サハリン釣行記S

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リンさんの話・・・


今から60年も前、太平洋戦争が終わるという頃、サハリンはまだ日本の領地だった。

その頃、サハリンで働くために朝鮮半島からかなりの人たちがサハリンに渡ったらしい。

日本が強制的に連れてきたという話もあるが、調べてみると仕事は高給なので希望して渡っ

てきた人たちがほとんどだということだ。

いよいよ終戦というある日・・・・

日露不可侵条約をロシアが破棄し、サハリンの日本領土に攻め込んできた。その速さといっ

たらとんでもなかったらしい。

そこで日本政府はサハリンの日本人を本土に戻す計画をたてた。一日も

早くサハリンから脱出しなくては命の保証がないというある日、迎えのバスが来たらしい

が、リンさん一家は満員のバスに乗ることができなかった。



「明日のバスにのってくれ」


と言われ、リンさん一家はしょうがなく待つことにした。

そして・・・・・・

二度と迎えのバスが来ることがないまま60年が経ったのである。

日本政府は韓国籍である彼らを救うことはなかった・・・・。

希望してサハリンに渡った彼らを救う必要がなかったという意見もあるが、ともに日本の

ために働いた彼らを簡単に切り捨てる流れが実際にあったと言うことだろう。

歴史ってつらい現実を持っているものである。


真ん中がリンさん。左が民家のおばさん。その他は旅の仲間である。


帰りも名残惜しそうに見送ってくれたおばさん。いろいろ話を聞いた後なのでなんとも別れがたいものがあった。

これは何だったっけ・・・忘れた(笑)




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