伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2021年3月30日 ガン治療と患者の運命 GP生

 先日、柔道の古賀稔彦氏の死去が伝えられた。53歳の若さであった。古賀氏はバルセロナオリンピックで、練習中の負傷にもめげず金メタルを勝ち取っている。全日本選手権でも無差別級に出場し、軽量級にもかかわらず、100sを越す巨漢を倒し決勝戦に出場した技と根性の持ち主であった。その古賀氏が何故、若くして、ガンでこの世を去らなければならなかったのだろう。テレビでも新聞も病の詳細は報道されていない。

 たまたまネットのスポーツ欄で古賀氏の病に関する記事を読んだ。それによれば、古賀氏は昨年3月、片方の腎臓を手術により摘出していた。手術後、痩せ細り、今年に入りモルヒネで痛みを抑えていたとも書かれていた。腎臓のどの部位がガン化したのかは、書かれていなかった。先日のテレビで、昨年12月に撮影された古賀氏の姿を見たが、やつれきった姿にかっての雄姿を見られなかった。既に手術前に転移していたのだろうか。

 ガンと疑われたとき、検査で転移の有無を確認するはずだが、如何なっていたのだろう。転移を確認しても、腎臓の状態は放置できないから切除した可能性も否定できない。腎臓摘出は内視鏡手術により行うため、身体に関する負担は少ないが、腎臓から膀胱に至る尿管の摘出が厄介である。切除には開腹手術が必要となるからだ。自分は78歳の時にこの手術を受けたが、身体への負担は大きかった。古賀氏はまだ若い。柔道家でもある。念のための手術でも耐えられる体力があったのだろう。

 自分の術後、洗面台の鏡に映る姿は、疲労感は有っても極端なやつれは見られなかった。テレビに映る古賀氏のやつれは尋常ではなかった。手術後、抗ガン剤治療が行われ、副作用の影響もあったのかも知れない。これらは全て推測であり、真実は判らない。残念ながら闘病の甲斐無く、古賀氏は術後1年でこの世を去ってしまった。新聞には、穏やかな顔であったと書かれていた。病との闘いに破れ、この世を去った患者が、苦悶の表情を呈した姿を何回か見てきた。古賀氏の穏やかな顔は救いで有る。

 古賀氏のガンがどの臓器に転移したかは報道されていない。テレビのやつれ顔を見た時、重要臓器が冒されている様に思えた。ガン治療の根本は早期発見、早期治療である。癌巣が局所に留まっている内に治療を行えば完治に繋がる。古賀氏のガンも早期に発見されていれば、今頃は元気に柔道の指導に精を出していただろう。腎臓ガンの怖さは、早期には自覚症状が現れず、気が付いた時には手遅れとなる事である。

 自分の腎盂ガンは極めて早い時期に発見された。前立腺ガンの放射線治療後、2年間のホルモン療法が終了し、一安心していた時である。朝一のトイレで、かなり激しい血尿に見舞われたのだ。血液の色は新鮮であった。前立腺の治療は終わっている。出血は腎臓か膀胱の何れかと考え、直ちに慈恵医大の泌尿器科に電話をした。その日は、主治医の診療日でないことは承知していた。窓口の担当者に事情を話し、診察を依頼したところ、医師の一人が診察を承諾してくれた。CT検査により左腎臓の腎盂部に腫瘍の存在が認められた。次いで左腎臓の内視鏡検査により、腫瘍の確認と細胞診か行われ、初期の腎盂ガンであると判明した。その時診察した医師は現在自分の主治医になっている。

 腎臓摘出手術は当時の主治医の執刀で行われた。主治医は内視鏡手術の専門医でもあった。その後何回もCT検査が行われ、他の臓器への転移がない事が確認された。腎盂ガン発見時の出血が、腎盂部とは考え難い。腎盂ガンは極めて初期であり、あれだけの激しい出血を伴うとは考えられないからだ。結局どの部位からの出血であったかは判らなかった。その年の末、再度の出血があり、検査の結果、今度は初期の膀胱ガンであると診断された。この時も血尿がガンの早期発見に繋がったのだ。膀胱ガン発見に至った出血の際も出血量は多く、初期ガンからの出血には思えなかった。膀胱内視鏡による写真を見せられたが、出血を伴う様な状態とは素人目にも思えないのだ。この時も出血部位は判らなかった。

 考えられるのは、前立腺ガン治療時の放射線により尿道や膀胱が損傷を受け、何らかの原因で損傷部から出血した可能性である。この時の放射線治療は通常の外部照射だけでなく、前立腺に刺した中空心20本の中をコンピューター制御により、放射性物質イリジウム192を循環させる最新の治療法であった。これを2日間行った。外部照射は照射回数は多いが、周囲の臓器への影響を避けるため、弱い放射線を用いている。内部照射は前立腺の局所に集中して照射するので、極めて強力な放射線照射が可能であり、再発の可能性は激減する。しかし、前立腺に接するする膀胱の一部と、前立腺内を縦貫する尿道は多大の影響を受ける事になる。二度に亘る出血は、この何処かの部位からでは無いかと想像している。出血部位が何処であるかはともかく、この出血により腎盂ガンと膀胱ガンの早期発見に繋がったのは事実である。膀胱ガンは内視鏡手術と6回に亘るBCG注入治療に依り、3年近くが経過した現在、安定している。早期発見と早期治療の結果である。しかし排尿障害は生きている限りである。

 慈恵医大病院での治療は人との出会いの賜であった。前立腺トラブル発症時、同じマンションに居住している薬剤師さんから隣町の泌尿器科を紹介してもらった。この病院の医師により、前立腺ガンの疑い濃厚と診断され、紹介されたのが慈恵医大であったのだ。紹介状だけでなく、その場で電話まで掛けてくれた。医師は以前、慈恵医大で講師を務めていた経験があった。慈恵医大での主治医は最新の放射線治療を習熟した医師であり、膀胱ガンの手術でも、その道の熟達した医師が主治医となった。三回のガン治療に際し、何れも早期発見、早期治療が行われ、しかも医師にも恵まれたのだ。

 最初の前立腺ガン発症からすでに6年が経過し、今は末期高齢期を迎えている。振り返ると、後期高齢期はガン治療で過ごしたように思える。今こうして再発の不安を感じる事無く、日々を過ごせることは有難いことである。運命の力に恵まれた様に思えている。ガンを発症すれば、誰しも悩み、不安を感じるのは当然であろう。しかし、ガン発症で心が萎縮した事は無く、自分の病を客観的に理解するよう務めたと思う。これも目に見えない力の後押しがあったのかも知れない。

 人は運命の力には逆らえない。人が老齢期を迎えた時、生きてきた道程と心のあり方がその後の運命に影響を与えると感じている。自分が三回ものガン発症を乗り越えられたのは、多くの僥倖に恵まれた結果である。しかし僥倖は望んでも得ることは出来ないのだ。目には見えない力の存在を感じざるを得ない。古賀氏が何故53歳という若さでこの世を去らねばならなかったのか、何人も判らない。これも古賀氏の運命であったのかも知れない。もし運命の女神が微笑み、古賀氏のガンが早期発見出来ていれば、結果は異なっていただろう。時には運命とは残酷なものかも知れない。人の一生は運命の影響下にあるにしても、自らの生き方が運命を好転させる事はあると信じたい。

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