伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2021年4月17日 高齢者の孤立と孤独感 GP生

 最近読んだ情報誌に、「孤独感と社会的孤立は命を縮める」との記事が掲載されていた。2019年の一人暮らしの世帯数は、一千万世帯を超え全世帯数の34.5%に相当し、更に20年後には75歳以上の一人暮らしは500万人を越えると書かれていた。内閣府の調査では、一人暮らしの高齢者の7%が他者との会話は「殆ど無い」と答えている。高齢者が退職や引越、病気などがきっかけとなってコミュニティから離れ、新しい人間関係が構築できなければ孤立感を感じる事になる。

 孤立予備軍は定年退職した男性に多い様だ。会社の仕事一筋の生活から、地域社会に溶け込むのは容易ではないからだ。なまじ大企業で役職に就いたりすると、地域では新人扱いとなり、プライドが許さない人もいるだろう。以前、スポーツジムで知り合った退職者は、何処かの銀行の支店長をしていたと、誰にでも話していた。人は次第に元支店長から遠ざかっていった。退職後、彼の心の支えが支店長なのだろう。現役時代の仕事にプライドを持つのは当然ではあっても、定年後もしがみ付いていたら新な展開は開けない。定年後の人生は長いのだ。過去に縛られず、新たな人生目標に目を向ける事が大事と思っている。

 とは言え、身体に染みついた会社勤務の習慣は一朝一夕には変えられない。退職後は家庭環境も一変する。夫婦であっても、現役時代は一日中顔を付き合わせるのは休日に限られていた。夫が退職すれば、妻は長年続いた生活環境に突然夫が侵入してきた思いになるだろう。それが生涯続くのであれば、新たな関係を夫婦で構築していく覚悟が求められる。退職後、夫婦の真価が試されることになるのだ。退職者はこの試練を乗り越えなければ、家庭内での孤立感に苛まれる。通常、子供達は母親の援軍であるからだ。

 自分は故あって50代半ばで退職した。自営業に従事する事により社会的孤立感は生じ無かったが、1年中が休日感覚の生活となった。朝出勤し、夜帰宅する生活習慣が身に付いており、気持ちが落ち着かないのだ。割り切って退職したものの、日中外出するのが何となく気恥ずかしさを覚えた。このままでは生活のペースが掴めないと考え、地下受水槽室の空き部屋を改築し、パソコンやプリンター、そして電話等を敷設した。テレビも持ち込んだ。平日の午前中はこの部屋に出勤し、仕事と読書で過ごした。日曜は一日中自宅で過ごす事になった。疑似出勤は成功であった。その後、母親の介護が始まった時、生活習慣の変更を迫られ、母の死後、再度新たな生活の構築が始まった。末期高齢期を迎えた今、余生を如何に生きるかが求められている。

 近隣にも孤独感に苛まれている様に思える高齢者の女性が存在する。子供達は存在していても、自力で生活が維持できなくなった時、諸々の理由で子供達に将来を託せない為である。そこで頼れる物は「金」となる。金に対する執着心は驚くほどだ。他の高齢者の夫婦が助け合って生活したり行動する姿を見ると、些細な事を取り上げ激しい批判をする事もある。自分が満たされない想いを、嫉妬心と合わせて発散している様のに思えるのだ。決して心は満たされない行為である。孤独感は心の繋がりでしか解消出来ないのだ。自己中心的な人間関係しか築けない高齢者に、心の安定は訪れない。

 全く逆の高齢者も存在している。或る知人女性は、末期高齢期を迎え心穏やかな日々を過ごしている。彼女は若い時から生まれた環境ににより苦労を重ね、結婚してからも結婚先での人間関係に苦しむ人生を過ごしてきた。嫁ぎ先での仕事の責任を一身に背負わされ、家庭を顧みるゆとりは無かった。母親の背中を見て育った二人の子供は、結婚してからも一人暮らす母親の身を案じ、心を砕いている。子供達の連れ合いも、同じ気持ちで義理の母親に接し、成長した孫も同様である。彼女が幾重にも重なった心の繋がりの中で、満ち足りた一人暮らしを過ごせるのは偶然ではない。彼女は学生時代から心を大事にする生き方を身につけてきた。老後の幸せは、彼女が如何なる苦労にも挫けること無く、自分の信じる道を歩き続けてきた褒美でもあるのだ。彼女は人は斯く在りたいとの模範でもある。

