伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2021年3月1日 都市近郊の風景の移り変わり T.G

 年が明けてはや3月、2ヶ月が過ぎた。歳を取ると時間が経つのが早い。GP生君から、君は先月は伝蔵荘日誌を一度も書いていないと指摘された。言われてみればその通りである。1月末に書いたのが最後だ。伝蔵荘日誌を書き始めて17年になるが、月に一度も書かなかったのは初めてである。歳を取って、世事に関心が湧かなくなったのだろう。これはいけないと気を取り直し、書くことにする。

(20年前の農家の畑)
(同じ場所の20年後の風景)

 古いアルバムを整理していたら、20年ほど前、家の周りで撮った風景写真が見つかった。ちょうど家を建て替えたばかりで、デジカメが売り出された頃である。カメラを持って散歩する途中で撮したものだが、わずか20年前の風景なのに隔世の感がある。散歩道の途中に一町歩ほどの広々とした畑と農家があった。畑にはいろいろな作物が栽培され、その背後に蒼とした雑木林が広がっていた。それが今ではコンビニと安普請のアパートに占拠されていて、畑も雑木林もものの見事に消えてしまっている。実に殺風景で、面白くもおかしくもない。

 息子が生まれたばかりの頃は、他県の鉄筋5階建てのアパートの3階に住んでいた。息子を少しでも自然豊かな環境で育てたいと思い立ち、建売住宅を買ってこの地に移り住んだ。40数年前のことである。荒川中流域の農村地帯の、田んぼを埋め立てて造成したばかりの新興住宅団地で、周りは実に自然豊か、田んぼや畑や雑木林が至る所にあった。田植えの時期には蛙の鳴き声があちこちから聞こえ、夜寝ているとうるさいほどだった。田んぼの周りにはトンボが舞い。家の裏手に鬱蒼と茂る雑木林では、クワガタやカブトムシが捕れた。拙宅の庭にも大きなガマガエルが住み着いていて、山鳩が庭木の枝に巣を作り、雛をかえした。初夏、雑木林の梢でカッコウの鳴き声が聞こえた。あちこちの農家の敷地に、樹齢150年を超えるケヤキ大木が何本も立っていて、市指定の保存樹木の札が貼られていた。時が経つにつれ、そういった諸々の自然が次第に失われはじめ、今では当時の面影をほとんどとどめていない。

 農地は相続税や固定資産税を課税されない。その代わりに宅地のような自由な売買が出来ない。周囲の地価が高くなった都市近郊の農家は、20年ほど前からあちこちで農地転用し、住宅地にして売ったり、建売住宅やアパートを建てるようになった。農業をやめた先の相続税対策でもあったのだろう。そうなると見る見るうちに畑や田んぼや、雑木林やケヤキの大木が失われ始めた。20年経った今はそのほとんどが消滅してしまい、散歩道も様変わりしてしまった。

(20年前の竹林)
(20年後の竹林の跡)

 これも同じく20年前の風景である。散歩道の途中、小径で隔てられた農家の敷地の両側に、鬱蒼とした昼なお暗い竹林が広がっていた。実に趣のある風景で、市の風致地区にも指定されていた。「○○市新八景」などという観光用の立て看板があった。今はすべて失われ、影も形も残っていない。風情のある竹林はすべて切り払われ、整地され、殺風景な建売住宅と駐車場に変わってしまっている。これはどう考えても文明の進歩とは思われない。退歩以外の何ものでもない。

 失われた農地や雑木林跡は、ほとんどが安普請の、マッチ箱のような一戸建て住宅と粗末な2階建てアパートが建ち並んでいる。それ以外で目に付くのは最近増え始めた老人ホームと介護施設である。ごちゃごちゃした建物が雑然と建ち並ぶ、風情のない住宅地に変わってしまっている。このあたりの都市近郊農地の広がりを考えれば、かなりの住宅数、施設数である。人がほとんど住んでいなかった農村地域の人口がどんどん増え始めているのだ。人口減少で悩んでいる日本で、なぜこういうことが起きるのだろう。これらの膨大な数の建て売り住宅やアパートや施設の住人達は、いったいどこから湧いてきたのだろう。湧いてきたとは虫けらみたいで失礼な言い方だが、これ以外に適当な表現を思いつかない。当然小生もその中の一匹ではあるのだが。

 おそらく全国各地の過疎地域から移り住んできた人々なのだろうが、この先その移住人口が減り始めたら(人口減少を考えれば、減り始めるのは火を見るより明らか)、元農地に雑然と建ち並んだ粗末な住宅や施設やコンビニはどうなるのだろう。もう元の農地には戻せなだろうから、あと10年も経つと、人も住まない古びた空き家がひしめくスラムになるのだろうか。いずれにしろ、20年前には存在した自然豊かな風景は再び戻ってこない。これはどう考えても文明の退化としか言い様がない。日本にはまともな都市計画がない。農業計画もお粗末である。

(20年前の我が団地と雑木林)
(20年後の今の団地と元雑木林)

 雑木林の坂道を下ったところが20年前の430世帯の我らが住宅団地である。この雑木林も今はない。カブトムシやクワガタがいて、カッコウが鳴いた雑木林は、この写真を撮った2年後にきれいさっぱり切り払われてしまった。今は庭もろくにないマッチ箱住宅がひしめいている。たった20年前の出来事である。かくいう我が住宅団地も、団地を造成する50年ほど前までは田んぼだったそうだ。それを埋め立てて団地を作った。当時この坂道を下った先に家は一軒もなく、青々とした田園風景が広がっていたのだ。そこに移り住んできた虫の一匹として、人に文句は言えないが。

 40年前に買った家を取り壊し、20年前に今の家に建て替えた。取り壊した家は土台が割れて傾き、床にゴルフボールを置くとゴロゴロ転がった。家の土台はシロアリに食い荒らされていた。安普請の木造住宅は耐用年数が20年しかないことを痛感した。畑や雑木林を取り潰して、そこら中を埋め尽くしている安普請の木造住宅やパートは、20年後は同じような状態になるのだろう。どんな安普請でも、家を一軒建てれば最低2000万はかかる。それが20年で使い物にならなくなる。貧乏人の2000万円がたった20年で償却され、ゴミになってしまう。ストック資産にはならない。貴重な自然である畑や雑木林を取り潰して、日本中が壮大な無駄をしている。こんな無駄な金遣いをしながら、なぜフロー経済の指標である日本のGDPは増えないのだろう。

 建て直した新しい家は、耐用年数を考えて木造はやめ、ダインコンクリート壁の鉄骨構造にした。金はかかったが、手入れをきちんとすれば50年以上保つと業者に言われた。欧米の百年住宅には及ばずとも、ある程度のストック資産にはなるだろう。50年先は生きていないが。

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