伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2022年12月29日: 懐かしき我らが伝蔵荘 T.G.

(懐かしき我らが伝蔵荘)

 伝蔵荘を取り壊した。50年前、まだ新婚そこそこの若かった頃に、TUWVの仲間達と語らって北八ヶ岳山中に作った山小屋である。メンバーは松木、佐藤、遠山、小俣、生駒、安部、後藤(3期)、及川(4期)、桜、渋川、藤田、原田、朝倉(5期)の13名で、このうち安部、生駒、遠山、渋川の4名はすでに鬼籍に入っている。

 取り壊しの動機になったのは、なんと言ってもコロナとメンバーの高齢化である。この50年間、春夏秋冬、メンバー同士、友人、家族連れでたびたび訪れ、山歩き、山菜採り、ゴルフ、スキーなど、さんざん伝蔵荘を楽しんできたが、ご多分に漏れず一昨年のコロナパンデミック以降、ほとんど誰も出掛けなくなった。メンバーの高齢化がそれに輪をかけた。

(最後の伝蔵荘例会)

 山小屋はなんと言っても維持管理、日頃のメンテナンスが大変だ。大いに気力、体力が要る。山中の山小屋だから、行き帰りに車を使わなくてはならない。少し前までは誰しも造作なく出来ていたことが、歳を取るにつれ次第にままならなくなってきた。メンバー全員であれこれ先行きのことを思い、協議し、まだ目の黒いうち、頭と身体が動くうちに取り壊そうと言うことになった。

 伝蔵荘は標高1300mの北八ヶ岳の北東斜面、佐久穂町(旧八千穂村)が運営する唐松林の別荘地の中にある。敷地面積は約300坪。町からの借地なので、建物を取り壊した後は整地して町に返却しなければならない。そのための解体費用が200万円近くかかる。幸い今まで積み立てていた会費の残りでなんとかまかなえることが分かった。その打ち合わせを兼ねて、5月に久し振りの例会を開いた。例会はメンバー全員が集まるために、毎年春と秋に開催する恒例行事だが、最後に開いたのはコロナ前の2019年秋である。実に2年半ぶりのことで、これが最後の例会になった。

(取り壊した伝蔵荘跡地)

 おおよその見通しがつき、取り壊しが決定した。その後松木君が地元の解体業者を手配してくれて、9月30日に無事解体作業が終わり、整地した跡地を佐久穂町に返却した。写真は、最後の例会時の伝蔵荘と、解体整地された伝蔵荘跡地である。写真を見ると長らく愛しんできた伝蔵荘が跡形もなくきれいさっぱり消えてなくなっている。この写真を見たら、喪失感というか、いささか懐かしさがこみ上げて来て胸が詰まった。

 解体工事費用が40万円余ったので、これを使って盛大に伝蔵荘忘年会をやろうと言うことになった。幸い全国旅行支援が始まったこともあり、一人あたり優に5万円は使える。いつもの安宿での忘年会ではなく、多少奮発して2泊3日の豪華温泉旅行をしようと言うことになった。あれこれ検討し、宿は信州渋温泉の歴史の宿、金具屋を選んだ。この温泉には今まで行ったことがなかったが、昭和10年に完成した木造4階建ての建築は国の有形文化財に登録されているそうで、自家源泉の源泉かけ流し温泉と共に渋温泉の名湯と言われている。

(金具屋での忘年会)

 先週12月20〜22日にメンバー8名で出掛けた。小俣君と原君は事情があって残念ながら参加出来なかった。全員車を使わず新幹線と長野電鉄を乗り継いで往復した。忘年会は毎年やっているが、車を使わず新幹線で忘年旅行をしたのははじめてのことである。みな歳を取ったと言うことだろう。
 金具屋は評判通りの雰囲気のある素晴らしい温泉宿で、二日二晩温泉三昧を楽しんだ。中日、近くの地獄谷にある野猿公苑に出掛けた。猿が入るので有名な温泉である。外国人がたくさん来ていた。聞くと8割が外国人だという。そう言えば金具屋も泊まり客の大半が外国人だった。伝統的な和風建築と猿が入る温泉が外国人には珍しいので好まれるのだろう。
 旅行支援のお陰で予算が使い切れず、かなり余った。この余りで来年5月にどこかの温泉で伝蔵荘例会をやろうと言うことになった。今から楽しみだ。

 この「伝蔵荘HP」は伝蔵荘を管理運営するために作ったWebサイトだが、伝蔵荘なき後も、日々伝蔵荘を懐かしみ、昔を偲ぶためのモニュメントとして残しておこうと思っている。

 あれやこれやで今年も暮れる。どうか来る年が良き年でありますように。

目次に戻る