伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2021年3月16日 末期高齢者の遙かなる友への想い GP生

 末期高齢者とは羽鳥湖仙人の命名である。80歳を過ぎた老人を表しており、自分もその1人である。当に至言である。末期高齢期を迎えれば、誰しも自身の余生が長くないことを自覚することになる。70歳を過ぎれば、健康状態は個人差が大きくなり、末期高齢者のそれは更に大きい。自分は後期高齢期に入って大病を3回患い、それぞれ3人の優れた医師に恵まれ命を永らえている。自分の不用意な行動による昨年末の極度の貧血は、回復し日常生活に不便は感じなくなった。今日無事に一日を過ごせても、明日が判らないのが末期高齢者だ。最近、夜床に就いた時、遙か昔の事が頭を過ることが多くなった。羽鳥湖仙人が送ってくれた旧い写真に、刺激を受けたことは間違いない。

 青春のまっただ中である学生時代、多くの友と交流を重ねた。山歩きに熱中し学業を疎かにした結果、一科目の単位が取れず教養部を留年する羽目になった。亡き両親に平身低頭し謝罪したことが昨日のことのように思える。学生生活が5年間になった事は、同期の仲間に比べ友人が増えることに繋がった。結婚相手との出会いも5年目であった。人との縁により就職先も決まった。留年無かりせば、その後の人生は全く違ったものになっていただろう。何が幸いするか判らない。人の運命は予測不能である。

 友人の訃報に接することが多くなったのは、70歳前後の頃である。辛いのは老齢期前の訃報である。1人は50歳半ばでこの世を去った。同期の仲間達と弔問したのが、ついこの間のように思える。彼は真っ直ぐな性格で、ワンゲルの運営におかしな事を感じると率直に意見をぶつけてきた。丸い目を輝かせる彼と下宿で議論したこともある。合宿で同じパーティーになり、キャンプファイアーでスタンツを彼と興じたことは楽しい記憶だ。羽鳥湖仙人が以前送ってくれた飯豊山頂の集合写真には、印象深い彼の姿が残っている。

 ワンゲルの運営に携わった同期の友は、60歳台でこの世を去った。彼の葬儀は思い出すたびに心が痛む。彼とTG君、そして自分を含めた3人でワンゲルを運営してきた。猪突猛進しがちな自分にブレーキを掛けるのがTG君であり、意見が対立したとき、間に立って調整役を演じたのが彼であった。3人のチームワークがあったからこそだ。彼も伝蔵荘の仲間の一人であったが、自分が参加したときは顔を見せなくなっていた。その内、彼が面倒な病を患っている事を知った。何回か電話を掛けたことはあるが、反応はなくなってしまった。年賀状も来なくなった。彼の訃報に接したのは、奥様がTG 君に知らせてきた事に拠る。葬儀に参列し別れの挨拶をした時、彼の顔には当時の明るい面影は微塵もなく、病による苦しみが克明に刻まれていた。胸をつかれる思いで彼を見送ったのが、昨日のように思える。

 ワンゲル同期の一人に、50歳台で亡くなった関西出身者が居た。彼とは合宿でよく同じパーティーになり、個人山行も重ねた。明るいムードメーカーである彼は、部室でも合宿でも貴重な存在であった。コンパでは、笠置シズ子が歌う「買い物ブギ」の関西弁版が彼の十八番であった。現役入学の彼は学業優秀であり、大学院修士課程に進学し、卒業後は大手企業に就職した。留年した自分にとって、親しい同期の存在は心強い限りであった。

 卒業後、彼に再会したのは伝蔵荘の例会である。何十年振り出会った彼は、顔や手に多くのシミが現れており、様変わりしたやつれた姿に驚いた事を覚えている。卒業後、大きなストレスに晒されていたのかも知れない。何年かして彼の訃報に接した。斎場で彼の兄さんが発した「何故死んだ」との痛切な言葉は、心に刻まれている。彼の死に、正常ならざる何かが有ったのかも知れない。詳細は一切不明である。もし彼が健在ならば、仲間同士の付き合いも楽しさを増したことだろう。

