それはいつもの寝言だと思った。
銀時が呟いたたった一言。
いつもの寝言。
…そうだと思った。
『…辰、馬…』
聞き間違うにも。余りにも克明にはっきりと。耳に残って消えない。ただ深く強く心に残った。
「馬鹿か、俺は…」
ぽつりと呟いた言葉。
「今頃気付いたんですかぃ、土方さん。遅いでさぁ」
それに返事をしたのは、一緒に巡回中だった沖田。
「………」
土方は一瞬それに反論しようと口を開いたが、すぐに口を閉ざして溜め息を吐く。
「…反論しねぇんですかぃ、土方さん」
「…あぁ、反論の余地もねェよ。本当俺は馬鹿だ。救いようもねェ大馬鹿野郎だ」
「…どう言う心境の変化ですか?アンタがそんな事言い出すなんて特殊過ぎて気味悪ぃ」
「うるせェ、放っとけ」
言い合う気も起こらないのか、土方はそれっきり口を閉ざしてしまう。
(何で…)
ぎりっと口にしていた煙草を噛む。
(何であん時聞かなかった?)
呟いてすぐに銀時は目を覚ました。いつもならボーっとした寝呆け眼で起きるのに。パチっといつもは死んだ魚のような瞳を大きく開いて。
『…ぁ……俺、今何か……言っ、た…?』
ひどく動揺した様子で。
…いつもはあんなに飄々としているのに。
『…いいや。別に何も言わなかったぜ?何だ?寝呆けてんのか?』
…思わず否定した。まるでそうするのが当たり前のように思えて。
否定したら。
『そ、っか…。…なら…良、い…』
心から安心したように。零れるように微笑むから。
否定して良かったんだと自身も胸を撫で下ろした。
だがそれが今になってひどく土方を後悔させた。
あの時何故、否定などしてしまったのだろうか?呟いた名に対して何故質問をしなかったのだろうか?
“辰馬”とは一体誰なのか、何故問い質さなかったのだろうか?
(恐かった…のか?)
あの口から何かを紡がれるのが。
その関係を口にされるのが。
言葉を、その名の人物に対する銀時の気持ちを知ってしまうのが。
『…辰、馬…』
それは土方が情事後に眠る銀時の髪を優しく撫でた時に。
それはあまりに安らかに、安心しきった子供のように。優しく、愛しげに紡がれた名。
だから聞けないのだ。
怖くて。恐ろしくて。
聞いてしまったら、この関係が終わってしまいそうで。壊れてしまいそうで。
(冗談じゃねェぞ。ようやく手に入れたんだ…!)
最初は反発して。次に気になって。気が付いた時には遅かった。
初めて。初めて心の底から欲しいと思った。その笑顔を、仕草を、視線を。全て自分に向けたいと思った。
雲みたいにフワフワと掴み所のないこの男を自分のモノにしたかった。
追い掛けて追い掛けて。ようやく手に入れた存在。
それがたった一つの言葉で失ってしまうのが怖かった。
(あいつだって言ったじゃねェかよ…)
『多串君があんまりしつこいから、俺もその気になっちゃったじゃない』
納得いかないって顔して。
『俺の負け。降参。あ〜もぉ〜ちくしょ〜。悔しいなぁ』
そして照れくさそうな顔を向けて。
『俺も好きだよ。…多串君』
相変わらず銀時は土方の事を“土方”とは呼ばないけど。
それが照れ隠しだと幾ら鈍い土方でも気が付いて居るから。
前までは気になっていた呼び名も今ではそれなりに気に入っている。
逆に土方が銀時を愛しそうに呼べば。
照れ臭そうに、でも嬉しそうに。
『なぁ〜に?……多串君』
返事をして。まるで猫みたいに擦り寄って来る。
誰にも見せた事のない顔を向けて寄って来る。
腕を伸ばせば抱き返して来る。
離したくない。失いたくない。
「くそっ…!」
苦々しい気持ちは…当分晴れそうにない。
今頃聞けない。…聞ける訳がない。
何故あの時聞き出さなかったのだろう。嘘など吐いてしまったのだろう。
自分が憎たらしくてならない。
が。
(あの時聞いてたら…?)
あの時、『辰馬』と言う人物の事を聞いていたら。
…あの笑みが消えてしまったら。
「…チっ」
土方は口にしていた煙草を携帯用の灰皿に乱暴に突っ込む。
それとほぼ同時に。
『ピーピー』
「あり、緊急召集でさぁ、土方さん」
緊急呼び出し音が響き渡ったのだった。
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2006/04/04UP