伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2021年4月24日 新型コロナ蔓延と高齢者の日常 GP生

 新型コロナの蔓延が収まらない。新たな変異株による感染の増加も見られ、感染者全体も増加の傾向にある様だ。若年層に重症化も見られるが、重症者と死亡者は圧倒的に高齢者である。高齢者にどの様な形で感染したかの情報は極めて少ない。高齢者は感染を防ぐ為に、自身で対策を講じなければならないのだ。末期高齢者である自分の日常も変わってしまった。自分の住む町での高齢者へのワクチン接種は未だ始まっていない。

 高齢者は加齢の進行につれ、外出する機会は減少する。新型コロナの収束が見えない現状では、閉じこもりは以前に増して常態化し、高齢者の心身に与える影響は大きくなるだろう。自分は15年前からスポーツジムに通い始め、午前中をジムで過ごす事になった。60代半ばの頃の事だ。平日午前中のジムは高齢者しか見られず、若い人の姿は希である。80歳後半の男女がプールで元気で泳いだり、水中を歩いたりしていた。所が昨年、コロナ禍によりジムが閉鎖になり、再開したのは5月であった。再開しても通う気持ちが起きず、恐る恐る顔を出したのが7月になってからであった。

 昨年末、自分の不注意で激しい体調不良に見舞われ、1ヶ月以上ジムはお預けとなった。久しぶりに訪れたジムは駐車場はガラガラ、自転車置場来スカスカであった。プールも浴室も人が激減していた、何より淋しいのは、毎日顔を合わせ浴槽やサウナ、プールで雑談に興じていたジム仲間の姿が見られなくなた事だ。昨年、多くの人が退会したとは聞いていたが、更に減少していた。親しくしていた旧友も家族の反対で退会していた。ジムでは感染防止を徹底して行っていたが、恐怖心は大きかったのだろう。高齢者の女性達は、プールでマスクを着用して行動している。彼女達の楽しみは会話である。ジムはマスク無しでの会話を禁じているため、マスク着用で水中を歩きながら楽しんでいるのだ。

 自分のマンションでも、昨年から今年にかけて2件の解約が続いた。昨年末、28年間居住した高齢者のご夫婦が解約を申し込んできた。会社勤務のご主人は、収入が減少し家賃負担が苦しくなり転居せざるを得なくなった様だ。詳しい事情は不明である。自分が居住するマンションは最寄りの駅から徒歩3分の場所にあるが、ご夫婦が新たに選んだ住まいは駅から離れた遠隔地であった。泣く泣く転居した事とは、ご主人の話から痛いほど伝わってきた。もう1件は独身女性の解約である。今の住まいがテレワークをするには手狭になり、隣町の郊外に転居を決めたそうだ。新コロナはこんな所にも影響を及ぼしている。

 小学校のクラス会は、毎年5月に開催してきた。昨年、クラス全員が80歳を迎えるのを契機に、2年前、次回をTHE LASTにする事を提案し多数決で了承を得た。卒業時のメンバーは55名、亡くなった仲間も10人以上となった。連絡が取れないものも多かった。担任の先生が健在な頃は出席者も多かったが、次第に減少し、ここ10年は連絡を取り合うのはクラスの半数になって仕舞った。「生きている限りクラス会」と主張する女性もいたが、皆末期高齢者である。何れ1人欠け二人欠け、そして誰もいなくなる事は間違い無い。それなら元気な内に閉会し、記憶に残るクラス会を考えラストクラス会を提案した。そのラストが、昨年に続き今年も開催出来そうにない。ラストが延びることが良い事なのかも知れない。

 自分の日常も様変わりしてしまった。親しい友人達との飲み会もお預けである。交流はメールとスマホトークに限られて仕舞った。気分転換は車による郊外の店での買い物である。買い物より、車の運転の方が比重が大きいかも知れない。車の運転は気分転換に最高の手段である。唯一人、車中の空間を独占し、運転に専念出来る開放感があるからだ。高齢者の運転に対する批判も多い。問題を起こさないために、全神経を運転に集中し、交通規則に則った操作を行うよう心懸けている。運転中の音楽も封印した。車中で感染する心配は無い。買い物先のスーパーやホームセンターを出るときは、備え付けのアルコールで両手を消毒をしてからハンドルを握っている。

