伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】2021年9月22日: 総裁選における敵基地攻撃能力議論 T.G.

 自民党総裁選の政策討論で安全保障に関する敵基地攻撃能力保有が議論になった。総裁選は事実上の総理大臣選挙である。安全保障問題が総理総裁選びのテーマに取り上げられることは滅多にないことだが、ちょうど北朝鮮がミサイルを発射し、日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下させた時期と重なったので、議題に取り上げられたのだろう。

 この敵基地攻撃能力に関し、岸田前政調会長と高市前総務大臣は肯定的な見解を示したが、河野ワクチン担当相と野田幹事長代行は否定的な意見を述べている。特に河野は「敵基地なんとか能力みたいなものは、」とおちょくった上で、「こっちが撃つ前に相手が撃たなかったら相手の能力が無力化される。(かえって事態を)不安定化させる要因になる」と、意味不明な見解を述べている。要約すれば、敵基地攻撃は自分勝手にやっては駄目、相手の都合を考えてやるべきと言うことだろう。国家安全保障を他人事のように見ていて、薄気味が悪い。国土防衛に関してこんな無定見な男が、防衛大臣を務めたとは嘆かわしい。総理になるとしたら空恐ろしい。

 しばらく前まで、日本の安全保障政策は仮想敵ソ連の脅威を前提に組み立てられていた。軍事同盟の日米安保も然りである。在日米軍が三沢に基地を置いているのは対ソ戦を睨んだものだ。しかしながら21世紀の今はまったく様相が異なっている。今現在の日本の仮想敵は中国と北朝鮮であり、ロシアではない。昨今の韓国政府の反日の動きを見ていると、そのうち韓国も加えることになるだろう。用いられる軍事力も当然のことながら以前とは様変わりだ。対ソ戦に用意した戦車や航空機はもはや無用の長物で、潜水艦と中距離、短距離ミサイルが中核的な軍事力になる。同盟国アメリカも同じである。バイデンもやっとのことで仮想敵を中国と見定めた。対中国戦略に注力するために、アフガンからのいささか乱暴な撤退もした。アメリカの脅威ではない北朝鮮は視野に入っていない。当然のことながら日米安保も対中国に変質していて、想定される最大危機は、中国の台湾侵攻である。

 バイデン政権は対中国の抑止力を強化するために、第一列島線に沿って中距離短距離ミサイルを配備する戦略に踏み切った。そのために6年間で2.9兆円を投入する計画だという。今までの対中抑止力の切り札であった空母打撃軍が、人民解放軍の対艦ミサイルを中心としたA2/AD戦略の前に無力化され、切り替えざるを得なかったのだ。1990年代に起きた台湾海峡危機の際は、アメリカが台湾海峡に原子力空母を一隻派遣したら、中国は手も足も出せず撤退した。その反省から生まれ、人民解放軍が20年かけて育て上げた戦略である。空母は打撃力は優れているが、防御力は低い。台湾海峡に近づいた米空母は、容易に中国の対艦ミサイルの餌食になってしまうのだ。

 4月に菅首相がワシントンでバイデンと会談した。菅はバイデンが大統領に就任して最初に面談した他国首脳である。コロナ真っ盛りの4月に、わざわざ菅をホワイトハウスに呼びつけた理由と最大の目的は、この新政権の新中国戦略に日本を協力させるためである。第一列島線はほとんどが海上で、ミサイル配備の適地は少ない。フィリピン、台湾、沖縄列島などの陸地以外、中距離ミサイルを配備する場所はない。フィリピン、台湾への設置は政治的に難しく不安定で、最も実現性が高く、有効かつ効果が高い場所は沖縄諸島しかない。菅がどう応えたのか定かではないが、日米安保が続く限り袖に出来る話ではない。原則承知したに違いない。もし同意しなかったとしたら、軍事同盟である日米安保は瓦解する。日米安全保障体制の喫緊の課題は北朝鮮ではなく台湾なのだ。

 それ以上に、日本にとって中国の台湾侵攻は他人事ではない。自国の安全保障に関わるゆゆしき事態である。北朝鮮のミサイル発射とは比べものにならない重大事だ。中国の台湾侵攻が台湾領土だけに限ったピンポイントの軍事攻撃に終始するわけがない。当然周辺国、フィリピン、韓国、沖縄も巻き込まれる。台湾侵攻に先立ち、中国は日本の国土である沖縄諸島を制海、制空権に取り込もうとするだろう。そのための軍事攻撃も受けるだろう。中国の台湾侵攻はまさに日本の存立危機事態そのものなのだ。河野の言うような他人事であるはずがない。現実的な敵基地攻撃論議は、この視点に立たねば意味がない。北朝鮮のミサイル発射など論外である。ミサイル発射はセンセーショナルでおどろおどろしいが、仮に手違いで一発ぐらい日本領内に着弾するようなことがあっても、日本の存立が脅かされるわけではない。なんと言っても深刻なのは、6年以内に必ず起きると言われる中国の台湾侵攻である。それにどう備え対処するかが、敵基地攻撃論議のベースになるべきだ。

 総裁選討論で高市早苗氏は「やられてもやり返さないのでは、どうしようもない。精密誘導ミサイルの配備は絶対だ」と敵基地攻撃能力の必要性を訴え、新技術の研究を進めて敵基地の無力化を図ると具体的に主張している。岸田氏は「北朝鮮は日本に届くミサイルだけで500〜600発、それ以上を持っているといわれる。敵基地攻撃能力も含めて、抑止力として用意しておくことは考えられるのではないか」と肯定的な見方を示唆しながら、第一列島線認識まで踏み込まなかったのはイマイチである。野田氏は「情報収集能力がないことが一番の問題で、抑止力以前の問題」と述べるにとどまった。外交と安全保障をごっちゃにしていて、国を預かる首相候補としては失格である。

 菅首相は総裁選前に訪米し、バイデンと二回目の首脳会談をするという。任期が数日後に迫り、レームダック化した総理を呼びつけたのは、おそらくアメリカにとって最優先の課題である第一列島線ミサイル配備計画参加の念押しをするためだろう。菅はこれにどう対応し、帰国後後継総裁にどう伝え、引き継がせるつもりだろう。後継に選ばれた新首相はこの問題をどう取り扱うのだろう。岸田、高市ならなんとか引き継ぎようがあるが、河野のように敵基地攻撃に関して否定的でまったく関心がなければ、無視して聞き捨てにするしかない。その結果日米同盟にひびが入り、日米安保体制の終わりの始まりになる恐れがある。日本の安全保障、最大の危機と言って過言でない。金融や経済政策の失敗はリカバー出来るが、安全保障政策の過ちは国を滅ぼす。なにとぞ河野が選ばれませんように。

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