【伝蔵荘日誌】2021年10月5日: 犬達は我が家の家族である GP生 ![]() この日、注射を終えたナナを寝床に寝かせた。すると自分の顔を見ながらミャーミャーとか細い声で鳴き始めた。抱き上げると鳴き声は止んだ。ナナを抱いたまま食卓の椅子に座り、「大丈夫だよ」と声をかけた。ナナは安心したように抱かれていた。時々おなかを触ると呼吸をしているのが確認できた。何日か前からナナは通常呼吸が出来なくなり、おなかを使い始めていたのだ。抱いたまま時が過ぎた。12時40分頃、おなかを触ると呼吸を感じられない。もう駄目かと思いナナの身体を起こすとミャーと声を出した。心臓はかすかに動いていたのだ。それから10分を過ぎた頃、ナナの心臓は完全に停止した。体はまだ温かい。死後硬直が起こるのはまだ先である。そのまま外出中の家人の帰宅を待った。 ![]() ロンが家族の一員となり生活が安定してから、何時ものペット店に家人と出かけた。可愛いシーズー犬が目にとまった。小型犬も良いねと衝動買いをした。それがムックであった。ムックは賢さを備えていた。お座り・お手をはじめ、トイレも一度で覚えてくれた。飼い主の言葉を理解する能力も群を抜いていた。先輩犬のロンにも懐き、何時も一緒に部屋の中で過ごしていた。9歳を過ぎた頃、ムックは腎臓病を患い、毎日獣医さんに栄養剤を注射して貰う日が続いた。ドライアイを併発していたので、治療の最後は目薬であった。これを続けているうちに、注射が終わるとムックは獣医さんに顔を向け始めたのだ。毎日の仕草であった。点眼が判っている様な仕草であった。3ヶ月以上、獣医科通いが続いたある朝、ムックは寝床の中で冷たくなっていた。少し前に覗いた時は、生きていたのに。ロンより先に逝ってしまった。 ![]() ![]() チャコとショコラの二匹体制が暫く続いたある日、チャコを買った犬屋に家人と訪れた。この時、目に付いたシーズー犬がいた。全身から不思議な魅力が溢れていて、思わず抱き上げたまま離す事が出来無くなった。これがナナである。ナナは唯我独尊を思わせるような自己主張が強く、引っ込み思案のチャコは無視された。誰にでもベタベタのショコラに懐き、何時も一緒であった。八方美人のショコラが他の二匹間を取り持ち、三匹の関係安定に寄与していた。ショコラが死んでからナナは急にチャコと仲良くなった。相手がチャコしかいないことを悟ったようだ。ナナはチャコの後を追ったように思えた。そして我が家には一匹の犬も居なくなった。 ![]() ナナが死んで1ヶ月が過ぎると、流石気持ちは落ち着いてきた。しかし新たに犬を飼う事は不可能である。犬の平均寿命を15歳としても、自分達の歳を考えれば、最後まで責任は持てないからだ。ネットでポメラニアンとトイプードルの写真を見つけて、何れが良いかと架空の話で家人と気を紛らわせていた。犬の居ない寂しさは、写真では埋められなかった。先月28日、ペットショップに行ってみる事になった。実物を見たくなったのだ。 ペットショップには沢山のケージが並んでいる。ポメラニアンとトイプードルは可愛いけれど、訴えかけて来る魅力に乏しかった。シーズーは死んだ二匹の印象が強いので、真剣に目を向けないようにしていた。ケージを見ている内に、一匹の犬に心が強く動かされた。ポメラニアンとトイプードルのハーフ犬である。犬種が異なる親の良いとこ取りの感があった。小さな眼は何かを訴えているようにも思え、家人共々目を離すことが出来なかった。飼いたいとの思いは共通でも、出来ない相談である。そして何時までも眺めていた。 ![]() 今までの5匹は全て女の子である。男の子は初体験であるし、初めての犬種である。ハーフ犬故、ペット屋の担当者でも性格や成犬時の大きさは判らないそうだ。これは飼育時の楽しみが増えることになる。しかし、13年ぶりの飼育であり、飼育経験の無い犬種でもある。しばらくは手探りの飼育が続くことになるだろう。気は抜けない生活がスタートした。 何歳になっても、犬を育てる緊張感は生きがいである。この子の生まれは遠隔地、福岡県宗像市である。末期高齢期を迎え、息子達の心遣いで新しい犬を育てられる事は、幸福の一言である。この「福」と福岡の「福」とを重ね、「フク」と名付けた。家人の命名である。フクの誕生日は7月24日であった。図らずもチャコの命日である。フクはチャコの生まれ変わりで無いにしても、因縁を思わざるを得ない。フクを何時まで面倒を見られるかは判らない。出来るだけ長く生活を共にしたいと願っている。老夫婦に福をもたらしてくれた息子達に感謝である。 |