伝蔵荘日誌

【伝蔵荘日誌】 2021年2月12日 令和3年2月、高齢者の日常復活 GP生

 1月末の胃カメラと血液検査の結果を担当医から説明を受けた。写真を見ると胃潰瘍は治癒しており、潰瘍の後に細い皺が放射線状に伸びていた。後治療として制酸剤が28日分処方されたが、有効成分は治癒薬の1/2である。ヘモグロビンは10.2迄回復していた。基準最低値の75%の値に過ぎ無いが、日常生活に問題が出ないと診断され鉄剤の処方はなくなった。後は自然回復を待つのみである。1月末頃からフラフラ感は消滅し、外歩きでも違和感は無くなってきていた。日常が戻って来た思いである。全ての症状の完治には暫く時間を要すると思うが、自覚症状が無ければ日常生活に不安は生じない。

 前回の日誌にも書いたように、車の運転感覚を維持する為、一日最低1回はハンドルを握ってきた。生活環境は車無しでも不便は感じ無いが、昔から車が好きで50年近くハンドルを握り続けてきた。3年前、家族から大型車は止めろとの声が大きくなり、長年運転してきたミニバンから、ステーションワゴンに乗り換えた。ミニバンの運転に不安を感じる事は無かったが、遠出が減り高速走行は減少したため、街乗りに便利な車種を選択したのが本音であった。

 検査結果を聞いた翌日、1ヶ月半ぶりにハンドルを握った。高齢の友人達から、暫く振りにハンドルを握ると、怖さを覚えると聞いていた。70歳台の半ばに何回も入院生活をした後、体調が回復してから車の運転を再開してきた。この時はハンドルを握っても、走り出すと以前と同じ感覚で運転出来たが、今回は年齢が違う。自覚症状が全くないとは言え、貧血は完治していない。車庫から公道に出た時、どの様な感覚を覚えるか興味津々であった。走り出すと、アクセルとハンドル操作に心が躍る思いであった。1ヶ月半のブランクは全く感じることは無かった。以前と同じ感覚で走行できたことは喜びである。車中は自分一人である。リラックスできる空間が戻って来た。

 この日の目的はホームセンターと二カ所のスーパーでの買い物である。昨年春頃から、買い物先での駐車を自己採点してきた。車をど真ん中に止めれば、左右白線と車との間隔は均等になる。殆ど均等になれば100点とし、左右の大小程度で減点してきた。80点以上が合格である。但し切り返しはせず、バックによる一発入庫が大原則である。今回は三カ所の駐車場で100点であった。緊張感無く普段通りの操作が功を奏したのだろう。但し、交通規則遵守は鉄則である。後期高齢者は一寸した違反でも厳しい措置が待っている。運転中は雑念を廃し、運転操作に集中する必要があるため、初日の運転は連続15分以内に留めた。運転時間は徐々に増やしていくつもりだ。

 2日目にスポーツジム通いを再開した。プールに入ると水の感触は素晴らしく、歩きながら生きている事を実感する時間でもあった。辺りを見回すと、歩く人も泳ぐ人も激減していた。プールだけで無く、駐車場はガラガラ、駐輪場もスカスカであった。脱衣所も浴室も人影はまばらである。恐らく緊急事態宣言の影響であろう。何時も一緒に歩いていた旧友Ko君の姿も見えない。知人に尋ねると、彼は退会したとの返事が返ってきた。彼は食道ガンの大手術をしている。再発したのではないかと心配になり、着替えをしてから直ぐに電話をした。スマホから彼の元気な声が聞こえてきた。まずは一安心である。

 退会理由は新コロナであった。娘さん達から止めろ止めろと強く言われ、彼もその気になった様だ。既に1月初めに退会していた。退会か休会かは別にして、多くの人がスポーツジムを避けてしていることは間違い無い。あれだけ人数が減少すれば、逆にジムの安全性は高まったと思える程だ。彼は家族以外と話す機会が無いとぼやいていた。

 高齢者は人と話すことが最高のボケ防止である。新コロナの今、テレホントークは最適と思い、機会ある毎に電話をしてきた。落ち着いたテレホントークの場として、駐車中の車内は最高の環境である。外部から邪魔が入ることは無く、自分一人慣れ親しんだ空間を占拠しているからだ。1ヶ月半車の運転が出来なかったため、電話で友人達と会話を楽しむ機会は制限されてしまった。運転の再開により、会話を楽しむ機会が戻って来た。

 高齢者の日常は雑用をこなすことで成り立っているようにも思える。犬の世話は楽しい雑用の一つである。15歳と13歳のシーズー犬は、老齢化により手が掛かる様になってきた。餌は小粒のペレット状であるが、噛み砕き咀嚼が困難になってきたのだ。昨年から餌をミキサーに掛け粉末にし、シニア犬用のトッピングを餌に混ぜ与えてきた。体調不良時は犬の世話も難儀であった。餌を準備し与えることも、トイレの始末も意を決しないと出来ない状態が続いた。犬達はトイレが汚れると床に粗相をしてしまう。定期的なトイレ掃除は必須であった。犬達の世話も休み休みである。今は自然体で世話を出来る迄回復した。犬達が夢中で餌を食べる姿を見るのは喜びである。人と犬の老々介護が戻って来たのだ。

 雑用の一つがゴミ出しである。生ゴミ、プラ、資源ゴミ等、分別したゴミ類をゴミ箱から取り出す作業は自分の役目であるが、養生中は苦痛を伴う仕事であった。歯を食いしばっての対処を迫られた。事務仕事も急がぬ事は後回しにしても、期限が来ればやらざるを得ない。身体を使う仕事では無いのだが、意欲が湧いてこないのだ。ひと仕事行う度に横になり、再び意を決して雑用に取りかかる日が続いた。体調不良時には精神力だけではカバー出来ないのだ。今はゴミを取り出す腕に力が入る様になった。

 貧血は完治していないとは言え、フラフラ感は無く、自分が貧血である事を自覚する事の無い日常が過ごせる様になった。高齢者にとって平凡な日々であっても、平穏に過ごせる事が如何に大切であるか思い知らされた。今回の貧血による体調不良は、高齢期を生きる身にとって貴重な経験であったと思っている。

 高齢者は惰性で生きがちである。これから更に加齢を重ね、肉体が衰えれば、不摂生や不注意による一寸した過ちが、身体に致命傷を与えることになろう。昨年は幾つかの僥倖により回復に漕ぎ着けたが、何時も幸運に恵まれる訳では無い。末期高齢期を迎え、如何に生きれば良いか真剣に考える機会を与えられたと思っている。令和3年2月は日常復活の第一歩となった。

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