居住地紹介

 現在、都島区毛馬町に住んでいる。 この近隣について紹介をしておきたい。 「菜の花や月は東に日は西に」「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」「五月雨や大河を前 に家二軒」等の俳句で知られる与謝蕪村の出身地である。
「馬堤は毛馬つつみなり すなわち 余が故園なり」と言っている。

淀川堤防上の"蕪村の句碑"

「余、幼童之時、春色清和の日には、必ず友だちと処堤上にのぼりて遊び候」と言つているが 現在の淀川堤防上、毛馬の閘門の近くには蕪村の句碑と生誕地の碑がある。その句碑には 「春風や堤長うして家遠し」と自筆を拡大して刻まれている。

左堤防の少し先から左河川敷へ降りれる。この河川敷を利用して京都、伏見、木津方面へ淀川沿いにサイクリングできる。

この淀川の堤、土手が我が散歩道である。河川敷を見ればテニスコート、野球場、サッカー場 等があり子供から年寄り迄楽しんでいる。少し上流の城北方向(背面方向)まで堤防を歩いて行くと 淀川の淀みとなったワンドが沢山あり、魚釣りを楽しむ人が多い。都会に居ながら自然が多いの である。

淀川堤防と淀川を横断している毛馬大堰、左前方は梅田のビル群。

右奥はサッカー場から右に淀川が広がり、手前右は野球場である。

 毛馬の閘門(水門)は 明治29年から始まった淀川治水事業の一環として築造され、昭和49年 現在の新毛馬水門、閘門へと改修されている。 水門は大川への分流と大坂市内への洪水防止を担っており、閘門は水面の高さが違う淀川と大川とを結ぶ 船運の確保のために作られており、曳航(えいこう)および砂利採取船を対象にしている。 門が2ケあり大川から淀川に登る場合淀川側の門を閉めそこへ船を入れ、そして後ろの大川側の門を閉める。 そこで淀川側の門を少しづつ開けると淀川からの水が流れ込み、水面が淀川と同じになり淀川へ出ていける 設備である。朝方8時から9時ころには砂利採取船が何艘も並び出て行くのが毛馬橋上から見られる。 この閘門近くでは4月末の稚鮎の頃には20本以上の竿が並び、年中鯉釣りの人が絶えないところでもある。右手には
蕪村公園が新設されて俳句の石碑が10体くらいは
並んでいる。運動広場でトイレも水飲み場もある。
蕪村の紹介看板もあり彼に付いての知識が学べる。
毛馬橋から撮った。
大川沿いにはサイクリング道が整備され中の島方面へ行けるし、毛馬桜ノ宮公園としても桜の時期は トンネルになるし、見事である。また大川は市立大の漕艇部が有ったりで練習している姿を 見ることができる。
春風橋から大川を見る。白い橋は飛翔橋で都島橋は右に川が曲がっていて見えない。右は都市高速である。

 毛馬への交通機関は大坂駅からバス便しかないが便数は多い、守口車庫行きが便利である。
毛馬橋過ぎてのバス停で下車し橋のたもと迄戻ると閘門が見える。その路を真直ぐ行けば淀川に行き着き、大堰から蕪村の句碑を見ることができる。車の場合は毛馬橋を渡ってすぐの信号を左に折れ直進する。
毛馬橋から大坂駅迄は混雑していなければバスで15分も有れば行ってしまう位の距離である。

淀川河川敷に降りてから見た毛馬閘門である。
閘門を出た船は傘をさして釣りを楽しんでいる釣り人の前を手前に来ると淀川に繋がっている。

蕪村の句碑は左堰堤側にある。



TOPページへ