伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2021年10月17日: ノーベル賞と日本人 T.G.

 スカパーでアカデミー賞映画、「ビューティフル・マインド」を見る。プリンストン大学の数学者、ジョン・ナッシュの伝記映画である。ナッシュは大学で研究中に強度の統合失調症を患う。幻覚、妄想と現実の区別が付かなくなり、大学構内を無為に徘徊するなど奇行が目立ちはじめる。精神病院で入院治療を繰り返すがなかなか治らない。その間も数学研究に打ち込み、リーマン多様体の研究などに大きな功績を残す。 晩年の1994年に、若い頃発表したゲーム理論に関する「ナッシュ均衡」論が評価され、ノーベル経済学賞を受賞するまでを描いた作品である。周囲と孤立し、幻覚にさいなまれながら研究に没頭する天才数学者ナッシュを、名優ラッセル・クロウが見事に演じきっている。映画ゆえ多分に誇張や脚色はあろうが、シチュエーションはほぼ事実に沿っているという。

 今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏(90歳)の発言が話題になっている。真鍋氏は東大で博士号をとった後アメリカに渡り、アメリカ国立気象局に入局。1960年代に地球の気候を解析する手法を開発し、大気中の二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化に影響することを実証。その業績が評価され、ノーベル物理学賞を受賞した。渡米後アメリカ国籍を取得し、今では正真正銘のアメリカ人であり、奇しくもナッシュと同じプリンストン大学に在籍している。真鍋氏は受賞後の記者会見でアメリカに国籍を変えた理由を問われ、以下のように語っている。

「日本では人々はいつも他人を邪魔しないようお互いに気遣っています。彼らはとても調和的な関係を作っています。日本人は仲がいいのはそれが主な理由です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします。日本で『はい』『いいえ』と答える形の質問があるとき、『はい』は必ずしも『はい』を意味しません。『いいえ』の可能性もあります。なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないので、他人を邪魔するようなことをしたくないのです」

「アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。同時に他人を観察したくもありません。他人が何を考えているか知りたくもありません。私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。アメリカでは自分の研究のために好きなことをすることができます。私の上司は私がやりたいことを何でもさせてくれるおおらかな人で、すべてのコンピューター予算を確保してくれました。自分の使いたいコンピューターをすべて手に入れ、やりたいことを何でもできました。私は他の人と調和的に生活することができません。それが日本に帰りたくない理由です。」

 統合失調症というエキセントリックな状況を排除しても、ナッシュと真鍋氏の研究者としての生き様、考え方、心象風景は酷似している。研究のためには周囲の理解や同調は必要ない。他人の目や考えを気にせず、自分がやりたいことだけに集中する。それを可能にする環境がアメリカにはあった。ナッシュの場合、精神病で奇行を繰り返しても、才能さえあれば周囲はそれを許容し、研究環境を与えてくれている。日本の大学だったら精神病の研究者などお払い箱だろう。真鍋氏の場合、それに加えて研究のために不可欠なコンピュータ予算をふんだんに与えてもらえた。1960年代はまだコンピュータの性能は低く、使用料は極めて高額だった。日本の大学ではまず不可能である。

 真鍋氏の「他人と調和的に生活することは出来ない」発言は重要である。日本ではそれが求められ、従わないと暮らしていけないことを意味している。かって1970年代、山本七平氏は著書「空気の研究」で「空気」による支配が日本社会の宿痾であることを喝破した。それによると「日本には、誰でもないのに誰よりも強い「空気」というものが存在し、人々の行動を規定している。「空気」とはまことに大きな絶対権を持った妖怪で、「空気を読め」「アイツは空気が読めない」という言葉が当たり前に使われ、誰もが「空気」という権力を怖れて右往左往している」と。今の流行言葉で言えばまさに「同調圧力」と同じである。

 「空気」、「同調圧力」は悪いいことばかりではない。人々が摩擦を起こさず、平穏に暮らせる。ゆえに犯罪率も少ない。コロナでマスクを求められると、強制されないのに誰もが黙って従う。欧米はそうではない。テレビで大谷翔平のエンジェルス戦を見ていても、大勢の観客は誰もマスクをしていない。他者と同調せず、気ままに過ごしている。だからコロナ感染者数は日本より断然多い。おそらく犯罪率も高いのだろう。しかしノーベル賞受賞者数は日本より断然多い。日本の自然科学分野における受賞者数はわずか24人しかいないが、アメリカのそれは271人。12倍である。人口比を換算しても桁違いの多さである。よほどノーベル賞級の研究に適しているのだろう。

 はたして平穏な社会とノーベル賞級の独創的研究は二律背反なのだろうか。日本のような空気と同調圧力の社会ではノーベル賞級の研究は難しいのだろうか。それは永遠の課題なのかもしれないが、やるべきことはまだまだあるだろう。気になるのは政府の研究投資予算の少なさと、温暖化など目先の効果ばかりを求める姿勢である。さらに付け加えると、2005年から始まった大学の法人化である。法人化とは大学を教育研究機関でなく一種の営利機関にすることである。効率を重視し、研究したければ自分で稼げと。そうなればどうしても金になりそうな研究にしか手を出さなくなる。中国、韓国を見れば分かるが、すぐ役に立って金を稼げる研究ではノーベル賞は取れない。

 ノーベル賞をもらったナッシュ均衡論は、発表の数十年後に経営や行政など幅広い分野で応用され、高い評価を受けたが、ナッシュ自身はそういう分野で活用されるとは夢にも思わなかったそうである。どうか日本の自然科学研究が中国、韓国並みのレベルになりませんように。

目次に戻る