 昨年の今頃は何処の店でもマスクは売り切れで、アベのマスクなる物も登場した。一年後の今、マスクは千差万別、選び放題である。日本製マスクは工夫が施され、機能も優れた物が多く見られるようになった。山積みになった中国製マスクを尻目に売れているようだ。自分も行動に応じて、何種類かのマスクの使い分けている。

 スポーツジムが昨年販売を始めたマスクは、運動中の呼吸しやすさを考慮した材質を用い、運動に適した形状になっている。ジムではこのマスクを着用している。毎日出かける買い物には、不織布マスクを着用である。総合病院の待合は通気も悪く、人も密であり、会話は無くとも空気中にウィルスが漂っている可能性はゼロではない。そこでは医療用マスクに近い機密性の高いマスクを着用している。たまに乗る電車も同様であ。何れのマスクも着用時に、カットしたリードぺーパータオル一枚を追加している。リードペーパータオルは、濾過機能のアップと口や鼻の汚れがマスクへの付着を防止する効果もある。ペーパータオルは一回毎に破棄し、マスク本体は帰宅時アルコール消毒をしている。手洗と共に日常習慣になって仕舞った。

 ワクチン接種が国民全体に行き渡り、新コロナ禍から解放される日が何時になるかは判らない。国や地方時自体からの規制が繰り返されるたびに、人は次第に新コロナに慣れてきた様だ。特に若い人は感染しても重症化する割合が少なく、死への恐れも薄らいでいるのだろう。しかし高齢者は油断できない。何時もジムのプールで親しくしていた高齢者の男性の姿が何時の間にか見られなくなった。3月にゴルフをやり過ぎ腰を痛め、浴室だけに留めていたが、浴室にも見えなくなった。先日、彼とは親しい仲間から、「彼は娘さんからジム行きを止められた」と聞いた。

 高齢者の車の運転と同じ事が起きていた。家族が心配して高齢者の運転にブレーキを掛けるように、ジムは感染の危険が高いと考え、辞めるよう圧力をかけるのだ。家族の心配は判るにしても、スポーツジムの実際を理解しての事とは思えない。午前中のジムは高齢者が殆どで、土曜日曜を除き若者の姿は見られない。ジム側もクラスターを出したら休館となるため対策は徹底している。感染防止に真剣に取り込んでいる事は良く分かる。脱衣所や浴室、プールでの人は疎らである。高齢者同士の個人的接触もお互いを思慮して行っている。この環境下で感染は考えられない。車の運転にしても、助手席に座り高齢者の運転を確認せず、年齢だけで心配する家族も多い様だ。高齢者は自己責任で感染せぬよう行動し、自らを閉鎖的環境に閉じ込めない努力が求められているのだ。

 高齢者の日常は、現役時代のそれとは全く異なっている。行動範囲が極めて限られているのだ。電車で移動する事も少なくなる。一日の殆どを家で過ごす事になる。社会と接触する機会が激減するのが、高齢者の日常である。スポーツジムへ定期的に出かけ、身体を動かし、仲間達と出会う事は、高齢者の心身活性化に繋がるのだ。家族の心配は理解出来るにしても、高齢者の活動を抑制することは、極端な場合、寿命を縮める事にもなるかも知れない。

 ワクチンが高齢者全てに摂取されるのはまだ先のようだ。それまでは感染防止は自己責任である。高齢者が社会的孤立から逃れるためには、外に出る努力と感染防止の方策が個々に求められるのだ。他者からの進言には耳を傾けるにしても、自らの意思と行動が無ければ自らを孤独環境に追い込むことになる。積極的な情報収集も必要である。テレビの情報の殆どは人々に恐怖感を植え付ける結果に繋がっている。高齢者の行動は全て自己責任である。万が一の時、他者は責任が取れないのだ。コロナ蔓延下であっても、高齢者は自分が信じる日常を送ることが、生きている証であると信じている。

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