 先の情報誌に依れば、通常の暮らしをしている人の死亡率に比べ、「社会的孤立」の人は29%、「孤独感」のある人は32%、そして「一人暮らしの人」は32%も死亡率リスクが高いそうだ。強い「孤独感」により、過剰に発生するストレスホルモン・コルチゾールが体内に炎症を起こし、心血管疾患や脳血管疾患の引き金となったり、免疫力の低下や海馬萎縮による記憶障害、糖尿病を発症させる結果だ。ガンのリスクを増加させるとの研究もあるそうだ。孤独感は心だけで無く、身体にも影響を及ぼしている事になる。時々報じられる老人の孤独死は、これらの何れかに相当するのだろう。

 老人の孤独死の殆どは男性であり、女性の孤独死は寡聞にして知らない。自分の周囲を見ても、夫に先立たれた女性は皆元気である。小学校のクラス会の女性を見ても、寡婦の方が溌剌としている感がある。生命力が強いとしか思えない。平均寿命にしても女性の方が6歳上である。夫が定年退職後、妻は友人達と出かけることが多く、行動力の衰えた夫が留守番の話は良く耳にする。まして加齢が進行すれば、意欲のみならず身体も萎縮することになり、行動力は更に衰える。孤独感は独居老人だけの問題では無いのだ。

 自分も退職後、友人達との飲み会は多かった。旅行にも出かけた。自分で身体を使う仕事も積極的に行ってきた。孤立感とは無縁であったのだ。所が70歳代半ばから相次いで大病に見舞われ、身体の無理が効かなくなり、人との接触の機会も激減した。孤独感は無くとも、交流の減少は淋しいことである。体調が安定しても加齢の進行は終わる事は無い。新コロなの蔓延は、高齢者にとって新たな日常が求められている。

 新型コロナは若い人にとっては恐ろしい病ではない。無症状者も多い。重傷者と死亡者はの殆どは65歳以上の高齢者で占められている。高齢者は家に閉じこもり、他の人との接触は激減している。夫婦二人暮らしの旧友は、午前中をスポーツジムのプールで過ごすことを日課としていた。水中を歩行し、マッサージプルで時を過ごし、サウナで休息、そして仕上げは入浴である。所が新しい年を迎えてから、ジムに姿を見せなくなった。心配して電話すると、「子供達からコロナが怖いから、ワクチンを接種するまでジムを辞めろ」と言われ退会したと話してくれた。所が、3月末突然ジムに現れたのだ。話を聞くと、毎日夫婦二人だけの生活に耐えられなり、思い切って再開したそうだ。間違い無く退会後の彼は、孤独感に晒されていたのだろう。ジムの仲間達は彼の復帰を喜んで迎えた。

 高齢者が孤独によるストレスから解放されるには、友人達との交流が不可欠である。以前のように、一緒に旅行したり、集まり一献を交わすことも叶わなくなっても、メールや便利なスマホが有る。顔は見えずとも肉声を聞いていれば、相手の状態は手に取るように伝わってくる。たわいのない年寄りの会話でも、当人にとっては心躍る時間であるのだ。孤立を避ける努力が高齢者には求められている。

 高齢者にとって孤立感と孤独感に苛まれる事は、生きる意欲を失う事に繋がる。人は幾つになっても、この世に誕生した目的を求める旅を辞めてはいけないのだ。恐らく生きている限り目標達成は出来ないにしても、あの世で自ら定めた目的を求め続けることが、高齢者にとって生きる意欲の根本であると信じている。孤独感は自らの心が造りだした物に過ぎないのだ。孤立を避けるのも自らの努力である。心の交流を続ける事が高齢者には不可欠と信じている。余生は長くは無いのだ。あの世に旅立つとき、悔いだけは残したくない思いである。

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