 一年先輩のWAさんの事は、この日誌に何回も書いてきた。TG君や自分にとって特別な存在であったからだ。WAさんが突然逝去して6年が過ぎた。脳梗塞で失明し、更に大病を煩い闘病生活を続けていた彼は、階段から転倒し内出血により、あっという間にこの世を去ってしまった。脳梗塞の予防薬が血液をさらさらにし、出血が止まらなかったためだ。彼は単位不足で教養部を留年し、進部後、入院生活を余儀なくされ更に留年を重ねた。自分が仙台を去る直前、病室に彼を見舞ったことはつい昨日のように思える。失明してから3年8ヶ月に亘り、彼とは定期電話で話を続けた。電話の声から昔と寸分変わらぬ人柄が伝わってきて、話は弾んだ。電話で詩吟を聴かされたこともある。羽鳥湖仙人から送られた泉が岳の写真を見ると、未だ健在でいるのではとの想いにかられる。

 羽鳥湖仙人が送ってくれた写真に、新入生歓迎登山の珍しい一枚がある。一年生、二年生、三年生全ての女子部員が勢揃いした泉が岳山頂の写真である。一年生の部員二人の名前は記憶しているが、後は顔の記憶だけである。唯一人の三年生は、WAさんと同じ学部の女性で、WAさんと付き合っているとの噂が流れていた。付き合いと言っても、今と異なり学生の男女関係は淡いものだ。彼女は懐が深く、気持の大きい女性であった。彼女と話をすると心の暖かさを感じたものだ。卒業後の消息は一切無い。今健在ならば末期高齢期を迎えているはずだ。彼女達の写真を眺めていると、当時は退部していた女子部員との淡い想い出が蘇ってくる。風の便りで、彼女が難病を患い、若くしてこの世を去ったと知った。

 ワンゲルの仲間だけでなく、学部寮の同期仲間二人を失っている。二人とも40歳台の死去であった。寮は後方に8町歩の山林を控え、水道はなく、山の湧き水で飲食や風呂を補い、燃料は山林を伐採して薪としていた。米は、寮が所有する2反の田圃からの収穫で賄っていた。当然、寮費は格安である。自分の一年目は留年生で、寮の雑用で過ごす事が多かった。同期二人とは2年間同じ列車で通学し、同じ教室で過ごし、寮では共に自給自足の生活を営んで来た。彼等とは友人と言うより、兄弟に近い感覚の付き合いであったのだ。彼等が自ら命を絶ったと聞いたのは、退職後の同期会であった。何故、死ななければならなかったのは一切不明である。最も親しかった一人は入水と知り、暗澹たる想いに駆られた。

 人は誕生前にあの世で誓った目的を、この世で果たす宿命を背負っている。潜在意識下に隠れた意識は顕在することはなく、人は迷い悩みながらこの世で過ごす事になる。何れ、人はこの世から去るにしても、自ら命を絶つことは自らの定めを断ち切ることに繋がる。だからこそ、自殺は人にとり最大の罪悪となるのだ。この世の苦しみから逃れても、あの世では、自らが犯した過ちによる苦しみは永く続くと聞いている。自殺は決して救いにはならないのだ。自ら命を絶った友は、今あの世で如何しているだろう。

 何れ我が身も、この世を去るときが訪れるのは、遠からずである。末期高齢者の行く末は永くはないのだ。何年か前から終活を心懸け、諸々の準備を始めている。この日誌でも、末期高齢期のテーマが多くなった。そのような時であるから、羽鳥湖仙人が送ってくれた旧い写真に、心が動かされるのだろう。写真により、忘れていた当時の記憶が蘇り、心が潤されるからだ。残り少ない余生であっても、悔いを残さずこの世に別れを告げたいと思っている。

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 日誌を書き終わった日、伝蔵荘仲間である後輩の訃報に接した。彼は大病を患い闘病生活を送っていたが、特効薬が効力を発揮し、仕事に復帰していると知り喜んでいた。所が免疫力の低下により、肺炎を併発し命を失ってしまった。薬の副作用と思われる。仲間の訃報は辛いものだ。もう暫く頑張って、伝蔵荘に顔を見せて貰いたかったとは、皆の願いでもあったと思う。旧い仲間がまた一人、あの世に旅だって仕舞った。あの世で彼の魂は、この世で十分頑張り、懸命に生きてきた報酬として、安らかに日々を約束されているだろう。彼の冥福を心から願っている。

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