とおっしゃっていました。宮部さんご自身もタオルで汗を拭きながらの講演でした。

 講演会が終わった後(講演会自体は大人が対象だった)、 校内にいた小学生が宮部さんにサインを求めていました。
 私は宮部さんのお話の中にあった「自分がすべきことをする」 という英文がハッキリ聞き取れなかったので、 その文を書いてもらうべく小学生の列の一番後ろに並びました。 私の前の小学生(つまり小学生の一番最後)がサインしてもらっている時に、 主催者さんが「宮部先生、終わったらこちらへ・・・」と宮部さんを呼んだので、私は慌てて
「あの、あの、すみません。 あの、お話の中にあった英文を書いていただきたいんですけど・・・お願いします。」
と紙を差し出しました。差し出した紙は講演会について印刷物の裏で、 しかもみんなが「サインして下さい」といっているのに、サインをしてもらうわけでもなく、 ひょっとしてすごく失礼だったかも・・・。
 宮部さんはちょっと驚いた様子でしたが、声に出しながらちゃんと書いてくださいました。

宮部さん直筆

宮部さんの直筆『I have job to do』


 実は今回の講演会は『絶対聞きたい!』という程の気持ちはなかったのだけど (私は宮部さんについての知識もまるでなかったので・・・)、 実際に講演を聴いて、宮部さんの実直な人柄が感じられて本当に聴きに行って良かったと思いました。 今回は大人のみが対象の講演会だったわけですが、 子供にも(特に高学年くらい)聴かせてあげたら良かったのに・・・と思うような内容でした。 もったいなかったです。

 今年のお盆に中学の同級会があり、同級会の前に幹事さんが住所録を作ってくれたんだけど、 その住所録に近況もあって、 中学生の時に「将来は医者になりたい」と言ってた人がちゃんと医者になってました。 私は正直言ってものすごくビックリしました。 早いうちから(中学が早いかどうかは意見のわかれるところだと思いますが) 一つのことを思い続けるというのは本当に大事なことだと思いました。 (その一つのことを見つけられるかどうかというのがまたすごく難しいことでもあると思うのですが・・・。)
 一時的に思ったり、頑張ったりするだけでは『目標を達成』したり、 『夢を実現』させたりすることは出来ないのだなぁと思いました。 私自身は今も『思い続けるなにか』を見つけられない (もしかしたら、『無い』のかもしれませんが・・・)でいるので、 宮部さんのお話の中に『ずっと思い続ける』というのが出てきた時、 医者になった同級生のことと重なる部分があったりして、つくづく心に残りました。





*今回の感想文は全くの聞き覚えですので非常にわかり難い文章です。 そこをなんとか解釈していただきたいと思います。
*公民館・小学校関係者は「宮部『先生』」と呼んでおられましたが、 ここでは「宮部『さん』」と呼ばせていただきました。

※この文章については宮部さんに御確認いただいているわけではありませんので、 間違いや勘違い等沢山あると思います。
※またこのようにご本人の了解をとっていない話しを ホームページに載せることが良いかどうかもわかりません。
※ですので、もしそういうことについてご指摘があれば即訂正・削除させていただきます。




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