伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2022年2月14日: 日本の二重苦、人口減少と経済低迷 T.G.

 今の日本を苦しめる二重苦は人口減少と経済低迷である。少子化は中国や韓国なども似たようなものだが、各種経済統計を見るかぎり、GDPの伸びの低さは先進国の中で日本が最低である。年率1〜2%しか伸びていない。原因は明らかで、子供を産まなくなったことと、経営者の企業家精神欠如と生産性の低さにある。分かっていながら改められない。30年間この状態が続いている。一人あたりのGDPは韓国にさえ追い越され、やがてはGDPそのものが追い越されるのではと言われる。岸田が新資本主義などと言い出しているが、企業が貯め込んだ400兆円にも及ぶ内部留保が一向に投資に振り向けられる気配がない。一時はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた経済大国が、今や見る影もない。いったいどうしたことか。

 以前勤めていた会社の調子がすこぶる悪い。売り上げも株価も激減、経済大国日本の低迷とまるで瓜二つ。我が社の盛衰を見ていると日本のありようそのものだ。戦前から日本電信電話公社(今のNTT)向け機材を主製品にしていた会社である。入社した頃は売り上げの過半は電電公社向けで、年商千億円程度のごく地味な中堅企業だった。知名度も低く、親戚にこの会社に入ると言ったら松下の子会社かと問われた。その会社が入社した途端あれよあれよという間に急成長し、40年後に定年退職する頃は売り上げがなんと50倍の5兆円企業に膨れあがっていたた。鼻息荒い社長の談話が正月の日経紙の一面を飾った。日本の急成長のシンボルのような会社だったが、2000年代に入りバブル後の日本のデフレ経済に同調して急降下、今では半分の2兆円台まで落ち込み株価も10分の1に激減、凡庸な企業に成り果てている。日本経済の低迷とまるでそっくり、軌を一にしている。

 思い起こせば、入社直後に就任した当時の新社長はなかなか企業家精神に溢れた人物で、旧態依然の電電公社依存を改め、幾つかの新事業分野に乗り出そうとしていた。海外事業への進出のほか、当時実用化が始まっていたコンピュータ、原子力、半導体などである。賢明にも原子力は早い時期に見放したが、コンピュータ、半導体など新事業はその後の我が社の経営の柱になった。その中から多くの優れた技術や技術者が生み出された。当時熊本に新設したピカピカの半導体工場は内外の耳目を集め、たびたび顧客を工場見学に案内した憶えがある。売り上げも急拡大で、あちこちに新工場や中央研究所を開設した。従業員も大いに働き、月100時間の残業は当たり前だった。給料も爆上げで、1年で3割増え、3年で給料が倍になった時期もある。半導体と言い給料の伸びと言い、今では夢のような別世界の話である。

 そういう革新的でエネルギッシュな成長企業が、やがて勢いをなくし始める。今にして思えばその予兆は、ジャパンアズナンバーワンの70年代末頃に始まったような気がする。なぜそうなったのか確たる理由は思いつかないが、今振り返って考えると、思いつくキーワードが二つある。中央研究所の廃止と管理職登用試験である。当時の我が社の研究所は技術系新入社員の憧れの的で、多くが研究所配属を希望した。小生もその一人だが、その研究所を、80年代初期に後継者として就任した新社長は、売り上げ利益に貢献しない研究所は不要と研究所を廃止した。他社もそれに追随し、大企業の研究所はほとんどが消滅した。日本発の新技術は生まれなくなる。大成功したた半導体事業も、技術的難度が低いメモリだけにとどまり、どの社も真の半導体であるロジックICに踏み出せなかった。今のプアな日本の半導体産業はここから生まれた。

 急成長した会社は従業員が増え、組織が肥大化すると、例外なく官僚的経営に陥る。技術や技能より、組織の運営やそれに必要な折衝能力が重要視されるようになる。その結果生まれたのが管理職登用試験である。70年代末頃から日本の多くの大企業で行われるようになった。我が社も例外ではない。試験の成績は技術力や実績ではなく、ペーパーテストで決まる。当時社長書簡というのがあって、受験者全員に配られた。それを読んでレポートを書かせる。会社の事業方針に沿ったことを書けば、言い方を変えると社長をヨイショすれば、いい点がもらえ、会社に少しでも批判的な意見や提言を書くと減点され、管理職にはなれない。これを毎年繰り返していたら、組織がすっかり官僚化されてしまった。今では社長から平社員に至るまで、組織に埋没して誰も冒険をしようとせず、技術や技術力を大事にしなくなった。この二つが我が社の、ひいては日本企業と日本経済の成長力を失わせた原因なのではあるまいか。

 この悪弊を象徴するような先輩社員がいた。今で言うスーパープログラマで、コンピュータの初期にFORTRANコンパイラをたった一人で1ヶ月間で完成させたという武勇伝が残っている。誰に指示命令されたわけでもなく、毎晩徹夜で好きなことをやった、好きなときに出社し、好きな時間に退社した。これでは人事考課が出来ないと、部長が普通の勤務時間を守るよう頼んだが、聞く耳を持たなかった。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズを彷彿とさせるこのスーパープログラマは、官僚化された組織では認められず、とうとう偉くはなれなかった。GAFAを生み出したアメリカの会社だったら違っただろう。さぞ偉くなっただろう。官僚化し技術を軽視する日本企業では、スーパー技術やスーパー技術者は生まれない。企業家精神旺盛な経営者も生まれない。

 もう一つ逸話を書くと、当時の通産省はなかなか先見性のある役所で、90年代半ばにEC(電子商取引)の事業化プランを予算を付けて募集した。今で言うアマゾンや楽天のような事業形態を指す。その頃はまだアマゾンも楽天も存在していなかった。当時我が社の製品を使ってくれていたセブンイレブンをモデルに、ネット通販会社の提案書を書いて応募したら20億円の補助金がもらえた。それを社長に持ち込んだら、社員をかき集めてEC事業本部を立ち上げてくれた。本部長以下全員が、ECなど目に一丁字もないにわか本部員ばかりで、何も仕事をせず、20億円を使い果たして解散した。あのときの社長がもう少し企業家精神に富んだ人物だったら、20億円を原資にさらに投資を増し、セブンアイグループあたりと組んでアマゾン、楽天より先にネット通販を事業化出来ていただろう。我が社のその後も変わっていたのではないか。それからしばらくして、アメリカでGAFAの一角をなす巨大企業アマゾンが誕生した。

 低迷にあえぐ日本企業や日本経済に足りないのは金ではなく、企業家精神と技術を重んじる風土なのではないか。それなくして経済成長は起きないのではないか。政府の政策と資金で生まれた新事業や企業はない。アマゾンもグーグルも、フェイスブックもアップルもマイクロソフトも、すべて経営者の企業家精神が作り上げた創作企業である。政府の金や力は借りていない。岸田のいい加減な新資本主義は、屁の突っ張りにもならないだろう。今日本企業がやるべきことは、研究所の復活と管理職試験の撤廃ではあるまいか。

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