伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2022年7月12日: 末期高齢者の帯状疱疹 GP生

 伝蔵荘日誌に投稿するのは何ヶ月振りだろうか。記憶をたどると最後に投稿したのは昨年10月であるから、それだけの歳月が過ぎ去っていた。定期的に投稿するのは生きている証であり、意欲が衰えがちな末期高齢期で気持ちを奮い立てる行為であったのだ。それが長い間、滞ったのには理由がある。

 昨年11月半ばの土曜日、何時もの鍼灸院に腎機能維持の治療に訪れた。治療衣に着替えた時、胸から脇の下が赤く腫れているのに気が付いた。鍼灸医に右背中の半分近くまで赤く腫れています、帯状疱疹ですねと言われた。そういえば前日何となく違和感を覚えていたが、痛みも痒みも感じることは無かった。一晩で腫れあがったのだ。

 激しい症状が現れてきたのは翌日の日曜日からである。耐えがたい痛みと痒みは、終日収まることは無かった。真っ赤な腫れは、右腹部から右脇腹、背中にかけて幅15センチ、長さ70センチに及んでいた。日曜日のため医者は休みである。ベッドに横たわり我慢するしか無かった。

 翌日、掛かり付けの病院に飛び込んだ。コロナ蔓延以来、病院は完全予約制である。事情を話して診察を受けた。症状は間違いなく帯状疱疹、即入院治療を要すると診断された。この時期、諸般の事情が重なり入院は不可の状態であった。主治医も事情を納得し、通院治療が始まった。抗生剤を9日間服用、痛み止めとかゆみ止め錠剤の服用、そしてステロイド剤と痛みかゆみ止めの軟膏の塗布がその治療法である。

 帯状疱疹は免疫力の低下で発症する、帯状疱疹の病原菌はウィルスで誰でも保持している様だ。自分の免疫力が低下したから、発症したことは間違いない。ここ30年間、インフルエンザや風邪に罹患したことは無い。それでも加齢により、人の免疫力は退化の一途をたどる。悪条件が重なれば、加齢には勝てないと言うことだ。

 何故、発症したのか、発症前の状態を振り返った。その週の火、水、木曜日諸々の事情が重なり連日睡眠不足が続き、更に過労とストレスが重なった。それでも、この程度の心身への負担は、70歳を超えてから何回も経験している。それが今回は重度の帯状疱疹に見舞われたのだ。末期高齢者は何時何が起こるか判らない。過度の心身への負担に耐えられない年齢に成っていたのだ。

 主治医の処方に従った治療が始まった。即効性は期待できない。主治医には高齢者の場合、半年は覚悟が必要だと言われている。患部の痛みだけでなく、全身に力が入らず激しい虚脱感に見舞われ続けた。食欲は全くなく、一日中ベッドに横たわる毎日が続き、気力の衰えは激しく日常は完全に破壊された。薬だけの対応で無く、鍼灸院に通う回数を増やし、体力回復の漢方薬「双料参茸」の服用を始めた。身体の気怠さと気力の低下は続き、回復は遅々として進まなかった。1ヶ月半を過ぎた年の瀬も無残な状態であった。年賀状を書く気力は無く、如何ともし難い状態であった。当然、スポーツジム通いは望むべくもない。

 毎日の日課は患部に軟膏を塗り、ガーゼを取り替えることだ。一日2回の作業である。ガーゼを貼り、専用のテープで留め付ける作業だ。その内問題が生じてきた。ガーゼ止めテープによる皮膚のただれである。仕方なく、長いガーゼを身体にグルグルと巻き付けることにした。それでも要所、要所にテープは必要である。鍼灸院での治療前にガーゼは全て外す事になる。中医鍼灸師がテープによるただれの跡に眼をとめ、「良いガーゼが有りますよ」と声をかけてくれた。幅14センチ、長さ18センチのガーゼで皮膚へ止め付ける粘着部は、炎症が起きない成分であるとのことであった。取り扱いも楽であった。以後このガーゼに助けられている。

 痛み止め、痒み止めの服用薬を勧められた。就寝時、痛みと痒みで寝付くことが出来ないため服用を続けた。問題は副作用である。腎臓に負担が掛かるのだ。何回かの血液検査の結果、クレアにチン値が上昇し始めた。これは恐怖である。思い切って服用を中止した。医師も処方時、腎機能に影響すると話していた。歩くと皮膚が動き、患部全体の痛みが増幅される。横になっているのが一番楽であった。車の運転は、時間がたつにつれ我慢できる範囲の痛みで可能になった。椅子に座ってじっとしていれば、我慢の範疇である。

 年が明け発症2ヶ月を過ぎたころから、少しずつ日常が戻ってきた。発症部の激しい痛みが少し緩和してきたためた。食欲もいくらか戻ってきた。量は食べられないため質には特に留意した。体を曲げる行為や屈む行為を行うと激痛がはしるから、常に身体を伸ばし行動することになった。常に痛みに晒されているので、気持ちを安定することが難しい日々であった。必要なことも、行う意欲は起こらなかった。

 4月の半ば、泌尿器科に4日間入院をせざるを得なくなった。尿道拡張の手術のためである。膀胱ガン摘出手術後、半年ごとの内視鏡による膀胱検査を行ってきた。尿道から内視鏡を挿入し膀胱内膜を目視し撮影する検査である。かなり太い内視鏡を挿入するため、検査時には激しい圧迫痛のためうめき声を発することになる。所が、尿道の一部が狭窄し内視鏡挿入が出来なくなったのだ。7年前行った放射線による前立腺ガン治療の後遺症で一部の尿管が弾力性を失い、内視鏡挿入の妨げになってしまったのだ。

 4人部屋に入院した当日、若い医師が問診に訪れた。「何か持病がありますか」と言われ、帯状疱疹治療中と話すと「他の患者に感染する恐れがあるから、個室に移ってください」と言われた。帯状疱疹が感染症とは知らなかった。色々話し、皮膚科の外来で診察を受けることになった。外来皮膚科の医師は女医さんであった。患部を見せ、発症からの経過を説明すると、「炎症はありますが、ウィルスは存在していません」との診断で一件落着した。

 発症8ヶ月になり腫れは全体に細くなり、痛みも脇の下の一部にまで減少した。塗布薬も脇の下のみとなり、ガーゼも一枚となった。それでも痛みにより寝付きは悪い。歩く時も静かに歩を進めないと脇の下がすれて痛みが走る。車の運転はかすかな痛みを感じる程度になった。先週、主治医から2ヶ月分の塗り薬を処方され、後は、具合が悪くなった時に、診察に来るようにと言われた。発症8ヶ月を迎え、あと一息の状態に達した。

 主治医や中医鍼灸師の話によれば、帯状疱疹の患者はかなり増加しているようだ。コロナワクチンによる免疫力の乱れが関係していることは事実のようだ。特に免疫力の低下している高齢者は要注意である。帯状疱疹は消えても、痛みだけが残る後遺症も発生している。何年も続く痛みだそうだ。幸い自分はその心配はなさそうだ。80歳を過ぎ、末期高齢期を迎えれば何が起こるか判らない。帯状疱疹も1年未満で完治すると思われる。コロナも収束の気配を見せない。高齢者には、何時何が起こるか判らない。一日一日が大事である。

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